30 隠密襲来 三
「この味噌は土倉殿が作られたのか?」
辰也は魚の切り身を口に運んだ。痩せた身だ。脂も乗っていない。しかし味噌のおかげでそれなりに美味しく食べることができる。
「そうだ」平太郎は肯首した。「山王流の修験者に伝わる製法で作った。中でもこいつは手塩にかけて作ったものでな。自慢の一品よ」
「師匠は味噌を街で売ることで金を得ている。金持ち連中に良く売れていると聞く」
松吉はそう補足した。
「確かにこれなら売れるな」
「私もそう思います」と彩は言う。「ですが、泥棒に会わなかったのですか?」
「無論、泥棒はいたが、全て返り討ちだ」
食事をしながら会話を楽しむ。
辰也は味噌汁を啜った。
こういう時間は何やら久しぶりだ。そう思うと、辰也の口元に自然と笑みが浮かぶ。
「そういえば前から気になっていたのですが」
ハナが何やら尋ね始めて、平太郎が「どうした?」と聞いた。
「どうしてあなた方は蛇気に犯されないのですか?」
「ふふふ」平太郎は意味深に笑って懐に手を差し入れた。「それはだな、こいつのおかげだ」
取り出したのは数珠である。仄かに光って見えた。見れば松吉も同じように数珠を取り出している。
「こいつは樹齢五千年の大木から削り出して拵えたものでな。ハナ殿ほどではないが神気を宿している。こいつの神気が我らを蛇気から守ってくれているのだよ」
「なるほど」
そう辰也が頷いた時、何やら焦げ臭い匂いが鼻をついた。煙が漂っていることにも気付く。
視線を巡らせると、壁が燃えていた。
「火だ!」
辰也は大声で言って立ち上がった。他の三人も驚きながら腰を上げる。
「おかしい」辰也に握られたハナは緊迫した声を発する。「こんなところで自然発火なんて考えられない。でも、放火だとしても人の気配は感じなかった」
そうこうしているうちに炎が燃え広がった。小屋の中は煙が充満しつつある。
平太郎は長柄の斧を手にし、松吉が錫杖を持つ。彩は混乱しているのかおろおろとしている。
「あ! ひ、人だ! 人の気配が周りを囲んでいる!」
ハナが叫んだ。
間髪入れず、大きな音が響いた。平太郎が斧で壁を破ったのだ。人が通れるほどの穴が開いている。
「ここから逃げるぞ!」
平太郎はそう言って外に出た。続いて辰也たちも急ぎ抜け出す。
そこに襲いかかってくる黒装束の男が三人。
平太郎は斧を掲げて全て受け止める。そこに松吉と辰也が襲撃するも、三人はぱっと飛んで離れた。
そこにさらに、右から三人、左からも三人が瞬く間に距離を詰めてくる。
斬り結ぶ。だが数合打ち合っただけでまたも距離を取られ、間髪入れず別の六人が斬りかかってきた。彼らも少ししてから離れ、違う六人がすぐに襲ってくる。
怒涛の波状攻撃が繰り返される。
「こ、これは!?」
松吉が驚きの声を上げた。
「奴ら数の利を生かし、こちらを疲弊させる気か」
平太郎は、相手の狙いが長期戦だと看破する。
すぐに殺そうとせずに、短い期間の襲撃を交代しながら繰り返し、じわじわと体力を削ってきているのだ。相手の人数が多いからこそできる戦法。
そうして、完全回復していない辰也からすれば、今最も取られて欲しくない戦い方でもある。
「蛇剣衆とは思えぬ連帯だ!」
松吉は叫んだ。単独行動を好むはずの蛇剣衆がここに来て仲間と協力しあっている。その事実は意外と言う他にない。
「剣宮殿。大丈夫か?」
平太郎は横目で辰也を見て気遣う。
「大丈夫だ」
そう辰也は言うが、疲労は取れ切っていないことは誰の目にも明らかだ。辰也は攻撃を防ぎながら続ける。
「このままではじり貧だな。おそらく奴らの背後には、指揮を取っている何者かがいる。ハナ、どうだ?」
