孤城の王と吼える牙

桐乃霧ノ助

第1話 燃える王城

 夜闇が松明たいまつの火で暴かれたその日、王城は炎に包まれた。

 ダクは右手に巻物を、左手にセイを連れて、長い廊下をはだしで走る。いつもは冷たい石の床がいやに生ぬるい。しかしちらりと見えた寝室のベッドがチリチリと焼けるのを見て、ふと足が止まってしまう。頭の中を優しくて暖かい記憶が埋め尽くした。



 三人で寝てもスペースの余ってしまうベッド。隣に居る父から感じるのは優しいぬくもり。少し加齢臭の混じった落ち着く匂い。

 ダクは弟のセイと父を挟んで三人で寝転がっていた。

 父は本を広げる。子供に読み聞かせるような絵本ではなくとても分厚い本だった。そこには『呪いと祝福の実験報告』と書いてあった。自分たちが読んでも分からないその本の内容を、父は噛み砕いて教えてくれた。


「呪いと祝福を知ってるかい?」


「何、それ?」


「バカ、この国が一生懸命研究してるやつじゃないか。そんなことも知らないのかよ、セイ」


 ハハハと笑いながら父がダクの頭を撫でてなだめる。ダクは頬を膨らませつつも、その優しい手のひらに身をゆだねていた。


「互いに打ち消し合っているから普段は見ることが出来ないけど人間は呪いと祝福を持っているんだ。それぞれが不思議な力を与えてくれる」


「どうやったら見ることが出来るの?」


 セイは心底不思議だというふうにそう尋ねた。ダクも内心では疑問に思っていたが、弟に強く言ってしまった手前、尋ねることが出来なかった。

 そう聞かれた時、父の顔が少しだけ曇ったような気がした。でも父はすぐに普段通りの優しい笑みを取り戻した。


「一人がもう一人の呪いを受け取るんだ。そして自分の持っている祝福を与える。そうすることによって初めて呪いと祝福が分けられて力を与えてくれる。まぁ、これを見る限り、そんなに沢山のことはまだ分からないみたいだけどね」


 父は厚い本をぶらぶらとさせながら眉をひそめて苦笑いした。どうやらあまりうまくいってないらしい。

 セイはそんな父の言葉を聞いて悲しそうに言った。


「それって、どっちかがどっちかのために呪いを貰わなきゃいけないってことだよね。そこまでして何かをしなくちゃいけないのかな?」


 父はまたも眉をひそめて笑った。そこには心苦しさが見て取れた。

 父はこの国の王様だった。この国は今、外敵から身を守るため、この技術を必死になって研究していた。


「セイは優しいね。でも――」


 その時、見せた父の顔が忘れられない。普段優しい父が見せた強い目。険しくて、鋭くて、色々なものを背負っている王様の目だった。


「それでも守らなくちゃいけないものがあるんだよ」


 すぐにいつもの優しい父に戻った。そして俺たちの頭を鷲掴みにして強く撫でる。


「お前たちは良い王様になるんだぞ。民のためを思ってみんなを幸せに出来るような良い王様に。みんなから慕われて、みんなのことを思ってやれるような王様に」


 お父さんのようにはならないで――

 そんな言葉は布団の暖かさの中に消えた。ダクはそんな父を見ながら現実から目を背けるように布団の暖かさに逃げた。羽毛布団に顔をうずめて、ふわふわとしたぬくもりの中へ――



 しかし、逃げる場所は突如として炎の中へ消えた。


 ベッドの天蓋てんがいが焼け落ちた。それを見てダクは我に返り、セイの手を再び引っ張って走り出す。

 城門がすこぶる遠い。そしてやっと見えた城門ですら、自分達を通さない。セイをぎゅっと掴んで耳元で命じる。


「セイ、止まれっ」


「王子はどこだ!? 王子を探せ!?」


 そこに立っていたのは農具を片手に構えた農民たちだった。農具からは血が滴り、農具片手に握られた父の首が生気のない虚ろな目をこちらに向けていた。農民は歯止めの効かなくなった自分達を正当化させるように血眼になって王子を探している。裏口から逃げるしかない。そう思ってセイの腕を強く引っ張った。


「痛いよっ!」


「今は我慢してくれ......!」


 この国は呪いと祝福の研究をしていたが、それらに力を入れるため民に重税を敷いてしまった。王は何とかして徴税ちょうぜいの重要性を理解してもらおうと語り掛けたが、ついに民の腹を言葉で満たすことは出来なかった。

 裏口に辿り着いた時、それはすでに遅すぎたのだと理解した。農民たちが放った火は出口を覆いつくし、自分達を喰らわんと猛烈に勢いを増していた。後ろからは足音、前には炎の口。出口はどこにもない。

 目をつむり、細く長く息を吐く。覚悟を決めなければならない。ダクはセイの肩に手を置いてその不安で満たされた瞳を見つめた。


「良いか? お前は良い王様になるんだ。誰も貧困で苦しむことが無くて、夜も眠れないような色々な恐怖が無くて、人知れず涙を流す人が居ない国を作るんだ。俺や、父さんが作れなかったそんな理想の国をお前はこれから作っていくんだよ」


