11 田吾作の剣 その一

「おらに剣術を教えて下せえ! お侍様!」

 小汚い男が剣宮辰也に土下座で頼んでいる。下はただの地面。それも踏み固められた地面であり、小粒の石がそこら中で落ちているような場所であった。さらに言うなれば、辺りには気絶した男たちが倒れていて、馬の蹄の跡も複数ある。馬が一頭も見当たらないことから一匹残らず逃げ出したのだろう。

 ともかくこの異様な状況に、辰也は眉一つ動かさずに男を見下ろしている。

 他から見れば冷徹に見下しているかのように見えるだろうが、常に辰也と共にいる桜刀ハナからすれば違う。辰也は何と反応すれば良いかよく分からず戸惑っているだけである。助け舟を出そうと思うも、自分が喋る刀であると容易に明かすわけにもいかない。そもそもハナ自身も戸惑っているのだった。






 果たして何故こうなったか。

 辰也は森を出た後、半日ほど休んでから道を進み、村を発見した。

「村だよ、辰也」

 弾むような声をハナはあげた。きちんと休めない辰也に一時の暇を与えることができるかもしれないし、まともな食料も手に入るかもしれないと期待したのである。

「ああ」

 だがとうの辰也はどうも気乗りしない様子である。足を止めて遠くを見渡し、迂回する道のりを探している様子だ。ハナはその理由に心当たりがあった。

「もしかして、またジャジャに操られるかもって思ってない?」

「そうだ」

 と肯定する辰也。

「多分、大丈夫だよ」

「多分?」

「だって行く先々で村人全員を操って、その度に全滅させるのはさすがにジャジャも望まないと思うんだ」

「そうだといいんだが……」

 しかしやはり辰也は不安を拭えない。

 まずジャジャが本当にそこまでのことを考えているのか皆目見当もつかない。そもそも、行く先々の村人全員を使って辰也を襲わせ続け、疲弊した所を蛇剣衆で叩けば辰也の勝機も薄くなるのだから、辰也を確実に倒すための戦略としてはありだろう。先の蛇剣衆大戸弘太郎もその戦略と言えるのでないか。もちろん村人全員を何度となく全滅させることで生じる不利益が、辰也一人を倒す利点と釣り合うかどうかは疑問だが。

 けれども、そうした迷いは村の方から聞こえて来た悲鳴で霧散した。

「何だ?」

 悲鳴と怒号がいくつも入り混じって聞こえてくる。馬の嘶きも響く。

「行こう」

 ハナの言葉と共に辰也は駆けた。そして姿が見えた途端、木の影に隠れる。馬に乗った野盗たちが一人の村人らしき男を取り囲んでいるのが見えた。

「助けよう」

 ハナは言った。

「しかし」

 と、二の足を踏む辰也。かつて助けた川井沙紀がジャジャに操られた姿が脳裏に浮かんだ。また同じことが起きないとは限らない。ここで助けても結局は同じではないか。

「大丈夫」ハナは彼の逡巡を察している。「あの時は沙紀ちゃんと親しくなったから起きたことだよ。そうじゃないとあの時に祝福した意味が分からない。だから助けたらすぐに立ち去ればいい」

 その言葉に辰也は背中を押された。ハナを抜きながら一直線に野盗へ向かう。

 声を上げずに奇襲する。あっという間に峰打ちで全員を気絶させた。複数の相手は幾度もして来ただけあって、この程度の相手ならばもはや手慣れたもの。

 助言通り立ち去ろうとした辰也だったが、助けた男が凄まじい速さで前に回り込んで土下座したのであった。

「おらに剣術を教えて下せえ! お侍様!」


 そうして冒頭へと戻る。

「頼みまする!」

「……まずは訳を話せ」

 辰也はかろうじてそう聞いた。

「は、はい! 実は」

 男は一挙に捲し立てた。それによれば、村は度々野盗に襲われ、目についた金品や若い女を拐っていくのだと言う。しかも今回倒した野盗はまだごく一部でしかなく、きっとこれからも村は襲われる。次に来た時こそ拐われるのは男の妻に違いない。それだけは何としてでも防ぎたいから、辰也から剣術を学びたいのだと言う。

