第2話

 何度か休憩をしながら歩き続けていると、エルは港町へと着いた。時刻は朝、市場には活気が溢れており、あちこちで声が飛び交っている。港町ということもあり新鮮な魚が多いが、それ以外にも様々なものが売っている。


 しかし、エルはそれらを見ることはなかった。いや、見ようとしていなかった。うつむき加減に人混みの中へ入っていき、店員に話し掛けられても無視してその場を去っていく。


 多くの人々が行き交う中では、エルのような剣を持っている上に不審な行動をしていても特に怪しまれることがなかった。


 何度か話し掛けられながら、ようやく市場を抜けた。急に人が少なくなっており、どうやら表通りではなさそうだ。そんな通りに、古びた店が一店舗だけ開いている。エルはそこへと向かう。


 ドアを開けると、上に付いているベルがカランと鳴って誰かがやって来たことを告げる。


「いらっしゃい」


 店主と思わしき髭を生やした初老の男性が一声掛ける。店内は数人客がおり、薄暗く静かな環境であった。テーブルや椅子は木製に揃えられ、落ち着いた雰囲気である。


 エルはカウンター席に座る。すると店主はエルの前にやって来た。


「ご注文は? ……といっても、今の時間はサンドイッチしかありませんが」


「それで頼む。五人前な」


 一瞬驚いて目を丸くしたが、エルの真面目な表情から本気であることが分かった店主は、奥の調理台へと移動していった。


 エルの座っている位置からはその調理台の光景がしっかりと見える。


 事前に切り分けられた野菜と肉が並べられており、器の手前へパンを五つ並べる。その上に、バターを薄く塗ってから野菜と肉を順番に乗せていく。


 じっと調理工程を見つめるエル。膝に手を置いて何かを我慢するように堪えているようにも見える。時折、その身体が震えている。


「大丈夫か? ここの料理は絶品だぞ」


 少し離れた席に座っていた青年がエルに話し掛けてきた。ちらりとそちらを見て、


「それはとても楽しみだな」


 と短い返事をした。青年はエルの見た目から男だと思っていたようで、声を聞いて驚いた表情を見せた。しかし、作られているサンドイッチ以外一切眼中にないエルに話し掛けても大した返事はなさそうだと悟り、これ以上話し掛けることはなかった。


 しばらくすると、サンドイッチが五つ乗せられた大皿を手に持った店主がエルの元へやって来る。


「おまたせ」


 野菜や肉が零れ落ちそうなサンドイッチが目の前に並べられ、エルはそこに目を輝かせる。


 エルはこの港町に到着するまで、一切の食べ物を口にしていなかったのであった。だいたいであれば、道になっている木や草、動物を口にすることがあったが、ここに来るまでにそれらを一切見つけられなかったのであった。


 久々に口にする食べ物に、エルは大きく口を開けてかぶり付く。もぐもぐ、と噛んでいくうちにそれぞれの旨味が混ざっていきエルの舌を魅了する。まだ口の中に少し残っている状態で、次々と頬張っていく。


 一つを平らげるのにそう時間は掛からなかった。勢いそのままで次のサンドイッチに手を伸ばす。


 その光景に青年は驚いていた。この身体のどこにそれほどまで入っていくのか、不思議でしょうがないようだ。


 エルは見られていることを全く気にせずに、平然と食べ続けている。


 そして数分もしないうちに、完食してしまった。


「ふぅ……」


「なっ……」


 あまりの出来事に青年はエルのことを凝視したまま驚いていた。


 そんな光景を見ながら、店主は手元にカップを持ってやって来た。エルの前に来ると、それをすっと置く。


「こちら、お食事された方へのサービスです」


 そこにはコーヒーが入れられていた。拘って焙煎したのか、深みのある香りを放ちながら湯気を漂わせている。


 エルはゆっくりとカップを顔に近付け、ゆっくりとコーヒーを口にする。深いコクを、目を閉じながらじっくりと味わっていく。


 半分ほど飲み終わったところで、店主は青年のところへコーヒーを出して話し掛ける。


「そういえば、いよいよですね。帝国への船の出航」


「おう。俺は帝国へ行って魔法の修行をする。だから、しばらくマスターの絶品料理が口にできないな」


 二人の会話がエルの耳にも入ってくる。魔法、という単語にピクリと反応したエルは、目を開けて無表情でコーヒーを飲み干す。


 そうしてすぐに立ち上がり、懐から紙幣を取り出してテーブルの上へと置く。


「ありがとう。美味かったぜ」


 そう言ってエルはすたすたと店の外へと出ていった。


「ありがとうございました」


 エルには見えていないが、店主は微笑みながらそっと挨拶をしていったのであった。



 ***



 エルは店を出ると、市場へと戻っていった。食事前よりは落ち着いているが、それでも人の波はそこそこあった。行き交う人々の間を通りながら、エルはその先に見える大きな船へと向かっていく。


