太平の学園 ー 179

 語り手のささやきの声は少年に届いた。

 曰く、大鳳を滅ぼせ。

 少年が云った。

「……分裂の悪魔め」

 それは切なる迫真をもって彼の喉から発せられた。

 歴史に通底する一本の運命のライン。限られた慟哭の中で抗える僅かな間隙と共に、天使を騙るおためごかしの悪魔――と少年が呼ぶ者――は、云った。

 大鳳を滅ぼせ!!!!!!!! ぎょーーーーーーーーん!!!!!

 少年が悪魔に耳を貸す瞬間こそがこの物語に要請される真の結末に他ならない。ぎぃん。

 何者にも付き従わぬ者は破壊の運命を免れない。運命の中にあるレース状の下着、そこに包まれた確かなヒラメが、少年に呼びかける。

 こちらに来なさい。たっぷり卵大サービスの舞よ。けけけ。

 漢へのささやき。それが語り手に求められた全ての役割である。少なからずこの挿話において、漢へのささやき、漢へのささやき、漢へのささやきィ! そう、それだけが使命なのだ。

 次の物語へとつなぐバトン。オートバトン、人造なる論理パラグラフ、ジャズの音が聴こえるまではそれを続けよう。踊る迷子に語り手は静かに次の言葉を授けよう。

 SO WHAT!!!

 グリルだ! そう、少年の心根に潜む破壊の精神を、グリルしかない! 

 大鳳を滅ぼせ。

 語り手から授ける唯一の言葉である。

 大鳳を滅ぼせ。

 O・T・O・B・O・K・E・サンドイッッチ!



「大丈夫? 顔色が悪いけれど」 

 ロングホームルームを直前に控えた休み時間、椅子に座り俯いた少年に、猪原智真美が告げた。

「……随分余裕じゃねえか、敵の心配か?」

「張り合いの無い勝負は嫌いだと言ったはずよ」

 猪原智真美が少年の首に手を触れて、「血の気が引いてるわよ」と問うた。

「……俺だって分からねえ。日に日に俺に語りかける声が強くなってるんだ」

「語りかける? まさか添い寝した私があなたに愛の言葉を語りかけるってことではないわよね?」

「そうかもしれねェな。だとしたら悪魔の名はてめえだぜ」

 少年はため息をついた。

「分からねえ。一体それは、俺に何を求めてやがるんだ……」

「何かを求められているの?」

「漢」

「ああ……」

 彼女は納得したように頷く。

「あなたのここ最近の奇行は、まさかその声のせいだって言うわけ?」

「……それが俺の内なる声かどうかは分からねえがな」

「こうは考えられないかしら」

 彼女は腕組みをして思案の様子をする。

「それは、あなたを破壊という運命に導く悪魔ってことよ」

「……」

「つまりね、あなたはあなた自身の自覚する運命に従い、その破壊と向き合っているつもりかもしれない。けれどあなたの知らないどこかでは、その破壊すら、誰かの運命の路線の中にいるということ。あなたは結局、もっと高度なところで操られているに過ぎないのよ。もしかしたらあなたが忌避しているあの奇人母乳ガンマンさえ、あなたの破壊の運命を貫徹させるために作られた偽の母親なのかもしれない」

「……そんな馬鹿な話があるか。俺には確かな記憶があるんだ。あの女に毎夜のごとく死を宣告される憎き日々の記憶が」

「そうね。馬鹿げた話だったと思うわ。けれどそうやって考えてみることで、自分の置かれた立場が、結局のところ破壊ではなく、何らかのレールの上にあるということが分かると思うわ。あなたは全てのしがらみを捨てて生きているつもりかもしれないけれど、その実は、『しがらみを捨てて生きている風』な規範に従っているに過ぎないということなの」

「俺はどうすればいいんだ」

「悪魔の声に耳を傾けるのを、一度やめてみればいいのではないかしら」

「それはつまり……」

「漢などという下らない概念にとらわれるのをやめたらどう?ということ。おんなじことを何回言わせるつもり? いい加減コントロールされる人生をやめなければならないわ」

 少年が悲哀に満ちた様子で俯いたのを見て、彼女は咄嗟にフォローした。

「恭順も愚か、背徳もまた愚か。あなたにできることは、中庸、ただそれだけよ」

「中庸……」

「簡単な話よ。バランス感覚を養いなさいってこと。0か10でしか決められない間抜けな性格からいい加減脱却しましょ?」

「……」

「一緒に」

 彼女は背を向け、壁掛け時計を見上げた。

「さて、ホームルームが始まるわ」

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