22 眠らぬ街 五
娼館から抜け出した三人は街の中を何食わぬ顔で歩いていた。
このまま波止場亭に戻るわけにも、かと言って松吉の住処に行くわけにもいかない。きっと場所は知られている。
ならば、と松吉が提案した。
「こう言う時のための隠れ家が複数ある。そこに向かおう」
断る理由はない。辰也と彩は承諾し、松吉の先導に従う。
そうして何事もなく無事に着いたが、二人は驚きを隠せない。何しろ周囲はいかにも高級な住宅地で、松吉が案内した家もまた周囲に溶け込む様に立派なのだ。
特に驚いているのは彩で、何しろ最初に会ったのは貧困街の貧相な家である。今目の前にある家とは雲泥の差。
そのまま松吉は中に入っていくから、二人は恐る恐る足を踏み入れる。中は外観に見合う立派な玄関が設えており、靴箱も無駄に大きい。
戸を閉めて二人の顔を見回した松吉は、にやりと笑う。
「どうした?」
「その、本当にここが隠れ家なんですか?」と彩が尋ねる。「あそこの方が本当は隠れ家なのでは?」
「ここは少々立派すぎて、落ち着かんのだ。あの貧困街の家の方が落ち着く」
「……よく買えるだけのお金がありましたね」
「それはだな。以前格安で売られていたのを買ったのだ。もっともそれは怨霊を仕込んだからだが。はっはっは」
呆れた顔をする彩と不満そうにしている辰也。
「そう嫌な顔をするな、剣宮殿。この家の所有者は、そもそも悪徳な金貸しでな。まあ、悪徳でない金貸しなど見たことも聞いたこともないが、ともかく、その手腕の悪辣さといったら凄まじく、何人もの人を死に追い遣っていたのだ。仕込んだ怨霊は、そうして死んだ者たちでな。己が撒いた種というわけだ。もちろん購入した後で俺がしっかりと祓ったからそう心配めさるな」
それから松吉は二人を急かし、そのまま居間に向かった。中央には囲炉裏があり、それを取り囲む様に座布団が敷かれている。
松吉が勧めるまま、座布団の上に尻を落ち着かせた。
辰也は深く息を吐く。何しろ片時も休む暇もなく怨霊を斬り続け、今ようやくまともに休めたのだ。
それを見て、人知れず安堵したのは彩だった。誰が見ても疲労の色が濃い辰也を、それがたとえ僅かな時間であっても休めさせることができたのは僥倖だった。
「さて」と松吉が切り出す。「改めて自己紹介をしよう。俺は野木松吉。修験者をやっている」
「……俺は剣宮辰也。桃源島出身で、剣宮流錬気法と桜花一刀流を修めている」
「やはりそうか。あの桜花一刀流を使うのだな」
「それも知っているのか?」
「ああ。師匠は言っていた。黒蛇ジャジャを斬るのは、桃源島から来る桜花一刀流の使い手以外にいないであろう、と」
「しかし、昔にも一度ジャジャを斬るべく桃源島の者が差し向けれられたが、結局は果たせなかった」
「そのことも知っている。というよりも、師匠は実際にそれを目の当たりにしておった」
「……それならなぜ、桜花一刀流ならば可能だと?」
「そのことに答えるよりも先に、まずは師匠に代わり、謝らせてもらう。あの時、命を賭け、いや仲間の命を散らしながらも戦う姿を見ていながら、手を貸すことができず、申し訳なかった」
「……昔のことだ。俺がいたわけではなし、野木殿がいたわけでもない。気にするな」
「そう言ってもらえると助かる。何しろ師匠はずっと気に病んでおられた」
「その師匠は、今は?」
「今頃野山を元気に駆け回っているだろうよ」
「……生きているのか」
「しぶとくな」
くははは、と松吉は大口を開けて笑った。
「……その師匠に、一度会ってみたい。聞きたいことがある」
「師匠も会いたいと思うであろう。無事に街から出られた時、案内しよう」
「すまん」
「なに。大したことではない。それよりも先ほどの質問に答えねばな。なぜ桜花一刀流ならば可能だと思うのか、と言うとだな。開祖の剣宮竜刀が竜を斬ったと言う伝説だよ」
「悪しき竜の話か。驚いたな。ここでその話を聞けるとは」
