第279話 天然プールのある日常(中盤)
序盤と同じ時間帯、かつ舞台で、女聖騎士キャトルと第二聖女クリーン視点になります。お気軽にお読みください。
―――――
「――――っ!」
女聖騎士キャトルは思わずギョっとした。
正気なのかと我が目を疑ったし、もしや認識阻害でもかけられてしまったのではないかと、自らの両頬をぱんぱんと叩きもした。
さらには胸もとに潜んでいたヤモリのドゥーズミーユに頼んで、片頬を「キュー」と、強くつねってもらったほどだ。
「痛いっ」
「キュイ?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございました……ということはこれは現実というわけですね」
キャトルはそう呟くと、「はあ」とため息をつくしかなかった。
さて、ここは第六魔王国の天然プール――温泉宿泊施設から北の街道に向かって、やや道を逸れた雑木林の先にある自然湖だ。一見すると巨大な洞窟かと見紛うほどに、両脇の岩壁が反り立っていて、そのおかげもあって湖畔が陰になるのでとても涼やかだ。
魔女のモタや
もちろん、湖畔には着替える為の施設があるので困りはしないが……キャトルが我が目を疑うほどに戸惑ったのは――クリーンが纏っている水着だ。
いや、これは水着ではない……
そもそも、着る物でもない。そして、紐水着の
そう。これは……紛う方なく、
「勘弁してほしいわ」
今となっては懐かしきバーバルの口癖をこぼして、キャトルは暗澹たる思いに駆られるしかなかった。
最近、ヒュスタトン会戦があったから、ついつい忘れかけていたが、クリーンは王国でも有数な――いや、むしろ唯一無二の性癖的に
しかも、体制派を掃討した後は気分も
とはいえ、これでも今や王国における最重要人物なのだ。現王や王女プリムがその地位を失った以上、最高権力者に等しいといっても過言ではない。
そんな人族の権力の中枢にいるべき聖人が白昼堂々、こんな痴女でも真っ青になるような格好で、よりにもよって他国のリゾート地でその肢体を晒すのは――さすがに問題しかなかった。
「…………」
というか、キャトルはまた驚きでもって、開いた口が塞がらなくなっていた。
キャトル自身も年齢の割にはずいぶんと大人びた
普段は肌を全く晒さない聖衣を纏っていたし、キャトルが緊縛を手助けするときも畏れ多かったのでまざまざと見ることは躊躇ってきたこともあって、クリーンがこれほどの肢体を誇るとは、キャトルとて気づけなかった。
だからこそ、縄だけという格好は余計にマズい……
そもそも、クリーン自身はおかしいと感づいていないのだろうか……
あるいは、まさかとは思うが、この場で大胆に性癖をカミングアウトするつもりなのか。いや、まあ、すでに御輿に担がれて王都に戻ったときに晒してはいたのだが……
「ええと、クリーン様……そのう、
キャトルは一応遠慮して、「縄で」とは言わなかった。
すると、クリーンもしばし首を傾げて、それから自らの肢体をゆっくりと見下ろして、さらに数十秒……
「きゃあああ!」
そんなふうに叫んで、更衣室に慌てて戻っていった。
どうやら常識までどこかに放たれてしまったわけではなさそうで、ここにきてキャトルもやっと、「ほっ」と一息ついた。
更衣室の閉じたカーテンから、ひょっこりとクリーンの頭だけが出てくる――
「どうしましょう、キャトル? 自らをあまりに律し過ぎたせいで……遊び気分でなかったからか、肝心の水着を忘れてしまいました」
「なるほど。そうでしたか。まあ、律する方法はともかくとして、自らに厳しくあるのは聖職者として正しい御姿です」
「ありがとう。でも、本当にどうしようかしら?」
「ご安心ください。私が予備を持ってきています。クリーン様に合うかどうかは分かりかねますが、ご使用になられますか?」
「そうね。お願いするわ。このままだと、せっかく来たのに入水出来ませんし……」
「それでは少々お待ちください」
キャトルはそう伝えて、荷物の中からキャトルとは色違いのものを取り出した。余計な装飾など一切ない、シンプルなビキニタイプだ。キャトルが黒色で、クリーンに手渡したものが白色になる。
そして、着替えて更衣室から出てきたクリーンを見て、キャトルはまたギョっとした。
水着のサイズが小さくて、単なるエロ下着みたいになっていたせいだ。これでは何だか羞恥に塗れた痴女で、かえってさっきの縄の方が堂々とした痴女に見えてくるから不思議なものだ……
「ど、どうかしら?」
そう聞かれても、「ただの変態みたいです」とは答えられなかったので、キャトルは仕方なく聖騎士のマントを貸してあげた。
湖畔は岩陰になっているので、マントを羽織っていても暑くはないだろうし、プールに入ってしまえば水着の小ささもあまり気にならないだろう。
「では、行きましょうか。キャトル」
「はい。クリーン様」
何はともあれ、こうして二人はやっと砂浜に出た。
この天然プールはまだオープン直前で、第六魔王国の関係者のみということもあって、遊んでいるのはエルフとダークエルフばかりだ。
もっとも、なぜか巴術士ジージが一人きりでぽつんと、浜辺でやれやれと肩をすくめていたが、二人は簡単な挨拶をするだけに留めた。
すると、そんな二人のもとに見知った人物が近づいてくる――
「へい、ヨ! クリーン! 今日のクルーは、クールなコールでやって来る?」
元エルフこと吸血鬼のシエンだ。姉である
