第280話 天然プールのある日常(終盤)

 吸血鬼の大妖精ラナンシーは地に額を擦りつけて土下座をしていた。


 ラナンシーの前にあるのはモノリスの試作機だ。それが魔王城の私室の床に立てられて、姉のルーシーとリリンの姿を映している。


「はあ……やれやれだ。少しは成長したものと思っていたが、そのルーズさは以前と全く変わっていないのだな」


 ルーシーがちくちくと小言をいうと、並んで映っていた夢魔サキュバスのリリンが人差し指を突きつけてきた。


「そうだぞ、ラナンシー。本来ならば、お前がいの一番に来て、更衣室に姉上の着替えなどを率先して用意しないといけないはずなんだ」


 もっとも、そんな下働きは人狼メイドや新たに使用人となった吸血鬼たちの仕事であって、当然のことながらラナンシーがやるべきものではないのだが……何にせよ、魔族は体育会系も真っ青な縦社会だ。


 ルーシーが「カラスは白い方がいい」と言えば、第六魔王国の烏を全て白く塗り潰さなければいけないし、あるいはルーシーが「プールは赤い方がいい」と言ったなら、天然プールに自らの血反吐を全力で垂れ流さなくてはいけない……


 最早、どこぞのヤ〇ザよりもよほどひどい上下関係に見えるが、それでもラナンシーは長らく魔族社会で生きてきた。とはいえ三姉妹の中で最もズボラな性格だったこともあって、完璧超人のルーシーや生真面目なリリンとはどうしても反りが合わなかった。


「ほ、本当にすいません……お姉さまがた!」

「そもそも、昼過ぎがいいと言い出したのはお前なんだぞ」


 リリンにそう怒られて、ラナンシーは「ひいい」と、額をがんがんと地に叩きつけた。


 今回、天然プールの開放ということで、家族水入らず、もとい姉妹水入らずで、ルーシー、リリン、ラナンシーに加えて、新たに姉妹となったシエンの四人で湖畔にて落ち合う予定を立てた。


 ところが、蓋を開けてみたら、ラナンシーだけがいつまで経っても姿を現さなかった……


 午前中の鍛錬に力を入れ過ぎて、美味しい昼食を取ったら、満腹中枢が充たされたのか、ついうつらうつらとなって寝過ごしてしまったのだ。


 もっとも、これはラナンシーばかりを責められない。というのも、以前の第六魔王国では稽古相手といったら、せいぜい人狼の執事アジーンぐらいしかいなかった。だが、今の魔王国はまさに多士済々だ。


 何せ魔王城の廊下で立哨しているダークエルフの精鋭ですら、ラナンシーと伍する実力を持っているのだ。実際に、これら精鋭は日々、純血種で爵位持ちの吸血鬼たちと一緒に、ルーシーによる常軌を逸したブートキャンプで散々に鍛えられている。下手をしたらそこらへんの魔王よりもよほど強いほどだ。


 しかも、ラナンシーが魔王国に戻って一番驚いたのが、以前は格下だった人狼メイドの掃除担当ことドバーにも軽くあしらわれてしまったことだ。


 これにはさすがにラナンシーも唖然とさせられたものだが……そうはいっても三姉妹の中で最も武術を好んだ吸血鬼だけあって、「なにくそーっ!」とかえって意気込んだ。


 今ではダークエルフの双子のドゥや当のドバーとの早朝稽古によく立ち会っているし、今日も今日とて午前中は非番だったドゥが操る巨大ゴーレム、モンクのパーンチに、巨大蛸クラーケンと一緒になって厳しい修行をしたばかりだ。


 とはいえ、先述の通り、それがいけなかった……


「しまった! 今、何時だ?」


 ちょっと疲れを取ろうと午睡シエスタをしたつもりが、起きたときにはもう日が傾いていたのだ。


 こうして冒頭の土下座へと至ったわけだが、ルーシーに代わってリリンのお小言を長々と聞かされているうちに、二人の遠く背後から声が聞こえてきた――


「ルーシー。もう撤収するよー」


 セロだ。どうやら天然プールで遊ぶのは終了らしい。


 開設したばかりのプールということでラナンシーも行きたかったが、こればかりは仕方がない。ラナンシーはしゅんとなりつつも、次は島嶼国騒乱で親しくなった女聖騎士キャトルあたりでも誘ってみようかなと考え直した。


