46 蛇剣衆頭領堂島豊 二

 千三十一年前のことである。

 

 渓谷の間にある深い森の中。

 赤色や黄色に色づいた葉で覆われた太く大きな木が、所狭しと生え揃っている。木枯らしが時折吹き抜いて、枝葉が擦れ囁き声を発していた。

 生き物たちは冬眠前の準備に忙しく、森中を駆け巡ってせっせと食糧を集めている。ある一角を除いては。

 その一角では、かつんかつんと断続的に乾いた音が響いていた。どうやら森の生き物たちは警戒して音の発生元に近寄らないようだった。

 生え伸びた木の枝から糸で焚き木がいくつも吊るされている。そうしてそれを、あちこちに飛び跳ねた黒い短髪の少年が手製の木刀で叩いた。

 打ち据えられた焚き木は、また別の吊るされた焚き木とぶつかり、その焚き木はまた別の焚き木と、そしてまた次へ、かつん、かつんと連鎖していく。不規則に動く焚き木は不意に、少年を襲った。彼は木刀でそれをまた叩いて、あとは繰り返しである。

 けれど少年が打てば打つほど焚き木の連鎖は加速して、やがては少年の手が追いつかなくなった。はっとした時には後頭部をしたたかに打ち、強い痛みに堪えきれずに木刀を手放してしゃがみ込んだ。

「いっっつ!」

 頭を押さえながら呻く。

 涙目になりながら木刀をもう一度掴むと立ち上がった。この程度でくじけては少年が志す目標までまだまだ遠い。

「豊ー! どこー!」

 ふと少年を呼ぶ少女の声が聞こえてきた。

 しかめ面を浮かべながら声がする方角を見やるも、豊と呼ばれた少年は無視を決め込む。息を殺し、じっと通り過ぎるのを待った。

 けれど、藪の中から少女が顔を出した。目が合った。

「いた!」

 少女は豊を指差して、嬉しそうに破顔した。それからすぐに藪から出た。肩の上辺りで切り揃えられた黒髪を僅かに揺らし、頰を膨らませて怒って見せる。

「もー、聞こえていたんでしょ! 無視しないでよ!」

「うるさいなあ。お前がいると集中できないんだよ」

「しゅ、集中って」少女は笑いを堪えるように口元に手を当てた。「才能ないって、村のみんなにさんざん言われてるのに? い、いくら修行したって無駄だよ」

「……だいたい村のみんなが言うからって、どうだっていうんだ。修行を続けていれば分からないだろ」

「くすくす……。でも剣術で私にも勝てないじゃん」

 そう言って少女は、足元に転がっていた木の枝を一振り手に取って中段に構えた。挑むような眼差しで豊を見返す。

 豊は怒りで顔を真っ赤にした。

「きょ、今日こそは!」

 そうして挑みかかった。だが泣かしてやる気で打った渾身の面打ちはあっさりと躱されて、代わりに少女が振るった枝が鼻柱に当たった。

「痛っ」

 と豊は鼻を押さえる。

「はい一本。私の勝ちー」

 勝ち誇った顔で少女は屈託なく笑う。

「くそう……」

 悔しそうに呻いて少女を睨め上げた。けれど彼女にはてんで効果がなく、そればかりかにやにやとした笑みを助長させるばかりだ。

「それより、早く帰るわよ、豊」

「なんでだよ。俺はまだ今日の日課を終わらせてないんだぜ?」

「あの琵琶法師さんが一曲唄うんですって」

「なんだって! それを早く言え!」

 豊は慌てて駆け出すも、すぐに立ち止まって振り返った。

「おい、早く来いよ。早く帰らないと終わってしまうだろ、玲」

 玲、と呼ばれた少女は、肩を竦めた。

「はいはい。全く、調子いいんだから」

 面倒そうに足を動かすけれど、どことなく嬉しそうであった。


 迷うことなく森を駆け抜け、慣れた様子で崖道を下り、二人は村に帰ってきた。

 村は切り立った崖に囲まれている。まるで森に穴が開いているみたいだと豊は思う。

 上を見上げると、青い空の中で白い雲が風に任せたまま漂っていた。

 後ろを見ると玲が走ってくる。

「早く早く」

 と豊は急かしつつ、彼女の速さに合わせながらさらに走ると、開けた場所に出た。

 広場だ。ここで村の集会などの様々な催し事が行われる。

 見るとすでに人だかりができていた。間違いがない。あそこに琵琶法師がいるのだ。

 早速人だかりの小さな隙間の中に体をねじ込んで、ぐいぐいと強引に前へ進む。すると上手く最前列に出ることが出来た。少し遅れてから玲も豊の隣にやってきて、豊と目が合うと笑顔を見せた。

