21 眠らぬ街 四

 蛇姫がいる娼館の周囲は人通りが多い。

 あわよくば一眼だけでも見れないかと人々が集まるからだ。

 そのため相応に喧しいが、彩と松吉にとっては都合が良かった。喧騒に包まれていれば、二人が何を企んでいようとも気づかれにくいためである。

「修験者がどういうものなのか分かりませんが」と、彩は言う。「侵入する案があるのですか?」

「……ある。だが容易ではない」

「では、早速」

「いや、待て。まだその時ではない」

「今は一刻を争っています。こうしている間にも、彼は」

「ああ、そうだろうとも。だが、確実に侵入するために少し待ってほしい。絶対に助けたいのだろう?」

「……分かりました」

 ぼうっと待っていると怪しまれる。そうした理由で松吉は雑談をしようと提案する。

「お前はこの街についてどう思う?」

「そう、ですね。とても活気があると思います。一秒たりとも人が通らない時間はないぐらいに」

「そうだ。遊女や娼婦たちはみな、交代しながら働いておってな、街全体が眠らぬ時間がない。色蛇街は常に起き続けている。そうした構造を作ったのは他ならぬ蛇姫だ」

「すごい方ですよね……」

「それには同意せざるえないな。蛇傀列島においては蛇巫女様に次ぐ知名度だろう」

「疑問に思っていたのですが、あなたはなぜこの街にいるんですか?」

「この街はあらゆる人を受け入れる。俺の目的を分かっていながら、蛇姫は何もしてこないのがその証だ。俺には何もできないと思っているのか、あるいは俺のことを楽しんでいるのか、そもそも眼中にないのか。ま、どうせ最後だろうがな。だがまあ、俺にとっては都合がいい。おかげでただの変人で済んでいる」

 まるで自分は変人ではないと言っている様な物言いである。

 その後も適当に雑談を繰り広げる二人であったが、さすがに彩は焦りが見えている。何しろ松吉は、策があると言いながらもどういう策なのか一向に教えないのだ。もちろんこんな所でする話ではないだろう。けれど彩の胸中では疑念が渦巻いてる。本当は何も策がないのでは? そう思えて仕方がない。

 彩の不安をよそに、松吉は声をあげる。

「お! 蛇姫様だ!」

 喜んでいる様な声だが、表情は少しも笑っていない。それでも彩は反射的に松吉の視線を目で追うと、言葉通り蛇姫が自らの娼館から出てきた所だった。周りの人々は松吉の声につられて目を向けた。

 すると一転して周囲は歓声に包まれて、一歩でも近くで見ようと群衆が集まってくる。

 そうした中、

「行くぞ」

 松吉が小声で呟いて彩の手を引っ張った。

「え」

 驚きと共に従う彩。二人の足は娼館の裏へと向かう。

 ごみが錯乱した裏の道は狭く汚らしいが、松吉は何一つ気にするわけもなく進んでいく。彩も彩で、汚さに対して気にした素振りを見せないが、思いの外松吉の歩く速度は早くてついていくのがやっとだった。

 そうして向かった先は娼館の裏口である。けれど引き戸に鍵がかかっているらしく動かない。松吉は至極冷静に、懐から先が曲がった細い棒を取り出して戸の鍵穴に差し込んだ。かちゃかちゃといじり始めたと思うと、すぐにかちんと音が鳴って戸をあっさりと開けてしまった。

「静かにしろよ」

 小声で忠告する松吉に、彩はこくこくと頷く。

 松吉がそっと中を伺ってから、忍び足で娼館に入った。

 静かだ。物音一つ聞こえない。他に誰もいなくともおかしくないと思えるほどに。

 けれど通路の角の手前に来た時だった。松吉がさっと手を突き出してきて、彩を静止させて来た道を戻らせた。

 それからすぐに軽い足音が聞こえてきた。少女が歩いてきたのだ。彩の心臓がばくばくと鳴いている。しかし幸いなことに、二人の存在に気づくことなく、少女は角より手前にある部屋の中に入って行った。

 ほっと安堵しながらも、やはりいつ見つかってもおかしくないと身を引き締める彩。

 それにしても松吉の足取りに迷いはない。剣宮様がいる場所に見当がついているのだろうか。不安になりながらも彩はひたすらついていく。

 松吉は不意に長い廊下の中腹で立ち止まった。そこはちょうど一枚の木版画が飾られている。黒蛇が悪神を撃退している所を、迫力ある大胆な構図で描いた流行の絵で、彩も他の所で見た覚えがある。松吉はその木版画をじっと見つめている。

