第242話 地より這い上がるもの

 王都の南西にはヒュスタトンと名付けられた高原が広がっている。


 実は、この高原ではかつて王家が皇位継承権を巡って分かれたとき、貴族たちも東西で長らく争ったこともあって、王国の古代史上、最もよく知られた場所にもなっている。


 北は小高い山地、南は王都に続く大きな湖に挟まれた高原で、王都から西の貴族領へと足を運ぶ際に必ず通る陸路の要衝でもあって、古代までは当然のように関所も設けられていたのだが、かつてのヒュスタトン内戦の際に取り壊されてしまった。


 以降、王侯貴族が二度と分かたれることがないようにと、あえてここに関を作らず、また広い高原を農地などに整備することもなく、長大な街道のみがあって、だだっ広い古戦場として親しまれてきたわけだが――


「まさかこのヒュスタトンで二度目の内戦が行われることになるとは……」


 シュペル・ヴァンディス侯爵は天幕の中で呟いた。


 しかも、今回は当時のような王家の分裂といった分かりやすいものではない。


 現在、第二聖女クリーンと対峙するのは、現王や大神殿――つまり、革新と保守、反体制と体制、あるいは新しい価値観を求める者とそうでない者――といったふうに、今度は自らが信じる正義の対立ともいえる。


 そのせいか、この天幕の中には聖女パーティーを含めて、武門貴族や旧門貴族の主だった者、そして島嶼国からクリーンに付き従ってきた者たちに加えて、ダークエルフの双子ことドゥとディン、狙撃手トゥレスが連れてきたエルフたちなど、様々な人々が入り乱れていた。


 シュペルはよくもまあこれだけ集まったものだなと感慨深くなりつつも、「ふう」と一つだけ短い息をついてから眉間に深い皺を作った。


 そんないかにも深刻そうなシュペルに対して、ヒトウスキー伯爵が近寄ってきて小さく声をかける。


「難しい顔つきでごじゃるな」

「当然、難しくもなりますよ。これだけの者たちが集まったのです」

「王国の関係者は早速、次の国王は誰かとひそひそ話ばかりしておじゃるよ」

「そこなのです」


 シュペルはひょいと人差し指を振るった。


 今回の会戦における反体制派の貴族たちの頭目はシュペルとヒトウスキーだ。どちらも家格的には問題ない。また、人物としても立派で、代表として担がれるに当たって不満もほとんど出なかった。


 もちろん、ヒトウスキーは放蕩貴族のイメージが付きまとうものの、そもそも旧門貴族は多かれ少なかれそのような者たちばかりだし、一方でヒトウスキーの刀術は聖騎士団長モーレツを通じてよく知られることとなったので、かえって武門貴族から支持を受けている。


 だから今、ここに集まっている貴族たちの話題の中心はというと、どちらが本当の・・・頭目に相応しいかということだった。当然のことながら、その結果次第では貴族たちの今後の身の振り方も大いに変わってくる――


「やはり実直なシュペル卿だろうな」

「しかし、武門貴族が上に立つと旧門貴族からの反発が大きいぞ」

「そもそも、王家からして勇者に従っていた騎士の末裔だ。これからの混迷の時代に武を持って立たずしてどうする?」

「そういう意味では、実はヒトウスキー卿の方がよほど強いという噂もあるわけだが?」

「というか、ヒトウスキー卿は王位に興味があるのか? 秘湯を求めて一つの場所に留まれる方ではないように見えるのだが……」


 シュペルとヒトウスキーが二人して黙っていると、こんなひそひそ話がすぐに耳に入ってくる始末だ。


 ヒトウスキーは「ほほほ」と呑気に笑ってみせるが、シュペルは苦虫を嚙み潰したような表情になっていた。いかにも対照的な二人だ――


「貴族は噂が大好物でおじゃるからな。好きに言わせておけばいいのでおじゃる」

「しかしながら、我々はまだ体制派と一戦も交えていないのですよ?」

「ふむん。たしかにこの戦勝ムードは気になるでおじゃるな」


 ヒトウスキーの同意を得られて、シュペルはやっと「ほっ」とした。


 というのも、シュペルは先ほどからずっとこの浮ついた雰囲気を危惧していたのだ。


 もっとも、貴族たちが勝てると慢心しているのも仕方のないところではある。シュペルたち反体制派としてヒュスタトン高原に集ったのは十万以上、対して体制派はその半分にも満たない。


 しかも、反体制派には聖女パーティーを筆頭として名だたる武人が集まっている。それに比して体制派は神聖騎士団のハレンチ団長ぐらいだ。さらに言うと、ハレンチはもともと聖騎士団の副団長であって、モーレツの部下だった。


 そもそも、勢いは第二聖女クリーンにある。王国民の支持も受けている。第六魔王国の支援まである――これで負けると考える方がおかしいだろう。よほどの厭世家か皮肉家かと疑われるに違いない。


