第269話 続・やることのない浮遊城 04 蠅王ベルゼブブ

 これまで機会がなかったので、ここで少しだけ地下世界こと冥界について話をしておきたい――


 第二魔王こと蠅王ベルゼブブは自由奔放に見えて、これでも職業軍人だ。


 地上世界こと大陸において最強と謳われる騎士団が王国の聖騎士団だとしたら、ベルゼブブは地下最強の蠅騎士団の軍団長を務めている。


 そもそも、意外に思われるかもしれないが、地下世界は冥王ハデスによって長らく平和と調和がもたらされてきた。地上に住む人族からすれば、魔族は全て戦闘種族というわけで、地下では三者鼎立ていりつ――


 第一魔王こと地獄長サタン、第二魔王こと蠅王ベルゼブブと第四魔王こと死神レトゥスが覇権を巡って延々と争っているように伝えられてきたわけだが、結局のところ、それは地下世界の一面しか映し出していない。


 実際に、地上の事例でたとえるならば、冥王ハデスは帝王みたいなものであって、地獄長サタンはハデスに叛意を持つ罪人を地獄ゲヘナに閉じ込める為の司法長、蠅王ベルゼブブは魔界に領土をもらった先鋒たる軍団長、そして死神レトゥスは霊界という名の大神殿の神官長に当たる。


 このうち地獄長サタンは法を司るだけあって、冥王ハデスに負けず劣らず、生真面目・・・・な性格であって、ハデスに叛意を一切持っていない。


 また、冥王ハデスが真面目というのも可笑しく感じられるかもしれないが、そもそも古の大戦時に交わした相互不可侵の約定を天族よりもよほどしっかりと守っているあたり、ハデス自身も相当にお人好しというか、秩序を重んじる性格であることが分かる。


 というか、魔眼で好敵手を探して、戦って死ぬことこそ誉れなどと考える古臭い魔族たちの長になるわけだから、その資質として混沌よりも秩序が求められたのは必然とも言える。


 そんな冥王ハデスや地獄長サタンに比べると、職業軍人たる蠅王ベルゼブブは野心家だ。


 本来は軍規に最も則るべき立場にいるのに、蠅騎士団を部下のアスタロトに放り投げ、モタの召喚に応じて地上にやって来たぐらいなので、相当に奔放な性格だと分かる。


 もっとも、当初はベルゼブブも地上に配下を求めてスカウトしに来た。


 ルシファーが珍しく、『万魔節サウィン』に地上の魔王を招待したので、その実力を見定めて、使えるようなら蠅騎士団に迎え入れようかと考えたわけだ。


 ところが、当の第六魔王こと愚者セロはすでに魔神の領域に達していたし、その配下のルーシーや人造人間フランケンシュタインエメスなども、古の魔王級の実力を持っていて、下手に引き抜くと、地上と地下とで軋轢が生じる可能性が出てくることが分かってきた……


 しかも、地上ではよりにもよって天族が率先して先の大戦時の約定を破って、人族の王国を玩具にして遊んでいる始末だ。これにはまさに「ズルい!」とベルゼブブも困惑したわけだが……残念ながら小さな蠅の体では「ぷーん」と飛ぶことしか出来ない。


 とはいえ、地上に出てきて良かったと思える出来事もあった――


 これまた自由奔放かつ天真爛漫な性格のハーフリングことモタと知己を得られたからだ。


 そもそも、個体としては冥王ハデスや地獄長サタンを上回るほどの実力を秘めているベルゼブブを『ベルちゃん』などと呼びつける者がいるとは、さすがのベルゼブブも思いもしなかった。


 何にしても、ベルゼブブはモタを気に入ってしまったので、いずれは魔界に連れて行こうかと考えているわけだが、それでもモタの意思はきちんと尊重するつもりだ。傍若無人としても知られるベルゼブブだが、そこまで身勝手なわけでもない。