 そんなにもこの絵が気に入ったのだろうか。だが今はそれ所ではない。先を急ごうと伝えるため、袖を引っ張るために彩は手を出した。

 その時である。松吉は木版画周辺の壁を軽く叩き始めたのだ。

 彩は度肝を抜かれ、思わず出しかかった手を引っ込めた。まさか、いやそんなような気はしていたが、彼は心底頭がいかれてしまっていたのか。

 しかし松吉はにやりと笑むと、「やはりな」と呟いて木版画のすぐ横の壁を押した。

 するとどうしたことか、壁がくるりと回り、松吉は中へ入って行ったではないか。

 再び度肝を抜かれる彩。壁を見れば、同じ木版画がかけられている一見して普通の壁だ。

「どうした、早く入ってこい」

 松吉が中から急かしてくる。

「はっ、はい」

 恐る恐る手を伸ばして同じ様に壁を押した。僅かな抵抗感を感じながらも、壁は動く。そのまま足を進めて中に入ると、火を灯した燭台を持つ松吉の姿が浮かび上がった。

「驚いたか? この燭台はちょうどそこの壁にかけられていたのだ」

 いたずらが成功した子供みたいに、松吉は笑う。

「驚きました。まさかこのような仕掛けがあるだなんて」

「ふっふ。さっきこの街にいる理由を聞いたな? 実は他にも理由があってな」

「は、はあ」

 彩は話が見えなくて困惑している。

「蛇姫こそがジャジャに通じていると踏んでこの街に滞在しているのだよ。それでジャジャの情報がないか調べるため、この娼館には何度も忍び込んだ。それで気づいた。この娼館の間取りなら、ここには部屋があるはずだと。壁に何か秘密があるのではないかと思っていたが……当たりだったな」

 さて、と松吉は先を見やった。階段が下へと続いている。

「ここから先は何が待っているか分からん。だが俺の勘が正しければ、恐らくはこの先に……」

「……剣宮様がいると」

「引き返すなら今だ。命の保証はできん」

「いえ……私も行きます」

「いいのか」

「はい。もう決めたことですから」

「ならば、行こう」

「はい!」


 一段、一段、降りていく。闇の中に落ちていくみたいだ、と彩は思った。

 とても暗く、どこまでも見通せない階段は、もしかしたら終わりがないのかもしれないとさえ思う。

 不安と恐ろしさで足が竦みそうになるが、前を降りていく松吉は微塵も恐怖を感じていないようだった。

 変な男だ。その感想は今も覆っていない。だがこの怪しげな男を頼ったのは正解だった。彩一人だけならここに辿り着くことなく、蛇姫に見つかって殺されるか一生飼い殺しにされていただろう。

 それにしてもこの男はなぜジャジャ様に反逆を企てたのだろうか。彩は尋ねてみた。

「ジャジャの天下は自由を掲げているな」

 と松吉は答える。

「はい」

「ならばジャジャに反逆するのも自由というわけだ。だがそれをしようとする者はいなかった。ならば俺がやってやろう、そう思ったのだ」

「そ、そんな単純な理由なんですか?」

「そうだとも」

「……剣宮様とは随分と違うのですね」

「そういえばその剣宮は、何故ジャジャを倒そうとしている?」

「はい。なんでも、悪い因果を断つためだとか」

「……悪い因果」松吉は何やら考える素振りを見せて「剣宮の出身はどこか聞いているか?」

「具体的には何も。ただ、ここよりも遥か遠くにある村から来たと。その村はみなが助け合うのが普通なのだと言っておりました」

「みなが……助け合う、だと。確かにそう言っていたのか?」

「はい。確かにそう言っておりました。本当に珍しい方ですよね」

「そうだな。珍しい。この世界においてあり得ないほどに、珍しい」

 そうして松吉は、「まさか……だが……他に」と何やらぶつぶつと呟き、ついには黙りこくって考え込んでいる。喋りかけるのをはばかれるほどで、不安を紛らわすために話をしたかった彩だったが、こうなれば口をつぐむ他になかった。