 その申し出にはさしも辰也も困った。人に教えた経験がないのもそうだが、そもそも付け焼き刃の剣術で野盗から人を守れるとも思えない。おまけに辰也は先を急ぐ旅の最中だ。

「お願いします! お侍様!」

 男は硬い地面に額を擦り付け、必死な形相で懇願している。

「……しばし待て」

 そう言って辰也は先ほど隠れていた木の影に戻ると、

「どうすればいい?」

 困り顔でハナに聞く。

「辰也の思うままにすればいいと思う」

 そう答えながらも、どうなるのかハナには分かっていた。

 辰也は頷いて男の元へと戻り返答をすると、男は立ち上がって何度も何度もお辞儀をするのであった。




 助けた男は田吾作と名乗った。彼は辰也が外で寝ると聞いて驚きを隠せない。

「ほ、本当によろしいので? おらの家であれば、幾らでも宿泊していただいて結構ですのに」

「かまわん。外の方が気楽だ」

「わ、わかりました。それでしたら後ほど食事をここまでお持ちいたします」

「すまん」

 田吾作は怪訝そうにしながらも、ぺこりと礼をして歩き去った。

 誰もいないことを見てとったのか、

「……本当に外で良かったの? お布団で寝たのは島を出てから一度もないでしょう?」

 ハナは心配そうな声音で聞く。

「ああ」

「確かにその方が村が巻き込まれる確率は低いと思うけど……」

「万全に越したことはない」

「そうね……それがいいのかもね」

「それに少し気になることもある」

「気になること?」

「ああ。あの野盗共の太刀筋、蛇剣術に似ていた」

「え、それって」

「無論、杞憂であればいいが、な」

 そう言って辰也はハナを引き抜いた。

 中段に構えて日課の素振りを始める。剣筋は鋭く、動きは速い。繰り返される動作は全て全く同じだ。面打ち、胴、小手と一通り行う。

 続いて辰也はハナを鞘に仕舞い込む。だがその手は柄にかけられたままである。一呼吸置いて、居合を放つ。これも幾度も繰り返す。それが終われば次に土の地面の上に座り込み、この状態でまた居合を放った。

「お疲れ様、辰也」

 修練を終えるとハナが声をかけた。

「ああ」

「次は錬気法?」

「そうだ」

「分かった。見張りは任せて」

「頼む」

 そう言って辰也は太い木の側で座禅を組んだ。呼吸を整え、目を瞑る。

 意識は己の内面に向かった。全身を巡る気の流れを感じ取る。修練を行ったことで気は昂っており、まるで急流のように激しい。それを静かに宥めてやると、気は穏やかに流れ始めた。

 剣宮錬気法の基礎的な修練は、ここから始める。まずはへその下辺りにある丹田に気を集中させ練り込んだ。練り込んだ気を右腕、頭部、左腕、左足、右足、各内臓器官と循環させ、最後に丹田に戻して気を緩める。これを何度も繰り返す。言うなればこれは錬気法における素振りと同じだ。繰り返すことで気を練る速さは向上し、より強く気を練り込むことができるようになる。

「ふうう」

 辰也は目を開き、深呼吸をした。錬気法の修練もこれで終わりだ。本当は錬気法や桜花一刀流の技を一通り通したいのだが、いくらハナが見張っていると言ってもどこに蛇剣衆の目が光っているのか分からない。弘太郎並みかあるいはそれ以上に気を隠すのが上手い者であればハナでも気づけないだろう。

「辰也。田吾作さんちょうど来たよ」

 ハナは小声で教える。

「分かった」

 返事をして目を向けると、田吾作が女性を伴って歩いてきた。手に小さな包みを持った彼女は、素朴で健やかな美しさがある。

「剣宮様、お待たせいたしました。彼女は妻のふさ江と申します」

「この度は夫を助けてくださり、本当にありがとうございました」とふさ江は礼をする。「その上、夫に剣術を教えてくださるそうで、重ね重ね申し訳ありません。大したものを出せないのが歯痒いですが、滞在されている間はお食事のお世話をさせていただきます。ですが……その、本当に外でよろしいのですか? 私たちの家にでも泊まって下さればよろしいのに」

「気にするな。食事の世話になるだけでも助かる」

「そう、ですか。では、もしも屋根の下で眠りたいと思った時は、遠慮なくいらっしゃって下さい。私たちはいつでも歓迎いたします」ふさ江は田吾作を見やる。「そうですよね、あなた」

