45 蛇剣衆頭領堂島豊 一
剣宮辰也は憤然たる想いであった。
命のやりとりを行なっている以上、死が降りかかるのも仕方のないことである。そのことは当然辰也も理解している。それでも見知った者が目の前で殺されれば、どうしようもない感情が噴出するのも致し方ない。
しかし辰也の頭は妙に冷静であった。
空の境地を発動させ、堂島豊の僅かな動きすら知覚している。
そうして一歩一歩、油断なく歩み寄っていく。
「行くぞ」
「来い」
瞬間、辰也は駆けた。ほんの数歩で間合いに入る。
地面を強く踏みつけ、袈裟懸けに振るう。だが間髪入れずに堂島が刀で合わせてきた。黒蛇がハナに絡みついてくる錯覚を覚え、辰也はすぐさま後方へ飛んだ。
ひんやりとした汗が一筋流れ、辰也は確信を得た。
「やはりそうか……。その技、蛇剣術からみ、か」
ほお、と堂島は目を丸くする。
「よく分かったな。……いや、そうか。貴様は車田正治を破ったのだったな」
「なぜだ」
「なぜ?」
「からみは基本の技だと聞いた。蛇剣術の入り口だと」
「ふん」と堂島は鼻を鳴らす。「確かに殆どの者はそう勘違いしているな」
「勘違い? どういうことだ」
「愚か者どもは、大蛇破などの派手な技こそが深奥だと考えているが、あのような技、所詮は蛇気あってのもの。真の深奥はからみにこそある」
「だが俺は、その技をすでに攻略している」
「車田正治のことか? 奴は実に惜しい男であった。蛇剣術からみこそ深奥だと見抜き、磨き続けていたが、所詮は人の寿命よ。極めるまで至らなかった」
「貴様は極めたと言うのか」
「ふっふっふ。ならばとくと味わい、己で確かめるが良い」
「そうさせてもらう!」
辰也は今一度踏み込んだ。先ほどと同じ袈裟懸けに振り下ろす。堂島もまた刀を合わせてきた。
だがここからが違う。辰也は、剣宮流錬気法山桜を発動させたのだ。それはこの長い旅の中でより研ぎ澄まされて、車田正治を破った時よりも遥かに強力になっていた。
が、と堂島の刃がからみ、ぎゅるりと巻きつくように蠢く。
山桜によって強化された力でそのまま強引に押し進める、はずであった。
しかし、辰也が振るった強力無比な一撃は、その軌道をあっさりと逸らされ、堂島の体にかすりもせずに空ぶった。
「な!」
と驚くのも束の間。堂島の刃が顔面めがけて下から迫っていることを空の境地が知覚する。
「くっ」
慌てて顔を逸らした。黒き切っ先は辰也の顎先を僅かに裂いて、血を散らす。
堂島はさらに刃を返して、振り下ろしてきた。辰也は後ろへ飛んでどうにかかわした。
「なるほど。空の境地か」
感心したように堂島は呟く。
「……それがどうした」
「実は興味があってな。空の境地同士の戦いは、果たしてどちらに軍配が上がるのか」
瞬間、堂島の空気が変わった。まるでその全てを見ているかのような錯覚を覚え、辰也は戦慄する。
「まさか……」
「そうだ。何も空の境地は貴様の専売というわけではない。俺も使えるのだよ」
辰也は右に左に動いてみた。だが堂島は平然と正面を向いたままである。どこから来ても全て防ぐことができるという、絶対の自信の現れだ。山桜を防いだ実力はやはり並ではない。
「来ないのか? 俺としては構わぬ。俺の役目はジャジャを守ること。こうしている間にも、桃源島にはジャジャの分体が多数押し寄せている。このまま桃源島を呑み込めば、貴様の敗北は必至。待っているだけで良いというのは、実に楽なものよ」
「く……」
「辰也……相手の挑発に乗っては駄目よ」
「だが……このまま手をこまねくのも悪手なのは事実」
「だけど……」
「心配するな。勝つのは俺だ」
そう言って辰也は微笑んだ。けれどその手が震えていることにハナは気づいている。
辰也はハナを鞘に納め、居合の構えを見せた。
「面白い」
堂島は不敵に笑った。
深く息を吸って吐き、辰也は呼吸を整える。相手の空の境地では知覚できない速さで斬る。さすればいかに鉄壁の防御を誇る蛇剣術からみであっても防ぐことはできないはずだ。そう辰也は目算する。問題は、その速さを実現でるか定かではないという点であろう。
どちらにせよ、やるしかない。
意識を集中させた。
体内を巡る気が加速しながら増大する。
一歩近寄ってみる。相手が動く気配はない。辰也から仕掛けぬ限り、本当に手を出す気はないらしい。それほどまでの自信があるということだ。
対してこちらは賭けだ。春一番も春雷も、相手に知覚させないほどの速さを持っているのかどうか分からない。辰也であっても知覚できるのだから、堂島ができない保証はない。
ならば今ここで、己の最速を超えなければならない。
実のところ辰也は、ずっと以前から考えていた技がある。それは駆け込みの速度を極めた春一番と、剣速を極めた春雷を組み合わせることである。しかし昔試してみたところ、どちらも気を十分に込めることができず、中途半端な出来に終わってしまった。速さはむしろ遅くなっているぐらいで、完全な失敗であった。
それを今ここで完成させる。
正直に吐露すれば、自信はない。一度も成功させたことがないのだから当然だ。出来たとしても、望み通りの速さを実現できるかどうかも不透明。
