3-5.

「ふんっ!」と鼻息を鳴らし、ハヅキチがあたしの隣に立とうと移動する気配があった。


 あたしは右手を真横に出してハヅキチを制し、一歩前に出て斑鳩さんの顔を目の前30cmで眺める。


 目尻を釣り上げ、眉間に皺を寄せ、歯を食いしばり、鼻の穴を膨らませている斑鳩さん。


 もとより美人な顔だけに怒った表情も何故か絵になる女性なんだなと思っていると、斑鳩さんが声を出す。


「ここで戦え神之原! どちらが強いかハッキリさせてやる!」


 その言葉に真中が「おいっ!止めるんだ響希!」と言って斑鳩さんの肩を掴もうとした瞬間、あたしは左手を真中に突き出して制する。


「志乃……お前……正気か?」


 あたしは真中にニカッと笑った後、斑鳩さんに視線を向けて言った。


「もし、あたしが勝ったら『響希』って呼んでいい?」


 すると斑鳩さんは、突き刺すような眼差しで言い放つ。


「勝手に呼ぶがいい……」


 その答えを聞き、言葉を追加する。


「もうひとつ、あたしが勝ったら『志乃』って呼んで」


 その言葉で、ギっと目付きを鋭くされ、言葉を吐き捨てられた。


「勝ってから言えっ!」


 そしてあたしはニカッと笑って言う。


「貴女が勝ったら?」


 斑鳩さんが即答。


「私が『神之原』より強い。その事実が残るだけだ」


 その答えに「上等」と言って、1歩下がる。



 待機所の中は静まり返り、誰ひとり呼吸すらしていないかのような静寂が広がる。


 あたしと斑鳩さんは互いに真っ直ぐと睨み合う。そして誰かが緊張のあまり唾を飲み込むために喉を鳴らしたその時、斑鳩さんが瞬時に右腕を引いて殴りかかる体勢に入った。


 その動作の俊敏さは、予備動作無しで強力なパンチを打ち込めるプロボクサー以上に滑らかで素早い。


 しかも、この近距離でも軸足である左足のつま先を真っ直ぐあたしに向け、腰から下はどしっしりと安定させている。


 上半身を右側に捻りあげ、鋭い目はあたしの目元を外れ左頬一点に集中させていた。


 右肩の後ろに据えた拳には薄く赤い魔力を纏わせ、肘を伸ばす体勢に入る。


 本当に無駄がなく、最短距離であたしを貫こうとする拳は、戦い慣れた強者の貫禄が垣間見える。その拳がヒットすれば間違いなく意識は持っていかれるだろう。


 ただし……




 当たればの話しだけどね。




 そしてあたしは思う。


 斑鳩さんは自分より強い者とをしたことが無いのだろうと。


 ライバルとのはやってもはしたことが無いのだろうと。


 もし喧嘩を得意とするものならば、こんなに綺麗なフォームで打撃をしようとは思わない。



 思うはずがない。



 何故ならば、『喧嘩』とは……



 美しくある必要がないからだ。



 試合と違い喧嘩は殴った者勝ちの要素が大きい為、どんな手を使ってでも先に優位に立たねばならない。


 だから、この迫り来るであろう拳を華麗に頬の手前で受け止める必要性も全くないのだ。


 斑鳩さんが右腕を引き、彼女の右頬の辺りから今にも突き出されようとする直前、あたしは自らの上体を前に突っ込ませる。


 左腕を真っ直ぐに伸ばし、その拳を掴んだ。


 漫画とかでは殴られる瞬間に、相手の腕が伸びきった状態で平然と受け止めるシーンがある。しかし、あれは本来絶対に成立しない漫画だけの世界なのだ。


 腕が完全に伸びきった時に手のひらで受け止めると、そのインパクトの衝撃で手のひらごと頬を貫かれかねない。


 下手をすれば手のひら内の指の骨を折られてしまう程の威力を受けてしまうのだ。


 だから、相手の拳が加速する手前の状態で受け止めれば、例え鋭く打ち込もうとしても上手く力を入れることが出来なくなる。


 つまり、大した力も込めずに鷲掴みが出来るのだ。