 だからこそ、今回、モタが可笑しな事態に巻き込まれていることについては黙っていられなかった。


 泥竜ピュトンの鼻先にちょこんと乗って、その身を簡単に乗っ取ってみせると、


「良いか、第六魔王こと愚者セロよ。まず、人狼の執事とやらにモノリスだか何だかで連絡を取ってみよ」

「アジーンにですか? モタではなく?」


 セロがそう尋ねると、ピュトンことベルゼブブは「はあ」とため息をついた。


「モタは今、『飛行』中のはずだろう? そのモノリスは魔導通信らしいから下手に連絡を取ると、おそらく術式が干渉しあって、最悪の場合落下しかねんぞ?」


 ベルゼブブにそう指摘されて、セロは「なるほど」と、素直にモノリスの試作機でアジーンに連絡を取ってみた。


「はい。セロ様、如何いたしましたか?」

「ええと……今、いいかな?」


 アジーンはすぐに出てくれたわけだが、セロがわざわざ聞き返したのには理由があった――


 というのも、アジーンの背後がやけに騒々しかったせいだ。何だか屍喰鬼グールとドワーフが争っているように聞こえてくる。


 多分にドワーフの方はいつものように昼から飲んでいるのだろう。屍喰鬼の方はもとはヒトウスキー伯爵家の家人たちということで変わり者ばかり集まっているので、存外に喧嘩っ早い。さらには魔性の酒場ガールズバー夢魔サキュバスたちによる「がんばれー」とか、「やっちゃえー」とかの歓声まで届く……


 セロはもしかして取り込み中なのかなと心配したわけだが、当のアジーンはというと、そんな喧騒など全く気にせずに涼しい声音で返してきた。


「もちろんでございます、セロ様。何ら問題ございません」

「本当に?」

「はい!」

「ええと……じゃあ、聞きたいんだけどさ。アジーンって……モタと付き合っているの?」

「…………」


 直後、わずかな沈黙が下りた。


 しかも、通話越しだというのに、何だか気まずそうな雰囲気がひしひしと伝わってくる。


「セロ様。まず、はっきりと申し上げますが――付き合っているのか、いないのかということでしたら、手前てまえとモタとの間には、温泉宿泊施設における大将と若女将以上の関係性はございません」

「じゃあ、結婚する予定はないんだね?」

「当然でございます」

「あと、モタに子供が出来たわけでもないんだね?」


 セロがそう尋ねると、アジーンは一拍だけ置いてから「ははは」と苦笑した。


「何だか、噂に尾ひれはひれがついて、他国が情報工作でも仕掛けているのではないかと心配したくなってきましたが……繰り返しますが、手前とモタにそのような関係は一切ございません」


 セロは「そっかー」と一息ついた。


 ほっとしたような、それでいて残念なような不思議な気分だ。


「ところで、セロ様。一つ、手前からもお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「うん。何だい?」

「手前とモタとの噂は……いったい誰からお聞きになりましたか?」


 その瞬間、アジーンの声音がやや変じた。


 モノリス越しなのに、微かに笑っているような、全くもってそうでもないような――いかにも不穏なトーンが含まれていたのだ。セロですら眉間のあたりに冷や汗がつうと流れたほどだ。


「ええと……たしか、エークからだっけ?」


 すると、エークは両手をぶんぶんと横に振って否定した。


「とんでもございません。私は逆にセロ様から相談を受けたのですよ」


 エークもアジーンの声音がかなり不気味だったこともあって即座に否定した。もっとも、そのとき、「あのう」と、おどおどした声が部屋のドア越しから届いた。


「もしかして……私とセクシー(※源氏名)との会話をセロ様が上階の廊下で聞かれていたのではありませんか? ほら、小一時間ほど前に――セロ様が慌てて立ち去られたときです」


 そんなことを言ってきたのは、ピュトンの部屋の前で立哨していたダークエルフの精鋭だった。


 おかげでセロもやっと思い出した。たしか休憩中だったこのダークエルフがモノリスの試作機で誰かと話しているところをたまたま耳にしたのだった……


「くっくっく」


 もっとも、唐突にアジーンの低い笑い声が響いた。


「なるほど。真犯人が分かりました。そういうことだったのですか」

「え? 真犯人?」


 セロがそう聞き直すと、アジーンはかえって鷹揚に答えた。


「はい。可笑しな噂が独り歩きしていたので、いったい誰が流したのかと、皆にきつく問い詰めていたところ、料理長のフィーアとドワーフ代表のオッタ殿が責任のなすりつけ合いを始めて、延いては先ほどから屍喰鬼どもとドワーフどもとで、下らないいさかいが始まっている始末なのです」

