第267話 続・やることのない浮遊城 02 外交官リリン

 夢魔サキュバスのリリンは玉座の間の前の回廊で、「ふう」と小さく息をついた。


「こういうときこそ落ち着いて、一つ一つの物事に確実に、かつ迅速に対処していかなくちゃだよな」


 さすがに外交官を務めるだけあって、喫緊の事態にはリリンもよく慣れている。


 そもそも、ここ第六魔王国ほど忙しない場所も他にないだろう。いつも戦争しているか、陰謀に巻き込まれているか、はたまた歴史的快挙を成し遂げているかのいずれかだからだ。おかげでこの国に戻って来て以来――わずか数か月にもかかわらず、リリンも自身の成長を実感出来ている。


 もっとも、そんなリリンはというと、


「あれ? おかしいな……セロ様とエーク殿は玉座へと戻らないのか」


 そう呟いて、わずかに首を傾げた。


 どうやら階下の入口広間にいたセロと近衛長エークはそのまま地下の司令室に向かったようだ。おそらくルーシーではなく、人造人間フランケンシュタインエメスに相談しに行ったのだろう。


 たしかにエメスはモタと何だかんだで親しくしているし、何よりこの国の個人情報に最も詳しい人物だ。それに加えて、人狼の執事アジーンはたしかにルーシーと長らく主従の関係であるものの、エメスともあれ・・的な主従関係を結んでいるので、そういう意味では互いによく知っている間柄だ。


 さらに、リリンはふと思い出した。今日はルーシーにしては珍しく、どこか疲れ果てているように見えた。だから、セロたちもそっとしておこうかと配慮したのかもしれない、と。


 もちろん、リリンにはそんなふうに都合よく見えただけで、ルーシーは本日、バンジージャンプの影響もあって、「ばぶー」と完全に幼児退行化していた。もしエルフの大森林群で真祖カミラにばったりと出くわしていなかったら、今もまだルーシーはセロに甘えていたはずだ……


 何にせよ、玉座の隣席に座しているルーシーへと声をかけようとして、リリンはいったん回廊の先で歩を止めた。


 というのも、こんな会話が漏れ聞こえてきたからだ――


「ふむ。つまり、王国では結婚式前に、『ウィッシュリスト』なるものを作るのだな?」


 そう問うたのがルーシーで、それに答えたのが王国の大神殿の教皇である。


「その通りですじゃ。新郎、新婦両人が相談し合って、新生活に欲しいものをリストにして、結婚式に出席する友人たちや家族に事前に見せるのですな。そこにリストアップされているものを友人たちが資金を出し合って購入し、婚前に贈るのが王国での習わしとなっておるわけです」


 どうやらルーシーは王国での挙式の慣習について質問を繰り出しているようだった。


 ちなみに今、この玉座の間には、護衛も兼ねたダークエルフの近衛たちと、付き人のディンの不在を補助する為に侍っている人狼メイドたちがわずかにいるだけで、あとはルーシー、教皇と第一聖女アネストしかいない。


 教皇はまだ初老ぐらいの人物のはずだが、御年百二十歳の巴術士ジージよりも遥かに老けていて、王国の聖職者のトップというにはかなり邪悪な・・・相貌だ。セロよりもよほど魔王らしい顔つきとも言っていい。


 もっとも、そのジージに言わせると、王国史上、最も清廉な教皇として知られているそうで、おそらく主教イービルやフェンスシターのような部下を持ったことで相当に苦労させられてきたのだろう。そんな気疲れストレスが険しい皺となって、ありありと顔に刻まれていた。同じく下仕えの身のリリンとしてはまさに同類相憐れむといったところか……


 一方で、第一聖女アネストは第二聖女クリーンより幾つか年上で神学校時代の先輩スールだと聞いていたが、聖母のような慈愛に満ちた女性だった。魔族のリリンでさえ思わず、「眩しい」とその後光を手で遮ったほどだ。


 そんなアネストが教皇の話に付け足す格好でルーシーに説明した――


「そういえば、亜人族の中にも、ご祝儀や引き出物という文化を持つ者たちもいるそうですよ。『火の国』のドワーフたちもそうなのだとか」

「ほう。ご祝儀と引き出物とな?」


 ルーシーが聞き返すと、アネストはこくりと肯いて話を続ける。


「はい。ご祝儀というのは、要するに金一封のことです。実は、王国にもその文化は伝えられていて、子供が生まれたときや、あるいは進学、就職したときに、プレゼントを贈る風習として変容しています」

「ただですな。先ほども申し上げた通り、王国には結婚でご祝儀を贈るといった習慣はもう残っとりませんなあ」

「その通りです。代わりのウィッシュリストというわけですね。あと、引き出物というのは、結婚式に参加した友人たちに贈る謝礼のようなものだそうですよ」


 そんなアネストの説明に対して、ルーシーは「何とまあ」と眉をひそめた。


「結婚したというのに、友人たちに祝ってもらうのではなく、逆に感謝するというのか? それはまあ……なかなかに奥ゆかしい習慣だな」

「たしかにそう捉えることも出来ますね。そもそも、ドワーフに限らず亜人族の結婚式では、盛大で豪華な食事を皆に振舞うそうです。そのうち食べきれなかった物を皆がそれぞれ持ち帰って土産にしたことが、引き出物の由来になったとか」