 前を見やると、年老いた男の琵琶法師が琵琶を構えている。琵琶法師の例に漏れず盲目で、じっと 聞き耳を立てて聴衆の集まり具合を確認しているようだ。

 それから不意に空気が変わった。不気味なほどの集中力を感じさせ、ざわついていた聴衆が息を呑んで琵琶法師に注目する。何度も彼の唄を聞いている豊には、ようやく始まるのだとすぐに分かった。

 そうして、琵琶法師はおもむろに撥で弦を叩いた。

 音に合わせ唄うは英雄譚。

 噂に名高き桃源島より來れりし剣士、剣宮竜刀の竜退治。

 それを琵琶法師は、まるで見てきたかのように仔細に、臨場感たっぷりに、唄い上げる。

 竜刀の愛刀である人の言葉を話す不思議な刀との語らいは、月の夜みたいに静かな音を奏で、暴漢から少女を助けるときは、颯爽と格好良く。そして竜との戦い。緊張感のある勇壮な音と共に、琵琶法師の唄は熱を帯びた。迫りくる危機を退け、放つ奥義桜吹雪。見事に竜を退治して、琵琶法師は演奏を止めた。

 ふう、と息を吐いた彼を迎えたのは万雷の拍手だ。豊などは手が痛くなるほどに叩いている。

 琵琶法師はこくりと頷いてそれに応え、薄らと笑みを浮かべた。


 聴衆の殆どは解散し、静かになった。

 琵琶法師は立ち上がると、琵琶を背負った。それから帰路に着くのか白杖を突きながらゆっくりと歩いていく。彼は村の外れに一時的な住まいを借り受けており、進む方角はそこに向いていた。

 畑の狭間を通るあぜ道に差し掛かると、不意に琵琶法師は立ち止まった。

「誰ぞ。二人ほどついて来ておるな」

 そう言って振り返った。

 ぎくりと思わず停止したのは豊と玲である。

「ど、どうして」

 豊は震える声で呟いた。

「なに。儂はめくらじゃが、それ故に常人には分からぬものが分かるのじゃよ」にやりと笑む。「して儂に何用かな? 少年と少女よ」

 まさか性別まで分かるとは。二人は戸惑いを隠せず、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 豊は意を決して口を開いた。

「……実は、もっとお話を聞きたくて……」

「ほお? 剣宮竜刀の物語に興味を持ったか?」

「はい。実は俺も一人の剣士として名を上げたくて」

「ふむふむ。なるほどのお」

「その、ごめんなさい」と玲が頭を下げた。「迷惑ですよね。お邪魔でしたらすぐにこの馬鹿を連れ帰りますから」

「いやいや、そんなことはないぞ。若者と話をするのはそれだけで元気をもらえるようじゃ。そうじゃの。今日はもう遅い。明日の昼にでも儂の家に来てくれぬか。そこで色々と話をしようではないか」