「……分からない。敵の気配が薄すぎる。蛇気も感じ取れない」
攻撃の切れ目を狙ってハナが伝える。
「強い一手が必要だな。現状を変化させる、強い手が」
しかしそれには問題がある。辰也は背後にいる彩を一瞥する。彩は小刀を持って身構えているが、恐怖で顔を引きつらせ、かたかたと体を震わせている。
思い切った手を打てば、非戦闘員の彼女が危険に晒されるだろう。だからと言って、色蛇街の時の様にどこかに匿っておくわけにはいかない。小屋はすぐ後ろで燃えているのだから。
「ならば俺が行こう」
と松吉が提案する。
「いやだめだ」
しかし辰也は頭を振った。
「なぜだ?」
「俺が行く。奴らの狙いは俺だ。ならば囮として俺が最も適任」
「いかん」平太郎は否定する。「お主は生きねばならぬ。この老いぼれこそが相応しい」
「ジャジャの首を取るまで死ぬ気はない」
「それでもだ。まだ体力を完全に取り戻していないのだろう? 危険な賭けをするでない」
そう言って平太郎は、襲いかかってきた二人の男を弾き返し、問答無用とばかりに前に進み出た。
「我は山王流修験者、土倉平太郎! お主らが滅ぼし回った修験者の生き残りであるぞ!」頭上でぐるりと斧を振り回し、大きく見栄を切る。「音に伝わりし蛇剣衆! その強さと言えば当代最強と名が高い! しかしその実、老いぼれと怪我人相手に十人以上で挑みかかる弱気者であ……!」
しかし蛇剣衆が六人、平太郎を無視して素通りし、辰也と松吉に襲いかかった。
「ま、待たぬか! 最後まで言わせい!」
必死に静止を求め辰也たちに振り返るも、背中を狙って三人が斬りつけてきた。
「甘い!」
即座に反転しながら斧を勢いよく振るう。防御すら間に合わないその速度に、三人諸共胴体から半分に裂かれた。
そうして平太郎は辰也たちと交戦している六人に向かう。彼らはちょうど辰也たちから離れるところであった。そこを不意打ち気味に斧が振るわれて、二人の頭が吹き飛んだ。
驚愕を隠せない四人の蛇剣衆はしかし、平太郎に反撃を試みる。だが内二人は辰也と松吉が背後から攻撃してあっさりと倒れ伏せ、残り二人も平太郎の斧の餌食となった。
平太郎の勢いは止まらない。すぐさま残りの蛇剣衆たちへと駆ける。
「師匠……台詞を言い切れなかったから怒っているのか……」
松吉は呆れ果てた様子で呟いた。
暴れ馬の如く斧を存分に振り回していく平太郎。複数で囲っているが誰も彼を止められず、ただただ蹂躙されている。
この状況下でも抜け目なく辰也たちに向かう蛇剣衆はいた。けれど数は少なく、先程までの連携は崩れている。包囲から逃れる好機であった。
「走るぞ」
襲ってきた蛇剣衆を斬り倒してから辰也が言うと、同じく殴り倒した松吉が「うむ」肯首する。
「良いか?」
続いて辰也は彩に聞いた。彼女は震えたまま何も言わずにこくりと肯く。
合図と共に駆け出す三人。もはや慣れたもので、登ってきた時と同じ陣形を何も言わずに自然と取った。松吉が先頭、真ん中が彩、最後尾が辰也だ。
平太郎は横目で彼らを見ると、
「弱い! 弱すぎるぞ! 蛇剣衆!」
笑いながら挑発する。自分に引きつけるように目立つためなのか、本当に楽しいのか、傍目からは判断がつかない。
だがともかく辰也たちは包囲から脱出した。追いすがる蛇剣衆を、片手間で処理する辰也の手際はさすがである。
「平太郎殿を残して大丈夫か!?」
辰也が尋ねると、
「大丈夫だ。師匠は殺しても死なん!」
という答えが松吉から返ってきた。
辰也たちは山を下っていく。すでに追手が来ていないのを確認し、徒歩に切り替えていた。
