太平の学園 ー 170
KG。
どこにいるの。
アタシには。
あなたしかいないんだよ。
ねえ。
KG。
あなたは鳥になったの。
ねえ。
アタシも行くよ。
◇
「カカシ!!」
フェンスを乗り越え、屋上の縁へと両足を置いたカカシを認め、アブラムが駆け寄る。ギリギリに間に合ったことの安堵と一歩先の闇に対する絶望とを抱えたまま、彼女は叫んだ。
「私、全部思い出したの!」
アブラムは肩で息をしながら、そう告げた。
「こっちのあなたはマレーバクになってしまったこと。今のあなたは別の
「うん、そうだよ」
「どういうことなの?」
カカシは自嘲的に笑いながら「分かんない」と答えた。
「でも、KGがそういうことをしてくれて、私をこっちの世界に連れ帰ってきてくれたんだよ」
「……」
「心配しなくても、こっちの私も、たぶんまだいるよ」
「いるよ……。でもそれはもうカカシじゃないんだよ」
「アタシだよ」
カカシは自らの能面に手を触れ、それを眼下の遥か先の地へと落とす。
彼女が現した顔は、マレーバクと人間を掛け合わせた奇妙な顔立ちをしている。
「これが本当のアタシ。今のアタシも、あなたたちが知っていたアタシも、ただの幻想」
「……幻想でもさ――」
「言いたいことは分かるよ。アタシには一つの呪いがかけられた。もう一人のアタシもそうだと思う。その呪いが見せた感情の幻想が今のアタシを作っている。
その幻想も、アタシなんだと思う。それは至極
でも、その幻想をかけてくれたのはさ、アブラム、あなたじゃなくて、KGなんだよ。アタシは、KGじゃなきゃダメなの。KGじゃなきゃ、この幻想は、もう、晴れてしまう。
あなたたちに心底興味なかったアタシになってしまう」
「……」
「だから、バイバイ」
彼女は最後に笑顔を見せた。
「ずっと楽しかった」
そして、一歩を淵へと踏み出した。
屋上から、彼女の姿が消えた。アブラムは膝をつき、唇を食いちぎるまでに歯を食いしばった。
終わりゆく友人との思い出など喚起される間もなく彼女の心を絶望が塞いで闇に閉じ込めようとしている。精神の闇への収縮は臨界点めいたものを突破して、もはや自らの力だけでは理性を取り戻すことは叶わなかった。
彼女が本来的に抱えるペシミズムの毒蛇が横暴の好機を得て、精神で蠢いている。生理現象などにかまけている暇は無い。それは無気力と退廃へと向かう筋肉の弛緩をどこまで自分らしくないと切り捨てられるかの試練に等しかった。
そして、アブラムという一人の女性が抱えた感情は、彼女が再三に渡って求め続けた一つの真実的な精神の道徳の名を持って、それゆえに、その状況に一つの変化をもたらした。
アブラムの心の痛みは、速度という矮小な物理の制約など軽く超越して、一人の少年と一人の少女の下に届いた。
少年は心の中に反響する一人の少女の願いを知り、すかさず、指から背後へと衝撃波を繰り出した。その勢いのままに低空飛行で運動場を横断する。彼の意識が校舎の上階側へと向いた時、屋上付近から地面へと飛来してくる一つの影を見つけた。
「高橋さん!」
少年は空中で旋回しながら、慣性のままに働く身体を追加の衝撃波によって、更に加速させた。
「間に合う――!」
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