第2話 退廃した王都
状況の理解できない頭で、シスターが発した言葉を反芻する。
「500年......」
その途方もない時間を想像することさえ出来ない。そんな長い時間が経ったにも
「セイは今、生きているのか?」
その言葉を聞いてシスターは不自然そうに首を傾げる。
「そう、ですね。ダク様の与えた一の祝福で現在は
「一の祝福?」
「確か当時は呪いと祝福の研究があまり進んでいなかったのでしたっけ? 歩きながらお教えします。とりあえずついて来て頂けますか?」
シスターが手招きするのでダクはその後を着いて行く。墓地を出るとそこは市場であった。市場には雑貨や食料品が所狭しと並んでいた。各店の見栄えは比較的綺麗で、人通りも多くにぎわっているのだが、一方で暗く狭い路地に目をやると綺麗な見た目は表面だけのハリボテであることが見て取れた。何より、町全体に腐った生ごみのような臭いが薄く漂っていることが少し不快だった。
シスターは先ほどの話の続きを話し始めた。
「祝福と呪いは性質によってそれぞれ十種類に分けられるんです。その中でも一番高位の一の祝福は不老不死だと知られています。まぁ、これまでで一の祝福が発現した人が唯一王しか存在しないので詳しいことは分かっていないのですが」
とりあえずセイが無事そうで良かった、と胸をなでおろす。ただセイ一人に500年間も王の役目を背負わせてしまっていたことに一抹の罪悪感を感じていた。
「でもセイが王になれたようで良かった。本当に」
シスターの顔が曇る。
「どうしてあの人を唯一王にしようと思ったのですか?」
「セイなら良い王様になってくれると信じていたからだ。あいつは泣き虫だけど、優しいやつなんだ。王子としての自覚は足りなかったかもしれないけどな」
ダクは笑い交じりにそう言ったが、シスターが笑っていないことに気が付き笑うのを止めた。
シスターはぼそりと吐き捨てるように言う。
「唯一王が優しい? そんなまさか――」
それを聞いてダクの足が止まる。シスターは歩き続けている。心の中にもやりとした不安めいたものが沸き上がった。あのセイが何をしてそんな言われ方をしているのか、そのことを歩き続けるシスターに問いただすのは
シスターに追いついた時、薄く漂っていた生ごみのような臭いが急に強くなったのに気が付く。シスターが見つめる先には白い服を着た男が二人立っていた。その白い服の袖には何か四角い紋章のようなものが貼り付けてあった。その後ろには地面にへたり込んでいる人影も見える。
「おいっ! さっさとそれを渡せっ! お前、早くその女からそれを取り上げるんだ!」
「は、はいっ!」
中年の男に指図されて若い男が伏せた女に駆け寄った。女が隠し持っているものを取り上げようとしているが女はなかなかそれを離そうとしなかった。
それを見ていたシスターは苦虫を嚙み潰したような顔をしながら踵を返す。
「行きましょう」
ダクはシスターの言葉を無視してその女の方向に歩き出した。
「ちょっ、ちょっと!」
後ろの方でシスターが引き留めようとする声が聞こえたがそれも無視する。
近づくごとにその生ごみのような臭いは強くなった。そこに居た女がこちらに気が付く。その女は50から60代に見えたがその体の陰に年端も行かない子供が隠れているのが気になった。その子の母親だとすれば年を重ねすぎている。祖母だろうか?
