第241話 天より落ちるもの
「魔族はせいぜい魔族同士で潰し合ってくれればいいのですよ」
主教イービルは大神殿の廊下を足早に過ぎながら、「くくく」と卑屈な笑みを噛み殺すことが出来ずにいた。
今頃、放水路にいた魔族たちは罠に嵌って、水牢に閉じ込められたタイミングだろうか。高潔の元勇者ノーブルは第六魔王国の幹部になったと聞いていたから、バーバルを餌にして見事な釣果を上げたと言ってもいい。
おかげでイービルの高笑いも止まりそうになかった――
「そもそも、戦場に誉れを求める魔族なぞと、まともに戦おうとする方がどうかしているのです」
イービルはそう呟いて、いったん「ふう」と落ち着きを取り戻す。
もともと、大神殿の黒服連中の胡散臭い研究を黙認してきたのも、制御出来て手駒になる魔族を手に入れる為だった。
王族が魔王に対して勇者を派遣するように、大神殿は魔族に対して魔族をぶつける――むしろ勇者として使い物にならなくなったバーバルを
「失敗は成功の母と言いますが、まさに前回の失策を踏まえた良い采配となりました」
イービルはそう独り
実際に、以前は第六魔王の愚者セロと第七魔王の不死王リッチを戦わせようと仕向けたが、全くもって上手くいかなかった……
それも当然のことで、いきなり玉を取りに行っても成功するはずがない。ならば、まずは飛車角金銀から落とすべきだ。
そう考え直したからこそ、わざわざ泥竜ピュトンに地下通路の情報を仕込んでおいた。ピュトンが捕らえられるか、魔族に寝返るか、どちらにしても欺瞞情報によって第六魔王国の者を誘い出す――
「まあ、バーバルは失いましたが……多少の犠牲は致し方ありません」
結局のところ、イービルだけでなく、プリムたちからしても、魔族になったバーバルなど使い捨ての駒に過ぎなかったわけだ。
「とまれ、会戦の前哨戦として、まずは順調な滑り出しと言えるでしょうね。さて、今度は逆賊クリーンの討伐といきましょうか。クイーンを取って魔王にチェックメイトです」
こうして、イービルはにやにやと嫌らしい笑みをまた浮かべながら、高原に向かう馬車に乗り込んだのだった。
その頃、高潔の元勇者ノーブルはその身を思い切り
「おい、何をしているんだ?」
今では放水路もかなり満たされて、全身が水中に浸かってしまっているので、そばにいたバーバルの問いかけはごぼごぼと届かなかったわけだが、その口の開閉具合から見てそんなことを言っているんだろうなとノーブルは当たりを付けた。
「見て分からないか? 必殺技の研究だ」
「は? 必殺技? こんなときにかよ?」
「こんなときだからこそだよ。水の中でも繰り出せて、遮水壁を破壊出来るだけの攻撃を考案していたのだ」
もちろん、互いにごぼごぼと泡を浮かべて口を上下させているだけなのだが、意外とジェスチャーでも細かいニュアンスは伝わるものらしい……
実際に、バーバルも「ふうん」と首肯してから、ノーブルの見よう見真似で、壁を壊すような芸当が水中でも可能なのかどうか色々と試し始めた。
とはいえ、いまだに王都地下の立坑には水が落ちて溜まっていく一方だ。
コウモリたちなら飛んで出られそうではあったが、全匹とも水を大量に浴びて翼が湿ってしまった。
「キイ……」
と、つぶらな瞳で「ごめんなさい」と訴えてくるので、ノーブルは「気にするな」と視線で返す。
今は吸血鬼たちが何とか水面に上体を浮かして、その頭上にとまったコウモリたちが風魔術で羽を乾かしている最中だ。
最悪でも、ここに閉じ込められたことをセロに伝えてもらわなくてはならない。ノーブルの持っていたモノリスの試作機は水にやられて通信不能になってしまった……
だから、コウモリたちの羽が乾いて飛び上がれるならそれでよし。それまでに壁を壊せる必殺技を習得出来るならそれもよし――何にしても、ノーブルは水中にいながら竜巻のような流れを起こす連撃を模索し始めた。
「ここを……こうかな?」
もう少しで何かが掴めるのだが……
と、ノーブルが水中で首を傾げてから、いったん腕を組んだときだった。はてさて、いったいどこからだろうか、
「あーれー」
何だか楽しそうな女性の声がしたのだ。
ノーブルを含めた皆が「ん?」と、決壊した排水口に視線をやると、滝に落とされる格好で全裸の女性がドボンと放水路の水底に沈んでいった――