というのも、シエンも、ミルも、すっぽんぽんだったのだ。いや、より正確に言うと、この場にいる魔族に変じたエルフたちは皆、真っ裸だった。もっとも、すぐにそうだと気づかなかったのには理由があった。
この天然プールは全体的に岩陰になっているはずなのに、エルフたちの大事なところにだけ、謎の光が射していたのだ。
どうやらエルフの森林群こと聖なる森で暮らしてきた者たちには、そこを離れていても光の加護があるらしく、こうしてたとえ裸になっていても、謎の光が仕事をして、全年齢対象になってくれるらしい……
いや、違うか……
キャトルはふとジージの方に視線をやった。
これはおそらく苦肉の策。ダークエルフはともかく、エルフたちの分の水着の製作が間に合わなかったので、ジージが光系の法術で隠しているのだ。
そんな大人の事情にキャトルも、「ほっ」と息をつくかどうか、ちょっとばかし悩みつつも、いったんシエンやミルと別れて、プールに入ることにした。
奥に行くほど水深があるのだが、二人とも泳ぎは達者なのでさして問題ではない。
「気持ちいいですね、キャトル」
「はい。温泉とはまた違った心地好さがあります」
そのときだ。こつんと――
キャトルの背に何かが軽く当たった。
「おや、これは失礼したでおじゃる」
咄嗟に振り向くと、そこにはヒトウスキー伯爵が黒ふん一丁で水面に
それほど塩分濃度は高くないはずなのに、背泳ぎの要領でずっと浮いているわけだから、ヒトウスキーも相当に泳げるようだ。
わざわざ背泳ぎをしているということは、おそらく白化粧を汚したくないのだろうか。何にしても、そんなヒトウスキーに対して、仲の良いクリーンが声をかけた。
「ヒトウスキー様、ぼんやりとしていたようですが、どうかなさったのですか?」
「ふむ。ところで、聖女殿。質問に質問で返すようで申し訳ないでおじゃるが、聖女殿にはこの湖……はてさて、プールに見えるだろうか、それとも温泉だろうか?」
「ええと……普通にプールだと思えますが?」
「……そうでおじゃるか」
ヒトウスキーがどうにも曖昧に応じると、キャトルの方が「はっ」と気づいた。
「そう言われてみると、たしかに砂浜の水温の方が冷たかったように思います。つまり、心持ちですが、奥側の水温は温かい……これは水深を考えるといかにもおかしいです。いくら岩陰とはいえ、普通は浅瀬の方が温かいはずですから」
「ほう。良いところに気づいたでおじゃる。たしか、貴殿はシュペル卿の長女の――」
「はい、キャトルと申します」
「ふむふむ。何にしても、キャトル嬢の言う通りなのでおじゃる。この湖の水は岩山から滝のように落ちてきているわけじゃが、そもそも湖の位置的には『火の国』や第六魔王国
ヒトウスキーはそこまで言うと、「早速、セロ殿に調査を依頼せねば」と、颯爽と背泳ぎで遠ざかっていった。
すると、入れ替わりというわけではないが、唐突に宙で「あああーっ」という絶叫が響いた。
直後、どぼーんと頭から真っ逆さまに湖へと落ちてきたのは――よりにもよってシュペル・ヴァンディス侯爵だった。これにはキャトルはまたまたまたギョっととせざるを得なかった。
「お父様! いったい、何をなさっているのです?」
「おお。
「流れにって……見事に落ちてきたではないですか?」
「ふむん。ジージ殿に岩山の上流に転送してもらって、ゆるりゆるりと流されていたのだが、気づけばここにたどり着いてしまった。やはり流れるも人生、落ちるも人生というところかな。ははは」
「…………」
いやいや、これから王国を復興するのにどぼんと落ちてもらっては困るのだが……
そんなふうに考えつつも、キャトルは今日何度目だろうか、「はあ」と、これまたため息をついた。
どうやら流れに身を任せたのはシュペルだけではないらしく、すぐに続けてダークエルフの双子のドゥやディンも、「あーれー」と楽しそうに落ちてきた。いつの間にか、浜辺にぽつんといたジージのもとに行列が出来ている。
その行列の最後尾にシュペルは戻っていった。これでも体制派なき今、王国では押しも押されぬ筆頭貴族である。それがいつまでもこんなところで流れに身を任せているのもどうしたものかとキャトルは思ったわけだが――
「まあ、今日ぐらいはいいですかね」
そもそも旧門貴族を代表するヒトウスキー卿はさっきまで揺蕩っていたし……王国の中枢たる聖女はエロ下着を纏っているし……
こうなったらキャトルも「ええい、ままよ」と、ヒトウスキーみたいに湖面に背をもたらせてぼんやりすることにした。
「では、キャトル。何だか楽しそうなので、私もあの列に並んできますね」
「はい。行ってらっしゃませ、クリーン様。お気をつけて」
そう応じて、キャトルはわずかな木漏れ日を浴びながら水面に漂った。
「キュイ?」
水着の胸もとからヤモリのドゥーズミーユが出てくる。
イモリとは違って水はさほど得意ではないから、キャトルの胸を小山に見立てて安心しきった表情だ。そんなドゥーズミーユを指先でつんつんしながら、
「何だか、つい先日まで会戦をしていたとは思えない光景ですよね」
「キュキュイ」
キャトルは「ふう」と小さく息をついた。こんなゆっくりとした日常がいつまでも続けばいいなと思いつつも――そこでふと、キャトルはぴんときてしまった。
もしエロ下着でクリーンが流れに身を任せて落下したら、果たしてどうなるだろうか、と。
「間違いなく、水着は全部外れて……全裸になってしまいますよね」
こうして王国の中枢たる人物の裸体が晒されるのを守護する為に、
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