23 眠らぬ街 六
「露払いを本当に任せていいんだな?」
「ああ。任されよう」
辰也の問いに松吉は鷹揚に頷いた。
「だが本当に素手で戦うつもりか?」
「うむ。どの道、俺の武器である錫杖は目立つ故、山に置いてきた。刀や他の武器はどうにも合わなくてな。素手のほうがしっくりくるのだ」
「彩もすまぬな。お主を護衛するはずが、俺の問題に巻き込んでしまった」
「そのお言葉だけで十分です、剣宮様」
「蛇姫を倒すまで、ここで大人しく待っていろよ」
「はい」
「では、行こうか」
「おうっ」
「行ってらっしゃいませ」
松吉の隠れ家から外に出た。
ガス灯で照らされた道の上を幾人も通り過ぎていく。表面上はいつもと変わっていない。しかし静かに、戦いの火蓋が落とされている。
彼らは足を踏み出した。堂々とした立ち振る舞いで、とても蛇姫と敵対しているとは思えない。
「しゃあっ!」
そうして唐突に、屋根から男が飛び降りてきた。手に握っている刀で、辰也に向かって落下の勢いを利用して斬りかかる。
しかし辰也は平静そのものだ。視線を送るだけで動こうとしない。
代わりに動いたのは松吉だった。
飛び上がり、相手の刀を手の甲で受け流し、顔面に拳を叩きつけた。男はそれだけで気絶したらしく、何もできずに地面に落ちた。一瞬遅れて着地する松吉。
周囲の人々が悲鳴を上げ、その場から距離を置く。
辰也はそうした状況でも気にせずに、松吉の手腕に感心していた。
「なるほど。手に気を集中させて硬化させているのか」
「さすが、一眼で見抜いたか。その慧眼の通りだ。さすがに刀の真正面から防ぐのはできないが、横腹を叩く程度ならこれで十分。ところで、さっきのが蛇剣衆なのか?」
弱すぎる、拍子抜けだ、と松吉は言う。
「そうだ」と肯く辰也。「だがあの程度だと思って油断していると、痛い目に合うぞ」
「なるほど。確かにただ一人だけで判断するのは尚早か。どれ、次も来たぞ」
言い終えた直後、松吉は素早く反応し、横から襲ってきた男のこめかみを殴打した。相手に刀を振るわせる隙すら与えない電光石火の一撃である。この男もまた一撃で昏倒した。
人々はみな戦いに巻き込まれるのを恐れ、遠巻きに眺めていた。自ら堂々と現れ、相手の襲撃を誘ったのは、これが狙いであった。
騒ぎを知り、蛇剣衆が次から次へと集まってくる。その一人一人を松吉は倒していく。
だがいかに松吉が強くとも、さすがに彼一人では手に余る。
群衆から抜け出た二人が、両脇から同時に襲いかかってきた。
一人は松吉が相手をし、もう片方は辰也が居合い抜きで引き裂いた。
「すまぬな」
謝る松吉。蛇姫との戦いに備えるため、辰也をなるべく温存させる必要があるのだ。それに、地下の牢屋で亡霊を斬り続けた時の疲労は完全に抜け切っていないに違いない。
「気にするな。いつものことだ」
しかし辰也はおくびにも出さない。
「全く大した男よの」
松吉は飛ぶ様に跳ねて、上から飛び降りてきた蛇剣衆を殴り飛ばした。体型こそやや太っている様に見える彼だが、見た目に反してその動きは敏捷だ。
襲ってくる蛇剣衆を返り討ちにしながら、二人は進んでいく。
「剣宮辰也、発見いたしました」
蛇姫の前で、男は居場所を報告する。彼は蛇剣衆ではない。蛇姫が虜にした男だ。元は盗賊で、恐れ多いことに蛇姫の家に盗みを働いたのである。並みの者なら気づけぬ隠業の技とわざわざ蛇姫の家で盗もうとした度胸を気に入った蛇姫は、その手腕であっさりと籠絡したのだった。
蛇姫は嬉しそうに口角を上げる。
「やはり、蛇剣衆共は戦っているか?」
「はい。蛇姫様の命令がありますのに、彼らは本当に」
