太平の学園 ー 168

「さて、君の好きなゾウさんを数えてみなさい」

 現代国語の担任を務める壮年の江頭教師が、体育館のステージ上に学生服姿の女子生徒を横並びにさせて、そう言った。ステージの下では大小様々な体格の象が放し飼いにされ、館内を縦横無尽に動き回っている。その数、およそ30に及び、館内に密集の圧迫感を与える。

 並べられた十数人の女子生徒はそれぞれが軍人然と胸を張り、後ろ手を組み、足を揃えて慇懃に立っている。まずは江頭教師の向かって左の女子生徒が、腹式の大音声で彼の質問に答えてみせた。

「はい! 私の好きなゾウさんは、五頭であります!」

「……ほう、では君の好きなゾウさんとは、どれと、どれと、どれと、どれと、どれッシングなんだい?」

「はい! 私の好きなゾウさんは、緑色のゾウさんと! 羽根の生えたゾウさんと! 車椅子に座ったゾウさんと! 包帯を巻いたゾウさんと! シーザードレッシングであります!」

「おい貴様」

 江頭教師は己の着用した白衣を勢いよく翻し、そのわずかな力を利用して宣誓の女子生徒の元まで歩み、その顎に片手を添えて、くいと頭を持ち上げた。女子生徒は怯懦の震えの衝動を最大限まで堪えていた。

「私のゾウさんが入っていないぞ? 特上のココアブラウンだ」

「大変失礼致しました! 江頭軍曹のゾウさんはエビフライにカウントされると思っていたため、数に入れておりませんでした!」

「ならば好きなエビフライを聞かれたら、森羅万象何よりも先んじて私のエビフライを挙げたと、そう言うのだね?」

「はい! 全くもってその通りであります!」

「ふん」

 江頭教師は彼女の頭を持ち上げていた腕を下ろし、しばらく彼女の能面を見つめた後、にっこりと微笑んだ。

「よろしい。君は実に利口な生徒だ」

「ありがとうございます!」

「要するに君は、私のイチモツがココアブラウンのマンモスではなく、ブラックなタイガーであると、獰猛な捕食者であると、そういうのであろう?」

「いえ! 私にそのような意図はありませんでした!」

「黙りなよ、君。コーヒー飲ませて脱水させるぞ? 物干し竿の上でしいたけのきょうだいになりたくはないだろう?」

「し、失礼致しました! 確かに先生のイチモツは、漆黒ブラック猛虎タイガーであります!」

「よろしい花子、私の二つ名はまさにそれに決めた。復唱せよ」

 江頭教師の命令と共に、横並びになった全ての花子たちが「イエスサー! 漆黒猛虎ブラックタイガー!」と発声した。

 漆畑経済の死の噂は燎原の火の如く校内を巡り、その無数の恋人たちを深い悲しみに至らしめた。彼女らの何人かは、収まる器を無くした時、そこに現れた新たな指導者にその後ろ髪を利用され、軍人の道を選んだ。漆黒猛虎はとある少年のもたらした生物進化的ブレイクスルーに乗じて、一つの勢力をたちどころに築き上げたのだった。

 彼女たちが指導者の弁の復唱に取り掛かっている間、体育館には一人の少年が近づきつつあった。

 その少年は、無数の象の足跡に紛れながらゆっくりと壇上に迫り、やがて指導者の背後にまで回って、すかさずその首に手刀を決めた。直後に頽れる身体の後ろには、ハチミツに塗れた少年が凛然と立っていた。

「悪魔は終わりさ、子猫ちゃん」

 少年は伏臥で気絶する体躯の背をじりじりと踏みつけ「女の子泣かせた罰だよー」と恬然と独り言をする。

「君たちは今から自由だ――」

 その言葉に呼応して一斉に体を緊張させた彼女たちに、少年は内心で納得の頷きをする。

「――なーんて言うわけないでしょ? 身体は自由だ、でも心はもう鎖にかけちゃったよ」

 少年は最も左の生徒の顎を片手で持ち上げ、能面のうちでふふふと笑う。

「悲しみのない恋を教えてあげる。君は自由に羽ばたく鳥のように僕を愛するのさ」

「イ、イエスサー!」

「お堅いのは僕のイチモツ以外抜きだ。あ、抜きってそういう意味じゃないよ?」

「イ、イエ――」

「り。これでいいから」

「……」

「ほら、り。りんごの『り』。立派で逞しいあなたのイチモツの『り』だ」

「……り」

「よく言えたね。そっちの方が百倍可愛いよ」

 少年は余った片手で彼女の背を抱いて、耳元で囁いた。

「僕に惚れなよ。君の生きる理由になってあげるから」

 このようにして、ハチミツ漬けの媚薬に塗れた少年は漆黒猛虎の乗っ取りに成功したのであった。



「猪原、待ってくれ」

「あなたが私についてきなさい」

「そばにいないと守れねェだろ」

「それもそうね」

「だろ? だから――」

「私のそばにいなさい」

「は?」

「あなたが言ったんでしょ? そばにいないとあなたを守れないわ」

「……」

「頼る時は頼らせてもらうわ。お互い手を繋いでいきましょう」

「……」

「……ん?」

「……」

「別に本当に手を繋いでいこうとは言ってないんだけど?」

「え? そっか、ごめん」

「……別にいいわよ」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……悲しくなったらまた言って」

「……」

「一緒にいることはできるから」

「……ありがとう」

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