第253話 ヒュスタトン会戦 11

 ヒュスタトン高原には王国を代表する石頭・・が二人いた。


 もちろん、それら人物は物理的な硬さを誇るバーバルやモタではなく――石橋を叩いても渡らないほどに頑固で、かつ融通がきかないとされる、巴術士ジージと聖騎士団長モーレツの二名だ。


 前者はその年齢や経験値の高さから思慮深いとみなされてきたが、残念ながら後者は慎重すぎて愚鈍とよく陰口を叩かれてきた――もっとも、聖騎士団とは王国最強の盾であって、山の如く動かざることの方が多いので、モーレツの鈍さは短所とされていなかった。


 ただ、モタのやらかしによって湖畔側の兵士や騎士たちがほぼ壊滅し、さらに王女プリムがムーホン伯爵勢に潜んで反体制派の本陣を急襲する段階に至っても、まだ高原の中央に布陣したまま動かずにいるのは、さすがに愚かで鈍すぎると糾弾されてもおかしくはない事態だ。


「これほどまでに動かないとは……いったい、どういう理由があるのだ? モーレツ殿?」


 実際に、遊撃として近くに待機していた英雄ヘーロスは詰問した。


 それでも、モーレツは座したまま動じない。しかも、そばには前聖騎士団長ことシュペル・ヴァンディス侯爵も手勢を連れてじっとしていた。


 ムーホン伯爵の裏切りの報はすでに届いていたので、第二聖女クリーンの護衛をしている娘のキャトルがどうなったのか――実のところ、父親として気が気でないはずだが、やはりシュペルも眉間に深い皺を寄せて微動だにしない。


「こんな馬鹿なことがあって堪るか!」


 と、英雄ヘーロスにしては珍しく二人に悪態をついた。


 それなりに長い付き合いなので二人のことはよく知っているつもりだった。だが、ここまで動かずにいるのは全くもって理解出来ない。


 この期に及んで、まさかムーホン伯爵のように背信でもするつもりかと、親しいヘーロスでさえ疑ったほどだ。そもそも、相手の首魁たる王女プリムの位置がついに割れたのだ。あとは全軍をもって転身して、討ち取りにかかればいいだけだ。


 その際、たしかに主教イービルが率いる神殿勢力から挟撃にあう危険性はあるものの、何せこちらの兵力は倍以上あるのだ。モタのやらかしによって双方、相当数が無力化されてしまったが、それでも反体制派こちらが圧倒的な数的優位にいることには変わらない。


 だから、ヘーロスも激昂して、つい声を荒げてしまった。


「なぜ……そこまでして動くつもりがないのか!」


 普段の落ち着き払ったヘーロスを知っているモーレツとシュペルからすれば、その気持ちは痛いほどによく分かっていた。


 だが、ムーホン伯爵のような内通者が身内にいた以上、敵もまだ隠し玉を有しているかもしれない。それに、こちらが第六魔王国と通じて、強襲機動特装艦こと『かかしエターナル』で戦場全体を俯瞰しているように、あちらも同様に何かしらの策を弄している可能性がある。


 だからこそ、モーレツはヘーロスに対してこう答えるしかなかった――


「まだなのだ。ヘーロス殿よ。いまだ、主教イービルが亀甲縛り・・・・されていない」

「…………」


 直後、英雄ヘーロスは我が耳が可笑しくなったかと疑った。


 あるいは、何か違う言葉を聞き間違っただけかもしれないと考え直した――拮抗していないとか、亀甲テストゥド隊列に関連あることか、そういった言葉を聞き漏らしたのかとみなして、


