太平の学園 ー 177

 少年が廊下へ出ると、黒の外套に身を包んだ珍奇な連中が往来を通り過ぎた。その数、優に二〇数名で、いずれも女子生徒と思われたが、中には成人している女性も含まれていた。

「……なんだあの奇っ怪な物の怪どもは」

 少年は立ち止まり周囲を見渡すと、外套の女性たちの先頭を歩く一人の少年の存在を認知した。それもまた黒の外套を着ていたが、たとえ服装がいかなる場合でも、少年にはその正体が判然と分かっていたのだった。

「……待てよあいつ」

「マテ茶あつい」

 水筒に入れたホットのマテ茶を飲み歩きながら、猪原智真美も廊下へ繰り出た。

「マテ茶飲む?」

 少女の差し出したマテ茶の水筒を少年は一気呵成に仰いで、飲み干してしまった。

「枯れた大地にマテ茶が咲く。漢の俺様にかかりゃ、熱湯はすべて桜の花びらってなことだ」

「あなたの漢病はまだ治ってないのね。あなたは反省をする気も無ければ現状を変える努力をする気も無いのね。もう呆れちゃったわ」

「滑稽に見えるかい? ならば滑稽コッケイと鳴きなよニワトリ」

「私はあなたに用は無い。あの馬鹿の様子を伺いに来たのよ。マテ茶代は後であなたが弁償をしなさい」

「ならば弁証にかかるテーゼを教えてくれよ」

「見なさいよ、あの馬鹿」

 狂ってしまった少年になど目もくれず、彼女はかつてマテ茶の詰まっていた水筒で外套の少年を指した。

「この一日で随分変わってしまったのね。隔世の感というしかないわ」

「あれはあれで楽しくやってんじゃねえか? ハナからあいつに理性なんてねえんだ」

「明星もあなたに言われたくはないでしょうね」

 彼女はため息をついて踵を返す。彼女が背を向けた外套の少年――鹿野明星――に、少年は果敢に近づいていく。

「おい坊主、漢の前を通るならばその了見は戦争を肯うってなもんだぜ」

「権利はあれど勝ち目はない。そうだろう? 土肥神威」

 自らの前に立ちはだかった流血の闘狼に、鹿野明星は外套をはためかせながらそう忠告した。

「僕たちはもはや学校というスキームに縛られずに生きることができる。つまり君のような矮小な人間のことなど相手にする必要は無いのさ」

 鹿野明星が自分の従える無数の女性たちを指した。

「彼らは全て迷えるピルグリム姉ちゃんたちだ。そして僕は大陸を渡り、星を渡る。君のために生きているつもりが無いのだから、君に言えることは次のことしか無いのだよ」

 どけ。そう告げられ、流血の闘狼は嘲笑をしながら彼に返答した。

「漆畑経済の思想に毒されたのか、それともてめえの中身がもはや漆畑経済の亡霊に憑りつかれたのか」

「安心しなよ。僕は最初から僕に過ぎない。ただ、僕という者の存在を今まで皆が正しく認識していなかっただけの話なのさ」

「猪原智真美もか?」

「ああ。本当に好きな人間に僕の正体なんて見せられるわけがないじゃないか」

「てめえの正体は一体なんだ?」

「植木鉢」

「嘘をつくなら脈絡を持てよ」

「うえ、君、ばっちぃってことさ。さっさとどけよ、僕はに用事があるのさ」

 鹿野明星は少年をすり抜け、廊下の先の怪談を下ろうとした。

 廊下を下る直前、十数歩の距離の空いた流血の闘狼に対して、彼は笑いながら云った。

「そういえば、今日のロングホームルームは愉しみにしておいてくれよ。君の最愛の人が随分とお膳立てをしてくれたんだ」

「……」

「立てたものはお膳だけじゃない。彼女は僕のよこしまな気持ちを奮い立たせてくれたのさ」

「……」

「僕らの関係は横縞ボーダーを超えちゃったってことさ。では、お先に失礼」

 流血の闘狼は舌打ちをしながら「下手な嘘で俺をこけにしようって魂胆が見え見えだぜ」と返答した。

「俺はもう翡翠との幸福の線路の上に立ってんだ。てめえなんてお呼びじゃねえし、及びじゃねえ」

「それが純愛かどうかは分からないだろう?」

「……ぬかしやがって」

「あまり恋愛に幻想を抱かない方がいい。肥大化した恋慕の情は時に自分の感情にさえ不合理と言える行動を取ってしまうことがある」

「自己憐憫か? タヌキ」

「タヌキじゃない、僕は亀だ」

 二人の会話はそこで終わった。

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