28 隠密襲来 一
暖炉の火が小屋の中を暖かく照らしていた。
壁には仕留めた熊の毛皮や、長柄の斧、それから各種狩猟道具や防寒着が掛けられ、中を見る限りでは修験者というより狩猟者だ。
木の板が貼られた床の上で布団が三組敷かれ、剣宮辰也と野木松吉、それから山辺彩が寝息を立てている。
小屋の隅では、野木の師匠がその大きな身体を丸めて、男の握り拳よりもやや小さな鉢に入れた数種の薬草をごりごりと丁寧に磨り潰し続けていた。その傍らで、辰也の桜刀ハナが鞘に入ったまま立てかけられている。
「なんと! それでは桃源島から来たというのか!?」
「しー! 声が大きいよっ、土倉さんっ」
野木の師匠の名は土倉平太郎という。彼は思わず野太い声で驚き、ハナに注意された。
「す、すまん」平太郎は謝りながらも、薬草を磨っている手は止めない。「そ、それで本当にお主らは桃源島から来たのか?」
「はい、私たちはジャジャを倒すために桃源島からやってきました」
「ううむ。今日は驚く事ばかりだ。野木が久方ぶりに戻ってきたと思ったら、桃源島からの剣士に、喋る刀とは」
「それでみんなの状態はどうですか?」
「ふむ」
と、平太郎は考える仕草を見せて、眠っている三人へ視線を送った。
「女の方は極度の疲労によるものだろう。怪我はあるが、いずれも枝などで引っ掻いただけにすぎん。松吉の怪我は多いものの、どれも浅い。問題は……」
「……辰也ね」
「そうだ」と、平太郎は頷いた。「剣宮殿の傷は多い。だがそれ自体はまだ大したことはない。一番の問題は、蛇気による侵食だ。強い蛇気が乗った剣撃をいくつも受けたのだろう。それにより体が蝕まれておる。お主ら、一体何と戦ってきたのだ?」
「……蛇剣衆。それも祝福を受けた者と」
「なんと。しかし祝福を受けた者は正気を失う。島から派遣された桜花一刀流の使い手が、ここまでの傷を負うとは考えられん」
「はい。確かに正気を失っていた者は多かったです。ですが、蛇剣衆の特に強力な者たちは、祝福を受けながらも正気を保っていたのです」
「……なるほど。そうか、そういうことであったか。あの時桃源島からやってきた者たちは遅れを取ったが、それが事実ならば合点もいく。祝福で得た超常的な力を思うがままに行使できるというのなら敵わぬのも道理よ。むしろ今まで勝ち続けることが出来た剣宮殿が、凄まじい使い手であるな」
「はい。それに、今回は私もいますから」
「うむ。確かにお主からは強い神気を感じる。並の刀で戦っていれば、とうの昔にへし折れていたであろうな。それほどまでの傷だ」
と言った平太郎は、何かに気がついたのか、目を見開いてハナを凝視した。話をしながらも決して止めなかった手も止まっている。
「な、なにか?」
ハナは戸惑う。
「お主は……奇妙だ。お主からは、神気だけではない。これは……人か。人の気が、混じっているのか」
「……き、気のせいでは……?」
「いや……気のせいでは、ない。松吉には感じ取れんだろうが、俺には分かる。確かに人の気が混じっている。……お主、まさか」
「……私は、辰也と共に戦い、ジャジャを討つための刀です。それ以外の何者でもありません」
ハナの答えに、平太郎は悲しそうに目を細めた。
「そう、だな。今詮索しても意味なきこと。お主はジャジャを討つために必要不可欠な刀だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「はい。ありがとうございます」
「ただ……俺は己の無力さを痛感しているよ」
そうして平太郎は、手を動かすのを再開させた。
「どうかお気になさらないで下さい。私たちは自ら選んでここにいるんです。それよりも、辰也は治りますか?」
「うん? ああ。治るとも。というより、お主のおかげだな。お主の神気によって、剣宮殿の体は守られている。直接蛇気を体の中に放り込まれたせいで防げなかったようだが、徐々に浄化されている。剣宮殿が悪徳に走らないのも、お主の神気で守られているおかげだな。ただ暫く静養が必要だが」
「暫く、とはどれぐらいでしょうか」」
「分からぬ。剣宮殿の回復力にもよるが、一週間か数ヶ月か」
「……私たちは先を急いでいます。なるべく早くジャジャを討たなければなりません」
「こればかりは何とも言えん。それに万全の状態でジャジャに挑んだ方が良いと思うが」
「しかし……こうしている間にも桃源島が黒蛇に浸食され続けているのです。常世桜様のお力で守られていますが、それもいつまで保つか……」
「だがこのまま戦え続ければ、剣宮殿は死ぬぞ」
「そ、それは……」
「お主たちの事情は分からぬでもない。ならば数日休み、それから判断してみても良かろう。今はともかく剣宮殿をゆっくりと休ませることが要なのは、お主も分かっているはずだ」
「分かり、ました」
結局のところ、辰也が目を覚ましたのは、それから三日経ってからだ。
「剣宮様! お目覚めになられたのですね!」
弾んだ声を側で発したのは、彩であった。
「……山辺、か」と言って彼は、枕に頭を預けたまま周囲を見回す。「……ここは?」
「野木様の師匠、土倉様の家ですよ」
「野木の……。そうか、思い出したよ。頂上に着いたのだったな」
「はい」
彩の返事を聞きながら天井を見上げる。体は気怠く、あまり動く気になれない。
「辰也。起きたのね」
「ああ」
ハナの声が聞こえて、辰也は答える。横目で立てかけられているハナを確認し、安堵の息をゆっくりと吐いた。
「どれぐらい寝ていた?」
「……三日ぐらいだよ」
「そんなにか」
思わず驚いた辰也は、重たい体に鞭を打ち、強引に起き上がろうとした。
「ま、待ってください!」
彩が押し留めようと覆いかぶさる。
「しかし、俺は早く……」
「辰也様の傷は完治していません! まだ休んでいるべきです!」
「ハナ」
助けを乞うように辰也は言った。
「駄目だよ。辰也はまだ動ける体じゃない。今の状態で戦っても、死んじゃうだけだよ。そのことを一番よく分かっっているのは辰也自身のはずでしょう?」
「お願いします。剣宮様」
ハナが言うことは正論だった。それに彩の懇願している表情は今にも泣き出しそうなほど崩れかかっている。
辰也は起こし掛けていた上体を再び布団に沈め、長い瞬きをした。
ため息を吐くように声を出す。
「……分かった。そうしよう」
「ごめんね、辰也」
とハナが謝り、
「よかった」
と彩は安堵して、名残惜しそうに辰也から離れた。
「ところで、その土倉殿と野木はどこに?」
「今は……」と彩は神妙に言う。「蛇剣衆と戦っています」
「む?」
辰也は早速気配を探った。
確かにいる。五人だ。
「行ったら駄目だよ」
ハナの忠告が入る。
言われるまでもない、と辰也は思う。ここはあの二人に任せる他にない。
それに松吉は強い。彼の師匠なら尚更であろう。
「分かっている」
と辰也は答えた。
小屋の扉の前で、松吉と平太郎が陣取っていた。松吉は錫杖を握りしめ、平太郎は長柄の斧を手にし、目の前に並ぶ五人の蛇剣衆と睨み合っている。
この五人は、蛇姫の虜だった。
蛇剣衆は本来、単独行動を好む。というよりもむしろ、仲間と協力し合うのを嫌う。
例外は、自分たちよりも実力が上の存在に命令される時だろう。彼らも命は惜しい。逆らえば死が待っている状況で反発しようとは思わないのだ。
他に例外があるならば、蛇姫の虜になった蛇剣衆である。彼女の肉体を抱けるのなら、仲間との協力も厭わない。それほどまでに蛇姫の身体は蠱惑的で、麻薬のような中毒性があった。
だが蛇姫は死に、彼らは本来の任務である辰也を追った。
そうして、今この場にかち合ってしまったのである。
小屋の前に陣取る二人はこの五人にとって眼中にない。それよりもむしろ、他の蛇剣衆をいかに出し抜き、先に辰也の首を取るか。そのことにしか頭にない。
何しろ今は、実力においても遥か上をゆく蛇姫を討ち取った辰也が、負傷と疲労によって力を発揮できないのだ。このまたとない好機を逃す気はなかった。
故に、仲間同士で牽制し合っている。
