第256話 ヒュスタトン会戦 14

 第二聖女クリーンと高潔の元勇者ノーブルたちが体制派の本丸を急襲して、天使エクレーシアを討ち取ったとき、戦場のちょうど正反対に位置する反体制派の本陣では――


「そ、そんな……これほどの力量とは……」


 クリーンに扮していたエルフの吸血鬼シエンがたった一撃で倒されていた。


 それは目にも留まらぬ早業だった。小柄な王女プリムが放った剣先がシエンの心臓を一気に貫いたのだ。


「ヨ、メーン……」


 剣筋が読めん・・・と掛けたかったのだろうが、それはまあ本当にどうでもいい。


 何にしても、長年プリムのそばにいたはずの女聖騎士キャトルはギョっとするしかなかった。幾ら天使モノゲネースが受肉して古の魔王級の実力を得ているとはいっても、眼前のプリムは最早、キャトルのよく知っている人物ではなかった。


「ドゥーズミーユ!」


 だから、キャトルは咄嗟にそう叫んだ。


「キュイ!」


 キャトルの鎧の中の胸のあたりに定住していたヤモリのドゥーズミーユは、土魔術の『土壁』によって、キャトルとシエンの二人を守った。


 その瞬間、轟々と大きな土の剣先が二人を取り囲むようにして立ち上がっていく。島嶼国騒乱時に巨大蛸クラーケンの猛攻からマン島を守りきったものだ。これでしばらくは時間稼ぎが出来るはずだ。


「シエン殿! 大丈夫ですか?」


 キャトルはシエンのもとにすぐさま駆け寄って、法術による回復を試みた。


 これでも一応は聖騎士なので、聖職者ほどとは言わないが一通りの回復・支援はこなせる。実際に、かつての勇者パーティー時代には、セロから「これじゃ……どっちが司祭か分からないよ」と苦笑されたほどだ。


「良かった。傷は塞がっていきます。具合はどうですか?」

「問題は……ない。魔核に少しキッズ……いや傷が付いただけだ」


 それだけで済んだのかと、キャトルが「ほっ」とした瞬間だ。


 ドゥーズミーユの『土壁』が全て根こそぎ断たれて、あっという間に崩れ落ちていったのだ。


「馬鹿な……」


 キャトルが呆然としていると、眼前には王女プリムが突っ立っていた。


 どうやらプリムが身の丈よりも長い剣を振り回して、この成果を上げたらしい。そんな芸当が出来るのは、高潔の元勇者ノーブルぐらいのものだ。ということは、プリムはノーブルほどの技量をすでに身につけていると言っていい……


「あら? 吸血鬼の方は即死だと思っていたんだけど……そうですか。魔族になりたてだから、魔核がまだ安定していなかったのね。つまり、召喚された亡者みたいに、ここで徹底的に切り刻んでやればいいってことかしら」


 そう言って、プリムはくすくすと笑った。


 キャトルはその微笑にぞっとするしかなかった。


 こんなふうに残酷な笑みを浮かべるプリムなぞ、キャトルは一切知らなかった。だからといって、相手がすでにモノゲネースに取り込まれていると断定するには、その表情にはどこか懐かしいものがあった。


 瞬間、キャトルは「そうか」と、ふいに思い出した――


 その笑みはかつて、兄である王子たちが全員、魔族や魔物モンスターに倒されて死んだときに、まだ小さなプリムがキャトルに見せたものだった。


 幼いわりにひどく感傷的で、自己欺瞞に満ちていて、それでいてあまりに超然とした微笑だったから、プリムは自身が可笑しくなってしまったのかと、ずっと腑に落ちずにいたわけだが――


 ここに来てやっとキャトルも合点がいった。王子たちの死も、シエンを殺すのと同じくらいに、プリムにとっては心の底からどうでもよかったのだ。家族も、王国民のことも、何より眼前にいる幼馴染のキャトルも、プリムにとっては箱庭の人形程度のモノに過ぎなかった。


「じゃあ、キャトルとゆっくりお喋りする為にも、まずはお掃除から始めましょうか」


 そう言って、王女プリムは突進してきた。


 幾ら速いとはいっても、狙いがエルフの吸血鬼シエンだというならキャトルでも対応は可能だ。


 だから、キャトルはシエンのすぐ前に立つと、聖盾をドンと構えて堂々と告げたのだった――


「プリム様といえど、ここは通しません! 私が守ります!」






 女聖騎士キャトルは己の弱さをよく理解していた。


 王国では自他共に認める武門貴族の筆頭ことヴァンディス侯爵家に生まれ、父シュペルは元聖騎士団長、また兄たちも騎士団の要職に就いている。


 キャトルのみ、騎士団というコースから外れて、勇者パーティーの一員という誉れを得たわけだが、それはたまたまキャトルが勇者バーバルやその仲間たちと年齢が近かったからに過ぎない。


 もちろん、キャトルもヴァンディス家の一員として、騎士としての素質も力量も十分過ぎるほどに有していたが、キャトル本人は実戦経験のなさを痛感していた。武門貴族とはいえ、男ばかりの侯爵家の大切な姫君として、「蝶よ花よ」と大切に育てられてきたせいだ。


 だから、キャトルはいつも焦燥に駆られて、


「早く戦場に立ちたい。魔物モンスターや魔族の討伐実績を上げたい」


 と、よくこぼしたものだが、その一方でキャトルは本人も驚くほどの成長を遂げた。


 勇者パーティーに所属してからこっち、百戦無敗で、キャトルの聖盾は敵のあらゆる攻撃を防いできたのだ。


「これで私も戦える! 将来は近衛騎士となって、プリム様を守れる!」


 キャトルも相当に自信がついたのか、いつもは長い金髪をいじってばかりでどこか引っ込み思案な性格だったのが、聖盾をしっかりと構えて積極的に前線に出るようになっていた。


 もっとも、そんな急激なレベルアップが司祭セロの『導き手コーチング』によるものだったと気づくのに、それほどの時間はかからなかった……


 だからこそ、セロ追放後のキャトルはそれこそ己の未熟さをまた恥じた――


 バーバルの奸計を防げなかったこと。何よりセロ不在では不死将デュラハンにすら敵わなかったこと。結局のところ、何一つ出来ない半人前の聖騎士だと、キャトルはほとほと自分が嫌になってしまった。


 もっとも、キャトルは聖女パーティーにも引き続き選出されると、積極的に英雄へーロスや巴術師ジージの教えを受けた。ただ、二人の実力はキャトルが推し量れる域にはなく、たとえ稽古をつけてもらっても、一向に二人に近づけている感覚がなかった。


「半人前ならまだいい……半分の半分にすら届いていない気がする」


 そんなふうにキャトルは嘆いたものだが、ある日、強力な知己・・を得た――


 超越種直系のヤモリこと、ドゥーズミーユだ。


 当初キャトルは可愛らしいヤモリとしか認識していなかったのだが、仲良くなるにつれ、とんでもない魔物がなぜか『使役テイム』状態になっていることに気づいた。


 とはいえ、キャトルは聖騎士であって、魔物使いテイマーではないので、天地がひっくり返っても、本来ならヤモリなど使役出来るはずもない……


 ただ、これには一応理由があって、キャトルがあまりに自身の弱さに嘆くものだから、ドゥーズミーユがついつい土竜の加護に近い『庇護』を与えてしまったのだ。


 こうして半人どころか一人分もとい一匹分の強さを手に入れたキャトルは身体能力も底上げされ、特に守備力についてはドゥーズミーユの得意とする土魔術での補助を受けて、以前とは比べられないほど強固となった。


「むしろ、私がドゥーズミーユの足を引っ張らないようにしないと駄目ですね」

「キュイ」

「……うふ。やっぱり可愛い」


 そんなふうにドゥーズミーユを指先でつんつんしながら、やっと一匹の力を借りて一人前の聖騎士になれたキャトルだったのだが――






 今、女聖騎士キャトルの聖盾は襤褸々々ぼろぼろになり果てていた。


 それほどに王女プリムの連撃は凄まじかった。高潔の元勇者ノーブルと比して、力では劣るものの、速さでは圧倒していると言っていい。


 しかも、ドゥーズミーユがかけている土魔法による聖盾の強化バフをやや上回るほどの力加減でじわじわと削ってくるし、さらにはキャトルの背後にいるシエンによる血の多形攻撃まで難なくかわしている……


 これにはさすがにキャトルも舌を巻いたが、プリムはそんな動揺に気づいたのか、


「ねえ、キャトル。貴女の守りたかったものって、いったい何だったのかしら?」

「どういう意味ですか?」

「そこいる死にかけの吸血鬼なの? 違うでしょう。王国の王女たる私ではなかったの?」


 図星をつかれて、キャトルはわずかに揺らいだ。


 その隙を突いて、プリムはキャトルの足もとに蹴りを入れて、その場にキャトルを転ばした。


「私は哀しいわ。無二の親友が魔物モンスターなぞに守られている上に、さらには吸血鬼まぞくを背に守っているだなんてね」


 剣を突き立てられて、キャトルは下唇を噛みしめた。


 勇者パーティーにいた頃のキャトルなら、この時点で降参して、プリムの言に唯々諾々と従っていたかもしれない……


 だが、聖女パーティーとして第六魔王国に従軍して、さらには第五魔王国や島嶼国も見て回ってきたキャトルには、はっきりと守りたいものが出来ていた――それはセロやクリーンが中心となって築こうとしている新しい時代だ。


