第268話 続・やることのない浮遊城 03 泥竜ピュトン

 第二魔王こと蠅王ベルゼブブがぷーんと浮遊城の入口広間から地下階層へと降りようとしていた頃、セロと近衛長エークは地下二階の一室を訪ねていた――


 ちなみに、地下階層は現在、改修によって三層に分けられていて、一層目は格納庫や資材置き場で、最深部の司令室にて人造人間フランケンシュタインエメスやドルイドのヌフと一緒に働いている吸血鬼たちの棺桶も廊下にずらりと並べられている。


 これだけ棺桶があると、なかなかに荘厳な光景だ。


 もともとは『迷いの森』の入口付近でベースキャンプを張っていた吸血鬼たちだったが、温泉宿泊施設周辺に城下町が形成されていくと、宿で働く者たちはそちらに家を持ち、またわずかながらセロやルーシーの近衛となった者も三、四階にある使用人の部屋をもらった。


 結果、そこからあぶれた者たちがこうして地下の廊下に棺を並べたわけだが、その中には階段上に寝かせているものもあったので、エークがやや弁明気味に、


「御見苦しくて申し訳ありません、セロ様。この城が浮遊する都合上、地下階層の拡張はどうしても難しいので、今はこのような狭い場所にも暫定的に棺桶を置かせています」

「上階はもう空きがないの?」

「お恥ずかしい話しながら、我々ダークエルフも入っていまして……」

「そういえば、あるときを境に迷いの森のほとんどがやって来てくれたんだっけ?」

「はい。浮遊城への改修時ですね。その後、火の国から訪れたドワーフたちも城内に幾つか部屋を持ちましたので、結果的に上階は我々、ドワーフ、それに人狼メイドたちで住み分けております」


 セロは「ふうん」と相槌を打つと、今度エメスと相談して、上階の拡張も検討しないと駄目かもしれないなと考えた。


 もっとも、吸血鬼たちからすると、日の当たる外や上階よりもじめじめして暗い地下の方が良いらしく、可能ならばこのままにしてほしいという要望も出ているそうだ。


「あれ? でも、この部屋……やけに広くない?」


 セロとエークが地下二階に着くと、そこにはやけに広い部屋と、小さなそれに分かれていた。


 しかも、広い部屋の方には大きなプレートが入口に張り付けてあって、そこには――『究極至高完全合一聖魔絶対超越現人神教の総本部(仮)』とあった。


「…………」

「セロ様? 如何なさいましたか?」

「ここ、削っていいんじゃないかな?」

「いえいえいえ、とんでもございません! この部屋はセロ様を宗教的に崇める為に必要な場所です」

「本当にいる?」

「当然です」


 エークが「ふんす」と目の色を変えて抗議してきたので、セロもさすがにそれ以上は言えなくなった。


 なお、仮ではない総本部の方は現在、西の魔族領こと湿地帯にあった墳丘墓を改修しようという計画が進んでいて、つい先日、巴術士ジージが下見に行ったばかりだ。


 セロからしても目の届かないところで勝手にやってくれる分には、とにもかくにも文句はないので、とりあえずゴーサインを出してしまったわけだが……


 何にしても、セロやエークがこうして階下までやって来たのは、そんな地下階層の逼迫した空き事情を確認するでも、セロを崇め立てる怪しげな部屋を見る為ではなかった。また、人造人間エメスを相手に、アジーンとモタとの結婚について相談する為でもなかった。


 そもそも、今、エメスは多忙だ。相方であるドルイドのヌフがエルフの大森林群に一時的に残ったので、そのヌフが担うはずだった仕事をこなしているからだ――それは強襲機動特装艦『かかしエターナル』からの上空監視による王女プリムの捜索である。


 その為、夢魔サキュバスリリンの考えとは違って、セロとエークはそんな多忙なエメスをわざわざ訪ねにきたわけではなかった……


 では、いったい、こんな薄暗いところに何をしに来たのか?


「いるかな?」

「それは間違いなくおります。逃げられませんから」

「寝ていたらどうする?」

「当然、叩き起こします」


 セロとエークはそんな会話をしつつ、地下二階層にある小さな部屋の前に立った。


 そこにもやはりプレートが飾ってあった。さらにドアの前にはダークエルフの精鋭が二人、いかにも厳かな顔つきで立哨している。


 上司のエークが一言も発さずに「うむ」と肯くと、精鋭の一人が察してドアを乱雑にノックした。


「空いてるわよ。そのぐらい知っているでしょ?」


 すると、ずいぶんとやさぐれた返事が聞こえてきた。女性の声だ。


「お邪魔します」


 セロはそう丁寧に言って、エークと共に部屋の中に入った。


 そこは六畳半ぐらいのワンルームになっていて、奥には台座と仏壇のようなものが置かれていた。


 遺影は第五魔王こと奈落王――いや天使・・アバドンだった。どこの文献からくすねてきたのか、アバドンを描いた羊皮紙が切り取られて、額縁に入って祀られていたのだ。


 そう。ここは泥竜ピュトンの拘束部屋だ。


 もっとも、拘束とはいっても、ピュトンには『鈍重』の魔術付与が施された足枷を課しているだけで、部屋内ならば自由に動くことが出来るようだ。


 しかも、意外なことに家具や設備も存外に整っていて、小さなモニタから外の世界の出来事まで見られるようになっている。まさに至れり尽くせりといったところで、さながら充実した刑務所の一室みたいだ。


 ただし、入口にいるダークエルフの精鋭たちに加えて、この部屋内にも――


「キュイ?」

「キイキイ」


 と、ヤモリやコウモリたちが幾匹か、しっかりといる。


 おかげで部屋の外には出られないし、そもそもピュトンはここから出たことが一度としてない。また、脱獄の意思も今のところはなさそうだ……


 セロはそんなヤモリやコウモリたちの頭を撫でなでしてから、エークが用意した椅子に座って、ピュトンと向き合った。エークはその斜め後ろで立哨し、ピュトンはというと皮張りのソファの上に身を投げている。


 いかにも不遜な態度だが、セロは咎めなかった。


 そもそも、ピュトンにはそれなりに世話になっていたからだ。もちろん、セロが・・・ではない。正妃のルーシーの方が、だ。


 女豹大戦のあたりから前後して、ルーシーはこのピュトンにいちいち恋愛相談にやって来るようになっていた。その際に、せめてもの礼としてピュトンからの抗議を聞き入れてあげた――


「日々、拷問されるのは別に構わないわ。それだけのことを私はたしかにやって来た。今さら贖罪を拒みなどしない。そもそも私は帝国の栄えある神殿郡の巫女よ。贖うことには慣れているわ。ただ……それでも……毎朝……毎昼……毎夕……毎晩……毎深夜……毎早朝に――エークとアジーンがこの部屋にひっきりなしにやって来て、勝手に磔になって、ご褒美みたいにいちいち嬌声を上げまくるのだけは勘弁してほしいのっ!」

「…………」


 ルーシーはさすがに無言になって同情したらしい……


 無駄にイケメンボイスで嬌声を上げるものだから、ピュトンも何だかむらむらときて、当時は足枷ではなく、その四肢をX字型に拘束されていたこともあって――このままでは性癖的にあれ・・になってしまうと、相当に危機感を持ったらしい。


 巴術士ジージなどは「いい気味じゃわい」と言っていたようだが、結局のところ、「まあ、それならば――」ということで、ジージが管轄する地下二階層の物置小屋にピュトンを移送してやって、その管理下に置くことにした。


 もっとも、ジージ自身はセロを神聖視していることもあって、ピュトンが天使アバドンを祀っていることに対してはあえて異端とはみなさなかった。


「たとえ崇める神は異なっても、信じる思いは同じじゃよ」


 と、ジージは初めて歩み寄りを見せて、このときピュトンに役割を与えたわけだ。


 それが実は部屋の前のプレートにこっそりと記してあった――『第六魔王国内 恋愛・結婚相談所』だ。


 とはいえ、そんな怪しげな場所にルーシーが足しげく通うものだから、ダークエルフや人狼メイドたちも訪れるようになって、


「ふん。相談は無料ただじゃしないわよ。王国通貨なんていらないから、とにかく何か物を寄越しな」


 と、対価を求めたことから、当初は仏壇とござしかなかったこの部屋も、今では見事この通り、家具であるモニタやソファに、暇潰し用の古書、ちょっとしたインテリアやそれなりのまかない料理などまで提供されている始末だ。


 しかも、最近では女豹たちの集会所にもなっているらしく、現在、第六魔王国で恋愛にまつわる情報に最も詳しいのは間違いなく、このピュトンだという有り様である。


「そんなわけで、ピュトンに確認したいんだけど――」


 と、セロが早速、相談すると、


「皆まで言わずとも分かっているわ。どうせ挙式のことでしょう?」


 ピュトンはそう応じて、セロの背後にいたエークにちらりと視線をやった。


 エークはいかにもピュトンを信用していないのか、はたまた城内の名だたる女性陣がこぞって陥落しているのが気に入らないのか、かなり警戒しながら険しい目つきを返したわけだが、


