第254話 ヒュスタトン会戦 12
「さあ、皆さん、行きますよ! 今こそ人族のもとに神殿と信仰を取り戻すのです!」
「「「おおーっ!」」」
という雄叫びと共に、宙では十枚ほどの
「何だ……あれは?」
「鉄板が空に浮いているぞ!」
「待て。騎士が乗っている! 奴らは
「迎え撃て! 下りてきたら一斉に取り囲めえええ……え? ええ? あれえええ?」
もっとも、相対する体制派の神官たちもすぐに首を傾げたように、上空の鉄板は一か所に集まって、ゆっくりと下りてくるのかと思いきや――
いかにも自重に耐え切れないといったふうに、あっちにふらふら、こっちにふらふらと大きく揺れて、それぞれが全く別の場所に勝手に
それもそうだろう。どこかの物置よろしく百人乗っても壊れない設計になってはいるものの、それでも十畳ほどの面積の鉄板にフルプレートを纏った騎士が百人きっちりと隙間なく乗り込んで、『浮遊』ではなく、ある程度の距離を『飛行』してきたのだ。
途中まではコウモリたちに持ってもらったのでよかったが、透明な壁から先はコウモリたちも入れず、
「落ちるぞー!」
「総員、退避いいいーっ!」
「宙にいるので退避出来ません! 確実に落下するであります!」
「クリーン様を信じろおおお! 信じて飛べ! アイキャンフラアアアアアーイ!」
と、まあ、当然のことながら鉄板諸共、ものの見事に遥か上空から地上へと
そんな凄惨な墜落事故がそこかしこで多発したので、体制派に属している神殿の神官や騎士たちにも尋常ではない被害が出たわけだが……第二聖女クリーンが宙で大見栄を切ったわりに、全員墜落
「…………」
しばらくの間、一応は聖職者らしく天に黙祷を捧げるしか他になかった。
とはいえ、そんな静寂も長くは続かなかった。というのも、剣戟の音がしだいに大きくなっていったからだ。
「これは……・いったい、何が起きているのです?」
黙祷を済ませた主教イービルが不審そうに周囲に尋ねる。
だが、周囲の神官たちも訳が分からずに首を横に振るだけだった。どうやら先の墜落事故によって体制派の者たちには散々な被害が出た一方で、クリーンの
「な、なぜ、彼奴らだけ、生きているのですか?」
さすがに主教イービルも口をぽかんと大きく開けて唖然とした。
体制派の者たちからすると、フルプレートの騎士たちの自由落下――いわば鉄の塊による絨毯爆撃を一方的かつ直に受け、被害以上に混乱の度合いの方が酷かったことも相まって、このときまともな情報が主教イービルに全く届かない事態に陥っていた。
「まあ……いいです。さっさと彼奴らを取り囲んで、個別撃破で殲滅しなさい!」
それでも主教イービルは冷静になって、周囲にそう命じた。
そもそも、体制派の後方に布陣していた神殿勢力は一万強。それに対して、急襲してきたクリーンの
が。
「押せ! 押せ押せ押しかえせー! オラオラオラオラアアア!」
まさに一騎当千の如く、さらに体制派の被害は増えていく一方だった。
これにはさすがの主教イービルも片頬を引きつらせながら、「いったい何なのだ、あれは!」と苛立つしかなかった。
さて、ここであまり語りたくはないのだが……今回の主役たるクリーンの
もともとこの騎士たちは神殿騎士団の中でも
実際に、勇者バーバルたちと一緒に不死王リッチ討伐に赴くときに、聖女クリーンの護衛の為にと編成されたのがこの部隊だ。
もちろん、祭祀祭礼用の儀仗兵が多い神殿騎士団の中でも屈強で、亡者対策の実績もある者たちばかりが集められたわけだが……もとからクリーンに心酔していたのか、あるいはこの討伐戦で撤退を指示したクリーンの英断に惚れ直したのか……
いずれにしても、そこからこの
第六魔王こと愚者セロ討伐においては神殿騎士団を抜け出してまでクリーンを追いかけ、見事なストーカー具合でもって封印のかかった北の街道を突破し、その一部は第六魔王国に残って後続の聖騎士団と合流すると、ドワーフたちと戦い、吸血鬼たちと筋肉ブートキャンプまでして、さらには東の魔族領こと砂漠で彷徨っていたクリーンの危機をどこからか嗅ぎつけて、文字通りのデスマーチにも参加した。
