48 蛇剣衆頭領堂島豊 四
美影家の屋敷はこのちんけな村の中でも一際に大きい。
おかげで相当な地位にいることはさすがの豊であっても気付いていた。それでも素知らぬ振りで、玲をまるで同世代のなんでもない友人のように扱っていたのは、ひとえに彼女がそれを望んでいたように思えたからだ。
もちろん玲は、そんなことは一言も言わなかった。言う必要がないからかもしれないけれど、むしろ言いたくなかったのが正解だと豊は思う。何しろ家の話となると、彼女は途端に口をつぐんだからだ。
ぼんやりと玲が住む屋敷を眺めていた豊は、握り締めていた木刀を腰に差して踵を返した。向かった先は自分の家だ。一週間前に父から村の成り立ちを聞いて以来、日々の日課である剣術修行は身に入らなかった。
そうして今日もまた、豊は父から話を聞くことになっている。
家に向かう道をゆっくりと歩きながら、この閉塞的な村について考えていた。
険しい渓谷の奥にあるこの黒蛇村に通じる道はない。せいぜい獣道があるぐらいで、他の集落や街を知る人は、豊が知る限りではほんの数人ほどである。この村を訪れるような人も、ここ数年の間は、琵琶法師のビワ以外ではたまたま迷い込んでしまった旅人ぐらいだろうか。
考えてみれば考えるほど、この村は奇妙である。今まで意識してこなかったのは、それが普通になっていたせいかも知れないが、それ以上に踏み込んで考えることを無意識の内に避けていたからであろう。
しかし今はもうそういうわけにもいかなくなった。ずっと避けていた村の秘密が、向こうから近寄ってきたのだ。もはや避けることは叶わない。
そうして家に帰ってきてしまった。
豊の父がいる。
「おかえり」
「……ただいま」
父は挨拶を交わすと自分の部屋に戻って行った。それ以上何も言わなかった。何も言わずとも豊は話を聞きに来ると確信しているのだ。そうしてそれは、事実だった。
黒蛇が封じられているという村の秘密は分かった。けれど封じた巫女の子孫である玲が抱えている秘密はまだ分からない。
それを知るのは正直恐怖がある。深く考えようとすると胸がざわつく。けれど知らずにはいられない。
豊は父の部屋へと赴いた。
「では、始めようか」
座布団に腰を落ち着かせると父は言った。
豊は神妙に頷いた。
大将と舞手の巫女、美影鈴は婚姻をした。
それから大将の方は村の村長と蛇剣術の師範を務めることとなった。
鈴は筆頭巫女として、村の娘たちの中から素質のある者を巫女として教育する。
やがて二人の間から子供が生まれた。女の子であった。鈴の血を受け継いだ彼女は神気を宿していた。
鈴は彼女を次代の筆頭巫女としての教育を施す。その指導は厳しく、険しいものであったが、愛情も同じように注いでいた。
そうして、黒蛇が封印されて五十年が経った。
娘は母になり、孫が出来た。女の子であった。神気も受け継いでいる。
鈴は、儀式を行った。孫を生贄に捧げ、蛇に再び封印を施したのだ。
反対は、あった。しかしどうしようもなかった。そうしなければ、黒蛇が復活してしまう恐れがあったからだ。
この黒蛇村は、ただそのために存在しているのだ。そして、村の男たちが蛇剣術を修めるのは、村を守り、儀式を守るためである。いつ何時、何が起きるのか分からないからだ。
「そう睨むな」
父に指摘されて、豊ははっとなった。
儀式。生贄。黒蛇の封印。
悪い想像が脳内を駆けずり回る。引っ掛かっていた歯車が噛み合ったような感触があった。
玲と会うな。その言葉が頭の中で反響する。
父は続ける。
「それから五十年に一度、蛇の封印を施す儀式が行われるようになった。それは一度も欠かしたことはない。欠かすわけにもいかないのだ。黒蛇の封印が解かれるからな」
豊は生唾を飲み込んだ。
次の五十年はいつなのか。
「生贄になるのは、美影家の巫女だ。なぜなら、強い神気を宿した巫女は、美影一族からでしか生まれないからだ。加えて、純潔であること、十代であることも条件だ。故に、鈴もその娘も生贄足り得なかった。条件を満たした孫でなければならなかった」
吐き気を催すような気色悪い儀式の条件。
次の生贄になるのは一体誰になるのだろう。
豊は喉に差し掛かった疑問を生唾と共に飲み込んだ。
頭がくらくらした。血の気が失せていた。
「そして、今年がその五十年目だ」
聞きたくない言葉を父はあっさりと口にする。
「……誰、なんだ」
「む?」
「生贄は、誰になるんだ」
豊は絞り出すようにそれだけを尋ねた。
「美影玲だ」
頭を大木槌で殴られたみたいな衝撃だった。
豊は頭を振って、首を垂れた。床板の木目が苦悩する男のように見えた。
「我々の使命は、儀式を滞りなく完遂することだ。でなければ、黒蛇が復活し周辺を蹂躙する。あるいは我々の想像を遥かに超えた事態が起きるやも知れん。彼女には気の毒なことだが、五十年に一度のただ一人の犠牲で多くの命が助かる。だからこそ、これは絶対に成し遂げなければならん」
なおも顔を上げようとしない豊。声すら出せない様子だった。
「安心しろ。彼女は幼き頃からそういう訓練と教育を受けてきた。すでに覚悟し納得もしていることだ。くれぐれも、変な気を起こすなよ」
冷たい言葉が胸を貫く。
安心しろ? 何をどう安心できると言うのか。
