第252話 ヒュスタトン会戦 10

 会戦の険しさから一転、モンクのパーンチと巨大蛸クラーケンとの結婚式によって、ヒュスタトン高原の湖畔側では祝福ムードの和やかな雰囲気が形成されつつあったわけだが……


「これはいったい……何が起こったというのだ」


 ちょうどそのタイミングで、クラーケンが全力投球で投げて寄越したバーバルとぶつかって、頭部への見事なデッドボールによって文字通りに死にかけていた神聖騎士団長ハレンチがやっと息を吹き返した。


「おや。やっと気がついたのか、ハレンチよ?」

「む? 貴様は……いや、貴殿は・・・バーバル殿か? な、なぜ……この戦場に?」


 もっとも、バーバルはハレンチのわずかな動揺を見逃さなかった。


 意外な人物が目の前にいるということ以上に、何やら隠し事をしているといった機微を見て取ったわけだ。さすがにバーバルも様々な人々に騙されて、ようやく成長したといったところか。


 それはさておき、バーバルはすぐさま考えをまとめた――おそらく天使を受肉した王女プリム、主教イービルに、この神聖騎士団長ハレンチはバーバルを捨て駒にしようと画策していたに違いない。王都の地下用水路で第六魔王国の幹部を一人でも道連れにすれば上出来だとでも考えていたのだろう。


 だが、捨てたはずの駒がどういう経緯いきさつか、こうしてハレンチの眼前に出てきてしまった。


「はてさて、ハレンチよ。俺が生きているのがそんなに不思議かね?」

「ふ、はは……さてな。何の話だろうか。それはともかく、せっかく戦場に来たのだから共闘でもしようではないか。なぜこれほど兵たちが浮ついているのかは知らんが、こうなったら手段は問わん。皆殺しだ」


 そんなハレンチの剣幕に対して、バーバルは「ふん」と鼻を鳴らした。


 バーバルからすれば、クリーンの為にも、セロの為にも、また天使を受肉した者たちの為にも働いてやるつもりなど毛頭なかった。


 パーンチの恋路の結末を見た今となっては、あとはせいぜい、王都で嵌めてくれた主教イービルをぶん殴って、どこかに姿をくらまそうと思っていた。


 が。


 そのときだ。


 ハレンチは遠くで横たわっているパーンチを目敏めざとく見つけると、唐突に――


「渡さん! 決して誰にも渡してなるものか! その男は――私のモノだあああ!」


 と、怒髪天を衝くかのように叫んだのだ。


 これには当然、バーバルも「おいおい、いきなりどうした?」と眉をひそめた。


 どうやらパーンチがクラーケンに膝枕されている姿を目撃して、なぜか見知らぬ魔族にパーンチが襲われていると、ハレンチは勝手に解釈したらしい……


 ちょっとでも考えれば、わざわざこの戦場に出てくる魔族など反体制派の仲間であって、いてはパーンチと同じ陣営だと認識出来たはずなのだが、よほど頭の打ちどころでも悪かったのか、このときハレンチは視野狭窄に陥っていた。


「その男を寄越せえええええ!」


 もちろん、ハレンチとしては、勝負を最後までつけさせろという意味合いで吐いた言葉だった。


 だが、周囲にいた兵士や騎士たちは誤解した。ハレンチにそっちの趣味があったのかと、さらにはさっきまでパーンチを一方的にいたぶっていたのは性癖的にあれ・・だったからなのかと、全員が顔をしかめつつも、他人の恋路を邪魔するハレンチに対してブーイングを始めたのだ。


 そんなハレンチの剣幕にすぐ反応したのはクラーケンだった。


「最愛の人をおいそれと渡すはずがないでしょう! この泥棒猫!」


 こうして新婚にして、いきなり他称・・愛人と自称・・恋人との猫も食わない痴話喧嘩が始まろうとしていたわけだが――


 そんな可笑しな状況を戦場にて冷静に見ていたのは、実のところ、たった三人ほどしかいなかった。


 まず、元勇者のバーバルは額に片手にやって、「やれやれ」と肩をすくめると、どうやってハレンチを諫めようかと考えようとして……しかしながらすぐに止めた。


 そもそも、バーバルからすればどうでもいいことはなはだしかった。だから、変なことに巻き込まれないように、バーバルはこそこそと忍び足で移動を始めた。


 次に、パーンチに助太刀しようとして近くにまで来ていた狙撃手のトゥレスも沈黙を貫いた。


 もともと他者に興味をあまり持たないエルフ種なわけだし、クラーケンが出てきてパーンチを助けた今となっては、余計な手出しをするより王女プリムの捜索を優先しようと、影に潜んだまま、バーバル同様に遠ざかろうとしていた。


