第277話 風と共に去りぬ(終盤)

 ルーシーは自らの魔核を剣先で貫いた。


 紅玉ルビーのような魔眼から数滴、煌めく血が頬を伝って流れていくと、さながらセロを求めるかのようによろよろと無様にぶらついて、ついには片手を差し伸べた。


「……セロ」


 だが、その呟きを最期に、ルーシーの姿は消失していった。


 真祖カミラは「ふう」と息をついて、やれやれといったふうに肩をすくめてみせる。


 が。


 そんなカミラの横合い……


 何もない空間から突如、血の双剣が現れた。


 ルーシーだ。認識阻害によって、いつの間にかカミラの真横に潜んでいたのだ。


 しかも、消失しかけていたルーシーはというと、しだいにラナンシーに変じていって――当然のことながら、魔核の位置が異なるラナンシーは朧げになっていくふりをそこで止めると、カミラに一直線に向かっていった。


 同時に、ルーシーもカミラのすぐ真横に躍り出て、血の双剣を一閃、そして二閃と振るうも、


「はあ。そんなことだと思っていたわ。本当にやれやれよね」


 カミラには簡単にかわされてしまった。


 そもそも、ルーシーの剣術も、認識阻害も、カミラに教えてもらったものだ。


 見事に不意をついたつもりだったのに、容易にいなされるものだから、手の内を知られた相手にはこれほど不利に働くものなのかと、ルーシーは忸怩たる思いに駆られた。


「だが、挟撃ならば――」


 と、ルーシーは即座にラナンシーやシエンに視線をやった。


 だが、横合いから迫ったルーシーは蹴り上げられて、司令室の入口まで飛ばされた。正面から向かったラナンシーは床に組み伏せられて、またルーシーの逆から回り込んだシエンは近づくことすら出来ずに――


 結局のところ、カミラはラナンシーを足蹴にしながら告げた。


「ラナンシーがルーシーに化けていたのには驚かされたわ。認識阻害の腕が上がったのね。娘の成長を見るのは本当にうれしいものよ」

「ぐっ……」


 ラナンシーは踏んづけられながらも、カミラを睨みつけた。


 もっとも、カミラは気にすることもなく、司令室のデスクで事務仕事をしていたエメスに訝しげな視線をやった。


「ねえ、エメス?」

「どうしましたか?」

「三人の状況は筒抜けではなかったの?」

対象自動読取装置セロシステムについて言っているのでしたら、現状、この魔王城では全ての廊下に設置してありますが、階段上にはない箇所もあります。認識阻害を仕込むとしたらそこで行われた可能性があります」

