太平の学園 ー 173
翌朝の目覚めが誰のものにとっても良くないことは明白。それはアブラムにしても、少年にしてもである。
アブラムは朝の起床と共に、ベッドの上に転がる自らの仰向けの胴に一つの体躯が乗っかっていることに気づいた。それは彼女の重苦しい夜のことなど全く知らず、一人の少年の輪郭を持って、死んだような居眠りをもって、彼女にのしかかってきたものだった。
「……蹴飛ばしてやろうかな、この男」
アブラムは舌打ちと共に少年の身体を押しのけようとするが、その時、彼女は自らが定義し続けた少年への愛情を今ここで試してみようかと思い立って、こんなことをつぶやいた。
「八朔が寝てる間に……おっぱいあげてみよう……」
彼女は何を思ったかパジャマの前ボタンを一つずつ開け、下着代わりのキャミソールの前面をさらけ出して、少年の呆けた寝顔と向き合った。彼女は緊張と共にキャミソールの胸部に手を当てて、その下に隠れる乳房をゆっくりと露わにしようとしている。それが少年の口へと誘われる瞬間を想像している。
彼女の蛮行が、ついに未然に終わったのは、その時、少年が不意に目を覚まし、半分の乳房の上半分ほどが露わになっている彼女の姿を見た故だった。
「……なにしてんの?」
「……」
「何か着替え途中だった?」
「土・肥・く・ん?」
彼女は渾身の拳骨の四発をもって、少年の身体を吹き飛ばした。
◇
「……意味わからねえ」
少年は洗面所の鏡面と向かい合いながら歯磨きをし、そうつぶやいた。二人の朝はいつものように機嫌のそりが合わないようにできている。
「さっさとその邪魔な身体どけてくれない?」
アブラムが洗面所に割り込み、彼の隣で鏡と向かい合った。少年はそっと脇にずれて、彼女の懇切丁寧な歯磨きを見守っている。
「鴇田さん、歯磨き何かうるさいんだね。歯茎傷つけるよ?」
「そんな柔なモデルじゃないから、私」
「モデル?」
「モデルみたいにスタイル抜群ってこと」
「間違いないね。何より巨乳だ」
少年がからかうように笑ったのに応じて、彼女の肘撃ちが彼の脇腹に直撃する。
「……セックスを誘ってくる女がおっぱい見られて何で怒ってんの?」
「知らない」
「鴇田さんアレでしょ? そういう時も自分が主導権握らないと気が済まないんでしょ?」
「そんなこと無いよ。私は乗るのも乗られるのもどっちもできるの。あなたみたいに赤ちゃんプレイしかできない間抜けとは違うんだよ」
少年は動揺一つ見せぬまま余った手で彼女の手前側の乳を服越しに揉んでみせる。咄嗟に身体を引いた彼女に、少年は「ほらね?」と鷹揚に笑いかける。
「俺を全然気持ちよくしてくれない」
「こんな朝から、それもこんな突然に始めるものじゃないでしょ?」
「気分次第じゃない? 何より今日は気分が良いんだ」
「……なんで?」
「今日はロングホームルームがあるからね」
アブラムは思い出したように「ああ」と相槌を打った。
「そのために鴇田さんと乳繰りあってもいいかなって思ったんだけど」
「理屈になってる?」
「自分自身に発破をかけるためにね」
「葉っぱをかけるのは恥を知る時だけだよ」
「
少年は彼女の暗に放った「恥を知れ」の言葉に抗い、彼女の身体を自らの両手で包み込んだ。
「君は何度でも俺に恋をしなきゃいけない。俺の恋が間抜けにならないようにね」
「恋じゃない……愛だよ、これは」
「自分の杓子定規の愛に、ひとえに壊れなよ。その時落ちたガラスの破片が、恋と呼べるものだよ」
「……あなたが好きなのはアルゴンでしょ? なんで私に惨めな思いをさせるの?」
「それを自分の頭で考えてごらん? 俺の本当の気持ちを想像するのは、君の自由だ」
少年はアブラムの額に能面越しのキスをして、洗面所から立ち去った。
「……歯磨き粉、汚いんだけど」
彼女は額の汚れを拭ったあと、人差し指についた白い液体をしばらく眺め、その指を咥えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます