第238話 会戦前夜 終盤
「ん? 何だかゾクっときたぜ」
モンクのパーンチはそう呟いて、ぶるっと震えた。
ふいに悪寒に襲われたせいだ。まるで狡猾な
もちろん、そこには誰もいなかった……
すでに時刻も夕方を過ぎて、王都の外れの畦道には暗がりが広がるばかりだ。
「急にどうしたのだ、パーンチよ?」
すると、並んで歩いていた英雄ヘーロスが声をかけてきた。
モンクのパーンチはすでに王都でヘーロスと合流していた。しかも、巴術士ジージが寄越してきた
モーレツたち聖騎士団やクリーンに心酔している神殿の騎士団、あるいは武門貴族に連なって反体制を掲げ始めた他の騎士団もとっくに出発して、ヘーロスとパーンチはいわば
たとえ会戦で反体制派が勝ったとしても、体制派は間違いなく王都で最終防衛を行うはずだ。そうなったら王国民にも被害は出る。その際、避難の為の導線確保など同業者に託してきた格好だ。
何にしても、パーンチは先ほど感じた謎の寒気についてヘーロスに説明した。
「いや、何だかよく分からんのだが……いきなり鳥肌が立っちまってよ。ほら。よく見てくれ、ヘーロスの旦那」
「ふふ。お前でも戦いの前に武者震いすることがあるのだな」
「そんなんじゃねえよ。それとは違う……何だかまるでセロが女豹たちに狙われたときのような嫌な感覚だったぜ」
「は? 女豹だと? いったい……何だその生き物は?」
当然のことながら、女豹大戦を目撃していないヘーロスにはさっぱり理解出来ない例えだった。
そういえば――と、パーンチはふと思い出した。あの女豹大戦で理不尽にも地下に落とされて、裏山のふもとにすぽーんと投げ出されたのをキャッチしてくれたのが巨大蛸のクラーケンだった。
あれからダークエルフの双子のドゥの操る巨大ゴーレムと共に三人で戦闘訓練を行ってきたおかげで、短い間ながらもパーンチは相当に実力を付けることが出来た。パーンチが長らく第六魔王国に留まってしまった理由の一つでもある。
「そうはいっても、まさか魔王国の協力を仰いで、王国と一戦することになるとはなあ」
パーンチがぼやくと、ヘーロスは「はは」と屈託なく笑ってみせた。
「今の王国はかつての王国ではない。いや、かつての王国などそもそもなかったのだろうな。俺の親友も
「バーバルの野郎も死刑にされちまったしな。まるでゴミのポイ捨てみたいだ」
「高潔の勇者ノーブル殿もアバドン封印で見限られて流刑にされたと言っていたしな。王国は百年以上も前からすでに腐っていたのだろう」
「それを正せればいいな」
「ああ。こんな下らない争いは俺たちの代までで十分だ」
そう言って、ヘーロスとパーンチは互いに拳をかつんと突き合わせた。
「そういや、ヘーロスの旦那よ。次の王様は誰かって、会戦前からすでに王国民がそわそわしていたぜ?」
「ほう。現王が廃位され、また王女プリムも廃嫡となれば、もう正統な王の系譜は残されていないはずだろう?」
「さあな。実は、どっかの片田舎に隠れ潜んでいたりしてな」
「どのみち、今度は大貴族から選ばれるだろう。武門貴族のシュペル卿、旧門貴族のヒトウスキー卿、あるいは意外なところで戦功次第ではモーレツ卿という線もあるやもしれんぞ」
「オレは全く違う噂を聞いたわけだが?」
「違う噂だと?」
「ああ。ヘーロス英雄王様だとよ」
パーンチがそう言って担ぐと、ヘーロスはぶんぶんと片手を横に振った。
「冗談はよせ。所詮、俺は冒険者だ。そっちの稼業の方がよほど性が合っている」
「もったいないよなあ。こんだけ貴族にも顔が利いて、まともな人間が王国の中枢に入らないなんてよ」
「何だったら、パーンチモンク王様を推薦してやるぞ?」
「それこそ止めてくれよ。この戦いが終わったら、オレは孤児院の
「
「まあ、たしかにセロが上に立つ限り、この大陸には平和がもたらされるだろうな。そうなったら、ヘーロスの旦那も冒険者稼業なんて終わりなんじゃないか?」
パーンチが尋ねると、ヘーロスは「ふふ」と笑みを浮かべた。まるで子供のような無邪気な笑顔だったので、パーンチはわずかに眉をひそめる。
「実は、俺は別の大陸に行ってみたいんだ。文献でしか残されてこなかった世界がきっとどこかに広がっている。魔王よりも強者がいるかもしれない。見たこともない動物や魔獣がいるかもしれない。本当の冒険はこれからさ」
ヘーロスがそう断言すると、パーンチは「ひゅう」と口笛を吹いた。
からかっているというより、心底羨ましがっているといったふうだ。実際に、第二聖女クリーンが果ての海域の魔族を仲間に引き入れたこともあって、海の危険はずいぶんと減ることになる。
さらに第六魔王国の浮遊城や強襲機動特装艦などの存在もある。もしくは第三魔王国と協力すれば飛竜たちも加わって、空路が確立されるかもしれない。