「ああ、もちろんですとも、剣宮様。どうか遠慮なさらずに」

「……では、その時が来れば遠慮なく頼ろう」

「はい。お待ちしております」

「それよりも早く飯にしよう」と田吾作は言う。「剣宮様の腹を空かしてはならん」

「ああ、これは気付きませんで、申し訳ございません。早速ご飯といたしましょう」

 そう言ってふさ江は、手に持っていた包みを解いた。中から出て来たのは簡素な木箱で、ふさ江は慣れた手つきで蓋を開ける。姿を見せたのはおにぎりであった。




 食事を終えて田吾作夫妻は家に戻った。

 その背を見届けた辰也は、鞘からハナを引き抜く。周囲に人はもういない。

「美味しかった?」

「ああ。久しぶりの米はやはり美味いな。桃源島の米と比べると数段落ちるが」

「そうだね。でもきっと青空を取り戻せば、もっと美味しくなると思う」

「そうだな。その時は味比べをしてみるのも面白いだろう」

「うん。私もその時を心待ちにしているよ」

「ああ。そうしてくれ」

 辰也は刀身を柄から外れないようにするための目釘を慣れた手付きで抜いた。

「毎度のことだけど、やっぱり複雑な気分」

 それから刀身を柄から抜き取ると、ハナは呟く。

「何がだ?」

「何て言うかね、丸裸にされている気分」

「何を今更」

 そう言いながら、辰也は懐紙で刃に付着している古い油を拭う。

「んんっ」

「変な声を出すな」

「だ、だって。私にとってはね、肌を撫でられてるような感覚があるの」

「刀が何を言うか」

 次に丸くした布を付けた棒で軽く叩き、打ち粉を付着させていく。その手つきはあくまで丁寧だ。

「ああんっ」

「……手入れをしないぞ?」

「そ、それは駄目だよ」

「なぜだ? 常世桜様の特質のおかげで錆びないのではなかったか?」

「私だって見てくれは刀だけど、心は乙女なんだから。乙女はね、常に綺麗でいないと駄目なの。特に好きな人の前ではね」

「綺麗にしているのは俺だが」

「いいじゃない。私を汚すのはあなたなんだから。責任を取って貰わないと」

「確かにそうだな」

 それから別の懐紙を取り出して打ち粉を拭う。

「いいっ」

「……全く」

 冷めた視線で刀身を眺めつつ、最後にまた一枚懐紙を取り出して少量の油に浸し刃に塗布していく。

「んーありがと辰也。おかげで綺麗になったよ」

 全ての工程を終えると、ハナは晴々とした声で礼を言った。

「構わない」

「でも良かったの?」

「何がだ」

「泊めて貰わなくても」

「分かっているだろう?」

「あの人たちに祝福を受けさせないため、だよね」

「ああ。それにこうしてハナと話すことができないからな」

 ハナから返事は返ってこない。辰也はそれを嫌に思わないばかりか、にやりと口角を上げた。

「照れているな」

「も、もー! 突然変なこと言わないでよ! 驚いちゃったじゃない!」

「嫌だったか」

「い、嫌じゃないけど。むしろ嬉しかったけど。辰也がそういうこと言うとは思わなかったよ。その、それに、顔が見えないのに照れているなんて、よく分かったね」

「どれだけ一緒にいると思っている。これぐらい当然だ」

「うう……またそういうこと言う……」

「俺はそろそろ寝る。後は頼む」

「あ、うん。分かった。見張りは任せて」

 辰也は目を閉じて、あっという間に眠りに落ちた。どれだけ見ても見飽きることのない辰也の寝顔を眺めながら、ハナは周囲に気を配る。

 しんと静かな時間が過ぎていく。獣の鳴き声が遠巻きに聞こえた。

 そうして一時間ほどが経ってから、ハナは誰かが近づいて来ていることに気がついた。

「辰也、起きて」

「んむ」

 小さな声で声をかけると辰也はすぐさま目を開ける。

「……どうした?」

「誰か来る」

「……把握した」

 じゃり、と土を踏む音と共に来たのは、ふさ江である。しかし田吾作と一緒にいた時と違い、その表情はどこか蠱惑的だ。

「辰也様」とふさ江は言う。「お休みのところ申し訳ありません」

「何かあったのか?」

「いいえ、ただ……」

「ただ?」

「長旅で疲れているであろう辰也様の夜のお世話をさせていただこうかと思いまして」

「いらぬ」

「あら」

 否定されるとは思っていなかったのか、ふさ江は少し間の抜けた顔をした。だがすぐにふふ、と妖艶に笑う。

「そうご遠慮なさらずとも……それに、溜まっているのでしょう?」

 ふさ江は屈み込んで辰也に接近した。着物の胸元が開き谷間が見える。顔を近づけ、熱い吐息を吐きかける。

「私これでも、上手だと評判なんですよ」

 右手が辰也の太腿をそっと撫でた。

「誰の差し金だ。田吾作か?」

「……いいえ。あの方はそのようなことを仰りません。私自身の意思です」

「……いらぬ世話だ。消え失せろ」

「田吾作と同じ、生真面目で意気地なしですね。ですが夫の命の恩人に無理強いはできません。残念ですが仕方ありませんね」

 ふさ江は一転して立ち上がった。流し目で辰也を見る。

「もしも考えがお変わりなれば、私はいつでもお相手さして頂きます。それとも私ではお相手に相応しくないのでしょうか? そうであれば、お好みの子を言ってくだされば、村の娘であれば誰でもご用意いたしますよ」

「いらぬと言っているだろう。とっとと失せろ」

 辰也は凄みを利かせる。するとふさ江は驚いたような顔になって、足早にその場から立ち去った。

 姿が見えなくなると、早速ハナが怒り出した。

「なによあの女は。旦那さんがいるのに私の辰也に手を出そうとするなんて」

「そう言うな。これも蛇気のせいだろう」

「そうだろうけどさ。あーもう、幸せな気分が台無しよ。辰也、塩撒いて。塩」

「……持っていない」

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