辰也が掲げ持っているのはハナだ。桜色の淡い光で周囲を照らしている。提灯や松明の明かりに比べれば心許ないものの、小さな光でもあるだけで心強い。照明代わりにするといつもならハナが文句を言うのだが、この緊急事態にまで言うつもりはないらしく黙っている。
また松吉も懐から数珠を取り出していた。この数珠も、ハナほどではないが仄かな光を放っている。
しばらく進むと左右を崖に囲まれた道に出会した。一人ほどが通れる狭さだ。一行は足を止める。
「他に道は?」
辰也が聞いた。
「ない」
松吉は即答する。
「仕方がないか」
「うむ」
足を踏み入れた。
より強く警戒し、足取りも慎重である。
やがて、
「いる」ハナは緊迫した声を発した。「前で道を塞いでいる」
気配は当たり前のように薄く、すぐに気付くことができなかった。それでもハナでなければ勘付くはできたかったろう。
「やはりか」
松吉は言う。辰也にも動揺はなかった。彩だけが怯えている。
さらに進むとハナの言う通り蛇剣衆が道を塞いでいた。全員で四人。
彼らは明かりを一つも持っていない。この暗闇の中、じっと来るのを待っていたに違いない。
連携が取れた集団戦。さらに逃げ出されたとしてもこの道に来るように誘導されていたのではあるまいか。
少なくとも二段構えの作戦である。今まで戦ってきた蛇剣衆たちならば作戦を練ることすらしなかったはずだ。思い込みからの油断があったのは間違いない。
異質な蛇剣衆である。それ故に手強い。
四人の蛇剣衆は刀を抜いた。それぞれ二本。刀身は短い。短刀である。それらを逆手で持っている。
横幅のない空間で長い武器は壁に引っかかり易く扱いにくい。だからこそ彼らは短刀を選んだのは明白。辰也たちがここに来ると予想し、準備をして待ち構えていたことの証左でもある。
「俺が行く」と松吉。「この狭さだ。俺の方がこの場に合っている」
「分かった」
辰也は素直に肯く。これまでの戦いで松吉の強さは分かっている。それに彼の言う通りここではハナを存分に振るえない。
蛇剣衆も一人だけがずいと前に出る。胸の前に両手を上げて構え、鋭い眼光を飛ばす。
松吉は錫杖を左手で半ばに持ち、前に掲げて構えを取った。
途端、相手は瞬く間に距離を詰め、左の短刀で横殴りに斬りつけてきた。錫杖で防ぐや、次の瞬間には右の短刀が下から襲いかかってくる。これも受けても、反撃する暇のないほどの連撃が繰り返し繰り返し放たれた。
一撃一撃は軽く、防ぐのは容易いが、相手の攻撃は的確に急所を狙ってきている。攻撃を受けながら強引に反撃することも出来ない。松吉は防御し続ける他になかった。
辰也はハナで照らしながら、残りの敵の様子に気付く。一人を足場にし、もう一人が上空へと飛び上がったのだ。
「上だ!」
大声で注意を促す。
声を受けた松吉は上をちらりと見るが、舌打ちをする。目前の相手がさらに激しい拍子で攻撃してくるからだ。その対応で手一杯。何よりも狭い空間では逃げることも容易ではない。
辰也は咄嗟にハナで斬り上げて、上から襲撃してきた敵を受け止めた。しかし敵は読んでいたのか、辰也の一撃による衝撃をむしろ利用して、中空でくるくると後転し易々と辰也たちの背後を取った。
そうして敵は背中から辰也に襲いかかった。
辰也は即座に振り返り敵の攻撃を受ける。だが敵の短刀による連撃はやはり素早い。辰也も刀で応戦するもどうしても小回りが効かず、防戦一方だ。
これが広い空間であれば、辰也ならば相手を斬れたろう。しかし岩壁に挟まれたこの場所では、刀身が引っかかって思い通りに振るうことができない。
二人の中間にいる彩は、岩壁に背を預け、構えた小刀を震わせながら、辰也と松吉を交互に見ていた。