 そうして船の前へと辿り着くと、多くの人々が船を眺めるために集まっていた。


「さあさあ、今回を逃したら次はいつ行けるか分からない、帝国行きの船! チケットがまだの方はお早めに!」


 人混みの中、船乗りの格好をした売り子が大声でチケットを売り込んでいた。エルはその姿を見つけると、人を避けながら近付く。


「おい、いくらだ?」


「五ジルです」


 懐から金色の硬貨を五枚取り出し、売り子へと渡す。


「ありがとうございま~す。船はしばらくしたら出航になります。船内には個室があるのでお早めに乗船ください」


 簡単な説明をしながら箱の中にある小さいチケットを手渡す。エルはそれを受け取ると、真っ直ぐ船へと向かっていく。


 船に近付くにつれ、眺める人々の数が増えていく。船に乗っている人へ手を振っている者もいれば、乗船口の近くで別れを惜しむ人もいる。


 エルには誰かと離れるということもなく、無心でその間を通り抜けて船に乗ろうとする。


「いらっしゃいませ。チケットを拝見いたします」


 買ったばかりのチケットを差し出し、受け取ってもらえるのを待つ。しかし、係員はチケットに触れることなく、上から手をかざす。手が離れていくと、一瞬にしてチケットは部屋番号の書かれたカードキーに変わってしまった。


「どうぞごゆっくり船旅をお楽しみください」


 魔法を使われたことに少し怒りを実らせた。しかし、争うつもりは一切なく、それを抑え込んで船へと乗り込んだ。


 船の中央に位置する階段を下り、カードに書かれた部屋番号を探す。しばらく進んでいくと、同じ数字の書かれた部屋があった。エルは木製のドアの中央にある窪みにカードを嵌め込む。



 ガチャッ──



 解錠され、カードが押し戻されながらドアが自動的に開いていく。


 中は簡素な佇まいとなっており、窓際にベッド、その隣にテーブルが置いてあるだけであった。エルは特に気にした様子もなく、部屋の中へと入っていく。


 肩に掛けていた剣をテーブルの上に置き、その上に上着を置く。楽になった身体を伸ばし、そのままベッドに倒れ込む。ふかふかの布はエルの全身を包み込んでいく。


「ふぁーあ……」


 久々に快適な睡眠環境を手に入れたエルは、柔らかさに包まれながら目を閉じるとそのまま眠り込んでいった。



 ***



 船の汽笛の大きな音が鳴り響き、それが止むと今度は鐘の音が鳴り響いた。エルはその音によって目が覚めた。


「…………」


 部屋には微かに食べ物の香りがしている。どうやら、船は出航してだいぶ時間が経っており、食事の時間のようだ。鐘の音はその時刻を告げる合図であったのだろう。


 エルはむくりと起き上がり、手短に身支度を整える。剣を服の中に隠すように持ち、部屋を出ていった。


 食事の案内は一切出ておらず、エルは鼻で感じる匂いを頼りに歩いていく。


 階段を上り、デッキへと出て行く。そこには、テーブルがたくさん設置され、その上にはたくさんの食べ物が置かれている。多くの乗客が食べ物や飲み物を片手に、食事を楽しんでいる。


 エルはその光景に目を輝かせながら、意気揚々として近付いていく。入ってすぐのテーブルにはエルの顔よりも大きい皿が置かれており、それを手にしてエルが食べ物を取ろうとした。


「よう、また会ったな」


 肩を叩かれて後ろを振り向く。そこには、朝の店で会った青年がそこにいた。


「……あぁ、あんたか」


「おう。まだ名前を言ってなかったな。俺はアッシュだ」


「オレはエル」


「また会ったのも何かの縁だ。せっかくだから一緒に食事しようぜ」


 笑顔でアッシュはエルを促すように食べ物の方へ近付く。これは断ることは出来なさそうだな、と少々面倒と感じながらもエルはついて行った。


 アッシュは一品ずつ少量を皿に盛り付けていく。一方エルは、一品ずつ盛り付けていっていることは同じであるが、彼よりもだいぶ多く盛っている。全てを盛り付け終えたときには、エルの皿は山のようになっていた。


「エル、そんなに食べられるのか?」


「これぐらい普通だ」


 全く気にした素振りを見せず、エルは食事にありつく。一見雑に盛られているようにも見える皿であるが、味が濃いものと薄いものを交互に並べてなるべく混ざらないようにしている。