 例え魔力を纏っていても、不意に力が抜けてしまえば魔力も散ってしまうし。


 それに、殴る場所を一点に見つめていればどの様な軌道を描くのかも一目瞭然と言うものだ。



 そんな訳で自らの拳を掴まれ魔力が散った右手を斑鳩さんが見た瞬間、あたしは握っている拳をグルリと左に回転させた。


 回転させる方も脇を内側に持っていかなければならなくなる。が、回転させられた方は関節を無理矢理捻られるものだから簡単に崩れ落ちてしまう。


 案の定、彼女は苦痛に顔を歪めて左側に倒れる。その瞬間、あたしは左足で斑鳩さんの両足を払って宙に浮かせる。


 彼女が初動してこれまで1秒、あたしは宙に浮いた斑鳩さんの拳を押し込んで背中を床に思いっきり叩きつけた。


「ぐあっ!!!」


 っと呻き声を上げ苦痛の表情を見せる彼女だが、たった一瞬の出来事で頭を打たずに受身を取れたことには感心する。


 だけど、叩きつけられたショックで目を瞑ったのが命取り。あたしは、倒れた斑鳩さんの喉元に爪を食い込ませる様に右手で掴む。


 そして、グッと顔を沈みこませ、双方の鼻が当たる手前で停止させた。


 そこでようやく苦痛に歪む表情ながら薄目を開けた斑鳩さんに、彼女にしか聞こえない様に小声で呟く。


「魔力……込めようか? それともチュー?」


 彼女の口からは「くっ……」っと、微かな言葉が漏れた瞬間に力が抜ける。そして後頭部も床に着けてから顔を横に向けた。



 それを見届け、あたしは彼女……響希から両手を離してスっと立ち上がる。と、待機所内の緊張が解けてあちこちでざわめきが起こり始め、徐々に歓喜へと変わっていく。


 倒れていた響希がゆっくりと上体を起こし、右膝を立てて床を睨みつけて動かなくなった。そのタイミングで、あたし達を見ていた真中があたしの傍にやって来て言葉を出す。


「感心しないな。『神之原』ともあろう者が、こんな所で低俗な喧嘩に興じるとは……」


 そんな言葉を聞いた後、真中を見ながらニカッと笑顔を向けて言った。


「『神之原』は関係ないし。それにあたし達は別に喧嘩なんてしてないよぉ。誰も殴っても殴られてもないし、このくらいの戯れなんて誰でも経験してんじゃない? あたしはただ響希とチューをしたかっただけだよ」


「拒否られたけどね」と言って、ウインクを飛ばす。


 その言葉と仕草に虚をつかれた真中だけど、直ぐにあたしの言葉を理解し笑顔を作って言ってきた。


「ふっ……なるほど。確かに誰も殴っていなければ外傷を受けている訳でも無い。それにその程度のじゃれ合いならば私にも経験があるな。ただ、まぁ……その様な行為は公衆の面前ではやらない方がいいぞ」


 そう言って、微笑みながら呆れる真中。


 ふむ……


 この器の大きさは、リーダーや委員長どころの話しではない程の懐のデカさを感じてしまう。


 いずれ、この国の総理大臣にでもなるんじゃないかと本気で思える程の人物である事は間違いないだろう。


 そして、あたしは響希に視線を向けて言葉を出した。


「だよね、響希」


 すると響希は「ふんっ!」と鼻を鳴らして立ち上がり、あたしをギロリと睨んで言った。


「次は負けん。何度でも挑んで必ず貴様に勝ってみせる。覚悟するんだな神之原!」


 と言って、悔しげに牙を剥く響希にあたしは言い放つ。


「志乃でしょ?」


 そう言われた響希は、一段と鋭くあたしを睨みつけるもんだからニヤリと笑って言葉を追加した。


「勝ってから言えって言ったよね?」


 すると響希は悔しそうな表情に戻った後、無言で踵を返して待機所の外に出て行ってしまった。



 そんなこんなでその日の魔力測定は終了した。その後、巷ではこんなニュースが速報として全国のメディアを熱くさせているようだった。

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