 ともあれ、モノリスの画面にはまたルーシーが大きく映し出された――


「ラナンシーよ」

「はっ! 何でありますか?」

わらわたちはこれから温泉パークに行く。お主はどうする?」


 どうするもこうするも、長女であるルーシーが言い出したことだ。


 烏が全て白くなるのと同様に、今、この時点で、ラナンシーの予定は何もかもを放り投げて、『温泉パークに同行する』の一択となった。


「もちろん、お付き合いさせていただきます!」


 すると、リリンが小声で横槍を入れてきた。


「ならば、分かっているよな。ラナンシー?」


 もちろん、槍の穂先でちくちくと刺されなくとも理解していた。温泉パークの門前に先回りして、下働きの準備をしておけということだ。


 一応はリリンにしても、妹の失態を挽回させるべく、アドバイスしたつもりなのだろうが、繰り返すがそんな下働きは本来、真祖直系の吸血鬼がやるべきことではない……


 もっとも、ラナンシーは咄嗟に立ち上がって最敬礼をしてみせると、「すぐに向かわせていただきます!」とはきはきと告げた。


 ただし、ラナンシーは自室から出て、すぐに「ん?」と眉間に皺を寄せた。


 というのも、間に合うかどうか、もしかしたら微妙なのではないかと気づいたからだ。


 事実、温泉パークは魔王城のすぐ東にある平原――かつてセロと第三魔王こと邪竜ファフニールが決戦を行った場所にある。位置的には温泉宿泊施設から北の方角で、ルーシーたちがいる湖畔からだと北西に向かって、ゆっくりと歩いても十分もかからない。


 それに比べて魔王城からだと、東の坂道を下りればすぐに着くのだが、何せそこはセロによって永久凍土の断崖絶壁にされてしまった。


 ラナンシーの身体能力ならば、風魔術の『浮遊』を使って岳を伝っていけば、何とか崖下に着地出来るかもしれないが……夕方で暗くなってきた上に、足もとも凍土だからどうにも心許ない。


「さて、どう行くのが近道なのだ?」


 魔王城正門から出て、ラナンシーはふと考えた。


 正面の坂道は溶岩マグマになっているので駆け降りるのは愚の骨頂だ。


 火に対する耐性と合わせて身体強化をかければ、坂下まで降りることは可能だが、身に纏っているものが焼け焦げでもしたら、温泉パークの入口で痴女みたいな格好で姉たちを迎えることになりかねない……


 また、裏山の坂道を下っていってはさすがに時間がかかり過ぎる。トマト畑の中を駆けて行けばギリギリで間に合うかもしれないが、畑作業も終わってゆっくりとしているヤモリ、イモリやコウモリたちの中を掻き分けていくのはさすがに申し訳ない。


 それにラナンシーはまだそんな魔物モンスターたちに慣れていない分、通り抜けるのがちょっとだけ怖い……


 本来、一番の近道は魔王城の地下階層に行って、そこから浮遊する板エレベーターに乗って、地下通路を抜けて行けばいいのだが、ラナンシーは第六魔王国に来たばかりだったので、そこまで道に詳しくなかった。


「くそっ。もう……考えていてもらちが明かないな」


 ラナンシーはそうこぼして、仕方なく自身の氷結耐性を上げると、『浮遊』の術式をかけてから、勢いのままに凍り付いた断崖絶壁を一気に跳んだ。


 もっとも、想定していた以上に着地先が暗くてよく見えなかった。


 おかげで一歩目にて見事に滑って体勢を崩してしまい、二歩目で剣岳に全身を打ちつけ、三歩目で岩棚をぐるんぐるんと転がって、頭から真っ逆さまに地面に落ちて行った。


「あ、これ……あたい、死ぬかも……」


 魔核さえ潰れなければ死にはしないとは分かっていても――


 全身が潰れてしまえば何の意味もないわけで、さすがにラナンシーも無謀なことをしてしまったなと後悔した。


 こうした短気さというか無謀さが、ラナンシーの長所でもあり、何よりの短所なのだ。


 肉塊になったラナンシーを見て、姉たちは悲しんでくれるだろうか……それともさっきみたいに怒るだろうか……はたまた、呆れ返ってしまうのだろうか……


「誰かが気づいて……すぐに『蘇生リザレクション』してくれるといいんだけど……」


 直後だ。


 地面に激突する感触のかわりに――


 なぜか、やさしく包み込むような感触があった。


 同時に、ラナンシーの片頬に「ふう」とため息がかかった。


「貴女ねえ。いったい何をやっているのよ? 家出している間に、今度は自殺志願者にでもなってしまったのかしら?」


 ラナンシーを助けてくれたのは――何とまあ、母たる真祖カミラだったのだ。



―――――



「天然プールと温泉パークのある日常」というサブタイトルの通りに、次回からは温泉回に入ります。というか、今回は終盤というよりも、むしろ温泉回の導入部分みたいなものに当たります。

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