47 蛇剣衆頭領堂島豊 三
太陽がちょうど真上に差し掛かった。
雲一つない見事な秋晴れだ。
豊は口を目一杯に広げて大きなおにぎりを頬張っている。その様子をにこにことした顔で眺めているのは玲であった。
「なんだよ」
視線が気になったのか、豊はぶっきらぼうに聞いた。
「なんでもない。私が作ったおにぎりは美味しい?」
「……まあまあだな」
「そう」と玲ははにかんだ。「良かった」
豊は自分の表情を見せるのが恥ずかしいのか、おにぎりに齧り付いた。
「そういえば、あと一年で元服だね」
玲は青い空を見つめながらしんみりと言った。
「そうだな」
元服になれば大人として認められる。それは同時に、大人としての責任と責務を全うしなければならないということでもある。
豊には実感が湧かなかった。元服になると今までの生活がどう変わるのか。それが想像できないのだ。
けれど傍に座る幼馴染みの少女は違うようである。不安そうな顔色が隠れていない。
「なあ」
豊は声をかけた。
「なに?」
と顔を向けた玲の顔は、一転して微笑みを浮かべている。
「俺、元服したら旅に出ようと思っているんだ」
「……何度も聞いたよ」
「それでさ」
「うん」
「玲も一緒に来ないか」
「え?」
玲はきょとんと豊を見返した。彼は真剣な面持ちで玲を見つめている。
「本気、なの?」
「ああ」
「でも、どうして?」
「それは」と豊は視線を逸らし、頰を薄く赤らめる。「お前の……おにぎりがすごく美味しかったから」
「……なにそれ。私のおにぎりが目当てってこと?」
豊は遠い空の先を見続けている。それからややあってから、
「嫌か?」
と再度聞いた。
「ううん」玲は首を振った。「すごく嬉しい」
「それなら」
豊が何か言おうとしたが、玲はすぐに遮った。
「でも、無理だよ」
「どうして?」
「それは……」
玲は言い淀んだ。暗い表情で目線は地面に落ちている。
村には何か秘密があって、それはきっと玲に関係している。彼女が旅に出れないのはきっと、そういう理由があるのだろう。
「こんな村、二人で逃げようぜ」
豊は吐き捨てるように言った。
「無理だよ……」
けれど幼馴染みは、頑なに首を縦に振らなかった。
昼食を食べ終えて、二人はビワの元へ向かった。
ビワの家は、家と言うよりも小屋だ。それに酷く粗末な作りである。屋根の片隅には蜘蛛の巣が張っていて、大きな蜘蛛が獲物を待ち構えている。周囲に家はなく、背後に林が広がりその先には崖がそびえ立っていた。
入り口には戸があるが、あまり意味を成していない。というのもぼろぼろで、大きな穴が開いているのである。おかげで中は丸見えだ。ビワは盲目のせいで、もしかしたら気づいていないのかも知れない。
「ビワさん。俺です。豊です。玲もいます」
「おお。待っておったぞ。さあ、入れ入れ」
弾むような声に従って中に入った。
ビワは奥の方で琵琶を手にし、弦を撥で弾いている。
「汚くてすまんが、まあ座れ座れ」
二人が床に腰掛けると、ぎしと床板が軋んだ。
「それで、何の話が聞きたい?」
「もちろん剣宮竜刀です」
「おお、そうかそうか。随分とあの男のことを気に入ったんじゃなあ」
「あの男?」
「ん? ああいや、すまぬ。剣宮竜刀の話はやはり人気でな。話しすぎてどうも親近感が湧いていかぬ。それでついあの男などと言ってしまうのじゃ」
「なるほど」
「では、始めようか……竜を斬った話はしたから……そうさな、次は鬼退治の話でもしようかの」
「剣宮竜刀は鬼とも戦ったんですか!」
「どうやら興味が湧いたようじゃな。では、始めようか。あれはそう、竜を斬るよりももっと以前の話……」
琵琶をかき鳴らす音が周囲に響いた。
豊と玲はあれから数日おきに、あるいは数日続けてビワの元へ参り続けた。
彼の弦の調べと共に語られる剣宮竜刀の物語はどれも血湧き肉躍り、豊の剣術修行はますます熱を帯びたのである。その様子を呆れながらも楽しそうに見守るのは玲であった。
そうして、冬を越え春を迎えた。この村の元服の儀式は、秋も終わりに近づいた頃に行われる。
つまり、いよいよ半年後に豊と玲は元服を迎えるのだ。
豊は変わらずに一緒に旅に出ようと何度か玲に持ちかけるのだが、やはり決まって悲しげな顔で断られるか、いなされた。
なぜそうも頑なに断るのだろう。そう思いながらも、今日も豊は玲と共にビワの家にお邪魔している。
「かくして竜刀は空の境地に目覚めたのである」
と、ビワは琵琶を掻き鳴らしながら唄った。
豊には想像もできない空の境地の感覚。自分が同じ境地に至れるとは思えないが、それでも高まるものがある。