「よい。元より蛇剣衆とはそういうものだ。それに私なぞよりもジャジャ様の命を優先するのも致し方ないというもの。このためにお主らも街の仲間に引き入れたのだからな。それに、あやつら程度では歯が立たないであろう?」
「おっしゃる通りです。今のところ傷一つ負わせられておりません」
「うむ。剣宮辰也の力量を図るため、以前あえて三人を送り込んでやった時があったが、その時も呆気なく斬られたそうだ。蛇剣衆の下っ端程度では、敵う相手ではない。奴を勧誘したのは間違いではなかった。しかし、少々おいたが過ぎたな」
「……はっ」
「奴は、この蛇姫が八つ裂きにしてくれるっ」
辰也と松吉の周りには、倒れ伏した蛇剣衆たちが呻き声を上げている。中には事切れた者もいて、赤い血を垂れ流し続けていた。
遠巻きに見つめている群衆は色蛇街の住民や、遊興に来た者だ。彼らは青ざめた顔で辰也と松吉を見つめている。
「蛇姫様だ! 蛇姫様が来たぞ!」
張り上がった声には喜色が含んでいた。
群衆は騒ぎながら道を開ける。そうして出来た人垣の間を蛇姫がゆっくりとした歩調で歩いてきた。周囲の声は蛇姫を称賛し、辰也と松吉を倒すことを期待している。
「どうやら俺たちの味方はいないようだの」
松吉は群衆を見やると、やれやれとばかりに呟いた。
「この世界においては、俺たちは悪でしかない」
「それもそうだ。ところで、本当に一人で戦う気か?」
「ああ。お前には邪魔が入らぬ様に頼みたい」
「心得た」
やがて、蛇姫は辰也の前に立った。
朱色に黒い蛇がうねうねと這い回る様子が描かれた着物。腰にぶら下げた刀も、朱色の鞘に朱色の柄。冷然とした顔と瞳は針の如く鋭い。ガス灯が作る強く濃い影と、赤みが差した白い肌が相まって、息を呑むほど美しかった。
だが、静かな様相からは想像できぬほど、全身から放たれている殺気は凄まじい。びりびりと肌が痺れを感じるほどである。
「蛇剣衆、蛇姫こと、佐々英美香」冷たい声と共に鋭い視線が辰也に突き刺さる。「剣宮辰也、誅殺致す」
蛇姫は、ゆるりと刀を引き抜いた。
辰也も、血に濡れた刃を中段に構えて向ける。
同じ歩幅で歩み寄る両者。
一歩。
二歩。
三歩。
動いたのは同時。共に袈裟懸けに振るった。
がっ、とぶつかり合う。
蛇姫は鍔迫り合いには付き合わなかった。そうそうに刃を引き、脳天目掛けて振るう。
受ける辰也。
刀を振り合う。剣戟の音が響く。幾度も幾度も繰り返す。
群衆は剣宮を斬れと囃し立てる。大声をあげて懇願する。
人々は辰也が色蛇街の敵だと理解していた。本命は街の支配者たる蛇姫だと分かっていた。蛇姫を失えば、色蛇街も終わってしまうかもしれない。そうした不安が、蛇姫を味方する。
蛇姫を味わった男どもは、その味を失いたくなくなかった。また味わいたかった。だから辰也は敵だった。
遊女たちにとって、ここは居場所だった。残酷で、凶暴な男たちから唯一守ってくれる街はここだけだった。ここを失ってしまえば、また男たちの暴力に晒される。理不尽な目に死ぬまで会い続けるやもしれない。
「殺せ! 殺せ! 殺せ! 剣宮を殺せ!」
群衆は血相を変えて声を張り上げる。腕を振り、髪を乱しながら蛇姫を応援する。
この場にいる辰也の味方は松吉のみ。だが松吉は静観している。声を上げることなく戦いの場を見守っている。しかし気を抜いているわけではない。他の蛇剣衆や街の人間が辰也の邪魔をしないとも限らない。それを防ぐために目を光らせている。
刀で激しく打ち合う辰也と蛇姫。互いに一歩も譲らない。しかし未だ両者は技を使っていない。
辰也は蛇姫を警戒し迂闊に踏み込めないのだ。蛇姫が使う蛇剣術。それは果たして如何なる技か。見極めなければ命に関わる。
