【位識】ヴィヴィアン・スペクタクルズのスペクトルヴィアンについて

1.公益財団法人ヴィヴィアン・スペクタクルズ

位識――籤腫ひごしゅのステージ。五八四段階に及び、観念上の存在価値を決める。あらゆる現象の因果とは無縁で、その本質は「独立」と「無害」である。



 ヴィヴィアン・スペクタクルズのスペクトル・ヴィアン。

 飛津とびつに拠点を構える劇場のとある演目。識格上の災厄以前にのみ存在し得た芸術である。

 その流行甚だしかるある時分に、浦坂灰儛うらさかかいぶい手を目指す青年が当劇場に立ち寄る。当時、灰儛芸術はその黎明期ゆえに真価を軽んじられ、貧民の慰みとされていた。青年もまた芸術のヒエラルキーの上では立場弱く、路上で日銭を稼ぐ質素な暮らしを送っていた。

 その日は驟雨と晴れ間とを繰り返す悪天だった。青年は平生の仕事よろしく都心の公園で灰儛芸を披露していたが、客足遠く早々に仕事を切り上げようとしていた。

 灰儛は矩形の陣上で行われる形式的な儛いで、その目的は地上に揺曳する形なき記憶を陣上に投影することにある。触媒――青年の場合は浦坂工芸の瓢面ひさごめん――を用いて記憶の結晶の憑依を誘うが、一度触発した結晶は容易くは拭えず、儛いを切り上げるにもそれなりの労苦を要した。不作法があれば結晶は砕け、二度と触発しない可能性もある。青年は全力を持って儛いをやめようとしていた。

 各都市の記憶は特定の儛いに触発されやすく、飛津では浦坂の型が好まれる傾向にある。浦坂の特徴はつま先の軽やかなタップの挙動にあり、その儛いは飛津の煌びやか歓楽街の奇勝を喚起する性質に優れている。

 この時代、個人のロマンは軽んじられる傾向にあり、神社における儀影神楽など、大きな歴史を語る芸術が好まれた。灰儛もまた他愛ない与太話のための娯楽としか認識されていなかった。

 大きな歴史はまた人々の精神にとって寄る辺となるか破壊の対象となるか、どちらかの極端な側にいた。その時分は後者であったし、だからこそ、スペクトルヴィアンのような芸術形式の趨勢は尋常ではなかった。

 青年はようやく儛いを切り上げ、瓢面を麻袋にしまって公園を後にした。雨降りのちょうどやんだ時で、特に控える用事も無かったため、市街地の散策を始めた。

 飛津はかつて城下に位置し、今もなおその中心地には巨大な城跡が鎮座する。その西側の向かいには以前、市役所があったが、今は郊外へと場所を移して空き地となっている。この件についてはまたいずれ紙幅を割くかもしれないが、少なからず今重要とされることではないであろう。

 青年はとりあえず城跡の外堀を周回していたが特段に気休めになるわけでもなく、堀の中を泳ぐ鯉の群れを見ては次の灰儛の着想を得ようと試みたり、将来の稼ぎのことを憂いていたりなどしていた。

 市街地の東側になどは普段立ち入らなかったため今までは気づく由も無かったが、散歩の途中で青年はそこに千坪程度のホール型劇場施設を見つけた。

 劇場前に佇む人間大の看板は「公益財団法人ヴィヴィアン・スペクタクルズ」を標榜し、館長の言葉として次のメッセージを続ける。

「ヴィヴィアン・スペクタクルズは飛津の名優ウォルター・ヴィヴィアンソン亡き後、故人の名を冠して設立された劇場施設です。当館では通常の劇に加え、当館独自の体験型演目スペクトル・ヴィアンもお楽しみいただけます。」

 

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