「山辺!」
辰也が吠えた。彩は「は、はい!」と返事をする。
「その小刀を! それからハナを頼む!」
もう一度「はい!」と返事した彩は小刀を渡す。
受け取った辰也はすぐさまそれで相対している蛇剣衆の剣を受け止めつつ、ハナを差し出す。慌てて受け取る彩。
それとほぼ同時に、戦っていない蛇剣衆の二人の内一人が、またも土台となって、もう一人を上へと打ち上げた。
もはや一刻の猶予もない。
辰也は眼前の敵の懐へ踏み込んだ。頰が裂けるが気にしていられない。裂帛の声を上げ、空いている左手で敵の右手を抑えつつ、小刀で頸動脈を掻き切った。
噴出した血が壁を赤く染める様を見届けることなく振り返り、ちょうど上から襲撃してきた敵の一撃を体を横に逸らしてかわす。
間髪入れずに小刀を相手のこめかみに突き刺し絶命させた。
松吉と打ち合っている蛇剣衆は、辰也のあまりの手際の良さに驚きを隠せない。全力で攻撃し続けていたおかげで疲労もあって、動きが瞬間止まった。
その隙を逃す松吉ではない。
右拳を真っ直ぐに突き出した。太く大きな拳は相手の顔面にめり込んで、大きくのけぞり、鼻血が噴き出る。続いてもう一撃を同じ場所へ重ねて打ち込んだ。相手はあっけなく意識を失って、膝から崩れ落ちていく。
だが後ろにいる最後の一人がすかさず飛び込んできた。
松吉は体勢が整っていない。間に合わない。
その時、かっ、と小刀が敵の眉間に突き立った。動きを止めた敵は、そこから一筋血が流れたと思うや、ばたりとその場に倒れて事切れた。
松吉が後ろを振り返ると、辰也がいる。彼が小刀を投げたのだ。刀を振るう以外にも、このような技術を持っていようとは。
「早くここから出るぞ」
倒れた蛇剣衆から小刀を抜き取った辰也は、緊張感を滲ませた声で言った。
三人は急ぎ駆ける。
やがてハナの光が出口を照らしたかと思うと、
「いる」
と警告した。
三人は立ち止まり、顔を見合わせる。
「出口にか」
辰也が尋ねた。
「うん。それも一人二人じゃない。大勢だよ」
「出てきた所を一斉に襲うつもりか」と悟った松吉は、思案して、「……俺が突破口を開こう」
「しかしそれでは」
そう辰也が言い、続いて彩が続きを受け継ぐ。
「そうです。危険です」
「待って」とハナ。「後ろからも来る」
「師匠では?」
「……ううん。違う。気配が薄すぎてよく分からないけど、この気は間違いなく土倉さんのものじゃない」
となれば十中八九、蛇剣衆であろう。
「そ、それじゃあ……土倉さんは……?」
彩は衝撃を受けたらしく、動揺した声を発した。
「……分からない」
ハナは素直に答える。
「そんな……」
「心配は要らぬ」辰也は言う。「土倉殿は強い。あの程度の敵に遅れを取るとは思えん」
「その通りだ。師匠は死なぬ。それに危険であれば逃げるだろうよ。この山の中で師匠を捕まえられる者はおらん」
俺以外にはな、と松吉は付け足した。
「それよりも今は私たちの心配をしよう」ハナは優しい声音でいう。「蛇剣衆に囲まれているのは確かなんだから」
「うむ。ここはやはり前に進む他に道はない。それに、剣宮殿は俺が知る限り黒蛇ジャジャを討ち取れる唯一の人物。誰がいなくなろうとも、お主は使命を果たさねばならぬ。なればこそ、今ここで死なすわけにはいかぬ。ここはやはり俺が受け持とう」
「……すまぬ」
「礼など要らぬ。俺は酷く身勝手な頼みを言っているのだ」
「分かった。だが、死ぬなよ」
「この目で青空を一目見るまで、俺は死なぬよ」
そう言って松吉は、口角を上げた。
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