家に帰りながら、豊は木刀を振るう。脳裏にあるのは剣宮竜刀が使ったとされる桜花一刀流の技の数々。落下の勢いを利用して斬りつける、しだれ桜。強い力を発揮する錬気法山桜。剛風の如く駆け込んで居合を放つ春一番。怒涛の連撃を喰らわせる奥義桜吹雪。
それらを聞きかじっただけで試しているのだ。もちろん、児戯の枠を出ない。それでも空想上の怪物たちと戦う自分を想像して、何やら強くなった気がする。
玲は、はしゃいでいる豊の後ろをついて歩く。
この村では蛇剣術と呼ばれる剣術を男子ならば誰もが修めている。その蛇剣術の師範から才なしと言われた豊に、まるで質の違う桜花一刀流の技を物語の中で聞きかじっただけで使えるとは思えない。
玲はため息を吐いて指摘する。
「……からみも満足に使えないのに、桜花一刀流の技を豊が使えるわけがないでしょう」
「う」
ぎくりと豊は停止した。
玲は苦笑する。
「馬鹿なことをしてないですぐに帰るよ。今日はこれから用事があるんでしょう?」
そうだった、と豊は悩ましげに頭を掻いた。今日は父親から話があると言われているのだ。思い当たる節がいくつもあるが、筆頭候補は玲のことだろう。そのことを考えると嫌な気分になる。逃げ出したいと思うけれど、玲はきちんと話を聞くべきだと言う。
仕方がない、と豊は木刀を腰に据えた。
中途で幾度も遠回りをしようとして玲に止められながらも、家に着いた。
「それじゃあ、おじさんと喧嘩をしたら駄目だからね」
「……分かってるよ」
ぶっきらぼうに答えると、玲はむすっと眉間を寄せた。
「分かってる顔してないよ。約束して。喧嘩をしないって」
「分かった。約束する。俺は今日、親父と喧嘩をしない」
「これからも、だよ」
「これからも、喧嘩をしない」
「よろしい」
玲は満足そうに肯くと、ばいばいと手を振って踵を返した。
重い足取りで玄関に向き合った豊は、酷く億劫そうに引き戸を引いた。
中に入ると早速父が待っている。
「おかえり」
「ただいま」
「逃げずに帰ってきたな」
「……ああ」
「こっちに来い」
父は振り返ると豊を先導して歩いていく。
憂鬱な気分のまま、豊は草履を脱いで家に上がった。
父の部屋にはすでに粗末な座布団が二つ敷いてある。上座に座った父に続いて、豊はもう片方の座布団の上に尻を落ち着かせた。硬く冷たい木張りの部屋は、寒々しさを感じさせる。
父はなかなか喋り出さない。ただじっと豊のことを見つめている。
業を煮やした豊は自分から切り出した。
「それで、話ってなんだよ」
「ああ」と呟いた父は、一拍間を置いてからようやく話始める。「お前も、あと半年で元服か」
「それが?」
「……お前も薄々気づいているとは思うが。この村には、お前、いや、お前たちに隠していることがある。今まで秘密にしていたのは色々と理由があるが、簡単に言えば、それが村の掟だったからだ」
「玲と会うなと言うのも、村の掟か?」
「少し違うが……まあ、似たようなものか。だがそのことを教えるのには、少々段取りがある。これも村の掟だ」
悪く思うな、と悪びれることなく父は言う。
思わず豊は小さく舌を打ったが、父はそのことに何も言わない。
掟、掟、掟。さっきからそればかりだ。豊は苛つきを覚えていた。玲と会えないのもその掟とやらが関係しているのは間違いがないようだ。
「元服まで半年を切ったお前たちに、俺たち親はこの村について少しずつ教えていかなければならない。掟でそう決まっているのだ。玲のことも関連している。どうか最後まで聞き続けてほしい」
豊は釈然としないものを感じながら、
「……分かった」
と頷いた。
「では、始めようか。まずは、ここ黒蛇村の成り立ちについて、だ」
ここからさらに遥か昔。黒蛇村がまだ生まれていない頃のこと。
人が滅多に近寄らぬこの地には一匹の巨大な黒蛇が住んでいた。
それまで黒蛇は穏やかに過ごしていたが、ある日人里に降りてきた。
前兆は何もない。人々は黒蛇の気紛れだろうと考えた。怒らせるようなことは誰もしてこなかったはずであるし、旅人も見かけていない。
しかし黒蛇は人を喰らい、村を一つ滅し、生き残った数少ない村人たちに「我は黒蛇ジャジャ。我こそが支配者であるぞ」と宣言し「神として崇め奉れ」と命じた。
圧倒的な暴力を前に彼らは恐れ慄いた。平伏し、言う通りにする他になかった。
気を良くした黒蛇は、さらに支配を広げようと暴れ回った。
黒蛇にとって彼らの抵抗はにわか雨のように些細なものだった。瞬く間に蹂躙され、あとは支配を強めるだけだった。
そんな中で、立ち上がった人々がいた。
