第257話 ヒュスタトン会戦 15

 ヒュスタトン高原の最も西にあって、王国に対して反旗を翻した者たちの本陣にて、ついにこの会戦での最後の戦いの火蓋が切られようとしていた――


 英雄へーロスが王女プリムと対峙し、その背後ではヒトウスキー伯爵が虎視眈々と隙を窺っている。


 それぞれの得物は、ヘーロスが片手剣、プリムは身の丈ほどの長剣、そしてヒトウスキーがドワーフの銘刀で、またその構えも、ヘーロスが剣を寝かせて上段、プリムは引きずるように下段、その一方でヒトウスキーは切っ先を静かに正眼に向けている。


 ただし、ヒトウスキーは女聖騎士キャトル、さらには魔核を傷つけられた吸血鬼シエンを庇うように立っているので、容易にはプリムに攻撃が出来ないはずだ。今、この場ではキャトルの実力は数段低く、また手負いのシエンも足手纏いになっている。


 その事実にキャトルは「くっ」と忸怩たる思いに駆られるも、それでも戦いの邪魔だけはしてはいけないと、襤褸々々ぼろぼろになった聖盾を構えて、シエンを守ることに徹したようだ。


「さて、どうくるのかな?」


 そんな状況で、英雄ヘーロスは囁いた。


 というのも、へーロスたちがプリムの撃退を第一に考えているのに対して、相対するプリムの目的がいまいちよく分からなかったせいだ……


 そもそも、この会戦において同族たる天使たちが全て潰えることを狙っていたのならば、その目的はもう達成されたわけで、反体制派の本陣に取り残されて、こうしてヘーロスたちに囲まれるのは不本意なはずだ。


 逆に言うと、何らかの理由があるからこそ、今もプリムは撤退せずにこの場にいるとも捉えられる。


 それが果たしてなのか?


 英雄へーロスとヒトウスキー伯爵は想像がつかずに、先ほどからじりじりと間合いを取ることに終始させられている。


 すると、当の王女プリムが長剣を地に引きずらせながら、「ふう」と小さく息をついた――


「ほとほと嫌になってしまうわ。我が国を代表する剣士二人がよりによって、王女たる私に盾突くだなんてね」


 そう言って、プリムは可愛らしくぷんすかと両頬を膨らませてみせた。


 もっとも、英雄ヘーロスはいかにもつまらなそうに「ふん」と鼻を鳴らして抗議した。


「身から出た錆だろう? 少なくとも、大神殿に飾ってあった偽物の聖剣で悪巧みをしなければ、俺は貴女とこうして対峙することもなかった」

「聖剣で悪巧み? ああ……もしかして、高潔の元勇者ノーブルの魔力マナ経路と似た者を探す為に、片っ端から候補者に呪いをかけていったことかしら?」

「おかげで俺の親友は魔族になって帰ってきたよ。討伐したのは俺自身だ」

「あらまあ、それはご愁傷様。でも、あれは私が音頭を取っていたわけではないわ」

「知っているよ。アバドンの封印を解こうとした第五魔王国の陰謀だったわけだろう?」

「その通りよ。だから、文句なら泥竜ピュトンに言ってよね」


 王女プリムが左腕を腰にやって抗議すると、英雄ヘーロスはやれやれといったふうに頭を横に振った。


「そのピュトンがはっきりと言っていたよ。天使アバドンが魔族に堕ちてからは、天使モノゲネースにずっと伺いを立ててきたとね。なるほど。たしかに音頭を取ったのは貴女ではなかったのかもしれない。だが、最終的に指示を出したのは間違いなく貴女だ? 違うかね?」

「…………」

「そもそも、王族というのは、責任を取るべき立場だ。ここでその責務から逃げるつもりか?」


 英雄ヘーロスはそう尋ねて、王女プリムに剣を向け続けた。


 だから、プリムはおどけてみせて、さながら助けを求めるかのように、背後にいたヒトウスキーにちらりと視線をやった。


「英雄というだけあって潔癖なのね。ねえ、ヒトウスキー卿。この方に何か言ってあげてよ」

「ふむん。秘湯はいいぞ、ヘーロス殿。心が洗われる」

「…………」


 いきなり何を言っているんだ、この麻呂眉は――


 といった表情で、王女プリムはヒトウスキー伯爵をじと目で見つめるも、「はあ」とため息をついてから非難を始めた。


「貴方は旧門貴族でしょう? 王族の為に尽くす義務があるのよ?」

「そんなものは知らんでおじゃるよ。麻呂が尽くすとしたら、むしろ王国民に対してでおじゃろう。いわゆる高貴なる義務ノブリスオブリージュ――麻呂はこれまで秘湯を探し求め、その素晴らしさを広く知らしめることで責務を果たしてきたでおじゃる。もちろん、それは王女の為では決してない」

