第243話 ヒュスタトン会戦 01
本来、巴術士ジージは思慮深く、千思万考して石橋を叩きまくっても渡らないほどに慎重な人物だ。
今回の会戦の参謀役としては最も相応しいし、宮廷魔術師として歴代の王に長らく仕えてきたこともあって、わざわざ戦場で手柄を立てる為に一番槍を目指すタイプでは決してない。
だからこそ、そんなジージがよりにもよって――
「よし。では、皆の物よ……覚悟を決めよ! この地で第一に散ることこそ、我らが神の思し召しと考えるのじゃ! では、
「「「うおああああああ!」」」
そう。今、まさにジージ率いる魔導部隊は全員、狂ったかのように目を血走らせながら敵陣に突入しようとしていた。
はたして、なぜかなのか?
話は数時間ほど前に遡る――
天幕にてシュペル・ヴァンディス侯爵が作戦を伝えた後、第二聖女クリーンを擁する反体制派はヒュスタトン高原の西側に布陣した。
布陣そのものには奇を
まず、前線にモーレツたち聖騎士団が横陣に展開して、その左右に聖女パーティーの英雄ヘーロス、そしてモンクのパーンチを遊撃のように配している。
その前線から南の湖畔側には
また、北の高地側には妖精ラナンシーとマン島の戦士たちが聖騎士団の脇を固めて、そのすぐ背後には魔術・法術による支援の為に巴術師ジージが率いる魔導部隊が控えている。
さらに聖騎士団の後方には武門貴族や旧門貴族のお抱えの騎士団が分厚い層を形成して、その最奥に本丸のクリーンが女聖騎士キャトルを伴って、神殿の騎士団もといクリーンの熱烈な追っかけたちが近衛のように固めているといった格好だ。
一方で、前線の聖騎士団と睨み合っているのが、敵のハレンチが団長を務める神聖騎士団なのだが、兵力差で劣る分、その背後には主教イービルの大神殿勢力がいて、法術によって幾らでも神聖騎士団を回復・
さらに同じ神殿勢力ではあるものの、黒服を纏ったいかにも胡乱な神官たちもいて、それがヒュスタトン北方にある小高い山地に布陣している。
実は、そこはこの高原で最も立地の良い場所だったのだが、クリーンたち反体制派はあえてこの地を抑えずにいた。というのも、ここ数日、ヒュスタトン高原ではずっと霧が立ち込めていたせいだ。
まだ雨季でもないのに、前日も
これでは高地にいても敵の動きを視認出来ないし、弓や魔術の優位性も確保しづらい……
逆に高地にまとまって布陣していると分かれば、かえって狙い撃ちにされかねない。そんな状況だったからこそ、反体制派は先にヒュスタトン高原に布陣していたにも関わらず、本来なら有利であるはずの高地を捨てたわけだ。
だが、主教イービルはそう見なかったらしい――
「兵法書の通りに布陣するべきでしょう。数では相手に劣るわけですし、まずはあの黒服連中に有利な高地からせいぜい戦場をかき乱してもらいましょうか」
イービルはそう言って、「くくく」と小さく笑ってみせた。
とはいえ、その肝心の高地では異変が起きていた。いや、異変しか生じていなかった……
どういうことかと言うと、そもそも黒服の神官たちが連れてきたのは、手枷や首枷を嵌められた罪人や奴隷たちばかりだった。
一般的に兵力差がある場合に罪人や奴隷などに武器を与えて、武功を餌に恩赦や開放を約束することで決死の兵や肉壁を作り上げることはよくあるわけだが――
「調整終了しました!」
「
「魔力の波長は安定しています」
「魔族への転生は順調です。いけます。これら奴隷兵どもに指示を与えてください!」
黒服の者たちはそんなふうに次々と報告を上げてから、いかにも狂信者らしき初老の男を仰ぎ見た。
「それでは
その初老の男はまるでガラスを爪で引っ搔いたかのような奇声を張り上げた。
もっとも、イービルがもしこの場にいたなら、助走をつけて初老の狂信者を殴り飛ばしていたに違いない……
本来なら聖騎士団と神聖騎士団がやり合って膠着した後に、その横合いから一気呵成に突っ込むのがベストなはずだが、この狂信者は初手からいきなり玉砕覚悟の突進を選んだのだ。
一応、理由らしきものは二つある―― 一つは立ち込める霧のせいで戦況がさっぱり分からなかったこと。もう一つはこの黒服連中は所詮、研究者であって、戦うことに慣れていなかったことだ。
そもそも、戦場に出張ってきたことからして初めての経験だった。前夜のうちからかえって興奮して、全く理性的ではいられなかったし、何より自分たちの研究成果を早く皆にお披露目したくてうすうずしていた……
おかげで高地には禍々しい魔力が高原の霧以上に充満して、また人工人間たちの『断末魔の叫び』にも似た奇怪な咆哮も戦場全域にこだましていた。
そのせいで最初に戦端を開くはずだった聖騎士団も、神聖騎士団も、「ん?」と――ぶつかり合う前にいったんその足を止めてしまって、
「何だ……この異様な
