44 蛇剣衆の村 後編
巫女装束姿の神楽崎花絵は空を見上げていた。
真っ暗な空である。黒い蛇で埋め尽くされ、蠢いて、常世桜が作る結界に群がっていた。今日は特にその密度が濃いように感じる。
常世桜のお告げはいよいよ真実味を増しているのだ。
桃源島の村人たちは島の中央にあるここ桜神社に避難し、戦える人たちの殆どは島の外周に陣取って、黒蛇が結界を破り侵入してくる時に備えている。
「花絵、出番だよ」
先輩に声を掛けられた花絵は、「はい!」と威勢よく返事をして舞台に上がった。
そうして舞を舞う。対面には同い年の少女が息を合わせて舞っていた。
花絵を含めた巫女と元巫女たちは二人体制で舞い踊る。楽器を扱えるものは音を奏で、それ以外の村人たちは一心不乱に祈りを捧げていた。常世桜の力を少しでも強化するためだ。
お告げの通りであるなら、辰也の勝利は桃源島を守り切れるかどうかにもかかっている。ここで桃源島を犯されるとジャジャの力が増してしまう。だが守り続けることができれば、桃源島に力を割く分、ジャジャは弱体化する。あのお告げはきっと、そうゆう意味なのだと花絵たちは解釈している。
辰也が勝つには。そうして生きてここに帰ってきてもらうためには、島一丸となって守る他に術はない。
「二人とも! 来てくれたか!」
辰也は叫んだ。心強い味方の登場に、喜びを隠せない。
松吉は錫杖を振るいながら辰也に応える。
「遅くなってすまぬ! 説得するのに手間取ってしまった」
「来てくれただけでもありがたい!」
と、辰也は蛇剣衆に斬り掛かった。しかし平太郎が先に斧で引き裂く。
「剣宮殿。お主は控えておれ」
辰也を一瞥した平太郎は、そう言った。
「しかし……」
「お主にはジャジャを斬ると言う大仕事がある。それまで体力を取っておかなければならぬ」
「そうだ!」と松吉。「我ら修験者、剣宮殿のために道を作ろう!」
「……すまぬ」
「なあに。ジャジャと戦うことと比べれば、この程度のこと児戯に等しい」
松吉はうそぶいた。
そうして松吉と平太郎の二人は辰也の前に陣取って、襲いかかる蛇剣衆たちを倒していく。ふと気づけば、横にも後ろにも修験者が固めて、辰也の護衛を努めていた。
ゆっくりと、しかし着実に前へと進む。踏み締める地面は血で赤く染まり、物と化した人間たちが覆いかぶさる。
凄まじい戦闘であった。一般の兵士を凌駕した強者たちが、血みどろの争いを繰り広げているのだ。並大抵の者がこの戦いに参加しても、ものの数秒ともたないだろう。
周囲を味方で囲まれ、そうした戦いに参加できない辰也は、焦ったく思いながら歩を進めていく。
「辰也」ハナが辰也に声を掛ける。「今は我慢だよ。みんな辰也にジャジャを斬って欲しくて、死に物狂いで戦っているんだ。辰也は、辰也の役割のために力を温存しておかないと」
「ハナ……。心配せずとも、分かっている」
そう同意しながら、辰也はハナの柄を握り締めた。
他ならぬ彼女も今眼前で行われている戦いに焦れた想いを抱いているのだ。辰也にはその事が手に取るように分かる。
戦いは激化していく。襲いかかってくる蛇剣衆たちは、辰也を殺せないことに焦っていた。自信あふれる彼らにとって、それは予想外である。それも格下と侮っていた修験者相手に押されているのだ。彼らの目は異様なまでに血走って、味方を巻き込むことを恐れずに刀を振るう。
だが尽く松吉と平太郎に阻まれる。歩みを止めることも叶わない。
「いる……」
不意にハナが、緊張感に満ちた声で呟いた。
「何が?」
「祝福持ち……それも今までよりも強大な」
「ジャジャではなく?」
「うん。ジャジャではないよ。……ジャジャは、その奥にいるから」
「なるほど……。つまり」
「蛇剣衆の頭領」
血飛沫が飛び交う。
蛇剣衆も修験者もその数を大きく減らしている。
修験者の士気は高い。ここが世界の分水嶺だと肌で感じているのだ。故に仲間が目の前で殺されようとも、彼らは前に進むことを諦めない。彼らの心は一つだった。
剣宮辰也を黒蛇ジャジャに届けること。それが星を救う唯一の手段。
そうして、村の奥に辿り着いた。待ち構えているのは一人の男。
