29 隠密襲来 二
「あなたが土倉殿でありますか」
辰也は布団の上で伏せたまま尋ねた。
「そうだ」
返り血で赤く染まったまま、土倉は鷹揚に肯く。
それから起き上がろうとする辰也を「良い。寝ていろ」と止めた。
「ハナから聞いたが、お主は桃源島の者なのだな」
辰也はハナをちらと見る。
「勝手にごめんなさい。だけど、野木さんの師匠だから信頼できると思って……」
「それは、構わないが……」
「それに」と土倉は言う。「お主らは出会い頭に寝倒れたからの。代わりにハナ殿が説明してくれたのだ。いやはや、さすがに面食らったぞ?」
「かたじけない。おかげで助かりました」
辰也は礼を言う。寝たままなのが心苦しい。
「気にするな。それに俺もお主に謝りたい。昔、桃源島の者たちがジャジャを討伐しに来たと言うのに、俺は見ているだけだった。いや、俺だけではなかった。他の修験者共もみな、見ているだけで戦おうとはしなかった。もしも加勢できていれば、もっと違う結果になっていたやもしれんというのにな……」
「それこそ気にすることはありません。対抗するための神気を宿した武器がなかったのですから、どの道敗北は必須。むしろあの時加勢しなかったからこそ、今俺がここにいることができたと言えるでしょう」
「……そう言って貰えると助かる」
「ところで、土倉殿には聞きたいことがあります」
「何かな?」
「当時、祖父も戦いに参加していました」
「ほう?」
「あの時、祖父の腕を斬り落とした者を知っておられますか?」
「腕を斬られた、と」
土倉は目を閉じて記憶を探った。
あれから土倉は、幾度となく思い返しては自責の念に囚われてきた。時には夢の中で記憶は蘇り、その度にうなされて目が覚めた。だから、昨日のように思い出すことが出来たのである。
「腕を斬られた者は、一人いたが、そうか、お主の祖父であったか」
「それで、一体、何者が」
「そう……あれは白髪の男で、蛇剣衆からは頭領と呼ばれていたが若かった。もっとも今でも生きておれば、恐らく老人であろうな」
「生きている可能性は、あると」
「ああ。確証はできぬがな。それにしても、お主の祖父はそれはそれは強かった。強者揃いの桃源島の者たちの中であっても突出していた。だが、あの白髪の男は、それを上回っていた。今思い出しても怖気が走る。あれは常人が辿り着ける境地ではない」
「それほどまでの敵が……」
「しかしあれほどの者は二人といまい。それに若き時ほどの力を有しているとも思えぬ。仮に当時程の実力者がいたとしても、お主には関係がないのだろう?」
「はい。相手がどれほど強かろうとも、俺は、黒蛇ジャジャを討つ。その事に変わりありません」
蛇剣衆の村。
頭領である堂島豊と、いかにも老人という風体の蛇辻蛇道が堂島の家の一室で向かい合っている。
二人の間には一本の蝋燭が立っており、それが唯一の光源だった。
「頭領は、随分と景山のことを気に入っておりますな」
蛇辻はにやりと笑みを浮かべる。
「そういうお主こそな」
「ふふふ。奴は祝福を受け入れられる実力がありながら、相応しくないと自ら断った男。だがそのおかげで、力に呑み込まれることなく、技を磨き上げたのです。奴の隠業の技は、祝福を受け入れていては決して身につかなかったでしょう」
「ああ。それにこの狂信的な蛇剣衆に身を置きながら、ジャジャに対する信仰心が薄いのも気に入っている。星の支配者に対する敬意は払っているが、景山はジャジャの使命を我先にと果たそうとしていない。蛇気の影響を受けにくい体質のおかげやもしれん」
「景山についてはその通り。私も同意致します。しかしそれにしても、ジャジャ、ですか」
「ふん。みなの前ならばともかく、貴様しかいないこの場所で、今更俺が敬称をつけてもジャジャにとっては白々しいだけだろうよ」
