太平の学園 ー 183
「翡翠、待ってくれよ……」
彼女の提案にまず反対の意を示したのは、少年だった。
「これはおかしな話だ。翡翠は知らないかもしれないけれど、スペクトル・ヴィアンっていうのは、すごくいやらしい文化なんだ」
「伝統芸能だけど?」
「そりゃそうだよ。でも、それはかつての話だ。まともな文化を維持できなくなった今日では、それを他人の助平を満たすための道具でしか無くなっちまった」
「うん、そうだよ」
少女の決然とした頷きに、少年は戦慄した。
「私が何のために調べ物をしてたと思ってるの? そういう文化とか、歴史とか、そんなの全部分かってるつもりだよ」
「それなら……」
「猪原智真美を辱めに合わせるのがそんなに嫌だ?」
「嫌だね」
「なら安心してよ。実際にはそんなことにはならないって、この人が言うからさ」
少女は後背に立つ鹿野明星を指差して告げた。
「猪原智真美を守ることを生き甲斐とする彼が、猪原智真美の全部を守ってくれるんだって。ね? 鹿野君」
「ああ、僕はバイオリンの戦慄を奏でるように愛する人を守ることができるんだよ」
「ほらね?」
それが少年にとって納得のいく理屈でなかったことは言うまでもない。
「そんなマッチポンプが許されるか! お前の自尊心を満たすためになんで猪原が傷つかなきゃいけないんだ」
鹿野明星が「そりゃ」と打てば響くような反応を見せたところで、少女はその続きを手で制した。彼女の方から答えを言うつもりであるらしい。
「そりゃ私たちが傷つけられたからだよ。その罪を彼女にも負ってもらう必要がある。神威を傷つける人間に容赦をしたくないんだ、私。だってそれって愛でしょ?」
ここでアブラムが突然に立ち上がって「アルゴン!」と叫んだ。
「はっさ――土肥くんは猪原さんを傷つけたくないなんて思ってないと思うよ」
「出たー。私、神威知ってますアピール。でもね論点は違うんだ。私は私の意思で神威を守りたい、それだけ。そんであなたは身を呈して神威を守る勇気もない臆病者、それだけ」
「俺は猪原にも傷ついてほしくない」
アブラムの萎縮を察知し、少年がすぐに会話に割り込んだ。
「こいつは態度ほど実際は悪いやつじゃない」
「神威を洗脳したんだね。いよいよ終わってんだ、あんた」
「俺は正気だよ。猪原とはここ数日一緒にいたけど、何度も救われた部分はある。それで多少こいつのことも信頼するようにはなったっていうそれだけのことだ。別に洗脳されてるわけじゃない」
猪原智真美が再び会話の中に割り込んで「言っても無駄でしょ」と少女に告げる。
「要するに私は甘いってことよね。だったらいいわ、私からも提案をさせてもらう」
彼女は少年と少女に交互に指を差した。
「私の意思を変えるつもりはない。この男、そして雨宮翡翠は共に然るべき役を担ってもらう」
「だからそれを防ぐために私たちは――」
「チーム戦よ」
彼女のその思いつきが、二人の運命を再び恐ろしい地獄の門戸へと引き摺り下ろそうとしていた。
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