剣士と弓師、法術師の総勢百名余り。中でも大将と呼ばれていた男は蛇剣術の使い手であった。その男の両脇には、いつも双子の若い巫女が付き従っている。
彼らは住処であるこの地で眠る黒蛇に奇襲をかけた。まずは双子の巫女が陣頭に立って法術によって蛇の動きを鈍らせて弱体化させ、そこを剣士たちが襲いかかった。
だが硬い鱗に阻まれて、多くの攻撃は弾かれた。それでも大将を初めとした少数の攻撃は効果がある。そこに弓師が毒を塗った矢を無数に放つと、剣士たちが開けた傷口に刺さっていく。
けれどそれらは黒蛇の起床を助ける手助けをしただけだった。起き上がった黒蛇は、眠りを邪魔されたことで怒り心頭に来た。
大口を開けて数人をひと飲みにする。その程度の損害で済んだのは、巫女たちの法術と毒、それから大将の指揮が功を奏したからである。
そうして、戦闘は本格化した。
男たちは三日三晩戦い続けた。激烈を極め、次々と死んでいく。反面、黒蛇には目立った痛手を負わせられていなかった。
大将を筆頭に諦めることを知らなかったが、状況は絶望的であった。
そうした時、双子の巫女は決意する。
「時間を稼いでください。その間に儀式を行います」
そう大将に懇願する。二人が何をしようとしているのかを悟った彼は、もはや他に手はないと覚悟を決めて頷いた。
双子を中心に据え置いて、法術師たちが大きく円を描いてぐるりと囲み、儀式を始めた。
双子の片割れが唄い、もう片方が舞を舞い、法術師たちが祈りを捧げる。
それを守るように、剣士と弓師が戦闘を繰り広げる。法術師の支援がない中で戦うのはより一層過酷を極めたが、勢いは増大した。特に大将の戦いぶりは、正に鬼神の如くという形容そのものであった。
黒蛇は危機が迫っていると察したのだろうか。攻勢が熾烈になった。
徐々に押されていく。死傷者が格段に増えていく。
そうした中でも大将は真正面に立って刀を振るう。
儀式も佳境に差し掛かると、法術士たちが道を開けた。その間を双子が歩む。一人は舞を舞いながら。一人は唄を唄いながら。
不意に黒蛇に異変が起きた。体の一切が動けなくなったのだ。ぐるぐると唸り、巫女を睨みつけている。
大将は構えを解かずに動かずにいた。誰かに強制されたわけではなかった。ただ自然と、この場で待っていなければならないと思っただけだった。そうして仲間たちももた、同じように考えたのか攻撃を停止して事の成り行きを見守っている。
やがて巫女は黒蛇まで近寄った。
ぎょろりとした金色の巨大な瞳が彼女たちを見た。けれど少しも怯まない。その代わりに誰かが生唾を飲み込んだ。
唄が終わった。舞は続いている。
唄い手の巫女が緩やかに手を差し伸べた。指先でそっと黒蛇の鼻先に触れる。
その瞬間、黒蛇は大きく口を開けた。
舞手が舞う以外誰も動かない。誰も言葉を発しない。
大きな口が唄い手の巫女を覆い被さった。間髪入れずに飲み込んで喉が動いた。
舞手はようやく動きを止めて、黒蛇と真正面から向き合う。黒蛇は、一瞬、にやりと笑んだかと思うや、驚愕の眼差しをした。
舞手は右手をまっすぐに伸ばし、ただ一言唱える。
「封縛」
途端、黒蛇の体の一部が光り出した。その大きさは、巫女と同じぐらいだった。
そうして、光は輝く鎖となって、黒蛇の太く長い体全体に巻きついていく。
「……む、娘! これはっなんだっ!」
黒蛇は、かろうじて叫んだ。
舞手の目から、涙が一筋流れ落ちる。
「……姉の血肉を捧げ、貴方様を縛る鎖を作りました。これにより、貴方様はこの地より動くことも、蛇気を行使することもできませぬ」
「笑止っ! このような鎖、破いてみせよう!」
黒蛇は力んだが、鎖はびくりともしない。
「無駄でございます。我が子孫が続く限り、これからも鎖は貴方様を縛り続けましょう」
「貴様っ! 貴様っ! 許さぬっ! 決して許さぬぞっ!」
「貴方様に喰われ、貴方様に蹂躙された人々も、そう思っておいででしょうに」
「覚えておれ! 我は必ずや貴様らを……」
しかし、黒蛇の声だんだんと小さくなって、ついには聞こえなくなった。
「その後、彼らは黒蛇が縛られた地に社を建て、この黒蛇村を作ったのだ」
と、豊の父は言った。
豊は茫然としている。
「もうすでに気付いているかも知れんが……最後にこのことを教えておく。巫女の名は美影鈴。玲は彼女の子孫だ」
そう言って父は、豊の顔を悲しそうに一瞥した。豊は視線を床板の上に落としている。
「今日はここまでにしよう」
父は立ち上がって部屋から出て行った。豊は、しばらく座ったままだった。
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