太平の学園 ー 174

 流血の闘狼が教室を訪れると、やはり般若の少女の姿はそこには無かった。彼女はまだ病院にいるに違いない。昨日は学校を襲った事件の疲労も相まって会いに行けなかったが、少年が彼女に会いたいという気持ちには変わりない。

 ただし、その気持ちが以前までの執着の形をもって少年に行動を促しているわけではないということも厳然たる事実だった。もはや自らの意味だった一人の少女の存在は、彼にとって、「ただ愛する人」というその存在に取って代わっていた。

「今日こそ告白するんでしょ?」

 彼と共に教室へ訪れたカカシがそう告げた。無論、それはさる事件の結果としてこの世界に取り残されたもう一人の少女としてのカカシである。

「なんでそのことを知ってるの?」

「アタシは生まれた時点までの元々のアタシの記憶を引き継いでる。だから自分の呪いだって分かってるし、あなたたちがアタシの実質的な死を悲しんでることも、知ってるよ」

「そうなんだ……」

 少年はなぜか悲しそうな様子で彼女の様子を受け止めた。

「安心してよ。あなたの言葉は真摯に受け止めてるよ。KGがいなくなった今、アタシに生きる理由なんて無いけれど、アタシはまだ人の温もりを忘れたつもりはないよ」

「……」

「あなたがそれをアタシに教えてくれるんでしょ? しっかりしてよ。アタシの生きる理由になって、アタシの人生に後悔なんてさせないで」

そこまで重いものを背負ったつもりはない、と少年は言おうとしてやめた。それが赦され難き欺瞞であることに気付いたからである。

 少年は彼女の生の全てを引き受けた。それは紛れもない事実だった。そして、それゆえに彼女が抱える少年へのある種の恋慕の気持ちを思い、やるせなくなった。

「とりあえず付き合ってみるか? 俺たち」

「何その慰め。バカじゃないの?」

 彼女が少年の頭に平手打ちをする。

「情けで付き合ってもしょうがないでしょ」

「……」

「それに付き合わなくたって、することはできる」

 彼女は悪戯に微笑んだ。

「マレーバクの記憶がアタシにはある。あなたとお風呂で抱き合った記憶もまたあるわけ」

「……な!」

「アタシたち、もう裸の関係なんだよ? あなたがアタシに正式に惚れるまでは、なあなあな関係でちゃっかりやりましょ?」

「……そっか」

「アタシのこと都合よく利用してるなんて思わないでね。アタシがあなたを利用してるの」

「……」

「アタシ、優しいセックスよりちょっと強権的な方が好きだから。だってそっちの方が倒錯的で痺れるでしょ? 神威はそういうの下手そうだけど、そこんところよろしくね」

「……」

「何? 不満があるの? セックスは二つの矛盾を同和させるためのものなんだよ。あなたの矛とアタシの盾。そして、愛の正統と倒錯、その相剋。矛盾の涙一つない性愛が欲しいなら本能で生きる動物にでもなればいい。アタシたち人間が愛し合うのは、生まれながらの矛盾を許す作業が必要だからなんだよ」

 彼女はそう耳打ちして自席へと帰った。距離を置いていたアブラムはその会話を遠目で静かに眺めていた。

 同時に、猪原智真美もまた少年の様子を伺っていた。

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