第250話 ヒュスタトン会戦 08

「パーンチ様! おいたわしや! そんなに凹々にされてしまって……」


 そう言って、地に倒れているモンクのパーンチのもとに駆けつけたのは、全裸の痴女こと巨大蛸のクラーケンだった。


 もっとも、戦場で殺気立っていた男どもを掻き分けるようにして、素っ裸の美女が草原を颯爽と走っていくものだから、聖騎士たちも、神聖騎士たちも、「んんん?」とその手を止めて何度も見返した。


 幾人かは新手の『魅了』系の魔術か何かにでもかけられたのかと疑って、眉間に深い皺を寄せたほどだ。


 手を止めなかったのは、まだ生き残っていた蜥蜴人リザードマンや魚系の魔族たちぐらいで、彼らはクラーケンが放っている禍々しいほどの魔力マナをよく知っていたので、


「あの全裸の人族の女はまさか――」

「クラーケン様だ。たこ焼きにされて美味しくいただかれたと聞いていたが……」

「もしかしてジンベイ様に渇を入れる為に来られたのでは? 今や我々魚系の魔族も、妖精ラナンシー様の配下となっているからな」

「ちょっと待て。様子が変だぞ……なぜ人族の男を介抱しだしたのだ?」


 それ以前に認識阻害でなぜ全裸の痴女になっているのか、という疑問が生じてもいいものなのだが……そこらへんが余裕でスルーされるあたり、島嶼国時代にいかにクラーケンが傍若無人に振舞っていたかをよく示すものとも言える。


 さて、そんなクラーケンがパーンチのもとに駆けつけたことで、二人を中心にして大きな円のようなものが出来上がった。


 もともと神聖騎士団長ハレンチは騎乗してパーンチと戦っていたので、聖騎士も、神聖騎士も、邪魔にならないようにと遠巻きにしていたわけだが、今は皆が手を止めて、パーンチ、クラーケン、それに加えてハレンチと、文字通りに飛び入り参加となった熱血の元勇者ことバーバルの様子を、固唾を飲んで見守っている。


 とはいえ、ハレンチはまだぴくりとも動かない。


 どうやらバーバルの頭は石よりもよほど硬かったらしく、白目を剥いて口から泡まで吹いている始末だ。


 一方でそのバーバルはというと、「いてて……」と額に片手をやって、「本当に酷い目にあったぜ」と呟きつつも何とか立ち上がった――


 王都で高潔の元勇者ノーブルと一緒になって、教皇と第一聖女アネストを救出したところまではよかった。


 だが、吸血鬼やコウモリたちはその二人を匿う為に浮遊城へと向かったので、バーバルは仕方なく、ノーブルやクラーケンと共にヒュスタトン高原に出発することになった。


 最初は陸路で馬にでも乗って、かっ飛ばして行くのかなと思ったら、唐突にノーブルが可笑しなことを言い出した――


「ところでクラーケン殿。ヒュスタトン高原にある湖まで泳いで行ったらどれぐらいかかるだろうか?」

「王国北部から王都までは水路で半日もかかりませんでしたから、ここから高原の湖までなら二、三時間程度でしょうか」

「ふむん。それなら予定よりも早く着くかな。では、バーバル。当然、息を止められる・・・・・・・よな?」

「……は?」

「何なら、ここで私が貴殿の息を止めてやってもいいのだぞ。向こうに着けば、どのみち『蘇生リザレクション』などの法術が出来る者は何人かはいるだろうしな」

「再度言うが――、は?」

「なあに、他愛のないことだよ」


 ノーブルがクラーケンと目を合わせて肯き合ったので、バーバルは嫌な予感しかなかった……


 事実、それは見事に当たった。クラーケンの左手が触手に戻ると、にゅるにゅるとバーバルに巻き付いてきて、「ん? 待て……これはまさか!」と言うよりも早く、吸盤がすぽんとバーバルの頭部に嵌ったのだ。


「んご。ばばっだばば、どべだび!」


 嵌ったまま取れないと抗議をするも、当然無駄だった。


 それからはたしかに二、三時間ほど、バーバルはクラーケンに牽引される形で水中を移動した。


 クラーケンはまるでモーターボートのように河川の支流を突き進んで、その触手は一種のロープになって、バーバルを水上スキーの要領で引っ張ったわけだ。


 そもそも吸盤にすわれているから呼吸が難しい上に、ほぼ全身が水に浸かっているので息継ぎもろくに出来ない――ノーブルは「息を止められるか?」と聞いてきたが、これではほとんど第六魔王国名物・・の拷問みたいなものだった。


 それでも、バーバルは意地で何とか耐えてみせた。


「セロ如きに負けてなるものかあああ!」


 最早、ただの八つ当たりである。遠くではセロがくちゅんとくしゃみをしたらしい。


 ちなみに当のノーブルはというと、そんなスキーボードの代わりとなったバーバルの背中に華麗に立って、一人だけこの水上移動を楽しんでいた。


 最近、第六魔王国にウォータープールみたいな温泉も建設中だったことから、ついでにセロに提案してみようかなと真剣に検討したほどだ。


 もちろん、バーバルの百年の恋――ではないが、ノーブルに対する憧れがあっけなく崩れ去ったのは言うまでもない。


 何にせよ、こうして三人はあっという間にヒュスタトン高原南側にある湖まで到着したわけだ。


 ただし、水上にいたノーブルだけ、船団の爆風に煽られる形で飛ばされて、体制派の布陣の背後に着地する格好となった。


 結局、湖上に無事・・にたどり着いたのはクラーケンとバーバルだけだったわけだが、パーンチの危機を救う為に、バーバルがこの世界の最高球速でもって投げつけられたのは先述の通りである。


「とはいえ……俺よりもよほど酷い目にあっている奴がいるな」


 バーバルはそうこぼして、襤褸雑巾みたいになっているパーンチに視線を落とした。


 天使の力を出してもいないハレンチ程度にやられるとは情けない奴だと思いつつも、「さて、どうしたもんかね」と肩の関節をごきごきと鳴らす。


 この戦場にバーバルがわざわざやって来たのは、パーンチとクラーケンの恋路の行方を見届けたいという下世話な興味が湧いたからだが……もう一つだけ、バーバルにはやらなくてはいけないことがあった――


 罠に嵌めてくれた主教イービルをぶちのめすことだ。


 爆風に煽られて、ノーブルが体制派の布陣の裏に回ったということは、すぐにでも主教イービルとぶつかり合うことになりそうだ。


 ノーブルの強さは地下水路でまざまざと見せつけられたばかりなので、早く駆けつけないと主教イービルを殴ることが出来なくなるかもしれない……


「ちい。面倒なことになったな」


 バーバルはそう呟きつつも、クラーケンに介抱されているパーンチ、それからいまだ「うーん」と目を回しているハレンチに視線をやってから「ふう」と息をついた。


「はてさて、どこから手をつけるべきか」


 ちょうどそのときだった――


 まるで天からの祝福とでも言うかのように、宙から一条の光が下りてきたのだった。






 そのわずか数分前まで、エルフの狙撃手トゥレスは迷っていた。


 神聖騎士団長のハレンチに一方的に攻撃されてばかりのモンクのパーンチを助けたかったが……そもそもトゥレスには任務があった。


 この戦場のどこかに潜んでいるはずの王女プリムを見つけ出すことだ。


 その重要な任務を放ってまで、元同僚を救うのはトゥレスのやるべきことではなかった。そもそもトゥレスがスキルの『隠形』を解いて、その身を現した時点で、影となって敵の首魁を探すという任務は失敗なのだ。


 古の盟約という束縛からやっと解放されて、初めて任された仕事だ。それを自ら放棄するなど、絶対にあってはならない……


「しかしながら――」


 パーンチを見捨てることも出来なかった。


 トゥレスは「ふっ」と苦笑を浮かべた。以前のトゥレスだったら考えられなかったことだ。


 何百年もの間、エルフの大罪人として古の盟約に縛りつけられてきた。その任務の為に様々なものも捨ててきた。仲間との繋がりも、様々な感情も、あるいは自分自身ですらも――トゥレスはそれら全てを葬り去って、次兄ドスに言われるがまま生きてきた。


 そんなトゥレスが今、ついに弓矢へと手を掛けた。


 いまだに心の中は整理しきれていなかったが、決して捨ててはいけないものがあるのだと、どこかで感じていた。


 何より、かつて勇者パーティー時代にセロを捨ててしまったときと同じあやまちを繰り返してはいけないと思った。任務を理由にして、何もかもに無関心を装うのはもう止めだ。


「パーンチよ。今、助けるぞ」


 トゥレスはそう心を定めて、ついに弓を引いた。


 が。


「勘弁してくれええええええええええええ!」


 次の瞬間、バーバルの絶叫が戦場に響き渡った。


 トゥレスは顔をしかめたが、どうやら手を下すまでもなく、事態は何とか好転していったようだ。


 ここにきてようやく、トゥレスも「ほっ」と息をついた。


 もっとも、現在の状況が好転と呼ぶべきかどうか、トゥレスもさすがに判断がつかなかった。少なくともパーンチにとっては悪化やもしれなかった……


「まあ、さすがに色恋沙汰の件については私では支援しかねるからな」


 何にせよ、トゥレスは宙を見上げた。


 というのも、パーンチとクラーケンにスポットを当てるかのようにして、ちょうど聖なる光が下りてきていたからだ。


 こんなことが出来るのは、ヒュスタトン高原上に滞空している強襲機動特装艦こと『かかしエターナル』しかいない。


 もちろん、かかしエターナルは艦自体に認識阻害をかけているので、戦場にいる者たちには視認出来ない。だから、その場の皆にとっては、まるでパーンチとクラーケンを祝福するかのように、奇跡的に天から光が降り注いだといったふうにしか見えていなかった。


 しかも、王国に住む者ならば、子供でも知っている厳かな声音がどこからともなく届いた――


「新郎、パーンチ……はどうやら戦いの傷によって言葉を発することが難しいかのう。では、新婦、クラーケンよ。貴女はパーンチを夫として、健やかなるときも、凹っているときも、人族であろうと、魔族であろうと、聖女パーティーの一員であっても、たとえ討伐すべきとされた魔王であっても、夫を愛して、敬い、助け合い、あるいは共に戦い合い、その命ある限り殴り尽くすことを誓いますか?」


 それはすでに魔王城内に匿われた教皇によって執り行われた結婚式――そう。パーンチとクラーケンへの『誓いの言葉』だったのだ。



―――――



まさかセロやルーシーよりも先に結婚式をやるキャラクターが出てくるとは……というか、会戦はどこへやら。ちなみに、魔王城に匿われた教皇の声がなぜかかしエターナルから下りてきたのかについては、あとで説明が入ります。

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