「ほ、本当ですか! ありがとうございます」

 豊は元気よく礼をした。玲は複雑そうな顔でそれを見やると、豊かに続いて礼をする。

「ふっふっふ。さてお主らの名を聞いておらなんだな。なんと言う?」

「あ、す、すみません。失礼でしたね」玲は慌てて言う。「私は、御影玲です」

「俺は堂島豊です」

「儂は、そうじゃな。ビワで良い」

「ビワ、ですか」

「うむ。このような爺など、ビワで十分」

「……分かりました。ビワさんの明日の話、楽しみです」

「儂もじゃよ。では道中気をつけてな」

「はいっ」

 ビワと名乗った老人は踵を返し、ふっふと嬉しそうに笑っていた。




 囲炉裏を豊の家族四人で囲って夕餉を摂っていた。味噌汁とご飯。それから程よく脂の乗った川魚。小鉢には漬物が入っていた。

 白く湯気を立てている味噌汁を豊はずずっと啜っている。母はまだ幼い弟を太腿の上に座らせて食べさせている。そうして父は、じっと豊を見つめている。

 何か言いたいことがあるんだろうか。嫌な予感を感じながら、豊は箸で魚の腹を突いた。

「豊」

 と呼ばれて、やはり来たかと身構える。

「……なんだよ」

「もう御影家の娘と会うのは止めろ」

 ちっ、と小さく舌打ちをする。またか、と豊は思う。

「どうしてだよ」

 何度同じことを聞いたか分からない。それでも豊は聞かずにいられない。

「……お前のためだ」

 父の答えは予想されたものだった。いつもいつも同じことを言う。

「どうしてそれが俺のためになるんだよ」

「今は知る必要のないことだ」

「いつだったら知る必要ができるんだよ? 明日か、明後日か? それとも墓の中か?」

「……いずれ分かる」

 豊は再度舌を打った。

「豊」

 今度は母が言う。これもいつものことだ。豊は苛々しながら視線だけを母に送った。

「あの子と会うのは本当に止めなさい。でなければ、後悔することになるわ」

「ならねーよ」

「豊!」

 豊は箸を投げるように置くと、傍らの木刀を手にして立ち上がり、駆け出した。

 弟の泣き声が背後から聞こえてきたが、構わずに外に出る。

 辺りはもう暗い。数え切れないほどの星が夜空を満たし、半月が浮かんでいる。

 この村は何かを隠していた。それが何なのか豊には分からない。ろくでもないことは確かだろう。

 しばらく走った豊は、もやもやした気持ちを発散させるように、荒く息を吐きながら素振りを始めた。

 強くなりたいと豊は願う。

 剣宮竜刀のように強くなれれば、きっと何にも縛られることはないだろうから。




 いつ間にか豊は眠っていたらしい。誰かに揺り動かされて目を覚ました。明るい日差しが目に眩しい。硬い地面の上で寝ていたせいであちこちが痛んでいる。

「こんな所で眠っていると風邪ひいちゃうよ」

「……う、玲、か」

 見れば玲が心配そうに顔を覗き込んでいる。

 豊は目を擦りながら体を起こすと、途端に寒さを実感したのかぶるりと震え、盛大にくしゃみを放った。

「ほらあ」

 と玲は呆れた風に言うものの、心配そうな眼差しを変わらずに向け続けている。

「大丈夫だよ、これぐらい」

 豊は強がりを言って、軽く体を解す。

「土がついてるよ」

 そう言って玲は、豊の黒髪にひっついている土や砂をぱっぱと払ってやる。それから視線を落とし、呟いた。

「また喧嘩をしたんでしょう」

「まあ、な」

 豊はばつが悪そうにそっぽを向いた。

「私と会うなと言われたんでしょう」

 それに豊は否定しなかった。さりとて何か言うわけでもない。

「やっぱり私、もう豊と会わないほうがいいよね」

 玲は気落ちしているようだった。どことなく覇気がない。

「どうしてそうなるんだよ」

「だって……」

 玲は言い淀んだ。彼女には何やら隠し事がある。それは村が抱えている秘密と関係しているのだろうと、豊も察してはいる。

 豊は頭を掻いた。

「こんなのは何てことない。それに玲は勝手に俺のこと見つけてくるじゃないか」

「それは……」と言葉を詰まらせて、玲は頭を振った。「豊が会いに来てもいいって前に言ってくれたから。それが本当に嬉しかったから」

 どことなく玲は顔を赤らめている。

 豊はため息を吐いた。

 玲には友達と言える存在は豊以外にいない。それというのも、他の子供たちも親に玲と一緒にいるなと言われているからだ。

 しかし豊だけが気にせずに玲と会い遊ぶことを選んだ。そのせいで豊の元々の友達が彼から離れようとも。

「だいたい俺は、玲から一本取るまでは絶対に会うのを止めないからな」

 一瞬間を置いてから、玲は口元に手を当ててくすくすと笑う。

「んだよ」

「……それじゃあ、一生無理だよ」

 玲の目元には一粒の涙が溜まっていた。

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