「ふむん。なるほどな。やはりわらわたち魔族とは、ずいぶんと異なるものなのだな」


 ルーシーがそう応えたところで、アネストが「あらあら」と逆に聞き返した。


「では、ルーシー様にお尋ねいたしますが、魔族の結婚式というのは、いったいどういったものなのですか?」

「ふむ。何てことはない。皆で騒いで、殴り合うだけだ」

「…………」


 アネストと教皇は沈黙した。


 本当にこの種族と協調していけるのかと、やや遠い目をしているのは気のせいだろうか……


 何にしても、ルーシーのシンプルな答えでは誤解を与えそうなので、リリンはやっと玉座の間に入って、実姉の言葉に付け足した。


「魔族には結婚に当たって、『ウィッシュリスト』なるもの、あるいはご祝儀や引き出物といった習慣はない。そもそも、強い魔族が命じれば、配下は全てを捧げるものだ。逆に、強き者がちょっとしたタイミングで配下に武器などを下賜する」

「ほうほう。それでは、結婚式で殴り合うというのはどういうことなのですかな?」


 教皇が巴術士ジージみたいに白い顎髭に片手をやって尋ねてきたので、リリンは自らの目を指差してみせた。


「魔族には『魔眼』がある。これで相手の力を見定めて、終生の好敵手を探すわけだが……結婚式というのは得てして有力者たちが集う場になる」

「なるほど。結婚式に参列した者たちにとっては、一種のお見合い・・・・の場にもなり得るというわけですな」

「そういうことだ。だから、盛大な殴り合いが始まって、互いの力を確かめることになる。最初は一組の結婚だったはずが、気がつけば数組になっていることもざらにある」


 はてさて、魔族の結婚式に今後参加するべきかどうか、さすがに殴られては困ると教皇は戸惑っているようだったが……一方で第一聖女のアネストはやや納得いかない顔つきでリリンに尋ねた。


「先ほどのモンクのパーンチ様と巨大蛸のクラーケン様の挙式ではそのような習慣は見られなかったようですが? やはりそれは人族との結婚だったからですか?」


 すると、今度はルーシーが頭を横に振った。


「いったい何を見ていたのだ、聖女殿よ。殴り合いならとうに行われていたではないか?」


 アネストは「ん?」といった困惑を浮かべてから、「ああ」と、ぽんと両手を叩いた。


 たしかにルーシーの言う通りだった。魔王城の直下では今も壮大な殴り合いが進行中だ――もちろん、ヒュスタトン会戦のことだ。魔族にとっては、これほどに誉れある挙式もないともいえるわけだ。


 とまれ、リリンはというと、本題を切り出すタイミングを計っていた。


 そもそも、こうしてルーシーが聖職者の二人に王国の習慣について問い合わせているということは、モタの挙式を気に掛けているのではないかと思い至ったわけだ。


 もしかしたらルーシーはすでにアジーンとモタとの関係について聞き及んでいて、モンクのパーンチや巨大蛸クラーケンのときと同様に、教皇や第一聖女アネストに執り行ってもらおうと判断しているのかもしれない……


 たしかに、亜人族と魔族の結婚式を人族が取り持つのは政治的に大きな意味を持つ。ここらへんのバランス感覚については、リリンも「さすがお姉様だな」と外交官として納得した。


 もっとも、そのルーシーはというと――急に、パン、パン、と両手を叩いた。


「皆の者よ。妾と王国の両人、それとリリンを除いて玉座の間より即刻立ち去るがいい」


 ルーシーがそう告げると、ダークエルフの近衛と人狼メイドたちは疑問も持たずに出て行った。


 そもそも、ルーシーは近衛よりもよほど強い上に、真祖カミラから帝王学を叩き込まれただけあって、人狼メイドが今さら補佐することもほとんどない。だから、たとえばセロと密事を話し合うときもたまにこうして退室を促すことがあった。


 それでも、リリンは眉をひそめるしかなかった。


 何かしら大事な話をするというのに、王国の二人を残した理由が分からなかったせいだ。やはり挙式に当たることだからか。もしや、何かサプライズでも用意するつもりで、耳に入れる人を絞ったのだろうか――


 と、リリンが目を細めて不思議がっていると、


「ほほ。まあ、わしらは聖職者。新たな息吹の存在には敏感ですからな」

「うふふ。そうですね。まずはルーシー様、本当におめでとうございます」


 教皇とアネストがそう厳かに告げると、リリンは思わず、


「……え? えええ――っ!」


 と声を上げて、口をぱくぱくと開閉することしか出来なかった。


「ま、ま、ま、まさか、お姉様……まさかまさかまさかあああああ!」


 不思議なもので、人族でも、魔族でも、動揺すると言葉は出なくなってしまうようだ……


 そんなふうに戸惑うばかりのリリンに対して、ルーシーは少しだけ両頬をぽっと赤く染めて、唇に人差し指を当ててから、いかにも秘め事を共有するかのように囁いた。


「うむ。リリンよ。そのまさかなのだ。今、妾のお腹には新たな命が宿っている」

「――――っ!」


 何にしても、色んな人物が勘違いとすれ違いばかりだった、この事態の顛末に、ついに、ついに、驚天動地の真実がもたらされたわけだが……ここにきて、意外かつ本当の・・・救世主が現れた。


 その者はというと、先ほどヒュスタトン高原に飛び出していったモタの鼻先から離れて、今はコウモリたちと仲良く玉座の間の天井に張り付いていて暇を潰していた――そう、第二魔王こと蠅王ベルゼブブである。


 な、な、な、なんですとおおおおおおおお!


 古の時代の遥か以前より生きてきたベルゼブブでもさすがにこれには驚いた。


 実のところ、ルーシーに子供が生まれないうちに、地下世界にある魔界にセロを掻っ攫ってもいいかなとまで考えていた。それだけ、ベルゼブブはセロを高く評価していたわけだ。とはいえ、どうやら結婚も、妊娠も、ルーシーに先を越されたようだ。


 何にしても、ベルゼブブはぷーんとセロの後を追うように地下へと向かった。こうして浮遊城におけるボタンの掛け違い狂想曲はそろそろ終演を迎えようとしていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る