かなり分の悪い賭けだ。堂島のからみを破る技は、他に可能性があるとすれば奥義の桜吹雪ぐらいだろう。けれどあれは連撃に重きを置いており、一撃に賭けているわけではない。からみとの相性は悪いというのが、辰也の予測だ。
ならばやはり、春一番と春雷の合わせが最も有効に違いない。
では、技を完成させるために必要なことは何なのか。
思考に思考を重ねていく。堂島は宣言通り待ち続けている。
己の気を高めながら、辰也はじりじりと近寄っていった。長い距離を走ればそれだけ春一番に使用する気の消費が激しくなる。そうなれば春雷に使う分が減って速度が減るだろう。だからと言って近寄り過ぎれば、春一番の速度を生かせない。
綱渡りのような際どい見極めが必要だ。
春一番は一瞬で十分だろう、と辰也は考える。足を踏み出す一歩。そこにのみ春一番を発動させて、一足で堂島に迫れば良い。そうしてその瞬間に、春雷を放つ。
ここだ。と、辰也は立ち止まった。この位置しかない。
そして辰也はさらに気を高めていく。春一番に使う気と春雷に使用する気。その配分を間違えてはならない。
練り上げた気を慎重に分ける。
発動の瞬間を見定めるべく、堂島を観察する。
やはり一歩も動いていない。その真意は測りかねないが、時間が経過すれば不利に働くのは辰也だ。対して相手は闇雲に攻める必要はない。待てばその分有利になるのだから道理に叶っている。しかし辰也にわざわざ準備させる時間を与える必要もないはずだ。
理解はできない。けれど、おかげで気は十二分に高まった。これ以上は難しい。
「桜花一刀流居合術春嵐」
辰也は足に貯めた気を爆発させた。
急速に押し出された体は瞬時に加速する。
嵐のように堂島へ肉薄し、雷の如き斬撃を解き放つ。
しかし、
堂島は、見た。
辰也が完成させた新しい最速の居合術。
それを堂島は、空の境地で知覚した。
人類が持ち得る動体視力を凌駕した速度域の中、黒い刃がまるで蛇のように桜色の刃に絡み付く。
春嵐の力が逸らされる。
けたたましい音を立てて辰也は弾かれた。
二度三度と地面を転がり、凄まじい勢いのままでガス灯にぶつかる。
衝撃でガス灯がへし折れ、倒れた。漏れ出たガスが電熱で引火する。ぼっと橙色の火が上がった。その下で、辰也は尻を地面に着けたまま茫然と堂島を見つめている。
「今のは少し驚いたぞ」
と、堂島は平然と呟いて、口角を上げた。
「並の刀であれば、今の一合で折れている。なるほど良き刀だ。銘は何と言う」
「……桜刀ハナ」
「なるほど、覚えておこう。我が刀は黒蛇ジャジャの牙を研いで作られた。無銘の刀だ」
辰也は立ち上がった。
今のが防がれるとは思わなかった。
火の熱を感じながら、辰也は一歩を踏み出し、振るった。
それを堂島は、からみを使わずに受け止める。
そのまま刀で打ち合う。けれど尽く止められ、かわされる。
辰也は一度離れた。呼吸を整える。気を再び巡らせて高めていく。
「桜花一刀流奥義桜吹雪」
呼吸を止め、全力の剣撃を放った。だが、それすらも蛇剣術からみによっていなされた。
相手の刃が迫りくるのを、辰也はどうにか紙一重で避けて離れる。
「今のは連撃が主体の技だろう。故に最初の一撃さえ封じれば怖くない」
辰也は再び攻勢に出た。しかし結果は同じ。面を打っても、逆胴を狙っても効果はない。
「この程度の実力で俺を突破しジャジャを斬ろうと言うのか。足りぬ。全く足りぬわっ」
怒りすら伴って聞こえてくる。
だが辰也は諦めない。諦めるわけにはいかない。
ここで諦めたら一体何のためにハナは刀となったのか。
辰也は再度肉薄し、直前で飛び上がる。
「桜花一刀流しだれ桜」
だが蛇剣術からみで弾かれた。辰也はハナを飛ばされそうになったがひしと掴んで手放さない。その代わりに衝撃で体勢を崩し、地べたをごろごろと転がった。
辰也はすぐに起き上がった。諦めることなく攻め続ける。転げようとも、体のどこかが裂けようとも、泥にまみれながら刀を振い続けた。
「辰也……」
ハナは思わず呟いた。もういい。やめて。そう止めたかった。これ以上辰也が傷つくのを、苦しむのを見たくなかった。
けれど辰也は止まらなかった。全力で戦い続けた。相手の攻撃を際どい所で避けて、受けた。
辰也の攻撃は通じない。だが堂島の攻撃も辰也に致命傷を与えなかった。
「……しぶとい」
思わず堂島はうめいた。これまでの長い人生の中で多くの強者と戦い、勝ってきた。しかし辰也ほど粘り続けた者は初めてであった。
同時に堂島は苛つきを感じていた。それを自覚してさえいた。
なぜだ。なぜこの男は諦めない。
剣戟を受け止めながら思う。からみで弾きながらも、辰也は大切な者を抱くように刀を手放さない。そうして、もはや実力差は歴然としているのに、再び向かってくる男のことを憎しみすら抱いていた。
「……俺は、諦めたというのに」
堂島が期せずして呟いた言葉は、刀が打ち合う音で掻き消えて、辰也には聞かれなかったようである。
そのことにほうと安堵しながらも、堂島の思考は過去へと飛んだ。
忘れたくとも忘れられない。忘れるわけにもいかぬ遥か遠い過去のこと。
それは己が犯した大罪と長きに渡る地獄の始まりの記憶だった。
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