「私であれば良いと」
「今更であろう? 貴様は全てを知っているのだから」
「ふふふ」意味深に笑う蛇辻。「さてそれは、どうでしょう」
「そも俺は、お主を貴様と呼ぶべきではない」
「貴方様が頭領なのですからそう呼ぶべきでしょう。それに私は、貴様と呼ばれる方が馴染んでおります故」
「ふん。まあ、良い。ジャジャの操り人形に過ぎん俺にとっては、全てが無情だ」
「蛇巫女様。彼女もでしょうか?」
途端、堂島の全身から凄まじい殺気が滲み出た。蛇辻を睨みつけるその眼光は、相手によってはそれだけで失神してしまうほどの鋭さだ。
「……彼女に手を出してみろ。例え貴様であろうとも、千に切り分けてくれようぞ。俺の命がそれで尽きても構わぬ」
「……おお、くわばらくわばら」だが蛇辻は何処吹く風である。「しかし全てが無情というのは、やはり嘘でありましたな」
「ちっ」堂島は忌々しそうに舌を打つ。「貴様はやはり質が悪い」
「褒め言葉として受け取っておきましょうか。ところで話を戻しますが、景山は剣宮に勝てますかな?」
「さて、な。ただ景山の隠業を見破れるのは、蛇剣衆でも俺と貴様のみ。果たして剣宮にそこまでの技があるか。見物よな」
「仰る通り。楽しみでございます」
そう言って蛇辻は、闇の中に溶け込んでいき、姿形を消失させた。
しばし誰もいなくなった闇を見つめていた堂島は、ぽつりと呟いた。
「やはり貴様の隠業は、俺でも見破れぬな……」
暖炉の火にかけた鍋が、ことことと音を立てている。
「ふむ……。頃合いだな」
平太郎はあらかじめ用意しておいた碗に鍋の中身を注いだ。
そうして木張りの床上で座っている松吉や彩に振る舞う。もちろん布団の中で横になっている辰也にも。
上体を起こして受け取った辰也は、感謝してから中身を覗いた。赤褐色の汁の中に芋や山菜、それから魚の切り身が入っている。
「味噌汁か……。島以来だな」
辰也は感慨深そうに呟いた。
「桃源島の物とは天と地ほどの差があるだろうがな」と土倉は言う。「何しろここは日が射さぬ」
「それでも味噌汁が食えるだけでもありがたい」
「そうだな。そもそも味噌を拵えているところが少ない。それにお主は旅の身だしの。ささ、遠慮しないで食ってくれ」
「いただきます」
辰也が言うと、松吉や彩も追随した。
そうして早速一口口に含む。熱い汁が喉元を通り過ぎ、赤味噌の塩辛い味が口の中に広がった。
「やはり口に合わぬか?」
「いや。うまいですな。少なくとも旅で食べたものの中では一番です」
「それを聞けて安心したが、やはり桃源島の物とは似ても似つかぬか?」
「そう、ですね。しかし島は例外でしょう。比べるのも酷というもの」
「そこまでか」
「はい」
そう頷いて、辰也は匙で掬った芋を口の中に放り込んだ。よく煮えた芋は味もしっかりと染み込んでいて、一度噛むだけでほろほろと身が崩れる。
料理の腕は確かだと辰也は思う。これで桃源島で腕を振るえれば、さぞかし美味しい料理となろう。その事を思えば、実にもったいないことである。
「そこまで違うのですか? 正直今まで食べたことがないぐらい、すごく美味しいのですが」
匙を片手に持った彩は、考え込む様子で聞いた。
「残念ながら、違う。桃源島は日の光が射し、水も清浄で、土も栄養が多く、作物が良く育つ。だが蛇の空の下で育つ作物はどうしても育ちが悪い。これではいかに料理の腕がよくとも、桃源島ほどのものにはならない」
「ふうむ。ますます興味が湧いたぞ、桃源島」
話を聞いていた松吉がそう言うと、
「はい。私も行ってみたいです」
彩は辰也の顔を見て言った。
「俺がジャジャを斬り、蛇を晴らせる。その時にでも行き、俺の名を出せば、みな喜んでもてなしてくれるだろう」