 だからこそ、キャトルは喉もとに剣を突き付けられながらも、逆にプリムに強く言い返した。


「プリム様。どうか……お願いします。ここで降伏なさってください」

「いきなり、何を言いたいのかしら?」

「ヒュスタトン会戦はほぼ決しています。湖畔側で神聖騎士団長ハレンチが敗れたとの報がすでに入っています。また、向かいの高原からも勝鬨が聞こえてきました。おそらく本物の・・・第二聖女クリーン様が主教イービルを討ち取ったものと思われます」

「あ、そう。だから?」

「ですから! 私と一緒に王国を立て直しましょう。今ならば、まだ間に合います!」


 キャトルがそう声を張り上げると、プリムはむしろきょとんとした。


 それから、「くっ、くっ」と、はしたなく大声で笑い出した。お腹まで抱えて、いかにも愉快そうだ。


「キャトル……貴女って、本当にお馬鹿さんね」

「……え?」

「王国の役割なんてとうに終わっているのよ」

「ど、どういうこと……ですか?」

「だって、セロが出てきたじゃない。あ、勘違いしないでね。第六魔王国が王国を併合するとか、あるいは同盟を結ぶとか。そういう政治的な話をしたいわけじゃないのよ」

「だとしたら、それこそどういう意味なのですか?」


 キャトルが心底意外だといったふうな顔つきで問い返すと、プリムは「んー」と左手を片頬にやってから、どう説明しようかとわずかにだけ迷って、とりあえず「ふう」と短い息をつくと――


「もともと、椅子取りゲーム・・・・・・・の参加者は三人と決まっているのよ」


 急に、そんな意味不明なことを言い出した。


 当然、キャトルが「は?」と眉をひそめると、プリムは話を続ける。


「セロとカミラと、どちらが選ばれるかはまだ分からないけど、人族出身者から二人もいれば十分だわ。その二人のうちから一人。それに魔族からは冥王ハデス。あと、天族からは私」

「ですから、さっきからいったい……何を仰っているのですか?」

「だからあ。言ったばかりじゃない。王国なんてもうどうでもいいのよ。古の大戦時からずいぶんと守護してあげたわ。今、この時点で人族の守護者たる私の役割はやっと終わったのよ。あとは、私が天に昇るだけ」


 いかにもキャトルが理解出来ないといったふうな表情をしていたせいか、プリムはやれやれと肩をすくめてみせると、


「やれやれ。仕方ないわね。じゃあ、もう少しだけ説明してあげる――吸血鬼の真祖にして勇者の始祖たるカミラが『孤高』と言われる自動パッシブスキルを持っているのは知っているかしら?」

「いえ。ただ……以前に聞いた話から推察は出来ます。おそらく、人族が減れば、減るほどに強くなるという自動スキルのことでしょうか?」

「ええ、その通りよ。古の大戦時に魔族は人族を殺し尽くしたおかげで、勇者に盤上全てひっくり返されて地下世界に落とし込まれた。本当に愚かよね。まあ、それはいいとして……そのスキルと似たようなモノを私も持っているのよ」

「まさか……天使の概念――『孤独モノゲネース』?」

「はい。よく出来ました」


 プリムはまるで教え子を称えるかのように、「ふふ」と笑みを浮かべた。


 その一方で、キャトルはまさにこれまでの価値観が覆るほどの驚愕で目が回りそうになっていた。


「では……このヒュスタトン会戦の意義とは……」

「キャトルは存外、馬鹿じゃないところもあるから好きなのよ。そう。やっと気づいたかしら? この会戦の意義は、王国の趨勢を決めるものでも、第六魔王国と反体制派の協調を強める為のモノでもない――古の時代から生き残ってきた天族を殺し尽くすことにあったの」


 プリムはそうはっきりと言うと、同朋たる天使テレートスとエクレーシアが敗れたことに対して初めて喜色の笑みを浮かべた。両手を天へと掲げて、くるくると無邪気にその場で回ってみせる。


「貴女は……いったい、何をなさるおつもりなのですか?」


 キャトルは呆然としながら問いかけた。


 すると、プリムは笑みを噛み殺して、天に向けて指差すと真顔で答えた。


「神様の椅子・・に座るつもりよ」


 そう言って、プリムはどこかつまらなそうに、「さて、この玩具はもう壊しちゃってもいいかな」と、持っていた剣をキャトルに突き刺そうとして――


 ふいに振り向くと、剣を横に構えた。


 直後だ。キン、と。


 高い剣戟の音が鳴ると、そこにはいつの間にか英雄ヘーロスがいた。


「残念ながら俺は教養がないので、神が死んだと宣告した者が誰だったのかは忘れたが――」


 同時に、プリムは逃げるようにして真横へと転がった。刹那、プリムのいた場所をの横薙ぎによる一閃が過ぎた。


「まあ、麻呂のとっては秘湯こそが神。人の姿をとった神なぞ到底信じていないでおじゃるよ」


 ヒトウスキー伯爵はそう言うと、キャトルを守るようにして立った。こうしてついにヒュスタトン高原における最後の戦いが始まろうとしていたのだった。

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