「もっとも、伝説を伝えているのは、我ら修験者の他に知らんがな。だがとかく桜花一刀流は竜を斬った。ならば蛇も斬れるだろう、と師匠は考えている」
繰り広げている話は、彩にとってよく分からない話だ。けれど今の世において、それが異端であることは理解できた。そうしてそれを知ることは、もはや引き返せぬところに来ている様な気がして、寒気さえする。
けれど、今更な話でもある。彩は黙って聞いていることにした。それにこの話を彩の前で臆面もなくすると言うことは、それだけ認められているということなのだろう。そう考えると、不思議と嬉しい感情も湧き上がった。
「そして俺も斬れると考えている。いや、桜花一刀流が、ではない。お主だ。お主なら斬れると踏んでいる。根拠はある。お主のその刀、強力な神気を宿しているだろう? その上、実際にジャジャの抜け殻を斬って見せた」
「正直に言えば、本当にジャジャを斬れるのか不安もあった。だが、お主の言葉でいくらか和らいだようだ。感謝する」
「……だが、本当に斬るのか? 容易くはない。それこそ命を落とすやもしれん」
「俺の死と引き換えにジャジャを斬れるのであれば、安いものよ」
その言葉に、先ほどよりも強い寒気が彩を襲った。
「それは本当ですか!」
彩は声を張り上げた。二人の男は一斉に彼女に注目する。
「ああ」
と辰也は神妙に頷いた。
「私は!」弾ける様に、叫ぶ。「私は剣宮様に死んで欲しくありません!」
気づけば、彩はぽろぽろと涙を零していた。零していることに気付いていない様子だった。
「山辺……君は」
辰也は呆然と言った。
彩ははっとする。
「あ……私は……どうして……」
そうして、今更泣いていることにも気がついて、次々と落ちていく涙を手で拭う。
「あれ……なんで……泣いて……」
「山辺さん」
不意に少女の声がした。
「ぬ!」
驚きのあまり松吉が飛び上がり、身構える。きょろきょろと周囲を見回してあからさまに警戒していた。
「……すまん。こいつだ」
と辰也は言って、腰に差していた刀を鞘ごと前にかざす。
「か、刀だと」
「はい。はじめまして野木さん。私は桜刀ハナ。辰也の刀です」
「しゃ、喋る刀とは、なんと面妖な……」
思わず唖然とした松吉だったが、ハナは取り合わない。
「それよりも、山辺さん」とハナは優しい声音で言う。「あなたは辰也に死んで欲しくないのね」
「は、はい」
「そう……あなたは、辰也のことが好きなのね」
「好き……? 剣宮様の、ことが?」
「……うん。きっと……ううん。絶対にそう。でなければ、あなたはここまで着いて来ないでしょうし、死んで欲しくないなんて思うはずがないもの」
彩は口元に手を当てて、深く考え込んでいる様子だった。
「今すぐ答えを出す必要はないわ。でも、あなたのその気持ちはとても大切なものよ。大事にしてあげてね」
「……はい」
「ごめんなさい」とハナは謝る。「場を白けさせちゃったわね。どうぞ続けて」
「いやそれよりも!」と松吉が叫んだ。「刀が喋るなんて! 聞いてないぞ!」
「言ってなかったからな」
くく、と辰也が笑い、ハナも抑えた声で笑った。
「ぬぬぬ」
と松吉が唸る。その顔がなんともおかしくて、彩も思わず笑ったのだった。
「ともかく。今はこの街から出ることを考えましょう! 詳しい話は、それからよ」
と、ハナは言った。
「そうであった」と松吉は頭を掻いた。「ここもいつ見つかるか分からん。すぐにでも行動を起こさなければならん」
「だが、外から見たところ門は二つ。門番もいる。周囲は高い壁に囲われ脱出は簡単な話ではない」
と、辰也。
「門番を全て斬って強引に出れば良かろう」松吉は悪い顔をして辰也を見る。「お主ならできる」
「いたずらに殺してはジャジャと変わらん。殺しは最小限にするべきだ」
「つまり?」
松吉は聞いた。
「蛇姫、ならびに蛇剣衆。斬るのはそれだけに止めるべきだ」
