太平の学園 ー 181
「大丈夫かい? 怪我してただろう?」
少年が真っ先に出したのは、喜びよりも心配の声だった。
「……うん、お腹ちくちくするよ」
「だったら――」
「私が神威を助けてあげたかったの」
般若の少女は制服の襟を正して、猪原智真美へと指を差し向けた。
「この女の謀略と、誘惑から」
「翡翠……」
状況を静観していた猪原智真美はここで拍手をして笑い始めた。
「愛の神秘、愛の献身。結構なことね。あなたたちは肉体の痛みよりも精神の痛みでくたばる惰弱な虫たちなのね」
「自己紹介? 智ちゃん」
「――その名で呼ばないで!!」
般若の少女の問いに、猪原智真美は極限までの大ボリュームの声を放つ。あたりが一斉にしんとなる。猪原智真美は気を取り直して咳払いをした。
「私にとって、あなたは裏切りの肥満女でしか無いわ。あなたに一度だって気を許したことはない。過去も、今も、これからも」
「肥満女? あなたよりどう考えても細いでしょ?」
般若の少女は己の痩躯の一面をつねり、そのプロポーションの良さをアピールする。猪原智真美も肥満というわけではないが、彼女の細身には敵わなかった。
もっとも、猪原智真美の発言の意図自体に、それらの文章を全て益体なくさせる実態があった。
「肉垂らしぃってことよ。何にせよ早とちりを止めるべきだわ」
「早とちり? とちってんのはあんたの言葉のチョイスでしょ? 肥満女つって恨み相手想像できる人なんて一人もいないでしょ?」
「……」
「そういうとこ根暗出てるよねー。自分の頭の中だけでばっかりものを考えてる頭でっかちなのさ、あんたは」
「なんでそんなこと言われなきゃいけないの?」
猪原智真美の萎縮が伝わったのは、少年とアブラムだけだった。アブラムは立ち上がって、「まあまあ」と猪原智真美のフォローに入った。
「雨宮さん、とりあえず戻ってきてくれて嬉しかったよ。はっさ……土肥くんも嬉しいと思うよ」
「あなたが神威の気持ちを代弁しないで。目の前に本人いるんだから、本人から言わせればいいでしょ? ね? 神威」
「嬉しいに決まってるじゃんか。この数日間、俺は生きた心地がしなかったよ」
般若の少女は得意げに胸を張って、「生きた心地がしなかった……ね」と答えた。
「保留にしてた私の回答、期待してていいんだね?」
「当たり前だ。俺はお前――」
「――あ、こんな情緒ないところやめてね。女帝を倒してからのプレゼントにしよっか」
「そうだね」
少年はもはや他の女性のことなど一瞥もくれなかった。アブラムがいささかのぞっとしなさを覚え、少年の臀部をつねるなどのちょっかいをかけたが、少年は本気で彼女の妨害を鬱陶しがっていた。
「やめてくれよ。今、翡翠と話してるんだ」
「アブラムとは一緒に話したくない?」
「そうやって俺と翡翠の仲を妨害しようとするなら」
「……ごめん」
アブラムが落胆しているのを見て、般若の少女はほっと胸を撫で下ろす。少年の気が別の女性へと靡いてしまっていないか、彼女には気が気でなかった。
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