第276話 風と共に去りぬ(中盤)

「セロおおおおお!」


 ルーシーは悲痛な叫び声を上げた。


 最悪の事態だ。よもや最愛の人がこんなふうにあれな・・・格好で磔にされているなぞ……


 とはいえ、見方によっては、セロは元聖職者なので、いにしえの時代の遥か以前にどこぞの聖典に遺されたとかいう聖者の磔刑たっけいのようでもあったが、何にしてもルーシーは気が気ではなかった。


 これを機にセロまであれに目覚めてしまっては、第六魔王国はどんどんエメス色に染まっていってしまうではないか……もちろん、エメスが染めているのではなく、近衛長エークと執事アジーンがおかしいだけで、それに付き合わされている格好のエメスはかえって被害者とも言えるわけだが……


「国家の一大事だ。すぐにでも助けに行けなければ」


 ルーシーはその画像をちゃっかり保存してから仰々しく言った。


 内心ではこんなふうに赤ら顔になるセロも悪くないかなと思っていた。さすがは母上様――わらわの嗜好をよく知っているなと、ちょっとだけ称えてもいた。グッジョブと、さりげなくガッツポーズまでしてみせた。


 ちなみに、セロの磔刑のすぐそばで後ろ手に縛られて、杜撰に転がされている夢魔サキュバスリリンとドルイドのヌフについては視界に入ってすらいなかった。まあ、それはともかくとして――


「もしや……妾たちのことを出汁だしにでも使われたか……」


 ルーシーはそう懸念した。


 そもそも、単純な力勝負でセロがカミラに負けるとは思えなかった。たとえエメスの助力があったとしても、ルーシーを呼ぶなり、他の幹部たちに危機を伝えたりするなり、それさえ出来なかったというのはいかにもおかしい。


「ということは――」


 大人しく捕まらなければ、浮遊城を落とすぞとでも脅されたのかもしれない……


 セロはかつて勇者パーティーから追放された経緯から、皆と共にありたいと考える傾向が魔族のわりに強い。事実、セロの自動パッシブスキルはその思いから、『救い手オーリオール』が発現している。


 そういう意味では、皆を救う為に唯々諾々とカミラの指示に従った可能性が高いのではないかと、ルーシーはみなした。逆に言うと、これは浮遊城の欠点でもあった。上空にいれば『飛行』の種族特性持ちぐらいにしか攻撃されないとはいえ、こうして乗り込まれては城ごと人質に取られたようなものだ。


 これにもルーシーはまた、「さすがは母上様か」と称えた。


「だてに古の時代から、この城をねぐらにしてきたわけではないということだな……」


 さらに、ルーシーはセロのお人好しさ加減も苦々しく思った。


 魔王なのだから全てを突っぱねるぐらいに傲岸不遜であってほしいと、ルーシーはカミラからそんな帝王学を教わってきたこともあって、セロのやさしさがいつしか仇となるかもしれないと考えていた。


 そもそも、カミラにしても、エメスにしても、先代の第六魔王だ。そう、魔王なのだ。セロの座を虎視眈々とまた狙ってもおかしくはない。そんな野心溢れるカミラを――セロはルーシーの実母として丁重に扱ってしまった。


 逆に、セロからすれば、たとえ磔にされても、娘婿なのだからそれ以上に酷い扱いは受けないはずだと高を括ったのかもしれない……


「甘いぞ。本当に甘いのだ、セロよ」


 もちろん、ルーシーはセロほど楽観していなかった。


 何より、親子として長く付き合ってきた分、ルーシーはよく知っていた。母親カミラの底意地の悪さも、残忍さも、また性格の歪みも、その悪趣味さも、さらには癇癪も、俗物性も、刹那的行動も、はたまた子供っぽさまで……


 ……

 …………

 ……………………


「挙げれば……切りがないものだな」


 と、これにはさすがにルーシーも思い出しながらドン引きしたわけだが――


 何にしても、今、ルーシーは動くしかなかった。入口広間で相手の出方を待つのは愚の骨頂だ。相手は人質を取っているのだ。リリンはわざわざ「来るな」と警句を発してくれたが、最早、全員で地下三階層の奥に向かうしかない。


「…………」


 もっとも、ルーシーはわずかに押し黙った。


 対象自動読取装置セロシステムによってルーシーたちの行動は筒抜けのはずで、そばにはラナンシーやシエンが共にいることを知っているはずなのに、ルーシーに「一人だけで来なさい」と言わなかったのは――


「二人のことを大した戦力とみなしていないのか。それとも、他に何か理由があるのか」


 ともかく、ルーシーは「では、行くぞ」とだけ告げた。


 こうして地下三階層に繋がる階段を下りて、司令室の扉を開くと、そこにはたしかにカミラがいた。エメスはいかにも我関せずといったふうに座して仕事を続けている。


 そのカミラはというと、セロが拘束されているX字型の磔台に肩肘をかけて、「ふふん」と微笑を浮かべながら、セロの下顎をくいっと持ち上げて、「ほーら、白馬の王女様が来たわよ」と、いかにも愉しそうに耳もとで囁いた。