「お主はこの街を分かっていない。蛇剣衆以外の街の者も蛇姫の手飼いのものだ。町長ですら形だけで、蛇姫の言いなりなのだ。見習いの童ですら、俺たちの敵であるといっていい」
「それでも……俺はなるべく殺したくない。いや、殺すべきではないと考えている。彼らはみな、ジャジャの被害者だ。悪い者ではない」
「甘いな。大甘だ」松吉は指摘する。「よくも今まで生きて来られたものよ。この街にくるまでに一体何人に襲われた? 無論、蛇剣衆以外でな」
「数え切れぬほど。だが俺が殺した者は、蛇剣衆以外には、運悪く祝福を受けた者と、元蛇剣衆と奴が率いていた一派のみ」
「ははは! お主の様な者を見たことがないぞ!」
「幻滅したか?」
「いや! 気に入った! ジャジャと戦おうと言うのだ。ならばジャジャが作る世に反抗せねばな! その方が面白い!」
「ふむ。しかしお主は、聞いていた修験者とは随分と違うな」
「ははは! それもそうだろう。街に降りた修験者は俺以外に知らぬ。俺は修験者の中でも変わり者なのだ」
「なるほど」
「……真面目な男だのお」
「それが私の辰也の格好いいところよ」と、ハナが言う。「馬鹿にするのは私が許さない」
「くくく、それは馬鹿にできんな」
「そうよ。末代まで祟ってやるんだから」
「それは恐ろしいの」
「あの」と気を取り直した彩が、手を上げる。「それで何か当てはあるのですか?」
「そうだな」と答えるのは辰也。「やはり蛇姫との戦いは避けられんだろう」
「うむ」
松吉がうなずき、
「そうね」
ハナも同意する。
「戦いは避けられないのですか?」
「恐らくは無理だろう。奴は蛇剣衆。その中でも上位に位置するほどの強敵だと見た。そのような奴が、俺たちをみすみす逃すとは思えん。それに肝心なのは、この街は蛇姫が支配しているという点に尽きる。つまりあやつを倒せば、少なくとも蛇剣衆以外は大人しくなるはずだ」
辰也は考える仕草を見せながら言う。
「俺も同意見だ」と松吉。「だが、蛇姫だけの相手でも大変なところを、他の蛇剣衆に邪魔されてはたまらん」
「懸念はそこだ」辰也は肯く。「蛇姫と他の蛇剣衆を同時に相手取っては、勝てる見込みは少ない。そこで、どうにかして俺と蛇姫とが一対一で戦える状況を作らなければならん。時に野木よ。お主はどれほど戦えるのだ?」
「そうだな。蛇剣衆と戦ったことのない身、どれほど通用するか分からぬが。俺もその辺の輩どもに遅れを取るつもりはない」
「ならば一つ、手合わせを願えるか?」
「そうだな。俺の実力を知ってもらう必要があるな。それに」
「それに?」
「俺の技がお主にどれ程通用するか、試してみたい」
にい、と松吉は不敵に笑った。
辰也も楽しそうに笑みを浮かべ、腰を上げようとしたまさにその時。
「それどころじゃないでしょ!」
ハナの怒りの声が炸裂した。
蛇姫は身体中から怒気を発しながら、二階にある広い自室の座椅子に腰掛ける。煙管を吹かすも、不味く感じて顔をしかめた。
側に仕えている二人の童は、はらはらしながら蛇姫の恐ろしくも美しい美貌を見つめている。
「集え!」
稲妻の如き号令に、どこからともなく虜にした蛇剣衆たちが集まった。
彼らが醸す異様な殺気に当てられて、二人の童は体の震えが止まらない。歯の根ががちがちと弾きあい、血が凍りそうな寒気で顔が青ざめている。
「剣宮辰也、並びにその協力者たちを絶対に生きて帰すな!」
辰也が彩と一緒にいることはすでに知っている。さらに彩があの松吉と行動を共にしているところを目撃したという情報もすでに入手していた。
蛇剣衆たちは一言も声を出さずに、不気味なほど静かに蛇姫の前から姿を消した。
二人の童はへたり込んだ。涙目になっている。
だが蛇姫は、そんな二人のことがまるで目に入っていない。
ただただ歯をぎりぎりと軋ませて、街を破壊し尽くしそうなほどの怒りを抑えていた。
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