「…………」


 生真面目な英雄に、王国随一の奇人変人――


 正直なところ、王女プリムにはこの二人と戦う理由などさらさらなかったのだが、いかにも仕方ないといったふうにわずかに天を仰いでから、引きずっていた長剣で円を描き始めると、


「じゃあ、もういいわ」


 次の瞬間、英雄ヘーロスの眼前に小さな王女が躍り出ていた。


「うおおおっ!」


 ヘーロスは思わず呻った。先ほどとは速さと重さが段違いだったせいだ。


 その初撃を何とか防げたのは、女聖騎士キャトルの胸もとにいたヤモリのドゥーズミーユが「キュイ!」と鳴いて、王女プリムを『石礫』で牽制してくれたからに過ぎない……


 とはいえ、ヘーロスほどの達人を圧倒する技量に、その場にいた誰もが舌を巻くしかなかった。


「これは……マズい」


 英雄ヘーロスは二撃目に備えた。


 初撃が見えなかった。独特の間合いだったし、不思議な剣技のせいもあった――


 これまでヘーロスは冒険者として様々な敵と戦ってきた。型通りの者もいれば、魔獣モンスターのように特有の攻撃パターンを有しているものもいた。


 だからこそ、ヘーロスは相手をよく観察して、その弱点を突くことを得意として、英雄にまで上り詰めてきた。そうはいっても、このお姫様は先ほどから何にしても型破りに過ぎた……


 剣など一切触れたこともないといった柔らかそうな手のはずなのに、自身の体重よりも遥かに重い長剣を持って、それを軽やかに振り回してくる。


 天使モノゲネースが受肉したことによって身体強化バフがかかっているとはいえ、ド素人の女の子の肉体に剣の仙人とでも言うべき存在が同居した不自然さが、さっきからヘーロスを惑わしっぱなしだった。


「くそ……何なんだこれは」


 英雄ヘーロスは悪態をつきつつも、剣先に片手を当てて、確実な防御の姿勢を取った。


 このまま観察しているだけでは、次の二撃目で確実に殺られる――というタイミングで、今度は王女プリムがいきなり横合いに躍り出てきた。


「馬鹿な……」


 予期しない攻撃にヘーロスは目を剥いたが、


独楽コマでおじゃるよ!」


 ヒトウスキー伯爵が二歩だけ進み出て、王女プリムに刀による突きを繰り出した。


 英雄ヘーロスは救われた格好になったわけだが、何にしてもそこでやっと理解出来た。プリムは独楽のようにくるくると回っていたのだ。


 要するに遠心力を利用していたわけだが、プリムの場合は回した長剣にかえって振り回されるようにして飛ばされてくるので、ヘーロスでもその実態がなかなか掴めずにいた。そもそも、武器に振り回される攻撃者など、これまで見たこともなかった。


 一方でプリムはというと、そのぶん回した長剣によって、何とかヒトウスキーの刀の切っ先を宙に上げると、無防備になったヒトウスキーの懐に入った――


 ――かと思いきや、その横を素早く通り抜けた。


「む?」


 当然、ヒトウスキー伯爵は麻呂眉をしかめた。


 だが、すぐに理解した。王女プリムの目的は――女聖騎士キャトルだったのだ。


 ヘーロスとヒトウスキーに背中を見せる姿勢になったにも関わらず、真っ直ぐにキャトルのもとに長剣を引きずりながら全速力で向かっていく。


「プリム王女! 私は――守ります!」

「ごめんね……キャトル」


 唐突な謝罪の言葉に、女聖騎士キャトルは一瞬だけ顔をしかめた。


「……え?」

「私の為に死んでくれる?」


 途中で王女プリムが独楽のように回り始めたと思った刹那――


 女聖騎士キャトルの背後にプリムは出て、その長剣で後ろから心臓を一突きにしたのだ。


「ぐ……ううう」

「結局は、ただの未練だったのよ」


 キャトルに長剣を突き刺したまま、プリムは一歩だけ踏み出した。心臓を確実に潰す為にも、ぐいと力を入れてからキャトルの耳もとで囁く。


この娘プリムの真っ白な箱庭の世界に、唯一残された色が貴女だった」

「色? 箱……庭? どういう、こと……ですか?」

「理解しなくてもいいわ。出来るはずもないわ。でも、この娘の感情が惑わされることがあるとしたら、それは父たる現王でもなく、継母でもなく、また王子たちでも、王国民でもなく――幼馴染である貴女に対してだけだった」

