第251話 ヒュスタトン会戦 09
「では、新婦、クラーケンよ。貴女はパーンチを夫として、健やかなるときも、
「はい。誓います!」
巨大蛸こと全裸の痴女クラーケンは声を張り上げた。
一方で、肝心の新郎ことモンクのパーンチはというと、あまりにも意識が朦朧としていた……
さっきまで地に倒れ伏していたはずなのに、いつの間にか、誰かに膝枕をされていたようだ。ただ、人肌の温もりというよりも、どこかむにゅんといったふうな滑らかな肌触りだ。
「……ん?」
パーンチは気になって、ぷるぷるの膝を片手でさすってみた。
やけに冷たかった。湖から上がったばかりの変温動物の膝なので仕方ないところではあったが、当然のことながらパーンチはすぐに違和感を覚えた。
「いったい、これは……どういうこった?」
パーンチはそう呟いて、両目を開けようとした。
だが、ちょうどそのタイミングで天から拡声器に乗って、聞き覚えのある厳かな声音が届いた。
「それでは新婦の宣誓に対して、新郎は沈黙をもって答えよ」
傷ついていて、ろくに声も出せないかもしれないと教皇も察してあげて、そのように問いかけてきたわけだが……パーンチは思わず、「はあ?」と口に出しかけた。
が。
そのタイミングでクラーケンがパーンチを見事に凹った。
より正確に言えば、本人としては公衆の面前で膝をさすさすされた反動で、猫パンチみたいな感じで「もうっ!」とじゃれたわけだが、その場にいた誰の目にも思い切り殴ったようにしか見えなかった。
結果、パーンチは物の見事に
もっとも、周囲にしても、さすがにそれはないだろうと、白々とした目を二人に向けた。そのタイミングで今度は教皇のものとは違うひそひそ声が拡声器によって下りてきた。
「教皇殿よ。あれは種族特性なのだ。巨大蛸のクラーケンは軟体生物なので物理的な攻撃があまり効かない。だから、ああやって殴り合うことでスキンシップを取ることがある。ほら、実際に『タコ殴り』などという言葉があるだろう?」
「本当かなあ。スキンシップというよりも、さっきのは明らかに口封じをしたように――」
「それ以上言うようなら、今晩は膝枕してやらんぞ。いいのか?」
「…………」
ちなみに前者がルーシーで、後者がセロだ。こちらも物の見事に尻に敷かれているので、セロもまた沈黙でもって応えるしかなかった。
今は王都へと急接近しつつある浮遊城の二階、玉座の間にて、セロも、ルーシーも、教皇や第一聖女アネストと一緒になって、
魔王城に匿われたはずの教皇の声がヒュスタトン高原に届いているのも、高度な術式による魔導通信を介しているからだ。
もっとも、当初はセロも教皇も、わざわざ戦場でこんな結婚式みたいなことを執り行うつもりなどさらさらなかった。
ただ、クラーケンがパーンチを必死になって追いかけて、ヒュスタトン高原にたどり着いたことに対して、ルーシーがついキュンとなって、その恋する乙女心がなぜか第一聖女アネストにも伝播して、二人して言葉巧みにセロと教皇を説得したことによって、このような宣誓が実現する運びとなった。
もっとも、老い先短い教皇からしたら、人族と魔族が手と手を取り合う時代の先駆けとして、聖職者としての最後の晴れ舞台を用意してくれたことに感謝しきりだった。
王都に監禁されていたときに痛感させられたが、最早、あまりにも
これから王国民はきっと新しい信仰に身を委ねていくことになるだろう。それはきっと様々な種族が暮らす世界における寛容と共生――そのバトンを若い聖女たちに渡す前に、こうして希望に満ちた宣誓に関わることが出来て、老いた教皇としては感無量だった。
そんなふうに年甲斐もなく、教皇もついつい感情が昂ってハッスルしてしまったせいか、
「一人の聖職者として、今、戦場に立っている兵士、騎士諸君に告げたい。恋人がいる者、すでに結婚して家族がいる者、あるいはこれから愛すべき人を見つける者、老いも、若いも、種族も関係なく――結婚とは容易な道ではなく、時には争いの旅となるが、それこそが人生なのだと思う。その旅路に祝福があらんことを心から願いたい」
粛々とそう告げると、聖騎士も、神聖騎士も、その手にしていた武器をいったん収めて地に膝を突いてから、
「この会戦が終わったら告白するつもりだったんだ」