「何、言ってるの?」


 セイの今にも泣いてしまいそうな顔を見て、ダクは唇を噛んだ。どうしようもなく大きなことをその小さな体に押し付けてしまうのが嫌だった。それでも今はこの方法しかない。

 右手に握られてくしゃくしゃになってしまった巻物を開く。そこに書かれていたのは赤い魔法陣だった。床に巻物を敷き、幾何学きかがく模様の上にセイを立たせる。ひざまづいて魔法陣に触れた瞬間、あの時、父がベッドで聞かせてくれた言葉、うろ覚えのちぎりの呪文が脳内でバチリと光った。


『手足を縛りしその枷を外せ。心を繋ぎしその楔を抜け。我は罪を負いし者、汝から奪いし不完全を呪縛に変えて生きる者。古き罪は我が背に、新しき罰は彼の者の背に。罪を許し、すさまじき者と戦う力を彼に与えたまえ!』


 閃光。

 セイの体から漏れた青白い光が大理石の床を伝いダクの胸を貫いた。光はすぐさま闇に形を変え、胸が黒に侵食されていく。胸の黒が背骨まで来て、バランスが取れなくなり、足を折り曲げたまま横に倒れた。

 冷たい。命の灯が消えていくのを感じた。そんな時、うつろになる瞳で見えたのは光るセイの体。思わず手を伸ばすと、セイが両手で握り返す。オレンジ色の光が手に移り、そこだけが暖かく感じられた。視界が真っ暗になって体が冷たくなろうとも、その光だけが煌々と手の中で揺らめいていた。



 しばらくは動くことすらできなかった。だからその光で照らされた闇の一点をじっと見つめていた。それが暗闇ではなく岩肌のようなものだと気が付いたのはさらに時間が経った後だった。

 極度の飢餓きが状態でも、眠ってしまいそうな冷たさの中でも、意識が途切れることはなかった。意識を途切れさせてしまえば二度と戻ることはないのだろうという直感が意識を生かしていた。普通ならそれを咎めるであろう死の魔の手もここまでは届かないようだった。

 指先が動かせるようになり、その岩肌に触れた。掴んだり引っかいたりを繰り返す。どうにかしてここから出なければいけないという意思が俺の体を突き動かしていた。

 それからいくら時間が経っただろうか。手首、腕、肩まで動かせるようになってようやく這って移動することが出来るようになった。そこは人一人がようやく入ることが出来るような岩で囲まれた小さな空間だった。

 岩は殴ってもびくともしなかった。もっと体が動くようになり、頭突きをしたりかじったりしても歯が立たなかった。全身が動くようになっても立ち上がれるような空間は無く、またしばらくの間、悪戦苦闘をしていた。

 飢えにも冷たさにも慣れ、この岩の中に居ることにも慣れ、暗闇で何も見えないことにも慣れ、諦めが心を満たした。たとえ諦めたとしても自分は死ねるのだろうか。そんなことを考えた時、弟の泣き顔が脳裏をよぎった。自分だけが諦めることは許されない。そう思い、また悪戦苦闘に身を投じた。


 長い戦いの中で、セイのことを思う時だけ岩肌が見えやすくなることに気が付いた。この岩が呪いだとするならば、この呪いを自分は背負わなければならない。岩を壊すことから背負うことへと考えを変えた時、岩が形を変えて自分の中に入りこんで来た。伸ばした手に鈍色に光る岩肌がドロドロと溶けて染み込んでゆく。

 その合間から見えた光にさらに手を伸ばした。


「うぉぉぉぉおおおおおお!?」


 岩が無くなったと思ったら体に触れたのは土だった。土から手を突き出し、体を無理やりに起こす。しばらくぶりに見る朝日がとてつもない眩しさを放っていた。

 手で太陽を覆い隠すと、そこに見えたのはすこぶる大きな建物だった。どうやって作られたのかも分からない雲を衝くほどの高さの建物は、まるでこちらを見下しているかのような威圧感を放っていた。


「ぎゃあああああああああ!?」


 濁っているが高い声の悲鳴が聞こえてその方向を見る。鮮やかな金髪が逆光で眩しく輝いており、思わず目を細めてしまった。目を凝らしてよく見ると、その女性が身に着けている服装はシスターの身に着けるそれのようであった。少女は両手を結んだまま尻餅をつき、琥珀こはく色の目を大きく見開いてダクを見上げた。


「生き返った......!?」


 周りを見渡すと、そこには石が立ち並んでいた。振り返ると、一際大きな石が鎮座していた。きれいに磨かれたそれにダクという名前が書かれているのが見えて、それが石碑であるということをようやく理解した。

 まるで別世界に来てしまったかのような光景に唖然としていたが、幼い少年の泣き顔を思い出しふと我に返る。おずおずと四つん這いになって近づいてくるシスターの肩を両手でがっちりと掴み問いただす。


「弟は! セイはどうなった!? セイはちゃんと王様になれたのか!?」


 その言葉を聞いてシスターは信じられないというような興奮の入り混じった声で言った。


唯一王ゆいいつおうの兄ということは本当にダク様なんですね!? まさか本当に生き返るなんて......」


 唯一王と呼ばれているということは、つまりセイは王様になれたのか。そう思った瞬間に腕の力が抜けてストンと落ちる。安堵の気持ちが胸いっぱいに広がった。

 落ち着きを取り戻したシスターはダクをまっすぐに見つめ、白い手袋をまとった両手でダクの手を取った。


「ダク様、よくお聞きください」


 その神妙な面持ちにダクはただならぬ不安を感じた。何かただ事ではないことが起こっている。その透き通った声が、ダクにそう予感させた。


「――あなたの眠っていた500年。この国は大きく変わってしまいました」

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