白い髪だった。目は灰色で、肌の色素は薄い。背丈も外見の歳も辰也とそう変わらない。
右手で持った刀はすでに抜いているが構えていない。だらりと横に下げている。
刃は黒い。しかしあえて黒く塗っているわけではなかった。刃そのものが元から黒いのである。
辰也たちは、思わずたたらを踏んだ。
目の前にいる人物には、不気味な存在感がある。強い殺気はなく、挑むようでも、憎悪を煮えたぎらせているわけでもない。
どちらかといえば、深い諦観で作り上げた虚無の顔であり、佇まいである。
その事に気づいた時、辰也の肌がぞくりと粟立つ。
松吉も平太郎も一歩を踏み出せずにいた。
だが、他の修験者たちはそうではなかった。興奮していた彼らは、雄叫びを上げながら錫杖を振り上げて一挙に躍りかかった。
「よせっ」
慌てて平太郎が制止の声を発したが、彼らは聞く耳を持たない。
白髪の男は酷くつまらなそうな顔で、右手一本で刀を振るった。
瞬きを許さぬほどの速さで、彼らは斬り倒された。
「辰也」ハナが茫然と呟く。「あの人。頭の先から爪先まで……黒蛇で詰まってる」
一瞬、意味が分からなかった。
桃源島の外周を武器を持った男たちが等間隔に並んでいる。
彼らは全員例外なく、蛇空を殺気を込めた目つきで睨んでいた。
手にしている武器は様々だ。刀、槍、薙刀。素手もいる。彼らは桜花一刀流をはじめとして、他にも様々な流派で学んできた強者たち。彼らが血反吐を吐きながら腕を磨いてきたのは、正に今日この時のためであった。
特に島の北の守りについた桜花一刀流の者たちの士気は一際に高い。自分たちよりも若い辰也を一人きりで死地に送り込んだ。その事に自責の念を抱かぬ者はいなかった。全員がもっと強ければと悔やみ、ならばせめて島を守り切れるだけの力量を手に入れようと死に物狂いで修行した。
それでも辰也の域に辿り着いたとは思えない。それほどまで彼の力は抜きん出ていた。
しかし、例え及ばなくとも島の一つや二つ守れなくてどうするか。道場の先輩として辰也に示しがつかぬ。帰ってきた時に、いかなる死闘を演じたか。それを語り合えるためにも。
「ついに、この時が来たか」
師範の藤堂雅和は感慨深そうに呟いた。
「はい。ようやく彼らに報いる日が来ました」
応えるのは師範代。
「ああ」と一呼吸おいて、雅和は門下生たちに呼びかける。「皆の者も良いか! ついにこの日が来た。我らの地獄のような修行の日々は、正に今日この時のため。死ぬ気で戦え! 命がけで島を守れ! その上で生き延びよ! でなければ、あやつらが帰ってきた時に幻滅されてしまうでな!」
ははは、と笑いが生じた。藤堂は口角を上げる。
「これが終わり、蛇空が晴れたら祝宴だ! 無論、俺の奢りでな!」
おおおおおっ! と一斉に湧き上がった。
東の守りについたのは剣宮家の男たちと神楽崎廉太郎。島の中でも上位に位置する実力者揃いだ。そのため他に人数は揃えていない。
「お主は止めた方が良いのではないか? のお、克也よ」
錬太郎は口元を意地悪く歪ませて言った。辰也の祖父である克也は、隻腕である。
「ふん。孫を死地に向かわせた俺が、今更己の命を惜しんでどうする」
「いや、片腕でまともに戦えるのかと聞いておるんじゃ」
「ぬかせ。片腕たりとて、蛇傀列島から逃げ帰ってきたあの日から修練を欠かしたことはないわ。それとも、今ここで貴様を叩きのめして証明してやろうか」
「ほお、面白い」
「や、止めてください!」
火花散らす二人を止めたのは、剣宮信也。辰也の父であり、剣宮流錬気法の現師範だ。
「そうですよ。お祖父様方」続いて言葉を発したのは、師範代である長男の敬也。「神社に戻られたほうが良いのでは?」
「抜かせ、若造が」
と錬太郎は楽しそうに笑う。
「黒蛇共を殺し尽くすまでおめおめと帰れるものか。それこそ辰也に示しがつかぬわ」
克也は睨みつけた。
「でしたら、ここで無駄な体力を使わないでください。そのような喧嘩は、この戦いが終わってからで良いではありませぬか」
「くっくっく。言うようになったな、敬也よ。帰ったらまずは貴様に稽古をつけてやる」