「ええと……すまん。もう一度だけ、言ってくれないか?」


 ヘーロスがちょっとだけ申し訳なさそうに聖騎士団長モーレツに問うと――


 そのモーレツは隣にいたシュペルと互いに顔を見合わせてから、「うむ」とゆっくり肯いてみせた。


「ならば、何遍でも言おう。これこそが――我々の覚悟の表れだ!」


 そう言って、二人は胸の鎧ブレストプレートをなぜか脱ぎだした。その鍛え抜かれた鋼の如き上半身には……なぜか見事な縄による亀甲縛りがあった。


「我らは動かぬ。いや、動けぬのだ。これはその為の戒め。まだ動く時宜ではないということだ……いやん」

「モーレツの覚悟を分かってくれ。英雄ヘーロス殿よ。頼む……うふん」


 刹那、ヘーロスは「もしかしたら、この会戦……負けるかもしれん」と呟いた。






「この惨状はもしや……モタか。やれやれ、またやらかしのか」


 高潔の元勇者ノーブルはそんなふうに呟きつつも、爆風に煽られて湖から遠く離れた場所に着地したことについて神に感謝した。


 もう少し湖寄りに上陸していたら、たとえノーブルでも、今頃は芋虫のように転がっていたかもしれない……


 そもそもノーブルは魔族だが、元勇者ということもあって、今でもまだ基本は光属性だ。だから、モタの奇妙奇天烈な闇魔術の暴走に果たして耐えられたかどうか、さすがに自信が持てなかった。


「それはさておき、まずは眼前の神殿勢力だな。神官たちに恨みはないが、さっさと蹴散らさせてもらおうか」


 ノーブルは聖剣を手に取って、一気に直進した。


 主教イービルまで一直線に、神官たちを足蹴にでもして、跳ねて宙を闊歩していこうとしたわけだ。


 が。


「……くっ!」


 ノーブルは神官たちにたどり着く前に、何かにぶつかるようにして地べたに叩き落とされた。


 どういうことかと手をかざすと、宙にはうっすらとガラスの壁のようなものが展開されていた。しかも、叩いても、殴っても、あるいは聖剣による連撃を加えても、その壁はびくともしなかった。


「これは……いったい何だ?」


 ノーブルは戸惑うも、即座に壁の向こうにいる神官たちから法術による攻撃を受けた――


安眠スリープ!」

聖なる雨ホーリーレイン!」

聖域の光槍ヘブンズスピア!」

「喰らえ、多重詠唱! ――『聖流大渦巻メイルストローム』!」


 繰り返すが、ノーブルも光属性なので、これら同属性攻撃は相殺されるわけだが、それでも神官たちの数があまりに多いこともあって、ちくちくと微かなダメージは蓄積していった。


 もしこれがノーブルではなく、光系に弱い普通の魔族だったら、古の魔王級でも相当に手こずったに違いない……


 そもそも、ノーブルの眼前に展開している透明な壁の正体からして、いまだによく分かっていなかった。最初は『封印』を疑ったが、それにしてはノーブルを惑わすような仕掛けがない。次いで『聖防御陣』かとも思ったが、それならばノーブルの攻撃によって壊れているはずだ。


 ということは、未知のスキルと考えられる。おそらく主教イービルに取り憑いている『教会』とかいう概念を持つ天使エクレーシアによるものだろう――


「さて……どうしたものかね」


 そんなタイミングでちょうどモノリスの試作機が振動した。


 王都の用水路で水に浸かって壊れたかと思っていたが、どうやら水上スキーをしている間に乾いて復旧したらしい。


「今、よろしいでしょうか?」

「おお、エメス殿か。ちょうどよかった」

「その地形効果の解析が終了いたしました」

「ほう。では、これはいったい……何なのだろうか?」

「天使エクレーシアの持つ自動パッシブスキル『異端排斥ブラックシープ』によるものです。正統なる信仰を持たざる者を強制的に排除する地形効果があって、現状、たとえセロ様であっても、その壁を破壊することは不可能です。終了オーバー


 直後、ノーブルは顔をしかめた。それでは攻撃する手立てが全くないということになる。


「まいったな。弱点はあるのだろうか?」

「その自動スキルを発揮している間、天使エクレーシアは動くことが出来ません」

「なるほど。地形効果として絶対的な防御を得られる反面、あくまでも局所的ということか。いわば、移動不可能な要塞というわけだな。ふん……概念『教会』とは、まあ、よくぞ言ったものだ」

「なお、現在王女プリムが反体制派こちらの本丸を急襲しています」

「ふむ。ということは、第二聖女クリーン様を捕えて、この破壊不能な透明な壁バリアの中に逃げ帰れば敵の勝ち。それを防ぐことが出来れば、我々の勝ちというわけだな」

「その通りです。説明が不要で助かります」

「では、もう二つ・・だけ、お聞きしたいのだが――聖騎士団がヒュスタトン高原中央に陣取って全く動く気配がないのも、いずれ戻ってくるかもしれない王女プリムを迎え討つ為だろうか?」