そして、蛇姫の蛇気が膨れ上がった。
ついに技が来るのか。
だが剣戟は続いている。溜めを作る暇などない。
来ないのか。あるいはただのこけおどしか。
剣戟の最中、蛇姫は横に振るってきた。一見、ごく普通の一撃。
しかしその時違和感があった。蛇姫から発する強い殺気は二筋。
二筋の内一つを走る蛇姫の刀。辰也は咄嗟にハナで受けるため身構えると同時に怖気を感じた。ちょうどそれはもう片方の殺気だった。
反射的に辰也は腰を僅かに逃す。
衝撃を感じた。それも二つも。
刀と。
脇腹に。
「ぐぅっ」
呻いた。すぐさま後ろに飛んで距離を作る。
激烈な痛みが生じていた。
熱さすら感じる。
思わず手を当てるとじっとりと血で濡れていた。
辰也は訳がわからなかった。
「ちっ。浅かったか」
蛇姫は悔しそうに舌打ちする。
「こ、これは……?」
戸惑う辰也を他所に、蛇姫は距離を詰めてきた。
再び始まる剣戟。苛烈な刀の応酬は休まる暇がない。
だがその最中、胸と頭部を二筋の殺気がまたも辰也を突き刺し、その内一つを蛇姫の刃がなぞる。
今度は身を翻し、避ける辰也。刃は確実に回避したが、頰が裂けて血がたらりと垂れた。
「またっ!」
蛇姫は叫びながらも刀を繰り出す。
それに応えながら辰也は考える。
相手の攻撃の正体を。
蛇剣術なのは間違いない。いかなる技かが重要だ。
そしてまた二筋の殺気。辰也は両方を受け止められる様にハナを動かす。
二つの衝撃が同時に来た。柄は手放さなかったが後ろに弾かれる。
「くっ!」
好機、とばかりに蛇姫が間髪入れずに攻めてきた。辰也は頭を逸らす。額が浅く斬れた。
なおも蛇姫が迫る。今度は左の二の腕に傷ができた。
致命傷は避けているものの傷が増えていく。
再度の二筋の殺気。
踏み込み、後ろへ小さく飛んで交わす。二振り分の風切音を辰也の耳が捉えた。
追う蛇姫。繰り出される二筋の殺気。辰也は力を込めて二つの衝撃をハナで受け止めると今度は耐えた。
「どのような術理か分からぬが。その技は透明な刃を作り出すのだな」
はっとして、蛇姫は辰也から離れた。忌々しそうに辰也を睨みつけている。
「……そうだ、その通り。これが、これこそが、蛇剣術双蛇」
外の喧騒は熱く、狂気的ですらあった。
火が点いていない囲炉裏の前で、正座で聞いているのは彩である。
蛇姫が優勢なのか、群衆は歓声を上げている。
殺せ殺せの大合唱を聞くたびに、彩の胸中は不安で重く騒ぐ。
やはり自分はどうにかなってしまったのだろうと彩は思う。
ハナが指摘した通り、辰也のことが好きになってしまったんだろうか。
男のことを好きになっても良いことなどないのに。その例は、他ならぬ彩の母親だった。
だから、男のことを好きになるはずがない。
好きになっていいはずがない。
しかしならばどうしてこんなにも不安になるのだろうか。
どうしてこんなにも死んで欲しくないと願うのだろうか。
なぜ今すぐ立ち上がり辰也の元に駆けつけたいと思うのだろうか。
けれどそれはできない。今行けば、絶対に足手纏いになる。それどころか弱い彩のことを人質に取るかもしれない。そうでなくとも、彩を守るためにこちらに気を回すことになってしまう。
彩を守るために己を犠牲にして死ぬ姿が明確な映像となって頭に浮かんだ。
嫌だ、と思った。
とすればやはり、ここにいるしかない。辰也と松吉が注意を引き付けている間ならば、ここは安全なのだ。
そうして自分は本当に辰也のことが好きなのか。自問自答を繰り返す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます