第258話 最後の天使

 この物語の転調に。


 唐突にこの人物のことを語らなくてはいけないを許していただきたい――


 あまりに意外な話で驚かれるやもしれないが、王国北部に所領を持つムーホン・・・・伯爵は国内随一の忠臣として知られている。当然のことながら、長い家歴の中で謀反を起こそうなどと企んだことは一度としてない。


 そもそも、ムーホン伯爵家は北の守護者として武門貴族の中でも高い序列にいた。その家訓は何に於いても――王族を守ること。そして、現王に尽くすことだった。


 ただ、貴族というのは不思議なもので、何に貴さ・・を見出すかで立場が変わってくるものだ。実際に、ムーホン伯爵家が現王・・に忠誠を誓ったのだとしたら、逆に同じ武門貴族として並び立つヴァンディス侯爵家はその武を王国・・に捧げた。


 そう、個人と国家。


 もしくは、情と理性――その相違が二つの名家を分け隔ててしまった。


 とはいえ、そんなムーホン伯爵が王女プリムを擁する体制派ではなく、反体制派につくとなったときの衝撃は計り知れないものだった。忠臣が見限るほどに現王と王女プリムはひどいのかと、ムーホン派閥の武門貴族が一斉に反体制派に流れ込んだほどだ。


 もっとも、それこそが王女プリムこと天使モノゲネースの策略でもあった。


 一介の武人として、竹を割ったような豪気かつ滅私奉公の人柄で知られるムーホン伯爵に対して、会戦中に謀反を起こすようにそそのかしたのだ。


 当然、ムーホン伯爵は三日三晩ほど飲まず食わずで悩んだ。その一方で、ムーホン伯爵はまた軍人として頭では理解していた。彼我の戦力差は倍以上ある。まともにやって勝てる相手ではない。ゆえに、まともなやり方をしているときではないと。


 現王と王女を守る為に、あえて逆賊の謗りを受けるしかない――


 こうしてムーホン伯爵は天使モノゲネースの甘言に乗って、長く続いた栄えある伯爵家において初めて裏切りを行った。その結果、ムーホン伯爵は敗れてしまったのだ。


 だが、敗北を喫したとはいっても、そこは忠義の騎士だ。


「おい! そこのヴァンディス侯爵家令嬢よ! 姫様を盾でどつくとは何事だ!」


 ムーホン伯爵は武人らしい巨体を躍らせるかのようにして、女聖騎士キャトルの前に進み出てきた。


「い、いや、しかしながら……」

「しかしもかかしもへったくれもないわ! 可愛らしい姫様のお顔に傷でも付いたらどうするつもりだったのだ?」


 そうは言っても、キャトルとて女性だ。


 王女プリムは駄目で、キャトルなら傷がついてもいいのか……と、キャトルがややねていると、


「ああ。おいたわしや、姫様……あのとき、私が心を鬼にしてでも止めるべきだったのだ」


 そう言って、ムーホン伯爵は「よよよ」と顔をくしゃくしゃにして泣きだすと、どこに用意していたのか、白装束にあっという間に着替えて、戦場にて堂々と切腹の作法を取った。


 というか、この王国の伯爵にはヒトウスキーといい、このムーホンといい、ろくな人物がいないような気がするのだが……まあ、それはさておき――


「ヴァンディス侯爵家令嬢よ。ほれ。さっさと介錯せい」

「はあ? は、は……はい!」


 そんなことを急に言われても、キャトルも介錯などしたことがない。


 はてさて、どうすべきかと助けを求めて、英雄ヘーロスやヒトウスキー伯爵に視線をやったが、さっと顔を背けられてしまった。どちらも厄介ごとには関わりたくないのか、視線を外したままで呑気に口笛などを吹いている始末だ。


「では、いくぞ」


 そうこうしている間にも、ムーホン伯爵は短刀を手にして、十文字に掻き切る気満々のようだ。


 もちろん、キャトルには首をきれいに切り落とす作法も技術もないことから、いっそこのまま腹だけ切らして、法術で回復するなり、今から後頭部を聖盾でどついて気絶させたりしようかしらと、しばし悩んだわけだが――


「ん? んん……」


 そのタイミングで王女プリムが目を覚ました。


「おお! 姫様ああああ!」


 とたんに短刀をぽいと投げ出すムーホン伯爵である。


 危うく背後にいたキャトルに突き刺さるところだったが、何にせよキャトルはやっと、「ほっ」と息をついた。


 もちろん、キャトルにしても幼馴染の王女プリムの状態が気にはなったが、ムーホン伯爵がプリムに今生の別れの挨拶でもして、また切腹をしに戻ってくるかもしれないと考えて、今のうちにそそくさと二人から距離を取ることにした。


 当のムーホン伯爵はというと、王女プリムをその丸太のような両腕でしかと抱くと、


「姫様! ご加減はいかがですか?」

「ムーホン……かしら?」

「はい。そうであります。姫様、お気を確かに!」

「何だか……長い夢を見ていた気がするの。決して覚めることのない……ふわふわとした不思議な夢でした」


 王女プリムはそう言って、雲を掴むかのように片手を宙に伸ばした。


「もう悪夢は終わったのです。姫様、もう悩まされることもないでしょう」

「でも、私はきっと……多くの人々を傷つけてしまったのよね?」


 もしムーホン伯爵が国家に忠義を誓っていたのなら、ここで王女プリムを諫めたことだろう。


 少なくとも、キャトルや父シュペルならここでしっかりと諫言したはずだ――その通りだった、と。その贖罪をこれから背負うべきだ、とも。


 だが、ムーホン伯爵はつい情にほだされてしまった……


「その傷も、責務も、裏切り者となった私めが負いましょう。そもそも、彼奴きゃつめが諸悪の根源だったのです。姫様は何もかも悪くありません」


 そう言って、ムーホン伯爵は土塊・・に視線をやった。


 それはヤモリのドゥーズミーユが土魔術によって天使モノゲネースの魂を捕らえたものだ。


 ムーホン伯爵は白装束の上着を脱いでまとめて、プリム王女の枕にすると、「失礼」とだけ告げて、その土塊のそばまで足早に歩んだ。


 そして、「ちい」と忌々しく舌打ちすると、自らの右拳を固く握って、上から振るったのだ。


 直後、土塊にヒビが入った。


 さすがにドゥーズミーユの土魔術だけあって、簡単には潰されなかったが――


「キュイ!」


 ドゥーズミーユの鳴き声と、


「気を付けてください!」


 その鳴き声の意味を瞬時に理解したキャトルの叫びは同時だった。


 英雄ヘーロスもヒトウスキー伯爵はすぐに臨戦態勢を取った。なぜなら、そのヒビから魂が漏れ出ると、ムーホン伯爵に受肉してしまったからだ。


「ふ、ふふ……あ、はははははははは!」


 豹変したムーホン伯爵は高笑いした。


「これはいい! そこの貧弱な王女よりもよほど強い体だ!」


 もちろん、受肉してすぐということもあって、天使モノゲネースの力はまだ定まっていなかった。


 ただ、相性がよほど良かったのだろうか。少なくとも、剣すら握ったことのない王女の肉体よりは、武人たるムーホン伯爵の体躯はモノゲネースにとって遥かに心地良かったようだ。


 これには女聖騎士キャトルも、英雄ヘーロスやヒトウスキー伯爵も、さらにドゥーズミーユや女吸血鬼シエンも――さすがに青ざめるしかなかった。王女プリムよりも厄介な相手がまた立ち上がってきたせいだ。


 同時に、敗北を受け入れていたムーホン伯爵家配下の騎士たちも色めきだった。


 遠目からだと天使モノゲネースの受肉についてはよく分からなかったが、何にせよムーホン伯爵が改めて戦意を示したことで、死地をここに定めてもうひと暴れしてやろうと奮い立ったわけだ。