豊は無言のまま立ち上がり、部屋から出て行った。
そのすぐ後のことだ。
豊の父は誰も見ていないことを確認すると、床板に拳を打ち付けた。
それから苦しむような表情を出して、ただ一言呟く。
「……すまぬ」
豊は家の外に出た。
周辺はすでに薄闇で覆われている。これからさらに暗くなっていく時分である。
絶望的な心持ちのまま茫然と立ち尽くして、暗がりに隠れていく空を見上げた。
美影玲の未来はもはや閉ざされている。彼女が言った言葉の節々の意味がようやく分かったような気がした。玲は己の運命を全て受け入れていたのだ。だから一緒に村を出ようと誘っても断られたのだ。
俺は大馬鹿者だ、と豊は思った。
玲は優しい女の子なのだ。なのに馬鹿みたいに村を出ようだなんて、さぞかし困ったことだろう。
「……豊。晩ご飯にしましょう。中に入りなさい」
豊の母が顔を出して言った。
振り返ると、母は心配そうな眼差しを向けている。
豊は中に戻った。
翌日。
細断された薄い雲が空を流れていく。
豊はいつもの場所で、日課になっている剣術修行を行なっていた。
けれど、上手く集中できない。
「豊、いる?」
玲が茂みから顔を出した。
「……ああ」
と豊は返す。
そうして、がさがさと玲が出てきた。
「どうしたの? 元気がないね」
勘ぐるような視線で豊の全身を観察する。豊は気づかれまいと無意識の内に顔を逸らした。
「そっか……。知っちゃったんだね」
どこか気落ちしたような声で玲は言った。豊は何も答えなかった。
「何も言わないってことは、やっぱりそうなんだね。……あーあ。豊には知られたくなかったんだけど……これも村の掟だから、仕方がないのか……」
「……なんで、なんだよ」
豊の呟きは地面に落ちていくみたいに重い。
「え?」
「なんで、お前が……」
「仕方がないじゃない」
「仕方が……って」
「そうしないと、黒蛇が復活してしまうんだもの」
「そうだけど……でも、お前はそれでいいのかよ」
「復活したら……きっと、豊なんかすぐに死んじゃうんだもの」
だから私が守らないと。達観した顔で玲は言った。
「俺なんか、どうでもいいだろ」
豊は投げやり気味に言葉を吐き捨てる。
そんな彼に玲はむっとした。自分の顔を豊の顔の真ん前まで近づける。反射的に逃げようとする豊の頭を両手で挟み込んで止めて、真剣な瞳で覗き込んだ。
「れ、玲……」
戸惑う豊の声を切り捨てるように玲は声を出す。
「どうでも良くないよ」
「け、けど……」
「どうでも良くない。私は、豊に生きていて欲しい。死んで欲しくない」
「……玲。ち、近い」
「……あ」
と玲はようやく気がついた。豊の顔は文字通り目と鼻の先にあって、あとほんの少し接近するだけで唇と唇が触れ合いそうなほどだった。
玲は顔を真っ赤にさせて、
「ご、ごめん」
慌てて離れた。
「あ、ああ」
豊も顔を赤くさせていたが、こほんと一度咳払いして仕切り直す。
「玲、俺は、お前に死んで欲しくない」
恥ずかしそうにしながらも、玲は豊と向き合った。
「ありがとう」そうして困ったように目を伏せる。「でも、やっぱり無理だよ」
「どうしてだよ」
「さっきも言った通り、黒蛇が復活してしまうからだよ。そうしたらもうどうしようもない。誰も助からないの。分かってよ」
「今回しなかったからと言って、復活するとは限らないだろ。もしかしたら……」
「そんな賭け……できないよ」
「玲……」
彼女は振り返って背中を見せた。
「ごめん。私たち、もう会わない方がいいね」
そう言って、彼女は駆け出した。
豊は追いかけなかった。これ以上、どう言えばいいのか分からなかった。
彼女の背中を見つめることしかできないのが悔しくて、唇を噛んだ。
がさり、と音がして、豊は振り向いた。見れば、琵琶法師のビワが杖を突いて現れたところであった。
「ビワさん……」
なぜ、と聞く前に、ビワが口を開く。
「すまぬ。近くを散歩していたら偶然聞いてしまってな」
と頭を下げる。
「……いえ」
「心配せんでも他言はせぬ。しかし、不憫よな。噂には聞いていたが、まさか本当にこのような儀式が行われていようとは」
「……そう、ですね」
「だが、しかし。玲が言っていたことは本当なのか?」
「本当、とは」
「本当に儀式を行わなければ黒蛇が復活してしまうのか? そもそも本当に黒蛇が封じられているのか?」
「そうらしいですね……。俺も話を聞いたばかりで良く分からないのですが」
「ふむ。ならば、嘘である可能性がある、ということか」
「え?」
「玲を助けたいか?」
「……良く分かりません。何が正しいのか。どうすれば良いのか……」
「死んで欲しいのか?」
「そんなわけが! しかし……」
「助けたいのであれば、儂に案がある」
「案?」
「そうだ。だが、いきなり決めるのも酷であろう。その気になれば儂の元を訪れるが良い」
「……分かりました」
「では、その日まで、な」
そう言ってビワは、杖を振りながら歩き出した。
豊は老人を見送ると、上を見上げた。
いつの間にか薄い雲が張っていて、青空が見えなくなっている。
「……どうすればいいんだよ」
苛立ちを込めて地面を蹴った。じんと、足先が痛んだ。
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