巨大蛸ことクラーケンだ。
どうやら衣服は全てアイテム袋に入れて、人型化と認識阻害は解かずに川を下っていたら、ついにここまでたどり着いてしまったらしい……
とはいえ、バーバルは一切面識がなかったので、「なぜこんなところに全裸の痴女が……」と、眉間に皺を寄せながらも、一応は元勇者らしく、「大丈夫か?」と心配してあげたわけだが、その一方でノーブルや吸血鬼たちがまるで救世主にでも巡り会えたかのように、
「良かった!」
「これで助かるぞ!」
「図に乗ってあのときたこ焼きをたくさん食べてごめんなさい!」
「今なら私も触手で弄ばれてもいいぞ!」
などと、いきなり万歳三唱し始めたので、バーバルもさすがに眉をひそめるしかなかった。というか、憧れのノーブルまでテンションが高まって、最後についつい性癖的にあれな発言をしたことに若干ドン引きしてもいた……
もっとも、肝心のクラーケンはというと、ノーブルたちを見るや否や、
「あら、ノーブル様。それに吸血鬼やコウモリの方々も。こんな場所でお会いするとは奇遇ですね」
と、不思議と水中でもよく通る声で呑気に挨拶してきた。
当然のことながら、ノーブルたちが窮していることにはまだ気づいていないようだ。
すると、ノーブルが水中で下手糞なジェスチャーを始める。何とかこの喫緊の事態をクラーケンに伝えようとしたわけだ――
が。
「え? 平泳ぎ? もっと上手く泳ぎたい? 違う違うそうじゃない?」
クラーケンはそう言って、ノーブルの必死のジェスチャーに対して首を傾げた。
相変わらずクラーケンの声は水中でもなぜかよく通るのに、ノーブルはごぼごぼと泡を吹くだけだ。
ノーブルとしてはこのまま満水になったら溺れてしまうので早く助けてくれと伝えたかったわけだが、バーバルのときとは違ってなかなかジェスチャーが上手く伝わってくれない。ここはさすがに元人族と、生粋の魔族との差だろうか。
仕方がないので、今度は遮水壁のそばまで潜って、それをパンチで壊したいのだと懸命にジェスチャーしてみせるも――
「あら? もしかしてモンクのパーンチ様? つまり、パーンチ様はワイルドだぜ? 違う違うそうじゃない?」
そんなこと一言もいってないぞと、ノーブルは腰に両手をやってごぼごぼと抗議したが、結局クラーケンには何も伝わらなかった。
終いには、クラーケンも両手をパンと叩いて、
「そうでした。パーンチ様です。私は愛するパーンチ様を追いかけてきたのです。こんなところで油を売っている暇はありません。それではノーブル様、それに皆様。一足先に失礼いたします」
クラーケンはそう言って、鮮やかに水面に上がっていこうとしたので、ノーブルは両手を伸ばして懸命に引き止めようとした。
「え? パー? パーと言えばやっぱりパーンチ様。なるほど、私の恋路を応援してくれているわけですね。ありがとうございます!」
ノーブルは頭を抱えるしかなかった。
たしかに恋路は応援してあげたいが、今は恋路よりもこの状況に対して血路を開きたいのだ。
すると、痺れを切らしたというわけでもないが、バーバルがノーブルの肩をツンツンと突いて、水面に上がれよといったジェスチャーをした。
もちろん、この放水路はまだ完全には満水になっていないので、水面には頭を出す程度のスペースが残っている。
「「ぶはっ!」」
と、ノーブルとバーバルが共に水面に頭を出すと、今度はクラーケンと直に会話可能となった。
というか、これほどまでにテンパってしまったノーブルというのも珍しい。何にせよ、ノーブルはクラーケンに状況を説明し始めた――
「なるほど、この放水路から脱出したいと?」
「うむ。その通りなのだ、クラーケン殿。敵の罠にまんまと嵌まってしまった」
「でしたら、まず上から落ちてくる水を
クラーケンはそう言うと、詠唱破棄で滝のように落ちてくる水を難なく凍らせてしまった。
さすがはクラーケン。海中では最強の生物――伊達に第八魔王を勝手に名乗っていたわけではない。
「それから、次にこの放水路の水を全て吸い取ってしまいましょう」
クラーケンはそう言うと、あっという間に水を飲み込んでしまった。ぽん、ぽん、とお腹をさする仕草をしてみせるも、苦しんでいる様子は一切ない。
これにはさすがにノーブルたちも唖然とした。大量の水はいったいどこに消えたのかと理解が追い付かない格好だ。
