第281話 温泉パークへようこそ!(序盤)

「お母様! なぜこんなところに?」

「それはこっちの台詞よ。貴女こそ、どうしてダイナミック身投げなんかしていたのよ?」

「い、いや……身投げというわけではなくてですね。何というか……待ち合わせに遅れないようにと飛び降りたわけですが……」

「呆れた。こんな暗い中で岩山から降りるなんて普通は考えもしないことよ」

「そうは言っても、さっきまではまだ夕方でギリギリ足もとが見えていたんですよ。本当です」


 吸血鬼の妖精ラナンシーはぽりぽりと片頬を掻いた。


 たしかについ先ほどまでは夕日が傾いて、岩場にうっすらと陰が伸びる程度だったので、足もとを視認出来ると踏んだわけだが、ほんの少し時間が過ぎただけで、今では日もほとんど落ちて、おかげでラナンシーは真っ暗闇にダイブする羽目になった。


 とはいえ、これでラナンシーを責めるのも酷と言うものだろう。実際に、ラナンシーはここ数年ほど、ずっと開けた海上で生活していたこともあって、山や森の多い第六魔王国での日照の具合を忘れてしまっていた……


「まあ、いいわ。これに懲りたら安易に飛び降りなんてしないこと。分かった?」

「はい……」

「じゃあ、体も随分と汚れたみたいだし、そこに出来たとかいう温泉パークにでも入りましょうか」

「……え?」

「ほら、行くわよ。たまにはお母さんが体の隅々まで洗ってあげるわ」

「…………」


 そんな意外な提案に、ラナンシーは戸惑った表情を浮かべるしかなかった。


 母たる真祖カミラと一緒にお風呂に入ったことなど、幼少の頃まで遡らないと思い出せなかったからだ。


 そもそも、ラナンシーは姉たちを出迎える為に死にかけてまで急いだのであって、もし温泉パークに先に入ったと知れたら、またこっぴどく怒られるに決まっている……


「――というわけなんですよ、お母様」

「ふうん」


 ラナンシーは一生懸命説明したが、結局、カミラには暖簾に腕押しでしかなかった。


 そんなカミラはというと、温泉パークの入口の暖簾を片手でぱらぱらと弄びながら、「いいから、入るわよ」と、ぐいぐいとラナンシーの腕を引っ張る。


「私とルーシーたちと、どっちが大事なのよ?」

「そ、それは……一応、姉上様とは先約だったので……ごにょごにょ」

「さっき私が助けてあげなかったら、貴女、今頃地上に激突してミンチになっていたところなのよ?」

「はい。もちろん、それは重々承知しています」

「じゃあ、もう一回聞くけど、私とルーシーたちと、どっちを選ぶべきなのかしら?」

「……お、お母様です」


 こればかりは仕方ない。姉たちよりも母強しである……


 というか、カミラに強引に連行されたと言い訳すれば、幾ら姉たちとてあまり怒りはすまいとラナンシーも考えるしかなかった。


 一番良いのはここで都合良く全員集合することなのだが……どうやらルーシーたちはまだ着いていないどころか、遠方にもその影すら見えない……


「仕方ない……入りましょう」

「そうね。さあ、れっつら、ごー!」


 何はともあれ、女海賊時代に培った傍若無人さはどこへやら、ラナンシーはさながら借りてきた猫のように縮こまって、温泉パークの暖簾をくぐらされた――


 この施設は温泉パークと言うだけあって、大小各種様々な温泉が備わっている。


 ただし、普通に入浴するだけなら温泉宿泊施設の赤湯を使えばいいわけで、こちらは差別化する為に、温水プール、サウナやエステなどを備えた、いわゆる豪華なリラクゼーション・テーマパークにほど近い。


 第六魔王国で最も広大な平原に作られていることもあって、入口の更衣室から出てしまうと、赤湯や天然プールとは違って、パーク内の施設でルーシーたちと出会うことは難しい。


 だから、更衣室に入るとすぐにラナンシーはモノリスの試作機で連絡を取ろうとしたわけだが……


「あれ? モノリスが見当たらない……まさか!」


 どうやら飛び降りたときに落としてしまったらしい。


 これにはラナンシーも「あちゃー」と頭を抱えた。正直なところ、ルーシーよりも人造人間フランケンシュタインエメスの方がよほど怖かったからだ。モノリスを失くしたなんて伝えたら、どんな拷問が待っているか分かったものじゃない……