 最後に、セロの『救い手オーリオール』のおかげでやっと身も頭もはっきりとしてきたパーンチはというと、むしろハレンチを応援したい気分だった。


 というか、より正確に言えば、この場から逃げ出したかった。王国の教皇や第一聖女アネストが絡んでしまった以上、最早、クラーケンとの婚姻関係を解消することは難しいだろう。パーンチも男だ。訳あって結ばれてしまったからには、しっかりと向き合うつもりでいたが……


 それでも心の整理の為にも、少しぐらい時間が欲しかった。


 傷心・・旅行というわけではないが、せめて最後の独身生活を満喫する為の冒険とうひこうをしたかったのだ。いわゆるマリッジブルーである。


 そんなわけでクラーケンが立ち上がって、ハレンチに対して「きしゃー」と猫みたいな威嚇を始めたとたん、パーンチも匍匐前進でゆっくりとその場を離れ始めた。


「神聖騎士団長だか何だか知らないけどさ。人の男に手を出すなんて世も末ね!」

「ふん。私の方が先だ! 先だったのだ! 貴様が後からしゃしゃり出てきたに過ぎない!」

「……え? そうなの?」

「人の獲物に手を出すなど、泥棒猫はむしろ貴様の方だ!」


 そこでクラーケンは芋虫みたいに這っていたパーンチの首根っこをむんずと掴んだ。


「これはいったいどういうことです、パーンチ様?」


 どうもこうもないのだが、パーンチはあらぬ疑いをかけられて、説明するのも億劫だといったふうに天を仰いだ。


「まさか! パーンチ様……そんな! こんな自分勝手で傲慢そうな男と出来ていたなんて……もしかして、そういうのがタイプなのかしら?」


 自分勝手で傲慢と言うなら、島嶼国時代のクラーケンも負けていなかったので、周囲にいた魚系の魔族や蜥蜴人リザードマンたちなどは、「クラーケン様の方がよほどひどいぞ!」と煽り立て始めた。


 当然のことながら、クラーケンはすぐさま、それら同族や蜥蜴人に対して触手を伸ばしてぶちのめしていった。


 もっとも、気に障ったのはクラーケンだけではなかった。


 ハレンチも存外に器量が狭かったらしく、傲慢だと言われたことに片頬を引くつかせながら、こそこそ遠ざかろうとしていたバーバルを指差すと、


「ふざけるな! あそこにいる元勇者と違って、私は正々堂々とした清廉な人物だ。神聖騎士団長として胸を張って歩いていける。たかが魔族などと一緒にするな!」


 これには人工人間ホムンクルスとなって魔族と化したバーバルもかちんときた。


「何だと……ハレンチよ?」

「自分勝手は貴殿の代名詞だと言っただけだ。勇者殿よ」


 ハレンチは元という点をしっかり強調して挑発的な笑みを浮かべてみせた。


「ほう? そんなに神聖騎士団長様はここで死にたいのか?」

「出来るものかよ。そもそも、貴様程度の実力で勇者に選ばれるなど、端から可笑しなことだったのだ。今こそどちらが上か、白黒はっきりさせてやってもいいのだぞ」


 バーバルはついに歩を止めた。


 もっとも、そんな二人の様子に構うことなく、パーンチは「はあ」とため息をついてから言った。


「正々堂々ねえ。オレの育った孤児院の子供たちを人質に取ってまで、一騎打ちを仕掛けてきたやからがいえた言葉かよ」


 すると、暴露されたハレンチは顔を真っ赤にしながら、破廉恥にも言い切った。


「反逆者どもと戦うのに真正面からぶつかってやるほど、私は愚かではない! 貴様ら程度、人質でも取って戦うぐらいがちょうどいい。そもそも、人質などと言うが、反逆者の知り合いなど、全て大罪人だ」

