第240話 前哨戦

 王国南西にある高原に二つの勢力が集結する――その半日ほど前のことだ。


 王都の地下ではその前哨戦が行われようとしていた。


 高潔の元勇者ノーブルと、熱血の元勇者バーバルという元勇者同士による直接対決が実現したのだ。とはいえ、その肝心の舞台は灯りもろくにない暗さで、ネズミがうろつくような放水路だったのだが……立坑になっていたので地下神殿のような荘厳な趣きだけはあった。


「ほう。セロ殿やクリーン殿に詳しいということは……もしや貴公が噂に聞く、現役の勇者バーバルか?」


 ノーブルがそう尋ねると、バーバルは「ふん」と鼻を鳴らした。


「もう現役じゃない。とっくに死刑を受けた大罪人さ。もっとも、刑に処されたのは偽者だったけどな」

「しかしながら、勇者がまさかこんなふうに魔族になっているとは……」

「おいおい、勘弁してくれ。百年前に魔族になった大先輩にだけは言われたくない台詞だな。それに王女プリム――いや、天使のモノゲネースから聞いた話だが、そもそも吸血鬼の真祖カミラからして、実は勇者の始祖だったんだろう? 今どき天族だ、魔族だと気にするご時勢か?」

「ふむん。それもそうだな。さて、戦う前に一つだけ確認しておきたいのだが、貴公もすでに立派な魔族になったわけだ。改めて第六魔王国に所属するつもりはないのか?」

「ふはは。さすがにそれは冗談にしても笑えん話だ。たとえお人好しのセロが許してくれたとしても、俺が俺自身を許せんよ。そもそも、こうして魔族になったのは強くなる為だ。何より、セロを見返す為だ」

「ならば、我々がこんな所で戦う意義などないように思うのだが?」

「いいや、意義ならちゃんとあるさ。あんたを倒せば――俺はもっと強くなれる!」


 バーバルはそう断言すると、蟷螂カマキリのように異形の鎌腕となった左手を宙に高々と突き出した。


 ノーブルはその様子を見て、「仕方がないな」と肩をすくめると、後ろにいた吸血鬼やコウモリたちに「先に行け」と視線を送った。


 全員でバーバルを倒すという選択肢もあったはずだが、そこはやはりノーブルもすでに歴とした魔族――しかも第六魔王国にいて古い価値観に染まった強者だ。


 だから、邪魔する者はタイマンで殴り飛ばしてでも罷り通ると、ノーブルはバーバルをめつけた。


 吸血鬼たちもそのことをよく承知していたので無言で先行した。意外なことに、バーバルは横を素通りしていく吸血鬼やコウモリたちを邪魔する素振りさえ見せなかった。


 すると、ドドっと――そのタイミングで放水路の全ての通路に分厚い遮水壁が下り始めた。


「何だ……これは?」

「キイ!」


 吸血鬼やコウモリたちが声を荒げる。


 もちろん、ただの壁ならば吸血鬼たちの邪魔にはならない。簡単に壊せるからだ。


 だが、この壁は土魔術で強化されているだけでなく、放水路の内壁全体を囲うようにして『聖なる光』が張られて、魔族や魔物モンスターの攻撃を弱体化させる仕掛けが施されていた。


「これは……まさか『聖防御陣』か!」


 ノーブルもその様子をちらりと見て、驚きの声を上げる。


 そのときだ。どこからか、いかにも性格の歪みがよく滲み出ている声音が下りてきた。


「いやはや、まさか貴方ほど著名な勇者が魔族となって、第六魔王の手先として働いているとは……本当に嘆かわしいことですね」


 主教イービルが姿も現さずに声を掛けてきたのだ。


 さすがに放水路だけあって、天井のどこかに小さな排水口があるのだろう。そこから拡声する格好で、イービルの話がノーブルたちのもとに届いているようだ。


「ほう。そういう貴方は……大神殿の関係者だろうか?」


 ノーブルが宙に問い掛けると、バーバルが「ちいっ」と舌打ちした。


「主教のイービルの野郎だよ。おい! イービル! 何の真似だ、これは?」

「ああ、バーバル君。気を悪くしたなら謝罪しよう。なあに、大したことではないよ。魔族同士、逃げることなく戦い合って欲しかったので、私からささやかな支援をして差し上げただけだ」