「何やってるの! ほら、さっさと汚れた服を脱ぐ!」

「きゃ!」


 女の子らしい嬌声を実に数十年ぶりに上げて、ラナンシーは仕方なく、その場でおずおずと脱ぎだした。


 意外に思われるかもしれないが、吸血鬼の三姉妹もとい四姉妹の中では、ラナンシーが一番良いスタイルの持ち主だ。


 そもそも、ルーシーは長女のわりに……まあ貧しいし、リリンは夢魔のくせしてどういう訳か……まな板だし……シエンとて元エルフだけあってスマートなモデル体型だしで、およそスタイルだけに限って言えば、カミラの血を最も色濃く受けたのはラナンシーだ。


 だから、カミラも「ふふん」と満足げにそこかしこにタッチして、娘の裸体を散々堪能したわけだが、ラナンシーは恥ずかしがって、すぐさまフィッティングルームに隠れてしまった。


 ちなみに、この温泉パークは基本的に水着着用なので、ラナンシーもアイテムボックスから女海賊時代に衣装の下に纏っていたスポーツブラとスパッツタイプを取り出して着替えたわけだが――


「ぶっ!」


 ラナンシーはフィッティングルームから出て、すぐに吹き出した。


 というのも、よりにもよってカミラが金色のマイクロビキニを堂々と身に着けていたからだ。


 いや、これはビキニというよりもほとんどセクシーランジェリーに近い。首から股下まで楕円を描いた紐というか帯に近いもので、さすがに四人の娘を持った母親が着用していいものではない……


 しかも、娘のラナンシーの顔が火照っているということは、間違いなく『魅了』を無意識のうちにバラ撒いているはずだ。最早、エロテロリストとして手配されても文句は言えまい。


「お母様!」


 さすがにラナンシーも娘として苦言を呈しようとした。


 が。


 そのときだ――


 カミラの背後で後光が差したのだ。まるでカミラの『魅了』を打ち消すかのように、更衣室全体に光のフィールド効果が発生し始めた。


 いったい何が起こったのかと思って、ラナンシーが視線をやると、


「あら? こんにちは、カミラ様……それにはじめましてでしょうか。たしか、ラナンシー様?」


 そこにいたのは、かつての第一聖女――現在は女司祭に戻ったアネストだった。


 さすがに聖職者ということで、どこぞの性癖的にあれな聖人もとい性人とは異なって、エロ下着みたいな着こなしはしておらず、パステルカラー調のタンクトップとショートパンツを纏っている。水着と言うよりも、ちょっとだけ大胆な外出着と言っていい。


 もっとも、ラナンシーは思わず、「おおお!」と感嘆しかけた。


 何しろ、そんな清楚で布面積多めな水着にもかかわらず、抜群のプロポーションを隠しきれていなかったからだ。


 もしかしたら、今、ラナンシーの眼前にあるのは、この大陸で最も豊満な肢体なのかもしれない……


 もちろん、第六魔王国には魔性の酒場ガールズバーで、セクシーだの、ボインだの、ダイナマイトだのといった源氏名を持つ夢魔サキュバスたちが揃い踏みなわけだが……実のところ、彼女たちは巧妙な認識阻害によって肉体を盛っているに過ぎない。


 とはいえ、これは客を騙しているうちには入らない。女性が美しくあろうと、あるいは蜘蛛の糸で異性を絡めとろうと、化粧などをして、その身を飾り立てるのは全くもって罪には当たらないからだ。


 むしろ、罪と言うならば、アネストのセクシー・ボイン・ダイナマイトバディを眼前にして、同性ながらもラナンシーが吐息を漏らしてしまった方にあるかもしれない。


 だから、ラナンシーも「はっ」として、「いかんいかん」と、両頬をぱんぱんと叩いた。


 危うく理想的なお姉様・・・をアネストの中に見出すところだった。こんなのを実の姉たるルーシーやリリンに見られたら堪ったものじゃない……


 何はともあれ、ラナンシーがきょろきょろと、いかにも挙動不審といったふうに姉たちがいないかどうか確認する為に見回していると、温泉パークの入口には――よりにもよって、今この時点で、最もこの場に来てはいけない闖入者たちが堂々と乱入してしまったのだった。


 そう。カミラと世界三大美女の座を争う――海竜ラハブと、有翼ハーピー族の女王オキュペテーである。

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