「分かりました。楽しみにしておりますよ」
やれやれ、と敬也は肩を竦めた。
その時である。
びしり、と常世桜の結界にひびが入ったのだ。
刀を手にし、ふるふると震えるのは三男、つまり辰也の弟である哲也が焦ったように言った。
「ひ、ひびが!」
「大丈夫だ。お主は自分が思っているよりも大分と強いぞ」
敬也は哲也の肩に手を乗せて安心させた。
「さあ、来るぞ」
みなが固唾を呑んで見守っている。武者震いで震える者、冷静にその時を待つ者。反応はそれぞれだが、逃げ出す者は誰一人としていない。
そうして、ついに結界が破られた。
黒蛇が島内に侵入した。
長きに渡る死闘の始まりである。
白髪の男は無感情に辰也たちを見つめている。
「お主のこと、見覚えがあるぞ」
平太郎が言った。
「何?」
と辰也が思わず呟く。
「以前の桃源島が放った刺客たちとも、お主は戦ったな?」
白髪の男は無反応。
「まさか」辰也が驚いた。「一体何年前のことだと」
「儂も驚いている。だが、間違いない。あの頃と姿形、一切何も変わっていないのだ。……のお、お主、あの時、一人の男の腕を斬ったな?」
「ああ、俺が斬った」
白髪の男はあっさりと頷いた。
「俺の祖父の腕を……」
辰也は打ち震えた。今は老人だと思っていた相手がまさか、このような若者であったとは。だが平太郎の言う通りであれば、目前の男は歳を取らずに今まで生きてきたということになる。
「蛇剣衆の頭領とは、お主のことだな」
「……そうだ。蛇剣衆頭領、堂島豊。俺も覚えているぞ。お前は物陰に潜んでいた修験者か」
「そうだ。あの頃は、儂に力がないばかりに陰に隠れる他になかった」
「逃げれば追いはせぬ」
「たわけ! 今更惜しむ命などないわ! あの時の贖罪、今こそ晴らす時! 儂の名は土倉平太郎!」
「師匠、お供します。俺は、野木松吉」
「ここは俺も」
と辰也が一歩踏み出したが、松吉と平太郎が手で制した。
「ここは我らにお任せあれ」
「しかし……」
「たとえ負けようとも、手の内の一つや二つ、晒して見せよう」
松吉は冷や汗を掻きながら言った。
「無論、負ける気はないがな」
続いて平太郎が余裕ぶって笑みを浮かべる。
「来い」
堂島は淡々と呟いた。
その言葉を皮切りに、二人は同時に前に出る。
堂島は構えない。刀をだらりと下げたままだ。
先手を打つのは松吉。錫杖を両手で持ち、己の気を高めていく。肉体が膨れ上がり、筋力が増大する。
「山王流杖術! 土石流打!」
八双に構え、練り上げた気を込めた錫杖が土色に鈍く輝く。そうして渾身の力で持って、横なぎに振るった。
「む」
相対する堂島は、臆することなく松吉に合わせて刀を繰り出す。
「あれは!」
辰也が驚きの声を上げた。錫杖に堂島の刀が絡んだのである。
そうして錫杖が弾き飛ばされたかと思うや、黒い刃は松吉の体を斜めに引き裂いた。
「ごぼ」
松吉は多量の血を吐き出して、どうと倒れる。
「松吉!」
平太郎は叫びながら長大な斧を背後に回し、地面を引きずるようにして間合いに入った。
「山王流斧術! 破木撃山!」
ど、と巨体が飛び上がり、頭上に持ち上げた斧を堂島の頭目掛け振り下ろす。己の体重と落下速度を掛け合わせて強大無比な威力を発揮する一撃だ。
しかし堂島は、斧に比べれば子供のように思えてしまう刀を振るう。そうして先ほどと同じように刃は斧に絡んで弾いた。
飛ばされはしなかったものの、軌道を逸らされた一撃は地面と衝突した。雷が落ちたような音が響き渡り辺りを揺らす。
まさか己の一撃すら弾くとは思わなかった平太郎は茫然とした。
「平太郎殿!」
辰也の叫び声にはっとして、平太郎はすぐさま堂島を見た。
だが、時すでに遅し。
堂島が振るった刀が、平太郎の首を刎ねたのである。
頭部はごろごろと転がって、辰也たちの足元で止まった。
ハナが泣くように叫んだ。
「なるほど。その刀、意思を持つのか」
堂島は淡々と言った。とても人を数人殺した後とは思えない。顔色も変化がなかった。
辰也は堂島を無言で睨みつけた。
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