と、互いに動けなくなったのは皮肉でしかなかった。
そんなふうにして動きのなくなった戦場中央とは裏腹に、本隊とは離れて北方の高地付近に布陣していた巴術士ジージは「ふむう」と顎髭を片手で撫でていた。
実は、この霧中でもジージは戦況をしっかりと把握していた。聖鳥を幾体も召喚して、その目を借りて全体を俯瞰していたのだ。
「はてさて、あの黒服の神官どもめ。やはり怪しげな研究をしておったのじゃな」
ジージがそう嘆くと、そばに控えていた魔導騎士の女性が首を傾げた。ジージの高弟の一人で、モタの大先輩に当たるマジックだ。今は武門貴族に雇われていて、今回の会戦ではジージの補佐役に任じられている。
「では、この禍々しい魔力の波長は高地にいる神官のせいということなのでしょうか?」
「うむ。その通りじゃ。彼奴らめ、人工人間の研究なぞしておったようじゃ」
「お師匠様……その人工人間というのは、いったい?」
魔導騎士マジックが眉をひそめると、ジージは「ふん」と鼻で笑ってみせた。
「なあに、難しいものではない。呪いによって人族が魔族になることは知っておろう?」
「はい。もちろんです。内包する魔力量が少ないか、素のステータスが低いと、呪いに対して抗し切れずに死んでしまうとされています」
「うむ。合格点と言える答えじゃ。相変わらず
「ありがとうございます。しかしながら満点ではなく、優秀止まりなのですね?」
「そう
「……馬鹿な。そんなことが本当に可能だったのですか?」
「うむ。それが人工人間というやつなのじゃ。古の時代の第六魔王にして、今はセロ様の顧問をしておられる
「つまり、人工人間は人造人間の汎用性を高めたものという理解でよろしいのでしょうか?」
「ふむん。まあ、劣化コピーじゃな。そもそも、研究資料も、設備も、失われてしまって久しい。まあ、彼奴らも彼奴らなりにようやっとると言えるよ」
ジージが意外にもそう高く評価すると、魔導騎士マジックは顔をしかめた。
「しかしながらお師匠様……大神殿がまさか魔族に変じる研究をしていたというのは本当におぞましいことですね」
「む? おぞましいとは?」
「裏切られたような気分です。少なくとも聖職者たちは魔族嫌いなのだと思っていました」
魔導騎士マジックがそう主張すると、ジージは「いやいや。全く矛盾はしとらんよ」と言って続けた。
「大神殿が嫌悪しているのはむしろ亡者じゃ。そもそも、呪いの解除は大神殿の専売特許なのじゃから、呪い――延いては魔族に関して研究するのは
ジージはそう言って、ため息をついてみせた。
魔族嫌いというなら、かつてのジージだってそうだった。もっとも、ジージの場合は宮廷魔術師時代に泥竜ピュトンに散々弄ばれたことが端緒となったわけだが……
そもそも、魔族と関わっているのは大神殿だけではない。今となっては聖女パーティーも、この戦場にいる反体制派も、魔族たちの支援なくしては成り立たないのだ。
実際に、そんなジージたちの隣に一人の魔族の少女がぶらりとやってくる。
「なあ、爺さん。あの高地から強敵の匂いがぷんぷんとしてくるぜ。あの禍々しさは間違いなく魔族だろう? てことは、あたいの出番ってことでいいんだよな?」
ジージは「ふう」と、また一つだけ息をついた。
魔族とは戦場にて強者と誉れを求める者たちだ。本来なら、後衛の魔導部隊であるジージたちのお守りに徹してもらわなくては困るのだが――
「行くなと言っても聞く耳は持たんのじゃろう?」
「いいや。爺さんのことだから、むしろ行けと言うに決まっているさ」
魔族の少女こと真祖カミラが三女、妖精ラナンシーはそう言って、両拳を叩いてパンと鳴らした。
「こんな小娘に見透かされるとはやれやれじゃな。まあ、たしかにあの人工人間の部隊……どうも気にかかることがある。ゆめゆめ油断だけはしてくれるなよ」
「そうこなくちゃな!」
ジージはこうしてラナンシーやマン島の戦士たちの背中を見送った。
もちろん、このときはまだジージとて、ラナンシーたちより我先にと獲物を求めて発狂する事態になるなどとはゆめゆめ思ってすらいなかった。
――――――
ヒュスタトン会戦は小出しのネタを挟みつつ全話で15話ほどを予定しています。拙作で最大の長丁場になります。
聖女パーティーの登場順では、ジージ→パーンチ→トゥレス→ヘーロス→クリーン→キャトルとなって、それぞれにゲストキャラやシークレットキャラもいます。
ゲストキャラは順にラナンシー、モーレツ、シュペル、ヒトウスキーで、シークレットキャラは「前哨戦」などで出てきたのでさほどシークレット感はないかもしれません……が、二人だけ意外な人物が関わります。よろしくお願いいたします。
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