そこでやっと餓死してくれるかと思いきや、旧帝国兵こと虫系の魔族たちとの決戦でもしぶとく生き残って、なおかつクリーンが島嶼国に配流されると、さも当然の顔をして追いかけてきて、
要するに、現在、王国で最も戦闘経験値の高い、現場叩き上げの部隊――もとい頭のおかしい戦闘凶の集まりこそ、このクリーンの
しかも、セロの『
「ぐっ……ここで、死んで、なるものか……クリーン様の……教皇就任の……生
死にかけていたのにさながら亡者の如く、復活して戦い始めた。
アイドルのおっかけと鉄オタだけは敵にしてはいけないという金言があるが、まさに恐るべき執念である。
しかも、なぜか傷がしだいに回復していく。どういう訳か聖なる光に包まれている気さえする。もちろん、これはただのプラシーボ効果に過ぎないわけだが、クリーンを想う気持ちの強さによって、唾でも付けておけばどんな傷でも治るといったふうに
……
…………
……………………
もう一度だけ繰り返すが、王国で最も戦闘経験値の高い
それに対するは、大神殿でずっとのんびり過ごしてきた神官や騎士たちだ。本来、神殿の騎士団は聖女と同様に祭祀祭礼用のお飾りに過ぎず、さらに聖職者として高位の騎士ほど戦場に赴くことなどない。
それでも聖職者としてちやほやされて、無駄に
しかも、彼らは本来、教皇と第一聖女アネストを支持していたわけだが、主教イービルが二人を傀儡にして大神殿を牛耳っても抗議の声を表立っては上げず、こうしてすごすごとヒュスタトン高原までやって来る始末だ。
当然、その二人が第六魔王国によって保護された上に、モンクのパーンチと巨大蛸クラーケンの結婚式の模様も耳に入ってきたわけで……
「主教イービルに付く意味はあるのか?」
「教皇様があのように仰った以上、魔族との協調は必須なのでは?」
「そもそもイービルの野郎は気に入らなかったんだ。あの歪みきった聖職者を支持すること自体が間違っている」
「さっき上空のクリーン様の聖衣が翻って、パン――」
といったふうに、ラッキースケベな一人を除き、戦意もほぼ失いかけていた。
そんなわけで
「ほわー! ほわー! ほわー!」
「手と手、目と目……ユー・アンド・ミー!」
「ライフライナーだっていいんじゃー! 俺の命を賭けるぜ!」
「全てを受け取れえええ!」
事ここに至って、主教イービルはわなわなと震えていた。
第二聖女クリーンさえ捕まえればいいだけなのに何をやっているのかと、主教イービルもさすがに堪忍袋の緒が切れかけて、いっそ光系最上位魔術の『天罰』でこの戦場にいる全ての者を焼き尽くしてしまおうかとまで考えついた。
だが、焼き殺したクリーンにいちいち『蘇生』をかけてやるのも面倒なので、「はてさて、いったいどこに落ちたのやら」と、ちらちら遠くに視線をやるも、
「……ん?」
不思議とクリーンの姿がどこにもなかった。
そして、「これはいったいどういうことか?」と主教イービルが首を傾げたときだった。直後、どこからともなく凛とした祝詞が遥か
さて、凄惨な絨毯爆撃の様相を呈した戦場とは少しだけ離れた場所で――
高潔の元勇者ノーブルは『
「なるほど……やられたらやり返すか。いかにもエメス殿らしい奇策だな」
つまり、王女プリムが反体制派の本丸を急襲したように、第二聖女クリーンも体制派に対して奇襲を仕掛けたわけだ。もっとも、この策に関してはノーブルも不安がやや勝った。
というのも、主教イービルには天使エクレーシアが受肉している。他の天族と同様に
そんなノーブルの懸念だったが、やはり当たった――
遠くの空でクリーンの祝詞が漂い始めると、認識阻害が解かれて、宙に一枚だけ、残った
どうやら護衛数名のみで、クリーンを守るようにして乗っているようだ。
同時に、主教イービルの大声がノーブルのもとにも届いた。
「小賢しい! 何にせよ、飛んで火にいる夏の虫とはこのことですな。皆よ、落としなさい!」
そのように指示が下されると、主教イービルの周囲にいた神官たちは光系の法術で上空に遠距離攻撃を次々と仕掛けた。
もちろん、クリーンも、護衛の
「クリーン様……ご武運を……」
「ここまで共に出来たこと。最大の誉れに存じます」
「最期まで……貴女といたかった……だが、せめて一矢報いねば」
「女神クリーン様。邪教イービルを討つ力、どうか我らにお与えくださいませ!」
供回りの
その雄姿を見て、先に地上に墜落していた
とはいっても、さすがに天使エクレーシアを受肉した主教イービルは強かった。一人ずつ簡単に返り討ちにしていくと、
「まだ落とせないのですか! この無能どもめ!」
周囲の神官たちにそう当たり散らして、ついに自ら『
それがクリーンの左肩を見事に貫いた。心臓だけは免れたようだが、クリーンは鉄板の上で無様によろめく……
さらに追い打ちをかけるようにして、神官たちによる様々な法術による攻撃が雨あられのように降り注いだ。クリーンは傷つき、純白の聖衣も血に染まって、最早立つことすらも出来ず、それでも決して祝詞を謡うことだけは止めなかった。
これにはさすがにノーブルもかちんときた。
「糞が! 全員でたった一人の女性を嬲るとは! それが聖職者のやることか!」
そう怒鳴って、透明な壁を両拳でドンっと強く叩くも、やはり前に進むことは出来ない……
「聖女よ! 逃げよ! 何をしたいのか分からんが……退くのも勇気だぞ!」
ノーブルはそう呼びかけて、思わず「はっ」とした。
そのとき、百年前の記憶が脳裏をふいに
もちろん、真祖カミラやドルイドのヌフと共謀して、迷いの森を経由して砦を建設することで何とか生き延びることは出来たのだが、結局、相思相愛だった当時の聖女とは二度と会うことは叶わなかった。
巴術士ジージによれば、彼女は生涯独身を通して、最期は仲間に囲まれて往生したらしいから、ノーブルにとってはそれだけが唯一の慰みだったわけだが……
「いかんな……聖衣を見ると――どうしても思い出してしまう。あの立ち姿だけは昔と変わらない」
そう呟いて、ノーブルは両拳を強く握り締めた。
実のところ、ノーブルは百年間ずっと悔やみ続けていた。
あのとき、たとえ魔族になろうとも、強引に王国に戻って会いに行けばよかったと。
聖女を
「結局、俺はたしかに負けたのだな……アバドンにではなく、己自身に」
変わり果てた負け犬の姿を見せたくなくて、ノーブルは魔族領に逃げて、砦にじっとして動くこともしなかった。
それが今でも
そのときだ。
宙からまた声が届いたのだ。
「高潔の勇者ノーブル様……私では、
クリーンは
刹那、ノーブルの胸の内が熱くなった。楔がずきんとさらに打ち込まれたような気がした。
もちろん、クリーンは百年前の聖女とは全く別人だ。それでも、今――
主教イービルこと天使エクレーシアの
だからこそ、クリーンがノーブルに向けて唱えようとしているのは――
「やらすかあああああ!」
直後、主教イービルがその法術に気づいて、ついに『天罰』を発動した。
ここら一帯の敵味方関係なく、全てを最上位の光撃によって無に帰すつもりだ。ノーブルは柄にもなく、つい手に汗握った。
同時に、クリーンも法術をついに唱え終える。
「ノーブル様……あとは……お願い、いたし、ま、す――『
それはほんの一瞬の出来事だった。
宙を覆い尽くすほどの無数の雷撃に似た『光槍』がたしかに降ってきたはずだが、それを分厚い聖なる壁が全て受け止めたのだ――ノーブルによる『聖防御陣』だ。
天に聖痕のある左手を高々と掲げたノーブルは、鉄板の上で倒れかけたクリーンをしかと抱きとめた。
百年前に流刑という形で転送されて引き離された勇者は、現在、こうしてまた転送された――今度こそたしかに聖女のもとに。
「その高潔な意思。見事だ! ここで共に戦うのに相応しい人物だ! さあ、二人で行こう! 敵は眼前にいる!」
―――――
最後のノーブルの台詞は第65話の「高潔の意思」と対応しています。ノーブルの決め台詞みたいなものですね。というか、ノーブルってセロよりよほど主人公しているような気が……
さて、これでクリーンとの間にフラグが立ったわけですが、ノーブルの運命やいかに?(ちなみにノーブルは筋肉好きではありますが、いたってノーマルです。あれな性癖は持っていません)
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