「ええと、第六魔王国は……だ、大丈夫なのかな?」

「問題ございません。手前一人で何とでもなります。それにどうやら夢魔サキュバスたちにも責任があったようですし」


 背後では、「逃げろー」とか、「解散!」とか、「全員で大将に『魅了』攻撃かけるよー」とか、さらに不穏な空気が流れてきたわけだが、セロは遠い目になるしかなかった。


「どうやら仕置きが必要なようなので、ここで連絡を終わりにさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「う、うん……なるべくお手柔らかにね」

「そうそう、近衛長エーク。そこで聞いているかね?」

「な、何だ?」

「浮遊城内で下らない噂がこれ以上広まらないように気をつけることだ。貴様の部下も関わっていたようだしな」

「わ、分かった……注意しよう」

「では、失礼する」


 ぷつんと、そこで通信は切れた。


 セロ、エークとダークエルフの精鋭は遠い目になるしかなかった……


 口は災いの元というが、今回はまさしくその典型例だ。セロもこれからは噂などに頼るのではなく、気になったことがあったら直接本人に聞かなくては駄目だなと痛感した。


 そもそも、セロはここ最近、とても気になることがあったのだ――


「やっぱり、きちんと確認しに行こうか」


 と、セロが意を決して踵を返そうとしたときだ。


 部屋の入口に二つの人影が新たにあった。それはルーシーとリリンだった。セロはやや眉をひそめた。この姉妹の仲は悪いわけでないのだが、仕事以外で揃っているのはとても珍しい。何か非常事態でも起きたのだろうか……


 すると、まずルーシーから誰何があった。


「セロは中にいるのか?」

「うん。いるよ」


 セロは「ふう」と息をついてから、勇気をもってあること・・・・を尋ねようと決めた。


 実のところ、聞くのがちょっと怖かったのだ。そもそも魔王になってから、本当に王様らしいことが出来ているのかと自問自答する毎日だ。優秀な配下に支えられて、何とかやっていけているに過ぎないことは、セロとて十分に自覚している。


 そんな頼りない魔王でしかないセロが果たして、もう一つの・・・・・役割を持てるのかどうか――ひょっとしたら色んなものに手一杯になって、誰も支えられなくなるんじゃないかと、少し不安だったのだ。


 誰も導けず、あるいは救えなくなったセロに、いったい価値などあるのだろうか?


 もっとも、そんな惑いなど構わずに、ルーシーはゆっくりと言葉を紡いだ。


「実はな、セロに報告があるのだ」

「僕もルーシーに聞きたいことがあったんだ」

「ほう。ならば、先にセロから言ってくれて構わないぞ」

「いやいや、ルーシーの話を聞こうじゃないか」

「…………」

「…………」


 二人は同時に、「ははは」、「うふふ」と笑みを浮かべてから、「せえの」と声を合わせた。


「ねえ、もしかしてルーシーのお腹には――」

「ああ、いるぞ。セロの子供だ」


 直後だ。


 セロはルーシーをギュっと強く抱きしめて、宙に持ち上げてから、地下二階層の廊下に出ると、ぐるんぐるんと回った。


 いつだってそうだ。セロを導いて、そして救ってくれるのはルーシーなのだ。


 セロは笑って、泣いて、ひとしきり声を張り上げてから、また「ふう」と息をついて、第六魔王として新しく誕生する実子だけでなく、全ての臣民の為にこつこつと出来ることをしていこうと決意したのだった。


 ちなみに、十月十日後にセロとルーシーはこの世界で最も盛大な結婚式を挙げるわけだが……そこに行きつくまでに様々な苦難が待ち受けていることに、このとき二人はまだ気づいてはいなかった。

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