「そんなことをせずとも、私は逃げも隠れもするつもりはないのだが?」


 ノーブルが毅然とした態度で応じると、イービルは「くくく」と卑屈な笑い声を響かせた。


「それは重畳。さすがは高潔と謳われた勇者殿だけありますね。何にせよ、お邪魔な私はこれにて失礼しましょう。そろそろここを出立しなければ肝心の会戦に間に合わなくなるのでね。まあ、さすがに君たち元勇者同士が魔族となって戦い合う姿なぞ、王国民には見せられやしませんから、せいぜい人知れずそこで魔核が潰れるまでやり合うといい」


 そこまで言うと、こつ、こつと、遠ざかっていく靴音が届いた。


 どうやら言うだけいって、イービルは姿を消したらしい。もっとも、ノーブルは眉をひそめるしかなかった――


 吸血鬼やコウモリたちを先行させたくないからこうして閉じ込めたのだろうか? だとしたら、最初から放水路の先にある通路を塞いでおけばいいだけだ。こんなふうにわざわざバーバルに待ち伏せをさせてまで、閉じ込めた意味が分からない……


 とはいえ、今となってはイービルの言う通りでもあった。結局、このお膳立てされた地下の舞台で戦い合うしかないのだ。


 バーバルは異形となった鎌腕を盾のようにして、右手には魔剣を構えた。


 対して、ノーブルも聖剣を中段にして、正眼の構えを取った。


「それでは行くぞ」


 ノーブルは淡々と言うや、バーバルとの距離を一瞬で詰めた。


 聖剣での連撃だ。最早、ノーブルの十八番おはこと言ってもいい速攻だったわけだが、バーバルは異形の左腕で難なくそれをいなした。


 同時に、バーバルはノーブルの聖剣を弾くと、一気にその懐に入り込んで今度は魔剣による連撃を繰り出した。


「これは!」


 ノーブルは驚かざるを得なかった。ノーブルの連撃と瓜二つの剣撃だったからだ。


 たしかに勇者の攻撃スタイルは片手剣を扱う者にとって流行になる。いわゆる当代勇者流とでもいったものが生まれて、ノーブルの連撃も一躍有名になって様々に伝えらえた。


 だが、それは百年も昔の話だ。その間に幾人か勇者も誕生して、あるいはヘーロスのような英雄も出てきて、剣術は様々に変遷してきたはずだ。それなのに最早古流オールドスクールと言ってもいい型をこうしてバーバルが繰り出してきた――そのことにノーブルはつい感慨深くなったわけだ。


「どうした? 高潔の勇者の剣はそんなものじゃないはずだ!」


 そんなふうに後輩の勇者に煽られて、ノーブルは嬉しさ反面、「むっ」と表情を険しくした。


 どこかで「バーバルはさほど強くない」、「むしろセロの『導き手コーチング』こそが凄かったのだ」――といった話を小耳に挟んだことがあったので、つい様子見を決め込んでしまった。


