2.水下の南北を流れる一級河川

 件の婦人が青年の年長者であることは記録上間違いない。どだい残存せし情報の過小なる事から二人の正確な年齢までは明らかではないが、互いの年かさが一回り離れていることは無いと推測できる。

 事前に断っておくが、青年の恋の成就を期待しながらこの挿話を読み進める事はあまり慫慂しない。戸籍記録上では婦人の生涯独身であることは間違いが無いし、仮に青年の沽券に有利な小話の一つが用意できたとしても、そもそも記録の真実性を担保することができないからだ。ここで語られるのはしごく曖昧な物語だけである。



 水下の住宅街にはかつて郷土資料館があり、水下の過去の水害に関する詳細な記録が残されていた。資料館は運営が困難となり十数年前に閉館したが、当時公開されていた資料は縣営の歴史資料館へと移管され、今も施設七階のB-37の書庫に鄭重に保管されている。

 郷土資料館が扱う情報には二種類あり、一つは水下の南北を流れる一級河川「錦川」における往年の台風被害の降雨量や犠牲者などである。水下はいくつかの水害を経験しているが、最大の被害で死者・行方不明者数は400名にも及ぶと言われている。

 もう一つは、治水の側面である。政府がこの地に下した治水の結論というのは、水下の西側を横断する長大な放水路である。錦川を分流し西海側の湾へと放水するためにこの路は開かれ、本川の濁流の一部を引き取っている。放水路と錦川との関係は鳥瞰すればちょうど「人」の字に近いだろう。

 上流を共にする二つの流域は政治上互いに不可侵の関係にあり、それぞれで独自の発展を遂げている。とりわけ放水路側の一帯はもともと水利権の争いごと多く、剣呑な組織が幅を利かす土地でもあった。

 青年と婦人は本川側の流域に暮らしていた。無論、水下の神社もまた本川に沿って建立されていた。

 ここで一つ捕捉をしておくが、この話の主題にもあたる識格上の大災厄は、錦川放水路開放の付近に起こった。それまでの過程や災害の惨禍についてはもはや語るまいが、いかなる観念上の変化があっても放水路の建設は滞りなく進められた。



 錦川本川の河口付近には東西を繋ぐ数十歩分の橋があり、逢瀬のスポットとなっていた。記録に誤りが無ければ、件の婦人はある男性と二人きりでここに訪れたことがある。その相手方はもちろん青年ではなく、一回り年上の壮年であったとされている。水下に名高いマドンナのスキャンダルともあれば、噂は燎原の火のごとく広がり、やがてそれは青年の耳にも入る。噂の流行に前後して、朝刊が届かないというクレームが地方の新聞社に殺到したというから、青年の落胆は相当なものであっただろう。

 噂の吹聴されるところによると、婦人と壮年とは至極神妙な表情でひとしきり話し合い、最後には悲観の面持ちで互いに橋の別の方角へと足を進めたという。この出来事を婦人ないしは壮年の失恋と取る向きもあるようだ。

 今後語られる顛末を加味すれば、ここである推測を立てることもできるが、今はまだ時期尚早だろう。二人の行方はいずれ語られるかもしれないし、その運に恵まれないかもしれない。

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