「俺なんか武勲を立てて、かあちゃんに指輪を買ってやろうと思ってたんだぜ」
「実は体制派に入っちゃったけど、クリーン様のファンなんだ。本当は僕だって追っかけをしたかった」
「愛する彼女に全裸で膝枕されたい……」
そんなふうに皆で戦場における死亡フラグを踏み始めた。
一人だけちょっとした性癖を吐露した者もいたようだが、何はともあれ、皆は少しでもパーンチとクラーケンに注がれた祝福の御裾分けを求めるかのようにして、敵味方関係なく声援を送り始めた。
すると、今度は第一聖女アネストの声音が宙に響いた。
「それでは友人を代表して、第六魔王の愚者セロ様、スピーチをよろしくお願いいたします」
「え? 急に? その、あの……ええと、まずはパーンチ、おめでとう。まさか結婚式を先に越されるとは思ってもいなかったよ。僕はもう魔族になってしまったけど……元人族として、人族と魔族がこうして強い想いで結ばれたことをとても嬉しく思います。末永くお幸せにね」
第六魔王のスピーチと聞いて、さすがに体制派の者たちは表情が固くなったが、それも最初のうちだけで、セロのいかにも等身大のスピーチが終わると、万雷の拍手に変わった。
当然のことながら、このときパーンチとクラーケンを囲っていた兵士や騎士たちは全員、「おめでとう!」、「幸せになれよ!」、「ヒューヒュー!」と二人に声をかけまくった。
もっとも、当のパーンチはというと、やけに白けた目つきで無言を貫いていた。
「…………」
明らかに外堀を埋められているといった感じだ。
セロのときの女豹大戦を思い起こさせるわけだが……そのセロまで加担したことで、最早断ることすら出来なそうな雰囲気だ。
そもそも、根本的な問題として――パーンチはクラーケンと付き合ってすらいないのだ。もちろん、手を繋いだことも、ちゅーはおろか、互いの想いすら語り合ったことがない……
それがなぜ告白さえすっ飛ばして、いきなり結婚することになってしまったのか。
何にしても、少なくともパーンチは一つだけはっきりと理解していた――もしここで結婚を断ったら、この戦場にいる兵士や騎士たち全員から、それこそ敵味方関係なく凹られそうだ、と。
というわけで、結局、パーンチは終始無言でいることしか出来なかった。
もちろん、沈黙で返さざるを得なかったということは、クラーケンの誓いにたしかに答えたということであって、その結果、パーンチとクラーケンは王国の最大の権威たる教皇、また皆の聖母たる第一聖女アネストに認められる形でもって公式に結ばれる羽目になったわけだ。
最早、外堀を埋められたというレベルではなく、完全に既成事実が大陸規模で形成されてしまったとも言える。
直後、パーンチとクラーケン二人の体を温かい光が包んだ。
セロによる『
もっとも、体がしだいに回復していくにつれ、パーンチの瞳からは色々な意味で涙が溢れた。
「う、ううう……」
当然、周囲にいた兵士や騎士たちはうれし涙だと信じて、これまた敵味方関係なく、肩を組みながらさらなる声援を送った。
一方で、パーンチは聖なる光と温かい声援の中でずっと男泣きしたのだった。クラーケンはそんなパーンチをぷるりんと抱きしめてあげた。
後年、『
ちなみに余談だが、子供好きなパーンチは子宝にも恵まれた。まあ、クラーケンは蛸なのだから当然と言えば当然なのだが、立派に成長した者だけで
パーンチはそんな大量の子供たちを養う為に大陸中にたこ焼き屋のチェーン店を開いたわけだが、そこで得た利益は孤児院にも還元されたらしい。
なお、蛸と交接すると雄が死ぬとされていたわけだが……パーンチがセロの『救い手』によって何とか
―――――
本当はハレンチ戦の顛末と、孤児院の子供たちについても書きたかったのですが、キリがいいところでいったん止めました。ちなみに、今話でシークレットキャラSSRこと、セロとルーシーがちょい役で登場です。
ところで作中に出てくる教皇の言葉ですが、2014年にフランシスコ法王が結婚式を執り行った際のスピーチから引用しています。法王による異例の結婚式ということで注目されたので、ご存じの方も多いかもしれません。
なお、次話はまたハレンチ戦にきちんと戻ります。
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