白い服を着た中年の男に話しかける。
「何が起きている。説明してくれるか」
「誰だ、お前は」
「ダクだ。この国の王の兄だ。それより説明を頼む」
「はぁ? 何言ってんだ、お前」
男はこちらを
「このルーザーが物を盗んだ。それを取り締まっているだけだ」
若い男がようやく女を起き上がらせると腹に抱えていた物が姿を現した。それは生肉の塊であった。男はそれを女から取り返そうとしているが、女は一向に手を離さなかった。
「お願いします! もうお金も尽きてしまって食べるものが無いんです! 私は死んでも構いません! どうか、どうか息子だけには食べさせてあげてください! お願いします! お願いします!!」
「知るか! さっさと離せ! ほら、お前も分かったらどっか行け!」
中年の男は手に持っていた長い棒でトンとダクの肩を押した。そしてその棒で女を思い切り叩く。女は肺の空気を思い切り吐き出しながら倒れ、生肉を手放した。中年の男がもう一度思い切り棒を振り上げたのでダクは間に入る。
「待て。それぐらいで良いだろう。女にも盗みを働かなければならない事情があった。女がそれを返すのであればその棒叩き一発分は十分な罰だろう」
「おいおいおいおい。何、生ぬるいこと言ってやがる。これが終わったら懲罰房行きで、それから死ぬまで懲役に決まってるだろ?」
「盗み一回でやりすぎだ。それに残された子供はどうする」
中年の男はその答えを女に求めた。ダクから視線を外して女に
「おい、女! お前が祝福を与えたやつは誰だ。言ってみろ。言わなければ子供を殺す」
女の顔が青ざめる。ぎゅっと拳を握りしめながら言いにくそうに話し出した。
「......夫です。夫に授けました」
「で、その夫は与えられた祝福を使って金稼ぎをしていた、と? ほら! やっぱり自業自得じゃねぇか! 自分が祝福を授けて良い目を見ようとした結果、呪いで職も失って結果盗みを働くようになる! これのどこに同情の余地があるってんだ!? えぇ!?」
「夫は一年前に死にました! お金も底をついて、もうどうしようもないんです! それにルーザーの私は自業自得かもしれませんが、この子は普通の優しい子なんです! どうかお願いします!」
「知るかよ! そんなもん! ルーザーの子供なんて死んで当然だろうが!」
中年の男は棒を再び振り上げる。ダクは振り下ろされる寸前に相手の懐にもぐりこみ、振り下ろせないように棒を握りしめる。
「やめろ」
中年の男が歯をむき出しにして力を入れる。ダクはそれに対抗するように腕に力を込めた。
その時、自分の体の中に入った岩が体の内から出てくるような感覚があった。それと同時に強烈な生臭い匂いが体から染み出す。目には見えないそれが棒にまとわりつき、棒が徐々にぐにゃりと曲がり始める。
「おあっ!?」
中年の男が棒を振るのをやめて棒をまじまじと見つめる。曲がった棒の握っていた場所は少し溶けていた。
その後、体がぐらりとふらついた。視界が歪むが、何とか立っていられる。膝を抱えたまま中年の男の瞳を睨みつける。
「お前もルーザーだったのか......」
中年の男と睨み合う。男は棒を握りしめていたが、その棒を振り上げられずにいた。
「待ってください!」
その無言を切り裂いたのは少女の声だった。中年の男はその修道服を見てチッと舌打ちをする。
「私は宵橋教会のソレイユ=アントフィーアです。そこのルーザーたちは私達、宵橋教会が引き受けます。そこの人、あそこの教会に来てください。宵橋教会のソレイユというシスターから紹介されて来た、と言えばルーザーでも出来る仕事を斡旋します。その仕事に取り組めば子供の分とあなたの三食は保証します。行ってください」
「ありがとうございます! ありがとうございますっ!」
女はそれを聞いて足早にその場から逃げ去った。ソレイユは次に白い服を着た男たちに向き合う。
「窃盗の罪は子供を殺すほど罪の重いものではありません。宵橋教会の方からこのことは『骨組』の暴動として上に伝えておきます。それが嫌ならあの女の人は見逃すことです」
「クソッ、行くぞ!」
「は、はい!」
白い服の男も足早に逃げ去っていく。
ソレイユがため息を吐く。そしてこちらを向く。
「
ソレイユがダクに詰め寄る。ダクは二、三歩たじろぐ。
「すまない。でも――」
「何です?」
「ここで見なかったことにしてはいけないと思ったんだ。俺の知っているセイはきっとそんなことは望まない」
ソレイユはダクの表情を見てその中に強い意志があるのを感じ取った。
「俺は......セイに会いに行く。兄として会いに行かなくちゃならない」
彼女はその言葉を聞いて一息置いた後、ダクの腕を掴んで引っ張った。
「なら尚更、ダク様を連れて行かなければなりません。紹介したい人が居ます」
ダクはソレイユに強引に引っ張られるまま、女が逃げて行った方へと向かった。
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