先に出れば、間違いなくあの二人のどちらかと戦いになる。いずれも戦えば己が勝つと信じて疑っていないものの、戦っている間に他の誰かが辰也を倒さないとも限らない。五人が五人とも、自らが囮になることを嫌がっていた。
松吉と平太郎としては、数で勝る相手に対し下手に仕掛ければ、星の未来のためにも守るべき存在、辰也を殺されてしまうかもしれないのだ。それだけは絶対に阻止しなければならない。
じりじりと時間が過ぎていく中で五人は互いの顔を見合った。誰がが出るのを待っていても無駄だ。中にいる辰也に時間を与えるだけ。
ならばと五人は同時に前へ疾走する。
誰が二人の相手をするかは運任せ。とにかく先に辰也の元へ辿り着き、首を跳ねれば勝利の競争だ。
平太郎が進路を塞ぐように一歩進み出た。腰を深く落とし、斧を腰の高さで水平に構え、先端は真後ろへ。全身に力を漲らせて待ち構えた。
五人の見解は同じ。松吉が強敵なのは色蛇街で知っている。おまけに今まで素手であったのに、今回は錫杖を手にしているのだ。より手強くなっているに違いない。
平太郎の戦闘能力は未知数だ。体格はやたらと良いが、明らかに年老いた姿から、松吉よりも弱いと彼らは予測する。のっそりとした動きの斧をゆうゆうと躱し、一太刀入れて終わり。一瞬で済む。
五人は突き進んだ。
平太郎はかっと目を見開き、溜め込んだ力を解放する。
「ぬんっ!」
雄叫びと共に強く踏み込んで、一文字に斧で薙ぐ。
刹那、端にいた蛇剣衆は面食らった。簡単に避けれると思っていた斧が横腹に迫っている。
回避は間に合わない。咄嗟に刀で防ぐのはさすがだが、斧と接した瞬間に刀はあっさりと折れて、そのまま胴体も二つに分かれた。
斧の勢いは止まらない。
横にいた者も驚愕し、その表情のまま同じく分断され、さらにもう一人の体も半ばまで裂かれた。
そうしてようやく斧が止まった。
「ちいっ」
惨劇を横目で見、舌打ちをしながらも足を止めぬ残り二人。しかしその先には松吉がいる。
同じ蛇剣衆だけあって、互いの思考は一致した。
二人同時に上段に構え、直下に振るう。
かっと甲高い音が響いた。見れば松吉が、左手だけで握った錫杖で二人の刃を防いでいる。
「な!?」
「ぐ!?」
驚きながらも二人がかりで押し込もうと力を込める。だが錫杖はびくともしない。左腕一本に二人分の力で負けていた。
松吉はゆるりとした動作で右腕を振りかぶり、そのまま一人の顔面を拳で殴った。
ごつ、と鈍い音がして、鼻柱が潰れ鼻孔から血が吹き出す。衝撃で後ろによろめき、からんと刀を落とした。歯も数本折れて、涙目になりながら赤く染まった顔を両手で抑えている。
別の一人は即座に離れた。仲間の事態に呆気を取られながらも、尚も松吉に対し刀を振るった。
松吉は錫杖で刀の横腹を叩いて弾き、すぐさま手首を返して相手の側頭部を強かに打ち付ける。勢いよく横に倒れた彼は、二度三度と弾み、ようやく止まった時にはすでに息絶えている。打たれた側頭部は、見て分かるほど凹んでいた。
鼻を潰された男は怒りと激痛で顔を酷く歪ませて、自らの刀を拾い、不意を突いて松吉に斬りかかる。
だが松吉は冷静だった。ひょい、と避けて錫杖を脳天に叩きつけた。
頭部は陥没し、硬い岩の地面にそのまま倒れた彼もまた当然のことながら絶命した。
「全く、相変わらずの脳筋だな」
平太郎はそう軽口を叩き、
「……師匠には言われたくありませんよ」
と松吉が呆れながら返したのであった。
景山伸介は頂上に辿り着いた。
篠塚の遺体が道中にあり、急ぎここまで登ってきたのだ。
岩の地面の上に蛇剣衆の死体が五体転がっているが、そこは問題ではない。
黒蛇の空の下、一軒の小屋が建っているのである。
中からは複数の気配があり、恐らくは剣宮がいるのだろう。
襲うべきか。いつものように隠密に徹し、情報を収集するか。
景山は迷っていた。
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