「はい。天使エクレーシアの自動スキルを考慮した上で、巴術士ジージ殿が採用した策になります」

「ということは、貴女の策というわけではないのだな?」


 ノーブルがそう尋ねると、人造人間フランケンシュタインエメスはくつくつと笑った。


「ふふふ。小生は魔族です。やられたらやり返す。それが根本的な考え方ですよ。終了オーバー


 その返事を聞いて、ノーブルは深く肯くと、『異端排斥ブラックシープ』による見えない壁からいったん距離を取った。


 これで神官たちからの攻撃もほとんど届かなくなったので、ノーブルは聖剣を大地に突き刺して、両腕をしかと組んでから、


「さて、それではお手並み拝見といこうか」


 そう言って、宙を見据えたのだった。


 巴術士ジージの策が上か。はたまた、人造人間エメスが勝るのか。ノーブルはその場で仁王立ちしたのだった。






 主教イービルは満足していた。


 第六魔王国の幹部こと高潔の元勇者ノーブルが王都の用水路で死んでいなかったことには苛立ったが、それは最早些細なことに過ぎない。


 盤面はすでに王女プリムによってチェックメイトがなされていて、あとは第二聖女クリーンを捕えて、この『異端排斥ブラックシープ』の中に入れば大勢が決する。


 魔王セロがどれだけ強くとも、元婚約者で恋人の・・・クリーンを押さえておけば、幾らでも譲歩を引き出せるだろうし、何ならこちらの手駒にも出来るかもしれない。


 何にしても、王女プリムには天使モノゲネースが受肉していることだし、まず間違いは起きないだろう――


 ヒュスタトン高原北側の丘では黒服連中が、また南側の湖畔で神聖騎士団長ハレンチが揺さぶりをかけたわけだが、結局のところ、ムーホン伯爵の勢力に王女プリムが潜んで、主教イービルがこうして体制派の本陣を守っているだけで勝利は手堅かったわけだ。


「やれやれ。他愛もないことです。所詮はただの人族か、もしくは魔核を持った強化人間。我々天才の足もとにも及ばない連中に過ぎません」


 そこまで言って、主教イービルはにやりと笑った。


 あとはじっくり待つのみだ。本来なら、北から百腕巨人ヘカトンケイル、南からハレンチが従えた凶戦士たちが高原中央を荒らして、王女プリムが戻りやすくする手筈だったが……


「まあ、多少の予定変更ぐらいは致し方ないといったところでしょうかね」


 主教イービルは「ふう」と短く息をついた。


 そのときだ。


 宙からなぜかドナドナの合唱が聞こえてきた。


「ドナドナ、ドナードナー、荷馬車が揺れーるー」


 主教イービルは何事かと宙を見た。


 だが、そこには何も存在しない。おそらく認識阻害をかけているのだ。


 とはいえ、その見えざるものは『異端排斥ブラックシープ』を通過する・・・・と、そこで一気に認識阻害を解いた。


「ま、まさか――」


 主教イービルはあんぐりと口を大きく開けた。


 というのも、宙に大きな鉄板が幾つも浮いていたからだ。それは第六魔王国で浮遊する板エレベーターと呼ばれる代物だった。


 しかも、乗っているのはよりにもよって――第二聖女クリーンと神殿騎士団の精鋭おっかけだった。


 当然のことながら、クリーンも、神殿の騎士たちも、今でも大神殿に正式に所属していて、正統なる信仰を有している。つまり、異端として排斥されないのだ。


 さらに言うと、チェックメイトを仕掛けてきたのは体制派だけではなかった――


「さあ、皆さん、行きますよ! 今こそ人族のもとに神殿と信仰を取り戻すのです!」


 クリーンはそう声を張り上げると、主教イービルに対して逆に王手をかけたのだ。



―――――



なぜドナドナを歌っていたのかについては次話で説明します。


そういえば、会社の新入社員がドナドナを知らなくてびっくりしたことがあります。古い童謡なので普遍的なものだと思っていたのですが、そもそも歌詞に出てくる『羊』は連行されるユダヤ人の暗喩ということで、もう戦後八十年ほど、知らなくても仕方ないことなのかもしれません。


ちなみに羊にちなんでもう一つ。『異端排斥』を黒い羊(=ブラックシープ)とルビを振っていますが、これはどこかで、異端について心理学の黒い羊効果から分析したものを読んだからという程度のものです。さして意味はありません。

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