 だが、勇者という肩書を捨て、さらには強さだけを求めて合成獣キメラのような魔族になり果てた若者に対してどうやら少々失礼だったようだ。


「よかろう。それではいざ、全力で罷り通る!」


 ノーブルは左手の甲にある聖痕を高く掲げた。


 それは正確には勇者時代にあった痕ではなく、魔族となってから出来た魔紋が同じようにかたどっただけなのだが、


「喰らえ、『聖域の光槍ヘブンズスピア』!」


 ノーブルは詠唱破棄で魔族の最も苦手とする光系の法術を使用してみせると、宙には幾つもの『光槍』が浮き出できた。


 かつて西の魔族領でモタとリリンをデュラハンから救い出したときに唱えたものだ。同時にノーブルはまた連撃を繰り出す。ただし、今度は浮遊する『光槍』の追撃も加わった。


「くっ……法術だと? 馬鹿な! 魔族になったのに、なぜ簡単に使いこなせる?」


 バーバルは異形の鎌腕と、右手で持った魔剣で何とか防ぐも、さすがに手数が増えたことでしだいに受けきれなくなってきた。


 これでは分が悪いとバーバルも悟ったのか、ノーブルの連撃に対してバーバルはあえて連撃で相討つようにして一歩を踏み込んだ。


 これにはノーブルも目を見張った。並大抵の勇気がなければ出来ないことだ。まさに勇者らしい、熱血の気持ちのこもった反撃だと言えた。


 が。


「マジ……かよ」


 一方でバーバルは絶句するしかなかった。


 ノーブルの『光槍』がしだいに増えていったからだ。


 しかも、視界を埋め尽くすほどに聖なる槍が浮かび上がると、次には地からも突き出てきた。


 バーバルは以前、トマト畑でヤモリたちの『土槍』によって串刺しにされそうになったことをふいに思い出して、顔を歪めるしかなかった……


 何にしても、バーバルはすでにノーブルの猛攻に対して防戦一方になっていた。


 足取りも重い……体も思うように動いてくれない……


 最早、二人の力量の差は明らかだった。


 いや、これはむしろ経験の差だな――と、ノーブルには見極める余裕すらあった。


 より正確に言えば、これは戦闘の場数の違いというよりも、魔族として過ごしてきた時間の長さが明暗を分けた格好だ。


 なるほど。たしかにバーバルは強くなった。


 今なら第六魔王国でも近衛長エークや執事のアジーンに素のステータスだけなら匹敵するやもしれない。


 だが、バーバルはまだ強さの本質とでも言うべき内包する魔力マナをしっかりと御しきれていなかった。さらに言うと、異形の姿での戦いにも慣れていなかった。


 いわば、F1のエンジンを積んだ、継ぎ接ぎだらけのボートに、競輪・・選手が乗り込んでラリーをするようなものだ。いずれ奇跡的に噛み合うのかもしれないが、何にしても今はまだ組み合わせが悪過ぎる……


 そのせいか、最早防戦もままならなくなったバーバルはというと、


「俺はまた――」


 負けるのか、と呟きそうになって、ギュっと血が滲むほどに下唇を噛みしめた。


 すでに巨大鎌のような左腕は襤褸々々ボロボロで、全身も傷ついて血塗れとなって、何とか魔剣を握っているのもやっとといったふうだ。


 不死性を持つ魔族になっていなければ、とうに力尽きていたはずだ。


 だから、せめて憧れに一矢だけでも報いたいと、バーバルは熱き血潮でもう一歩だけ踏み込むことにした。


 だが、その瞬間だ。


 バーバルは唐突に「ん?」と眉をひそめた。


 というのも、ノーブルの攻撃がぴたりと止まっていたからだ。しかも、ノーブルは訝しげな視線でバーバルにこう問い掛けてきた。


「もしや、この地にて玉砕覚悟で待ち伏せしていたわけではないよな?」


 玉砕……?


 たしかに今、一矢報いようとしたが……


 だが、策らしい策などはなく、ただ、ただ、愚直に剣を振るおうとしただけ……


 と、バーバルはそう言い訳したかったが、先ほどノーブルが繰り出した本物の連撃の凄まじさのせいで、「はあ、はあ」と息を整えるのがやっとで、すぐには答えられなかった。


「ふむん。ということは、この状況については貴公もあずかり知らぬ事というわけか?」


 すると、ノーブルはそう尋ねてから靴で地を叩いてみせた。


 もっとも、こん、こん、といった乾いた音は上がらなかった。


 上がったのは、ばしゃ、ばしゃ、といったものだった。バーバルは再度眉をひそめた。たしかに先ほどからやけに足取りが重いと感じていた……


 気づけば、いつの間にか、足首が浸るくらいの水嵩になっていた。とはいえ、放水路で戦っているのだ。全ての遮水壁が下りたなら、この場にしだいに水が溜まっていくのは道理だ。


「やれやれ……それにしてもこれはマズいな」


 だが、ノーブルはそう捉えていなかったらしい。


 直後だ――


「キイ!」


 コウモリが数匹、鳴き声を上げた。


 同時にどこからか、ドドドドドドという轟音が響いた。


 次瞬、天井にある小さな排水口が決壊して、水が瀑布のように落ちてくる。


「やはり、そうきたか!」

「ちい! イービルの野郎、嵌めやがったな!」


 ノーブルもバーバルも罵声を上げた。


 すでに二人の体は――もちろん、二人だけでなく、吸血鬼やコウモリたちも、全身が水浸しになっていた。


 さすがに水の中ではろくに動くことも出来ない。力も早さも何もかもが激減してしまう。しかも、こんな状態では皆で力を合わせて、イービルが用意した『聖防御陣』を崩すことも難しい。


 魔族は不死性があるので溺死とは無縁かもしれないが、長らく息が出来ない状態が続けば、いずれは脳死や壊死など、肉体に好ましくない変調が出てくるだろう。こんなふうに水牢に閉じ込められるぐらいならば、いっそ魔核を砕かれた方がまだマシとも言える。


「これは……本格的にマズい状況だな」


 ノーブルは無念そうに呟いた。


 幾つかあった天井の排水口は土魔術でしだいに塞がりつつあって、確実にノーブルたちをバーバル諸共にこの放水路に閉じ込めるつもりだ。


 こうして、ノーブルは百二十年ほど生きてきて、人生で最大の危機を迎えようとしていたのだった。

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