「なぜ教えてくれなかったの?」

「逆に聞きますが、なぜ教える必要があるのです」

「やれやれ。警備の不備じゃないかしら? 抗議したい気分だわ」

「畏まりました。対象自動読取装置の追加は今後の課題にしましょう。終了オーバー


 エメスがあくまでも淡々と応じると、カミラは再度、「ふう」と息をついてから、司令室の入口でやっと立ち上がったルーシーに視線を戻した。


「まあ、何でもいいわ。どちらにせよ、これで最期のあがきもお終いよね。さて、ルーシー。ついにバッドエンド。今度こそ、さようならのお時間よ」


 カミラはそう言って、磔にされているセロの魔核のある場所をとんとんと叩いた。


 これにはルーシーも観念するしかなかった。万事休すだ。とはいえ、セロを求めることが目的なのだとしたら、カミラとて捕らえたセロを邪険には扱わないはずだ……


 だからこそ、ルーシーは最後の賭けに出た。


「戦場で死ぬことこそ誉れと教えたのは――貴女だ」

「そうね。だから?」


 カミラがつまらなそうに応じると、ルーシーはにやりと笑った。


「刺し違えても、貴女を倒す!」


 その瞬間、ルーシーはセロに対して『魅了』を放った。


 カミラのそれを上書きしようとしたのだ。今、ルーシーに持てる全てでもって。たとえ魔力マナが尽きようとも。また、この肉体が魔力の放出に耐えられなくとも――


 ルーシーはその身を賭してでも、セロを『魅了』して、すぐに解除しようとした。


 全てはセロを解放する為だ。


「さようなら、セロ。最期にせめて、妾の愛を受けて止めてほしい。そして、必ずや母に抗ってほしい。仲間を正しく導いてくれ」


 直後。


 血の涙で溢れた魔眼にピシリとひびが入った……


 禍々しいほどの魔力マナが司令室に充満して、浮遊城自体が揺れ始めた……


 セロだけでなく、この世界全てを飲み込むほどに、ルーシーはありったけの愛でもって、何もかもを塗り替えようとした。


 もっとも、この攻撃にはさすがにカミラも驚いたのか、


「ちょ。ちょ。ちょっーと待って。ストーップ! 愛が重い! 重すぎるわ!」


 そんなことを言って、拘束していたドルイドのヌフに視線をやった。


 そのヌフはというと、ルーシーの懸命な反転攻勢にぽかんと口を開けていたものの、すぐに気を取り直して、カミラにこくりと肯いてみせると――


 そのとたん、磔刑のセロは消滅して、またリリンの手枷もなくなった。


 つまり、これもまた認識阻害だったのだ。


 さらに、シエンがルーシーの『魅了』による攻撃を妨害するかのように、「お姉様、申し訳ありません。えい!」とデコピンした。


 不意を突かれたルーシーは「あた!」と痛がって、その場によろよろと崩れてしまった。そんなルーシーの胸ぐらを掴んで、カミラが大声で叱りつける。


「ねえ、ルーシー。貴女、馬鹿なの! 冷静に戦況を見なさいって、あれだけ口を酸っぱくして教えてきたはずよね!」

「え……ええ?」

「しっかりと観察すれば、このセロも、ヌフやリリンにしていた枷も――偽物だってすぐに分かったでしょう?」

「…………」


 これにはルーシーも黙ってしまった。


 事務仕事を相変わらず続けているエメスは、「はあ」と小さくため息をついている。


 さらに、リリンやシエンにちらりと視線をやると、いかにも「すいません」といったふうに両手を合わせてきた。要は、ほぼ全員がグルだったのだ。


 ちなみに、ラナンシーにだけは知らされていなかったようで、いまだカミラに足蹴にされながら、仲間外れにされたことに愕然としていた……まあ、こういう茶番劇というか、騙し合いには向いていない性分だから仕方ないことだろう。


 何にせよ、カミラがルーシーを叱責しているところに、エメスがやっと仕事にけりをつけて近寄ってきた。


「これが性悪吸血鬼カミラからの結婚及び懐妊祝いなのだそうです」

「え? お母様からの……お祝い?」

「はい。内政、軍事や技術などに関して、この性悪吸血鬼なりに感づいた駄目出しをしたかったということで、今回は仕方なく付き合いました。育児休暇でそれらを引き継がせるだけでなく、しっかりと見直しさせるべきとの判断だそうです」

「で、では、二人で共に、勝ったな、ぐふふ――と言っていたのは?」

「実際に、騙し切った我々の勝利となったわけでしょう? 終了オーバー


 すると、そのタイミングで司令室内に二人の人物が入ってきた。


「何だか、騒がしかったようだけど……いったいどうかしたのかな?」


 セロと近衛長エークだ。


 どうやらエークがエメスから連絡を受けて、タイミングを合わせてセロを誘導して来たらしい。つまるところ、エークもグルだったということだ。


 すると、カミラがルーシーから手を放して、セロへと振り向いた。


「あら、ちょうど良かったわ。貴方にも、贈りたい物があるの。昔は大陸にもこういう習慣があったのよ」


 カミラはそう言って、顎でくいっとリリンを促した。


 リリンはというと、アイテム袋から大事そうに二つのグラスが入った箱を取り出してくる。


「いわゆる夫婦めおと茶碗よね。まあ、私としては割れて・・・しまっても一向に構わないから、これで美味しいトマトジュースでも仲良く飲んでちょうだい」


 カミラに指示されてリリンが二人に贈り物を差し出すのと同時に、司令室内ではヌフの認識阻害によって隠れていたダークエルフや吸血鬼たちが急に現れ出て、薔薇の花びらをぱらぱらと宙に撒き始めた。


「おめでとうございます! セロ様! ルーシー様!」


 もっとも、一瞬だけ、セロとルーシーは「うっ」と。


 いつぞやの薔薇風呂を思い出して、精神的なダメージを負ったような表情になったが……


 何にしても、カミラはルーシーを抱き寄せて、「結婚……本当におめでとう」と、穏やかに伝えると、ルーシーもやっと落ち着いたのか、


「お母様……ありがとうございます」

「そうそう、さっきの重すぎる愛の捨て台詞は全て録画してあるから、もし結婚生活で苦労することがあったらきちんと見直すのよ」

「…………」


 そのとたん、ルーシーは真っ赤になって、やや俯いて、さらには両手で顔を隠してしまった。


 しかも、隣にいたセロの胸にぽすんと赤ら顔をうずめると、「やはり死にたい」などと言って、しょぼんとなってしまったのだった。


 やはり母は強しといったところか。

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