 一口食べるとなかなか美味しいのか、どんどん進んでいく。そのペースに呆気に取られながらも、アッシュは自分の分を口にしていく。


 彼が大方食べ終わった頃には、エルは山盛りだった料理を完食していた。


「ふぅ……」


 まだ少し物足りないのか、再び食べ物の方へ近付いてよそっていく。


 エルが皿に半分くらい盛り付けたところで、突然船が大きな音と共に揺れた。乗客は何事かと不安になりざわざわと騒がしくなっていく。


 食事の時間を邪魔されて機嫌の悪くなるエルであったが、周囲の状況を窺いながらじっとしている。


 すると、同じような格好をした集団が音のした方からぞろぞろとやって来る。その手にはナイフや剣を持っており、明らかに危害を加えようとしている集団である。


「今からこの船は、我々が乗っ取った。貴様らは有り金全部よこしな。さもなくば、命はないぞ!!」


 低い声が響き渡る。彼らはどうやら海賊のようで、先頭の男が頭領のようだ。突然の出来事に乗客たちは逃げ惑う。


 そこへ、海賊の下っ端たちは襲い掛かる。手に持った武器で近くにいる人を斬りつけていく。


 この光景にエルはやれやれ、と手に持っていた皿をテーブルに置いて重い腰を上げる。気配を消し、船の端にいる女性へと襲い掛かる海賊へと近付いていく。


「おい」


 振り返った海賊は、エルが光の速さで抜いた剣に斬られてよろける。そしてそのまま海へと落ちていった。


「あっ……」


 女性はお礼を言おうと口を開いたが、エルはすぐさまそこから離れていく。そして油断していた別の海賊へ剣を振るう。


「ぐはっ……」


 抵抗する者が現れた上に、簡単になぎ倒していく光景に海賊たちは驚いていた。しかし、すぐさま目標をエルに変えて一気に襲い掛かっていく。


 ちらりと周囲を見渡し敵の位置を確認するエル。避けられる敵、攻撃する敵を瞬時に把握して踊るように動く。それを何度も繰り返し、下っ端の半分を行動不能にしていく。


「威勢の割には大したことないな」


 挑発するようにそう呟くエル。だが、あまりの強さに手を出すことに恐れを感じている下っ端たちであった。


「大したことない……。よくそこまでデカい口を叩けたものだな」


 今まで姿を見せていなかった頭領がエルの前にやって来た。女性を片腕で拘束し、反対の空いている手で剣を向ける。人質となった彼女は、助けを乞うように涙目でエルを見つめる。


「こいつがどうなってもいいのか」


「くっ……」


 関係ない一般人にまで被害が及ぶことを失念していたエル。それが現実となってしまい、持っていた剣をそっと鞘に収める。


「武器を手放せ」


 エルから剣を完全に手放すように指示する。エルは姿勢を正し、ゆっくりと身体から外していく。


 手に持って剣を投げ放とうとしたそのときだった。音もなく後ろから近付いていったアッシュが頭領に体当たりをする。同時に頭領の腕から離れた女性を抱きとめた。


「今だ、エル!!」


 アッシュの叫びを合図に、エルは即座に体勢を切り替えて驚きの速さで近付いていく。


 邪魔をされた頭領は手に持っている剣で二人を斬りつけようと振り下ろす。


 キンッと金属の交わる音がする。エルが攻撃を防いで二人を守る。なんとか攻撃をされずに済んだアッシュたちは、エルの邪魔にならないように素早くその場から離れていく。


 足音を耳にしてある程度離れたと感じたエルは受け止めていた刃を振り払い、剣を何度も振るって攻撃を仕掛ける。


 常人とは思えない素早い攻撃が続いているが、その攻撃を頭領はいとも簡単に防いでいく。それでも、圧倒的な速さに少しずつではあるが後ろへ下がっている。


 デッキの端へと追いやられた頭領。エルは彼に向かって切っ先を向ける。


「観念しろ」


 最後の一撃を仕掛けようと一歩踏み出したそのとき、突然風が強く吹いてきた。嫌な空気を感じたエルは、思わずその場に立ち止まる。


「お前……まさか……」


「この力を使うときが来るとは……。だが、これで終わりだ」


 頭領は剣を天に掲げていた。その先には緑色の光が集まっていく。


 魔法の力であった。


 風は徐々に強くなっていき、立っているのもやっとである。乗客たちは座り込んでしまっている中、エルは攻撃をしようと少しずつ近付いていく。しかしそれは風圧のせいで阻まれてしまっている。


 十分に集まった光はエルを目標に放たれる。


 エルはぐっと剣を握りしめてその光を断ち切り、頭領へと斬り掛かっていく。だが、余裕で立っている状態であるため力の差が生じてしまい、エルの力は負けてしまった。


 甲板に強く叩き付けられたエル。なんとか力を振り絞って立ち上がる。息を切らせながら次の攻撃に向けて構える。


 再び魔法による攻撃が来るだろうと予想し、右足にぐっと力を入れて踏ん張る。



 ギシッ──



 力を入れた途端、エルの周辺から音が聞こえてくる。そして次の瞬間、エルの周りだけ船が崩れ落ちていく。


「うわぁぁぁぁぁぁ──」


 掴まるものもなく、エルの身体はそのまま海に落ちてしまった。

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