 と言えども、幸いなことに、それから数分ほどで階段は終わりを迎えた。

 足元はごつごつした岩肌だ。娼館の下にまさかこの様な空間があろうとは誰が思うだろうか。

 しかしそれよりも二人の耳目を集めたのは、目前の光景だった。

 黒い格子の向こう側、桜色に輝く刀を振るう一人の男の姿。対峙するはおどろおどろしい人の形をした人ではない足のない何か。それが大勢群がって、男に襲っている。

「剣宮様!」

 彩は叫んだ。

「その声は山辺か!」

 返事をしながらも、振り向く余裕がないらしく辰也はただ刀を振るっている。

「おお! 何と素晴らしい刀か! 神気に満ちている!」

 松吉は感極まった様子だ。

「誰だ!?」

 と辰也は大声で尋ねる。

「これは失敬した。俺の名は野木松吉。修験者だ」

「修験者だと?」

「とは言え、ここでじっくりと話をするには怨霊共が騒がしすぎる。どれ、俺が一つ鎮めてやろう」

 そう言って松吉は、持っていた燭台を彩に預けると、懐に手を突っ込んで数珠を取り出した。

「できるのか?」

「無論。我ら修験者は怨霊共相手ならば手慣れたもの」

「そう言えば、聞いたことがあるな」

 辰也は怨霊を斬り払いながら言う。

 それには取り合わず、手指に数珠を絡ませ、ぱんと手を合わせた松吉。

 目を閉ざし、深く集中する。

 すると数珠がほのかに白く光り始めた。それは桜刀ハナよりも弱々しい光。けれど確かに光っている。

 彩は固唾を飲んで見守る。怨霊を鎮めることができるのか、本当のところは半信半疑だ。だが今頼りにできるのは松吉のみ。彩は己が無力であることをどうしようもないほど知っていた。

「オン」

 松吉は、唱え始めた。歌を歌う様に抑揚がついている。聞いているだけ引き込まれていく感覚が彩を襲った。

「アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ ジンバラ」

 鬼気迫る表情を浮かべる松吉。太い腕に太い血管が浮き出て、汗がたらりと流れていく。

「ハリバタヤ」

 目をかっと見開いて、数珠を前にかざした。

「ウン!」

 瞬間、辰也の目の前にいる怨霊たちが光に包まれた。そして怨霊たちの姿形が消え去っていく。

 辰也は目を剥いて驚きを隠せない。なんと怨霊たちが、復活してこないのだ。まさかこれほどまで強力な術とはさすがの辰也も思わなかった。

「これは……凄いな」

 思わず賛嘆した辰也に対して、松吉は不満そうである。

「……お主が剣宮辰也か?」

 辰也は振り返った。

「そうだ。お前は?」

「俺は野木松吉。すまんが、やはりこの場所では押さえ込むので精一杯だ。成仏までは至らなかった。術を解けばすぐにでも復活してしまうだろう」

「いや、助かった。それにしても凄まじいな。昔、修験者について聞いた覚えがあるが、実際に目の当たりにするとこうも格が違うとは」

「修験者を知っているのか?」

「ああ。昔、村の神主に聞いたことがある。もっとも、その者も伝え聞いたことを俺に聞かせただけで、実際に見たことはないそうだったが」

「……山辺から話を聞いた時から気になっていた。お主はもしや、桃源島の者か?」

「知っているのか?」

「ああ。と言っても、俺もお主と似た様なものでな。師匠から聞いたのだ。無論、師匠も桃源島を実際に行ったことはないのだがな。さて、話したいことは山ほどあるが、ここで長居するのも危険だ。術もいつまでも持たせられるわけではないし、いつ蛇姫が戻ってくるか分からぬからな。だが……」

 松吉は格子を見た。奇怪な格子であった。扉はついておらず、どこからも出ることは叶わないようだ。

「何か仕組みがあるのかもしれん」

 と辰也は言う。

「なるほど。しかしこれでは少々手間取るやもしれん。お主、この格子を斬ることができるか?」

「怨霊を相手する合間に斬ろうとはしたが、傷一つ付かなかった。なんでもこの格子はジャジャの抜け殻を用いていると蛇姫は言っていた」

「ぬう。仕方ないか」

 と言って、松吉は周囲を観察しようとしたが、

「いや、待て」

 辰也が止めた。

「なんだ?」

「これを斬れれば、ジャジャも斬ることもできよう。そこで一つ、試したい技がある」

「ほう。あい、分かった。離れていよう」

 松吉と彩は牢屋から離れた。

 それを確認すると共に、辰也は深呼吸して格子と対峙する。

 目を瞑った。より深く集中し、意識は己の内面へと向かう。体内を巡る気を練り上げていく。

「剣宮流錬気法、禁術」

 目をゆっくりと開く。

 上段に構えた。

「散り桜」








「なっ!?」

 娼館に戻ってきた蛇姫は、早速牢屋の様子を見に行った。

 しかし、格子は二筋の斬撃によって破られ、斬られた柱が散らばっている。当然ながらそこに辰也の姿はない。

「くくく」

 蛇姫は、湧き上がる感情のままに笑う。

「はははははは! まさか! まさかジャジャ様の抜け殻の格子を本当に斬るだなんてっ!」

 一転、蛇姫は静かになった。表情がすっぽりと抜け落ち、北国の水の如く冷たい眼差しをもぬけになった牢屋に向ける。

「殺す!」

 蛇姫は、美しい顔面に幾重にもしわを刻んで、憤怒した。

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