そうなったら間違いなく、大航海・大航空時代の幕開けだ――
ほんの半年前まで想像すら出来なかった新しい世界が拓かれるかもしれないのだ。
「そう考えると、ますますオレたちは勝たなくちゃいけないわけだな」
パーンチがそう呟くと、ヘーロスも首肯してから今度はちらりと意味深な視線を寄越してきた。
「ところでパーンチよ。先ほど感じた悪寒についてだが――」
「ああ。もちろん、旦那の言いたいこととは別口だぜ。後ろに潜んでオレらをつけ狙っている
「どうする? ここで退けていくべきか?」
「前哨戦ってやつかい?」
「何なら開戦でもいいわけだが?」
「やっぱ旦那は話が早い。そうこなくちゃな!」
パーンチは両拳を固く握った。
つい先ほどからパーンチたちを尾行している存在がいたからだ。
互いの全てを出し切る決戦の前夜だというのに闇討ちを仕掛けてくるなど、まさに今の王国らしいやり口だ。
これにはさすがにパーンチもヘーロスも閉口したわけだが、意外なことにパーンチたちが戦わずとも、どういう訳か悲鳴と共に勝手に向こうの数が減っていく。
まさか闇に紛れて野良の野獣か魔獣でも出てきたのかと、かえってパーンチたちが警戒していると、
「どうやら間に合ったようだな」
暗がりの中からよく知った声が上がった――狙撃手のトゥレスだ。
「まさか……トゥレスか?」
パーンチが声をかけると、以前よりはずっと穏やかな顔つきのトゥレスが闇の中から現れ出てきた。
一瞬、パーンチは偽者ではないかと怪訝な表情を浮かべて警戒を続けるも、昔はにやりともしなかったトゥレスが微笑を浮かべてみせる。
「そんな不審な顔をしてくれるな、パーンチよ」
「い、い、いや……ていうか、本当にお前はトゥレスなのか?」
「どうやったら証明出来る? 何だったらここでゲル状にでもなってみせようか?」
「出来んのかよ」
「エメス殿に体をいじられて、形状変化が可能になったのだ」
「マジか……」
「冗談だ。ここで笑ってくれなくては私が困る」
やはり本当にトゥレスなのかと怪しく感じられたが、何にしてもパーンチは再会を喜んだ。
同様にヘーロスも「よく戻って来たな」と親しげに肩を組むと、トゥレスは二人に事情を説明した。
どうやら聖女パーティーが高原にて会戦するという情報をドゥやディンからモノリスの試作機を通じて仕入れたセロが、パーティーの一員たるトゥレスに対して向かうように指示を出してくれたらしい。
「てことは、エルフの森はもう片付いたのか?」
パーンチが驚いて尋ねた。
エルフたちが森の中でゲリラ戦でもしようものなら、下手したら数年単位の徹底抗戦になるかもしれないと見られていたからだ。
「結局、一日もかからなかったよ。今はヌフ様が仕切っていらっしゃる」
「てことは、お前の後ろにいるのは――」
パーンチが目を細めて闇の中を凝視すると、そこにはエルフたちがいた。
ただ、普通のエルフではなかった。どういう理由かは知らないが、魔族に転じたエルフのように見えた。しかも、そのうちの一人は女性の吸血鬼で、パーンチやヘーロス以上の実力まで備えている可能性を秘めた、相当な強者だ……
「会戦中でも暗殺などは絶えないだろう。ダークエルフの精鋭たちは第二聖女に扮して各地に散っていると聞いている。だから、これからは私が敵の不意打ちなどに対してバックアップするつもりだ」
トゥレスはそう言って、パーンチとヘーロスの肩をぽんと叩いた。
かつてのトゥレスの印象とは百八十度も異なる様子にいまだパーンチは慣れなかったが、何にしても心強い味方だ。
こうして三人とエルフの部隊は会戦の戦場となる高原に向かった。王国との決戦の火蓋がついに切られようとしていたのだ。
―――――
作者から少しだけ宣伝です。先日掲載を始めた『万年Fランク冒険者のおっさん、なぜか救国の聖女になる』はもうお読みいただけてしますでしょうか?
もしまだということでしたら、是非ともお読みくださいませ。
理由は単純で、『おっさん』は『トマト畑』の後日譚に当たるからです。もちろん、独立して読めるように書いておりますが、たとえば、今話で出てきたヘーロスの海洋冒険が『おっさん』の舞台となる大陸での人族入植に繋がっていきます。また、早速、『第80話 迷わずの森(魔女サイド:07)』に出てきたダークエルフの子供ことモタの一番弟子も出ています。
お時間がございましたら、どうか気軽にお付き合い下さい。
次話は外伝的な内容を一話だけ挟んで、第三部ラストの決戦に進みます。
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