まあ、もとは島サイズの大きさの巨大蛸なので、人型になっている時点で体積について考えるのも野暮な話ではあるのだが……
「あら、嫌だ……水がなければ私はもとの場所に戻れないですわ」
すると、クラーケンはふいにそのことに気づいて、また水を吐き出すかどうか頭を悩ませるも、今度はノーブルも冷静に「問題ない」と返した。
「こうすればいいだけだ」
それだけ言って、ノーブルは遮水壁を簡単に壊してみせる。
水中で何もかもが鈍くなっていなければ造作もないことだった。それに吸血鬼やコウモリたちに対しては『聖防御陣』はある程度有効だったかもしれないが、魔族になったとはいえノーブルはもともと光系の法術が得意な元勇者――
しかも、『聖防御陣』については百年前の聖女から教えてもらって、長らく自ら改良してきたこともあって、今では一家言持っている専門家でもある。
「さて、それでは行くとしようか。というか、クラーケン殿。教皇と第一聖女を救出したら、我々はパーンチ殿のいる高原に向かう予定だ。どうせなら一緒に行かないか?」
「本当ですか! それはとても助かります。実は……陸路はどうしても苦手でして……」
ノーブルは「では、決まりだな」とクラーケンに対して首肯すると、今度はバーバルへと向き合った。
「さて、貴公はこれからどうするつもりだね?」
「再度答えるが、第六魔王国に所属するつもりはさらさらない」
馴れ合う気などないと、バーバルはにべもなく断った。だから、ノーブルもまたバーバルに対して小さく肯いて、
「そうか。悪いが、ここでもう一度相手をしてやれるほどの時間的な余裕はないぞ?」
「別に構わんさ。勝負は――俺の負けだ。その程度が分からないほど、俺も愚かではないつもりだ」
「ふむん。では、またどこかで会おう。これにて失礼するよ」
ノーブルは背を向けた。クラーケンもぺこりと軽く会釈だけして地下通路へと歩き出す。
吸血鬼やコウモリたちは一応、バーバルを警戒しつつも、ノーブルやクラーケンの後に続いた。
バーバルはその後ろ姿を黙って見送ってから、「はあ」と深い息をついた。しばらく地下神殿のような立坑に突っ立って、ぼんやりと考え事をする。
ノーブルに完敗した。おそらくセロにもまだまだ届かない。イービルにも裏切られて、頼るあても、行くあてもない……
とはいえ、こんな静かな地下にい続けても仕方がない……
そもそも、今のバーバルには一つだけ、無駄に気掛かりなことが出来てしまった。この知的好奇心だけは魔族になろうとも止められない――
だからこそ、バーバルは「すまん。待ってくれないか」と声を上げた。
「ほう。急にどうしたのだね?」
ずいぶん先を歩いていたノーブルが気づいて振り向いてくれる。
「俺も付いて行きたい」
「どういう風の吹き回しだ?」
「さっきも言った通り、あんたらの仲間になる気はない。セロのもとにも行かない。だが――」
そこでバーバルは言葉を切ると、ノーブルを真っ直ぐに見つめた。
「まず、イービルの野郎は許せない。俺
バーバルはいまだに全裸の痴女ことクラーケンにちらりと視線をやって、すぐに目を逸らした。
「パーンチの恋路の結末ってやつを見てみたい」
それだけ言って、バーバルはやれやれと肩をすくめてみせた。筋肉こそが恋人と言って
さすがに憎まれっ子バーバルでも好奇心を抑えることが出来なかったのだ。
「ふふ。そうか。貴殿もか……実のところ、その件については私も興味津々なのだ」
ノーブルもにやりと応じると、吸血鬼やコウモリたちまで盛り上がった。
「全くだ」
「意外と上手くいくだろ」
「だが、パーンチ殿は性癖的にあれじゃないぞ?」
「あれかどうかはこの際関係ないだろう。種族差を超えられるか否か。これは男の度量の問題だ」
「キイキイ!」
「あら、嫌だ。皆様、そんなに熱く応援してくださるなんて」
こうしてノーブルたちは新たにクラーケンとバーバルを加えて、パーンチの恋路を応援する
―――――
救出後の教皇「ほう。種族差を越えて愛を育むと。もちろん、応援いたしますぞ」
アネスト「あらあら、うふふ。聖なる祝福がありますように」
クラーケンの恋路を応援する会に新たに二人が加わった! こんな感じで
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