 だが、シュペルの表情はいまいち暗い……


「烏合の衆であるのがどうしても気掛かりなのです」


 シュペルはそう腹を割ってヒトウスキーに相談した。


 たしかに多士済々と言えば聞こえは良いが、ここに集まっているのはあまりにも雑多な人々だ。


 その中心には聖女パーティーがいて、彼らの脇を武門貴族と旧門貴族が固めているわけだが、その貴族たちの半分ほどは時勢に乗って駆けつけてきた者たちに過ぎない。


 それに、クリーンのすぐ周囲には島嶼国から付き従ってきた者たちが護衛のように離れない――かつて王国から追放された者たち、さらには蜥蜴人リザードマンに魚系の魔族だ。


 だから、今回の会戦を機会に武勲を上げようとする武門貴族、あるいはクリーンに取り入って出世を見込む旧門貴族にとってはあまりうれしい状況ではないらしく、どうしても一致団結という点では劣ってしまう。


 そんな雑多な大所帯となった反体制派に比べると、体制派は数が少ない分だけ神聖騎士団を中心によくまとまっているとも言える。そもそも今回の会戦に負けたら、後は王都防衛の道しか残されていないので、ある意味では背水の陣の覚悟だろう……


「あと、表立っては指摘されていませんが、敵には天族が付いているのも気になります」

「ふむん。王女プリムに取り憑いたモノゲネースとかいう天使でおじゃるな」

「はい。そもそも、天使が一体だけとは限りません……魔王と同じレベルの強者が敵の中に複数潜んでいるとなると、兵士の数の多寡はあまり意味をなさないですからね」

「何にしても、ぶつかってみるまで。秘湯と同じでおじゃるよ」

「はて、秘湯と同じ……とは?」

「入ってみるまでは良い湯かどうか分からんということでおじゃる」


 ヒトウスキーはそう言って、「かか」と笑みを浮かべてみせた。


 シュペルはやれやれと頭を横に振った。さすがにヒトウスキーは肝が据わっている。シュペルよりもよほど本当の頭目――そう。次の王に相応しい人物だ。


 もっとも、二人の間ではとうに密約が成されていた。ヒトウスキーは王になる気など毛頭ないのだ。


 むしろ、王国が平定されて大航海・大航空時代がやって来たなら、それこそ大陸外の秘湯を巡る為にも爵位など返上して、いっそ冒険者・・・になるとまで言い出したほどだ。


 その爵位返上の密約をすでにシュペルは交わしてしまった。当然のことながら、これほどの人物の喪失は新たな王・・・・にとってあまりに大きな痛手だ……


「麻呂には勝たねばならぬ理由があるでおじゃる」

「それは私も同じです。歪んでしまった体制は立て直さなくてはいけない」

「それに、たとえ烏合の衆であってもよろしい」

「はい。新しい時代がやって来るのです。人族、亜人族、それに魔族が手を取り合って進んでいく。その為にも、この会戦は大きな道標メルクマールになるに違いありません」


 シュペルはそう言い切って、天幕に集まった人々に向けて順に視線をやってから、やっと頭目の一人として第一声を発した――


「それでは、会戦に向けて作戦を話すとしよう!」






 その頃、東の魔族領こと第六魔王国東領には一人の魔族が降り立っていた――


 会戦の喧騒はどこへやら。この砂漠の切り立った崖の上にぽつんとある遺跡の地下では、ダークエルフたちがちょうど発掘調査を進めていた。


 ヒトウスキーやドワーフ代表のオッタらのアイデアを受けて、セロがここに砂風呂や岩盤浴の出来る施設を作ろうかと発案したことから、様々な調査が行われていたわけだが、それ以外にも当然もう一つ重大な任務が課されていた。


 奈落にかけてある封印の守護である。


 が。


「う、ううう……」


 地下にいたダークエルフたちは全員昏睡していた。


 降り立った魔族が状態異常をばら撒いたのだ。もちろん、セロの『救い手オーリオール』を受けているはずのダークエルフに対してそんな芸当が出来るのは、この大陸にも一人しかいない――邪竜ファフニールだ。


「すまんな。恨んでくれるなよ」


 ファフニールはそう言って、奈落のある聖所に近づいていった。


 そして、聖所の観音開きの重たい鉄扉を開いて、奥の祭壇に安置されている巨大な門の前までやって来ると、そこでいったん片膝を突いた。


「新たな天族が大陸に降り立ちました」


 すると、奈落から応じる声があった――堕天使ルシファーだ。


「古の大戦以来、天族と魔族とが交わしていた約定をついに彼奴らの方から破りましたか?」

「はっ。どうやら第六魔王セロに抗する為に、エクレーシアとテレートスを人族に受肉させたようです」

「確かですか?」

「モノリスに記録させてあります。また真祖カミラも証言いたしましょう」


 すると、少しだけ間があってから、


「――とのことでございます。冥王様。如何いたしますか?」


 ルシファーが奈落の向こう側で恭しく声掛けすると、ふいに奈落こと『地獄の門』が歪んだ。


 その歪みから現れ出たのは、青い炎を身に纏った強大な魔族だった。そのすぐ後ろにはルシファーも付き従っている。


「よくぞやった。ファフニールよ」

「ありがたきお言葉でございます」

「これより天界の偽神『深淵ビュトス』を堕とす。者共よ、続け! 古の大戦の再戦だ!」


 こうして、冥王ハデスは地上に再臨したのだった。

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