「やっぱ、テメエは許せねえな。いいぜ、こうなったらオレが自ら決着をつけてやる」

「ふはは。やはり馬鹿なのだな。いいか? 貴様らが少しでも私に敵意を見せるならば、大罪人たちの未来はないのだぞ?」


 それを聞いて、パーンチは「くっ」とまた呻った。


 もっとも、周囲にいた兵士や騎士たちは敵味方の区別なく、子供を人質に取っていたハレンチにさらなるブーイングを浴びせた。


 そのときだ。


 ブーイングを掻き分けるようにして、いきなり悲鳴が響いた――


「ぎゃあああああああああああああああ!」


 と。


 それはダークエルフのリーダーこと近衛長エーク・・・の絶叫だった。


 皆がその叫び声に驚いて振り向くと――どこかの影から狙撃手トゥレスが飛び出してきた。どうやら懐に忍ばせていた試作機のモノリスが鳴ったらしい。


 エークの絶叫を着信音・・・にした覚えなどさらさらなかったが、どうやら緊急通信らしかったので、トゥレスはその着信に出るしかなかった。そうしないと、いつまで経ってもエークの絶叫が響き渡って、影に隠れることも出来やしない……


「少しだけよろしいでしょうか?」


 もっとも、通信を寄越してきたのは、意外なことに人造人間フランケンシュタインエメスだった。


 トゥレスからしてみれば、話しかけられたこともろくになかったので、少し緊張して小刻みに震えてしまったが、エメスは気にせずに淡々と話を続けた。


「孤児院の子供たちについて報告があります。このモノリスをそこの筋肉馬鹿の人族に渡してもらえますでしょうか。終了オーバー


 とりあえず、トゥレスはモノリスをパーンチに手渡した。


 パーンチは訝しげにそれを受け取ると、その画面にはエメスではなく、なぜかダークエルフの双子ことドゥが映っていた。


「坊主……なのか? いったい、どうしたんだ?」

「助けた」

「は?」

「もう大丈夫」


 ドゥが「ういしょ」と呟くと、映っていた画面はすぐに背後を映した。


 そこには巨大なゴーレムと、それに健気によじ登ろうとする子供たちがいた。神聖騎士たちは山のように隅っこに積まれていた。


「もしかして、孤児院を――」

「うん。大丈夫」


 パーンチはつい目を拭った。


 そのタイミングでエメスの音声が割って入って説明をする。


「この戦場の音声は全て、強襲機動特装艦こと『かかしエターナル』にて収集しています。筋肉馬鹿が一方的にやられていたので疑問に思って解析したところ、人質が取られていることが判明しました。もっとも、孤児院の場所はヒュスタトン高原の山々を越えてすぐの場所だったので、ドゥには巨大ゴーレムでちょっとばかし出かけてもらいました。終了オーバー


 パーンチは「ありがてえ」と応じて、右拳を左掌にパンっとぶつけた。


 逆にハレンチはというと、苦虫でも噛み潰したかのような表情をしていた。


 少なくとも人質を取ったままなら、バーバルは気にせずに攻撃してきただろうが、パーンチはもちろんのこと、トゥレスやクラーケンの手を緩めさせることぐらいは出来るはずだと考えていた。その当てが完全に外れてしまった。


 こうしてバーバル、トゥレス、クラーケンはパーンチのもとに集まった。


 クラーケン以外の三人の脳裏には不思議な感傷が過った。勇者パーティー時代を思い出したのだ。もちろん、ここにはセロもいなければ、モタも女聖騎士キャトルもいない。


 だが、盾役はクラーケンが代役になるだろう。また、セロは上空にある『かかしエターナル』から戦況を見ているようだし、モタは……まあ、どこかで何かやらかしているはずだ。何にせよ、パーンチは新たなパーティーの一員として声を張り上げた。


「さあ、聖騎士団長ハレンチ! いっちょ、喧嘩をおっぱじめようぜ!」


 一方で、ハレンチはギュっと下唇を噛みしめると、


「いいでしょう。仕方がありません。予定にはありませんでしたが、ここで決着をつけて差し上げますよ。私の本当の力をとくと見るがいい!」


 そう言って、その背に翼を生やした。


 ただし、片翼だけだった。おそらくまだ完全には天使と同調しきれていないのだろう。


 だが、その頭上には天輪が浮かんでいた。強い魔族ほど魔紋が頭部に現れるというが、天族の頂点たる天使はたしかに古の魔王に匹敵する強者だった。


 その名は天使テレートス――『欲望』の概念を司った天族が今、この戦場で結成されたばかりのパーティーの前に立ちはだかったのだ。



―――――



次話はシークレットキャラSSRの登場です。よろしくお願いいたします。

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