 さらに、ぺしっ、ぺしっ、とセロの頬を掌で軽く叩いてみせる。


 そのたびにセロが「うっ」とか、「あっ」とか、「いやっ」とか、艶めかしい声音を上げるものだから、ルーシーは思わず顔が真っ赤になるのを実感した。


「母上様! ――いや、真祖カミラよ。これはいったいどういうことか、説明願いたい!」


 ルーシーはそんな恥ずかしさを打ち消そうと声を荒げた。


 セロのあられもない格好を視界に入れないようにと、カミラを真っ直ぐに睨みつけるものの、当のカミラはさっきからセロを玩具のようにいじり倒して無視を続ける。


「乳首のあたりはどうかしら」

「ああ……」

「あら。可愛らしい。感じやすいのね? ほーらほら。ぺーろぺろ」

「うう……」

「ルーシーにもこんなふうに舌を這わせているの?」

「そ、そんなことは――」


 直後だ。さすがにルーシーの怒声が響いた。


「ふざけないでもらいたい! 幾ら母と言えど、もう許さないぞ!」

「へえ。許さないって……いったいどうするのかしら?」

「こうするまでだ」


 ルーシーは短く告げると、爪で両手首を一気に描き切った。


 ぶしゃっと、華麗に飛び散った血がしだいに禍々しい双剣となって、ルーシーはその二つの剣先をカミラにしっかりと向けた。


「あら、まあ、おっかない。そんなふうに激情するなと、かつて貴女にはちゃんと教えたはずよ。戦場で冷静さを失ってはいけないとね。もう忘れてしまったのかしら?」


 カミラはそう言うと、セロの喉もと――ちょうど魔核のあるあたりを人差し指でトントンと叩いてみせた。


 ルーシーがカミラに向かって一直線に攻撃を仕掛けるのと、カミラがセロの魔核を傷つけるのと、はてさて、どちらが早いかというならば……残念ながら、間違いなく後者だった。だからこそ、ルーシーはカミラの余裕に対して悔しそうにギュっと下唇を噛みしめる。


「いったい……何が狙いなのですか?」

この子セロよ。貴女に上げるにはちょっとばかし惜しいかなと思ったの」

「急に、どうしたというのです?」

いにしえの魔族は魔眼によって終生の好敵手を見出すものよ。これほどの魔力マナを持った者になら、その手によって殺されるか、もしくは貴女同様に孕まされて、新たな生を育んでもいいと考えても不思議ではないでしょう?」

「……正気なのですか?」

「もちろんよ。その為には……やはり貴女が邪魔だわ。どうせ貴女のことだから、私とこの子が結ばれるなんて望まないのでしょう?」

「当然です。娘の婿ですよ」

「そんな反応をすると思ったわ。仕方ないわよね。そういうふうに育ててしまったのだから」


 カミラはそう言って、これみよがしに「はあ」とため息をつくと、やっとルーシーを睨み付けた。


「私からの要求は単純シンプルよ」

「何です?」

「母娘丼なんてどうかしら?」

「絶対に嫌です」

「だったら、貴女にはここで自害してもらうしかないわ。そうすれば、セロは助けてあげる」


 カミラは微笑を浮かべた。


 その瞬間、ルーシーは『魅了』による精神攻撃に抗った。


 そして、ルーシーはそこでやっと気がついた。磔刑にされていたセロはすでに『魅了』をかけられていたのだ。道理でこの期に及んでもろくに抵抗出来ないはずだ。


 というか、さすがは吸血鬼の真祖というべきか。愚者セロの耐性を貫通して、その精神を狂わせたのだ。これにはルーシーも彼我の実力差を痛感せざるを得なかった……


「エメス! 貴様はなぜそこで平然としていられるのだ?」


 ルーシーはまた声を荒げた。


 セロが精神異常をかけられているのに、いまだに淡々と事務仕事を続けているエメスもどうかしている……


 が。


 エメスはやはり仕事をこなしながら冷たく言い返してきた。


第一妃ルーシーがいなくなれば、あとは小生とそこの性悪吸血鬼カミラとで、どちらが正妃に相応しいか、勝負をつける段取りになっています。終了オーバー


 ルーシーは絶句するしかなかった。


 こんな緊急事態だというのに、第六魔王国の幹部同士が一致団結していない現状に今さらながら気づかされた格好だ。


 セロがいれば、内政も、軍事も、何もする必要がないと妹二人に説いてきた先ほどまで自分をいっそ罵りたい気分だった。結局のところ、この国はセロがいないと、空中分解するしかないのだ。


「さて、ルーシー。そろそろ時間よ。最期なのだから、せいぜい華々しく散ってちょうだい。それぐらい、娘なのだから許してあげるわ」


 カミラはそう言って、またトン、トンと、セロの喉もとを叩いた。


 刹那、セロは「うっ」と呻いた。ルーシーは胸が引き締められるような思いだった。それがかえっていけなかったのだろうか――カミラの微笑によって、ルーシーは狂気に陥りそうになった。


 セロを助けたい……


 その助ける方法が自害しかない……


 いや、自害ぐらいならいい。だが、ルーシーがそうしたとして、本当にセロは助けてもらえるのだろうか?


 このままカミラとエメスの玩具にされないだろうか? それにセロと共にありたいと新たに興した、この第六魔王国はどうだ? そもそも、お腹の赤子はどうなるのだろうか?


 そんなふうに思考が渦を巻いて、一向に整理がつかず、ついにはカミラの精神攻撃にやられる格好で――


 ルーシーは呆然としつつも、双剣の先を自らの魔核のある位置に突き立てた。


「セロよ……すまん。最後まで支えてやれなかった妾を許してくれ」


 直後、ルーシーは魔核を双剣で貫いたのだった。

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