「プ、リ、ム……様?」

「残念。今は別人格モノゲネースよ」

「…………」

「だから、貴女はここでこの娘の為に死んでほしいの」

「な、ぜ、そこ、までして……」

「だって、神に感情なんていらないもの」


 王女プリムこと天使モノゲネースはそれだけ言って、長剣をキャトルから抜こうとした。


 だが、女聖騎士キャトルは必死になって、己の心臓を貫いた長剣の剣身ブレイドを両手で掴むと、


「天に、など……行かせません!」


 そう力強く言った。


「止めてちょうだい。苦しむだけよ。この娘はそこまで望んでいないわ」

「貴女、は……間違っています」

「たしかにそうかもしれないわね。人族のしぶとさってやつを見誤っていたわ」

「そもそも、私は……人族では、ありません」


 すると、女聖騎士キャトルはふいに微笑を浮かべた。


 同時に、その口から当然のように血が幾筋も滴り落ちていった――


 もっとも、天使モノゲネースはその笑みにじっと目を凝らした。というのも、キャトルの口内にはなぜかにも似た犬歯があったからだ。


「ま、まさか!」

「改めて……自己紹介が、必要ですか? ヨ、メーン! 私は吸血鬼のシエン……デス!」


 この展開は読め・・なかっただろうと、「死ねデス」を掛けていたようだったが、まあ、それは本当にどうでもいい。


 もちろん、不死性を有する魔族は魔核を潰されなければ消えない。それにシエンの魔核は人族のように心臓の位置にはない。今の一撃でさすがにダメージは相当に受けたが、それでも致命傷というわけではない。そもそも、シエンにもかかっているのだ――セロの『救い手オーリオール』が。


 結局のところ、シエンは認識阻害でキャトルに扮していたのだ。


 プリムがキャトルをつけ狙って、いつか一撃必殺の攻撃を繰り出してくると考えて――


 そして、キャトルもまたドゥーズミーユによる認識阻害によってシエンへと成り替わっていた。


 こうして今、長剣を力任せに抑えつけられたことで、それを手放さざるを得なかった王女プリムのもとへと、女聖騎士キャトルが聖盾をもって突進する。


「プリム様! お覚悟!」

「この低俗な人族めがああああああああ!」


 同時に、ヘーロスも、ヒトウスキーも駆け込んだ。


 三方から攻められて、長剣も持たない王女プリムには最早、すべもなかった。


 そもそも、剣ダコすらないきれいな手のお姫様の肉体で、これまで過酷な動きをし続けてきたのだ。たとえ身体強化が掛かっているとはいっても、もとの身体能力ステータスが低いわけだから、これ以上はもう抵抗など出来ようもなかった。


 結果、身動きが取れなくなったプリムこと天使モノゲネースはというと――


 女聖騎士キャトルの盾攻撃シールドバッシュに押し潰されて、プリムの肉体から魂のようなものが抜け出ていった瞬間、それに気づいたドゥーズミーユが「キュイ!」と土魔術の塊で囲って捕えた。


 これにて、ヒュスタトン会戦は全ての決着がついたのだった。



―――――



長らく続いた『ヒュスタトン会戦』もこれで終了。何気にこの会戦だけで10万字ほども書いてるわけで、途中で作者自身も「長すぎね」とぼやいたのは秘密です……


何にせよ、次話の『最後の天使』で第三章終了となります。また、これにて聖女パーティー側のストーリーもほぼ完結ですね。


ちなみに最後の天使とはもちろんモノゲネースのことではありません。作中でまだ一人だけ残っていたのをどれだけの読者さんが覚えていらっしゃるか……まあ、かなり有名な天使なので、出せばすぐに「ああ」となると思い出すはずですが、何にせよ、そんな天使にやっと出番が回ってきます。


どうかよろしくお願いします。

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