「辰也様は、帰らないのですか」
「生きていれば、な」
「……そう、ですか」
沈んだ顔を彩は見せる。
「もう辰也。そこは一緒に行こうって誘わないと」
するとハナの声が飛んできた。
「だが……」
「確証はできないって? それでも、辰也は桃源島に生きて帰らないとだめなの。みんなと約束したんでしょう?」
辰也は目を瞑った。生きて帰ると確かに口約束をした。みんなの顔は、今でもありありと思い浮かべることができる。
「そう、だったな……」
ほっそりと目を縮め、視線を下に落として呟く。
その時だった。ぱん、ぱんと手を叩く音が聞こえてきた。音の方を見ると、平太郎が行ったのだ。
「そこまでだ。せっかくの食事の時に、辛気臭い話はなしだ。ほらほら、もっとたんと食え。おかわりもあるぞ」
平太郎は実に愛嬌のある笑顔を浮かべた。
木々に囲まれた山の中腹に景山はいる。
松明を掲げて周囲を見渡すが、視界に人は映っていない。
「集ったな」
だが景山がそう言うと、
「なぜ頂上から離れたここなのですか?」
どこからともなく声が聞こえてきた。
景山は少しも動じる気配がない。目に見えないが、木々のどこかに人が隠れていることに気付いているのだ。それも一人だけではない。大勢の人間が潜み隠れている。
「剣宮は大戸弘太郎を破った男だ。察知能力にも長けていると考えて良い」
姿が見えぬ誰かたちに答えてやる。すると驚きの声で木々がざわめいた。
「あの蛇擬態の使い手を!?」
「通りで奇襲にも対応できるはずだ」
「ああ」と景山は肯く。「だが今のところ俺の隠業は気づかれた素振りはない」
その事実に、誰もが息を呑んだ。彼の本気の隠業は、この場にいる者の誰も見抜けない。その凄まじさを知っているからこそ、一人として景山の言葉を疑わなかった。
「だがだからと言って油断はできぬ。奴はすでに祝福持ちを二人破っている。並々ならぬ強敵なのは間違いない。しかし、我らは蛇剣衆の隠密。最も自由な影たる存在。そこでお前たちにも働いてもらう。俺に従えぬと言うなら、この俺の首、取ってみるが良い」
その瞬間、景山の頭上から音もなく一人落ちてきた。
刃を抜き払い、落下の勢いを利用して斬りつける。しかし刀は空を斬った。
襲った男ははっとした。景山が消えていなくなっているのだ。気配もしない。
いったい何処に。左右をきょろきょろと見やる。すると、
「ここだ」
と景山の声がして、男は振り返った。景山は先ほど男の様に、上から襲いかかってきた。
男は慌てて斬り上げる。しかし刃は景山に擦り傷一つ付けずに空振りし、ほぼ同時に男の体が頭頂から股にかけて真っ直ぐに斬られた。
「……あ?」
赤い筋道が垂直に一本走り、だらりと血液が滲み出る。そうして男はばたりと倒れ、地面に赤い水たまりを広げていった。
「他には?」
平然と尋ねると、今度は誰も動かなかった。
頂上に再び登ってきた景山は、誰も外にいないことを確認すると、気配を完璧に殺して小屋に近づいた。
そうして、物音一つ立てずに小屋に油を撒いて離れる。
用意したのは弓と、油を染み込ませた布を先端に巻き付けた矢だ。その矢の先端に火をつける。
弓に火矢を番え、狙いをつけた。
この矢を射れば、もはや後戻りはできない。辰也を殺すか、それとも殺されるのか。
果たして景山は火矢を放つ。
見事に矢は壁に突き立ち、油の効果で一瞬で小屋が燃え広がった。
そうして、影山の背後から黒装束の集団が現れる。
「さあ、小屋から奴らが出てきた時、片っ端から殺し尽くせ。辰也の首も、落とせるなら落とせ!」
「はっ!」
蛇空の下、小屋が赤々と燃え盛る中で、蛇剣衆隠密との戦闘がこうして始まったのである。
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