「そりゃあ、世界最大、史上最高の挙式にしなくちゃ駄目に決まっているわ」


 そう告げると、エークもまんざらではない表情に変わった。ちょろい近衛長である。


 もちろん、ピュトンはルーシーから幾度も相談を受けていたので、どうせセロとルーシーとの挙式のことだろうと高を括っていた。だが、セロが聞きたいのは――残念ながら、アジーンとモタとのことだった。


 だから、そこまでやらなきゃダメなのかとセロが驚いていると、


「そもそも、あんたは王国の元聖職者だったんじゃなかったの?」

「ええ、そうなんですが……」

「私は帝国の巫女を務めてきたから、過去には王侯貴族の挙式に立ち会ったことも幾度かあったわ。あんただって挙式が初めてってわけじゃないんでしょ?」

「いえ。そのう……実は――」


 セロは王国の神学校で座学した後に、すぐ冒険者として登録し直したので、祭祀祭礼の実務はほとんどこなしたことがないと説明した。


 それを聞いて、ピュトンは「あちゃー」と片手を額にやった。


 というのも、結婚式というのは慣習の塊だ。特に、立場が上の者ほど、形式に則って、全てを継承していくことを領民に示さなければいけない。


 そんな仕来たりと形式をきちんと事前にイメージ出来るかどうか――その違いによって、挙式の立ち上げから運営、そして進行までの段取りに天と地ほどの差が出てくる。


 これは相当に面倒なことになってきたぞと、ピュトンは「はあ」と、これみよがしにため息をついた。


 たとえるならば、舞踏会で社交ダンスをこなさなくてはいけないのに、阿波踊りしかやったことがない者を即席で鍛えるようなものだ。


「やれやれだわ。とりあえず、新郎が・・・魔族なのだから、魔族式でいくってことでいいのよね?」

「え? ええと……魔族式って?」

「そこからなの?」


 ピュトンはまた呆れかえるも、王国式なども含めた説明を丁寧にしてあげた。何だかんだで面倒見の良い姉御肌である。


「なるほど。そんなにも形式があったわけなんですね」

「何なら、帝国式ってのもあるわよ。今じゃあ、ほとんど廃れてしまったけど」

「ちょっと待ってください」


 セロはそれだけ言うと、背後にいたエークにちらりと視線をやった。


「エークたちダークエルフはどうだったの? ドワーフたちみたいにご祝儀や引き出物みたいな習慣があるのかな?」

「いえ。迷いの森での生活はとても厳しいものでしたから、近親の者のみが集まって、ドルイドのヌフの前で報告してきたといった程度です」

「逆にエルフなんかは見栄えを気にするのか、結構派手にやっていたはずよ。帝国の神殿でわざわざ挙式を上げた者たちもずっと昔にはいたわ」

「へえ。色々とあるんですね」


 セロが出されたお茶を「ずずず」と啜って、お茶菓子も一つまみして嘆息してみせると、


「――って、のんびりしている暇なんてないわよ!」


 ピュトンはびしっとツッコミを入れた。


 お茶をさりげなく出してきたのはピュトンの方なのに……と思いつつも、セロは渋々とそのお茶菓子をエークに手渡した。意外に美味しかったから、お土産にしようと考えたわけだ。それはともかく、


「とりあえず、魔族式でいくってことでいいのよね?」

「それなのですが、挙式は人族、魔族や亜人族協調の象徴的なイベントにしたいのと、あと王国出身・・・・ということもあって、王国式とのミックスというのはどうですか?」


 何ならモタにハーフリングの挙式がどんなものか聞かなくちゃいけないかなと、セロはふと思った。


 もっとも、ピュトンも、エークも、セロが・・・王国出身だからそう提案してきたのだろうなと解釈した。とことん噛み合わない三人である。


「まあ、いいわ。何にせよ、帝国で鍛え上げたこのウェディングプランナーこと私に任せなさい! あんたとルーシーとの最高の挙式にしてあげるわ!」

「…………え?」


 ついに、やっと、初めてセロが訝しんだときだった。


 どこからか、「ぷーん」と侵入者がやって来た。もっとも、ヤモリやコウモリたちとは仲良くしているので咎められることはなかった。その侵入者はピュトンの鼻先にちょこんと乗ると、その体を簡単に乗っ取ってから――


「いい加減にせんか! 主語を明確にしてから話さんかい! さっきからむず痒くてたまらんわ」


 こうして、ろくに付き合ってすらいないアジーンとモタが退きならない事情で、全世界生中継の盛大に過ぎる偽装結婚式をさせられる前に、本物の救世主が飛来したのだ。

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