2.衆生の暗闇を幸いと思い給え

 スペクトル・ヴィアンの形式とは、つまるところ次のものである。

 観客およそ五百の期待を背負い緞帳は割れ、舞台が明らかになる。照明が柔い光を投げかける先は、ステージの中央にうずくまる痩せこけた老人。舞台袖から立ち込める濛々としたスモークに埋もれながら体を震わせ、額を地に擦り祈りを続ける。老人の口先は動くが肉声は聴こえず、されど天井から降り注ぐ音響が舞台上の心理を代弁して観客を惹きつける。

 独白は次の言葉を語る。

「野を行く兎よ、巨大な鷹と巡り合うことを幸いと思い給え。草葉を食む鹿よ、獰猛な獅子と巡り合うことを幸いと思い給え。地を這う蛇よ、天翔ける荒鷲と巡り合うことを幸いと思い給え。果てのない蒼穹よ、衆生の暗闇を幸いと思い給え。光とは常に精神の暗黒を暴くものであるからだ」

 そして彼は面をあげ、落ち窪んだ眼窩の中に鷹のように鋭い眼光を持って、兎のようにか弱く空を見上げる。

 舞台変わって王宮の一室。西入羽にしいりわ調の家具がステージに整然と並び、腰掛ける二人の王子の差し向かいの様子が縁取られる。

 王子が居住まいを正し「父上の……」と声を発したところで、状況は一転する。

 舞台上で演技が続けられる最中、彼らの上空で拳大の何かが放物線を描き、後方の幕に激突する。同様の大きさの無数の影がそれに追随する。全て光沢を持った赤い玉である。それはにわか雨のように演者の元に墜落しては放射状爆ぜて、ステージ上を汚していく。

 その間にも、降り注ぐ大量ののことなどまるで意に介さずに演者は会話を続けていく。

 客席から飛来するトマトは彼ら自身の一張羅をも蝕み、その身を斑らの模様へと変えていく。時折、水平をなぞる大砲のような玉の威力が演者の姿勢を僅かに傾ける。呼応して大きな歓声が上がる。

 やがて演技は立ち行かなくなり、昂然と立ち振る舞う王子が果肉に足を滑らせ思わぬ転倒をしたりする。その度に、観客は地を震わすような欣喜雀躍を見せる。

 そして、大団円に至るまでの全ての言葉は赤い弾幕に包まれる。暗幕は必ず王家の没落によって閉じられる。

 スペクトル・ヴィアンの本質とは、王の亡霊に観客自らが刃を向けることにある。

 その喧騒の中に、件の青年はいた。

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