 キャトルは即座に王女プリムをその背に守った。


「プリム様! 私から離れずに!」


 英雄ヘーロスとヒトウスキー伯爵も二人の前に進み出て、ムーホン伯爵と対峙した。


「これはさすがにヤバい相手だな」

魔力マナが定まっていないうちが好機でおじゃる。今を逃したら、勝ち目はないと思った方がよいぞ」


 そんな四人より少し離れたところで、ドゥーズミーユと女吸血鬼のシエンは魔術による補助なり、血の多形攻撃なりで支援しようとした。


「キュイ!」

「まだ回復はしていませんが……仕方ありません。やるしかありませんね」


 こうして全員が改めて武器を構えたときだ――


 刹那。


 ムーホン伯爵の影から何者かが現れ出た。


 かの者・・・はムーホン伯爵の背後で立ち上がると、右手をムーホン伯爵に突き立て、魂を削ぎ取ってその手にはっきりと取った。


「久しいですね、モノゲネース」

「き、貴様は――堕ちし、片翼」


 そう。かの者こそ、堕天使ルシファーだった。


 ムーホン伯爵はそう呟いて「ぶほっ」と血反吐をこぼすと、だらんと体を地に崩した。


 同時に、影が認識阻害を解いて、しだいに実態を作っていった――現れたのは、美しい顔に罰点が刻まれて、背には四枚の黒翼を誇る、かつて冥王ハデスの使い魔メッセンジャーを名乗った魔族ルシファーだった。


 そのルシファーに対して、魔力マナの塊となったモノゲネースが声をかける。


「何を……しに来た?」

「いやはや、『万魔祭サウィン』のお知らせを持ってきたのですが、残念ながら貴方に参加権はありません」

「当然だ。魔族の……集まりになぞ……興味はない」

「でしょうね。何にしても、わたくしめは貴方の代理として、さっさと天に昇らせていただきますよ」

「まさ……か!」

「ええ、そのまさかですよ。そもそも、人族を代表して魔族が昇天するのです。天使を代表して魔族が上がろうとも文句は言われないでしょう? もともと、私は天使だったわけですし」

「堕天した……のは……それが狙いか」

「正確には、勇者の真祖ひとぞくと、冥王まぞくの器を知る為です。情報を押さえた者が全てを支配するのですよ。何にせよ、これから神の座で『万魔節』を開いて、雌雄を決せさせていただきますよ。さぞかし愉快な会合となるでしょうね」

「貴様を……行かせはしな――」


 瞬間。


 堕天使ルシファーは魂を握り潰した。


 もしセロや高潔の元勇者ノーブルがここに居合わせたなら、かつて元天使の奈落王ことアバドンの魔核を潰したときと重なって見えたことだろう。


 とまれ、ルシファーは背中の黒翼を広げると、


「セロ殿とカミラ殿のどちらが来られるのかは知りませんが、急ぐようにお伝えください。さもないと、私めとハデス様とで、早々に全てを決してしまいますよ」


 その場にいた全員にそう告げて、優雅に羽ばたいて昇天したのだった。






 このとき、セロは浮遊城の玉座の間にて真祖カミラと対峙していた。


僕たちの戦い・・・・・・も、ついに始まるのですか?」


 今回のヒュスタトン会戦の勝利によって、反体制派は王国の主流に躍り出て、今後は第六魔王国と強固な同盟を結ぶことになるだろう。逆に言えば、これにて第六魔王国は大陸上の全てを占めた。それだけでなく、今となっては地下世界の第二魔王国や第四魔王国とも協力関係にある。


 つまり、第六魔王国は世界の三分の二以上を手に入れたわけだ。そんな状況において、地上における最後の戦いの火蓋が切られようとしていた――


「ええ、そうよ。私か、貴方のどちらが相応しいか」

「正直なところ、あまり興味を持てないのですが?」

「ふうん。それならそれで構わないわ。私にさっさと魔核を差し出してくれないかしら?」

「…………」


 セロはしばらく無言を貫くしかなかった。


 何にしても、後世の史書にはこう残されている――創造と破壊を繰り返す世界において新たな道を指示した国こそ、愚者の王国だったと。もちろん、このときセロはまだ、神の座を巡る争いについて何もかも知らな過ぎたのだが……



―――――



神の座とかありがちなの何かきたー。


と、自分が読者ならブラバするかどうか大いに悩むところですが、まあ、脳みその半分ぐらいがアトラスゲーによって構築されてしまった作者なので、とりあえず一回ぐらいは創作でやりたかったことでもあるのです。どうかお許しください(あと、東京を潰すとかヤハウェが出てくるとか)。


とはいえ、第四部は短く済ませる予定です。最終的にはコメディ、ハーレムやスローライフ中心の外伝をちまちまと書いてエピローグに代えて、さらに外伝的要素が強い『万年Fランク冒険者のおっさん、なぜか救国の英雄になる』に繋がっていけばと思っています。


次回の更新は「キャラクター表など」になります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る