第237話 会戦前夜 中盤
話は数日ほど前に遡る――
第六魔王国の浮遊城がエルフの大森林群に接近して、セロがちょうどルーシーとの城内デートプランを考えていた時期だ。
同じ頃、第二聖女クリーンは強襲機動特装艦こと『かかしエターナル』に乗艦させてもらって、その司令室に
その場にいたのは、高潔の元勇者ノーブル、巴術士ジージ、女聖騎士キャトルに加えて、シュペル・ヴァンディス侯爵、ヒトウスキー伯爵。それに島嶼国からやって来た妖精ラナンシー、マン島の戦士長ハダッカ、
逆に、この場にいない英雄ヘーロスや聖騎士団長モーレツはというと、王国内にて反体制派の冒険者や騎士たちをまとめる為に旗を振っていたし、またモンクのパーンチは陸路で王国に移動中で、その後を巨大蛸ことクラーケンが急いで追っていた。
最早、王国の体制派との全面衝突は避けられず、その前段となる諜報戦ではすでにシュペルやヒトウスキーの仕掛けによって大きな成果を上げている。
一方で、クリーンたちには一つだけ頭痛の種があった――
王都内のどこかに教皇と第一聖女アネストの身柄が拘束されていたからだ。
これが第六魔王国と王国との戦いならば何ら問題はなかった。セロからすれば両人ともほとんど面識のない存在だし、たとえ魔王が大神殿のツートップを助けなくても、後々に王国民から謗りを受けることはない。
だが、第二聖女クリーンの立場だと微妙な話になる……
もちろん、多くの王国民は直近の祭祀祭礼で主教イービルが前面に出て、教皇や第一聖女アネストを蔑ろにしていることに不審を抱いていたが、そのときはクリーンが王都に帰還寸前ということもあって、
「教皇様とアネスト様は大丈夫だろうか?」
「何でも、イービルの野郎に拷問を受けているとかなんとか……」
「ひいっ! 罰当たりな。でも、あいつならやりかねんし、教皇様も御年だから耐えられるとは思えないな」
「大丈夫だ。クリーン様なら、きっとお二人を無傷でお救い下さるよ」
といったふうに、大陸の果てに島流しにされながらも、そこに住まう全ての種を味方につけて戻ってきた奇跡をまたもや演じてくれるはずと、王国民は無邪気に期待していたわけだ。
そんな現状だったので、クリーンも打ち合わせで早々に声を上げた。
「是非とも、私に行かせてください! 猊下とお姉様をお救いするのは、第二聖女たる私の務めです!」
もっとも、そんなふうにクリーンが悲痛な口調で訴えるも、まず巴術士ジージはやれやれと頭を横に振った。
「逆じゃろうて。王国民を救うことこそがお主の役割じゃ。最悪、猊下と第一聖女には国の礎になってもらう可能性も考慮せねばならん」
「そんな! ジージ様は王権と魔術師協会に長らく関わっていらっしゃったから、そのようなご無体なことを言えるのです」
「否定はせんよ。わしはいまだに無用に神権を振りかざす大神殿が嫌いじゃ。だが、教皇と第一聖女が人質に取られて、王国民と天秤にかけられたときに、果たしてお主はどちらを選ぶつもりなのじゃ?」
「そ、それは……あくまでも仮定の話ではないですか。体制派がそんな愚行をするとは思えません」
「よくよく考えてもみよ。相手は王女に取り憑いた天族じゃぞ。人族の聖職者など歯牙にもかけんじゃろうて」
ジージにそう諭されて、クリーンはぐっと下唇を噛んだ。
たしかに相手が主教イービルや王女プリム本人だったら教皇やアネストに手を出すとは到底思えない。後々の統治を考えれば悪手に過ぎるからだ。
だが、かつて泥竜ピュトンが王国の中枢に跋扈して、王家に連なる者たちを次々と殺していったように、天使モノゲネースが聖職者を粛正する可能性は否定出来ない。そもそも、魔族であるピュトンの蛮行を見逃してきたぐらいだ。本質的には人族など、どうでもいいと考えているふしさえある。
すると、ノーブルが「ふう」とあからさまに息をついてみせた。
「ジージよ。聖女殿をあまり虐めてやるな」
「ふん。お主は聖女にやけに甘いよな。わしは虐めてなどおらんよ。ただ、現実を直視せいと話しているだけじゃ」
「ならば、より現実的な話をしようじゃないか?」
「ほう、いったい何が言いたい?」
「教皇と第一聖女を救出すればいいのだ」
ノーブルがそう言うと、クリーンはその話に飛びついた。
「そうです。救出部隊を作りましょう。何でしたら、聖女パーティーを二つに分けて――」
というところで、意外なことにジージだけでなく、ノーブルまでもが眉をひそめてみせた。
「聖女殿よ。それは土台無理な話だ」
「うむ。まだ頭が冷えておらんか。誰ぞ、このお嬢ちゃんに『
と、ジージが周囲を見渡すも、法術を使えるのがジージしかいないということに気がついて、やれやれと大きく息をついた。
「なぜ駄目なのですか?」
当然のことながらクリーンが語気を強めて尋ねると、今度はシュペル・ヴァンディス侯爵が淡々と説明した。
「我々としては体制派に王都に引きこもってもらいたくはありません。王都攻防戦となると、王都内にいる国民にも被害が出ますし、もし国民を盾にでも使われては攻めようがなくなります」
「ふむん。電撃作戦が必要と言うことでおじゃるな」
ヒトウスキー伯爵が補足を入れると、シュペルは「はい」と首を縦に振った。
「今、我々がダークエルフの精鋭たちにお願いして、第二聖女クリーン様に扮して各地に現れてもらっているのも、敵をモグラ叩きの様相に持ち込む為です。ここで巣に引っ込まれては困るのです」
シュペルがそこまで説明すると、さすがにクリーンも状況が見えてきたのか、
「つまり、王都近辺で会戦をやりたいということなのですね。その為の餌として、聖女パーティーが表に出てくる必要があると」
「その通りです。敵を我々に引き付ければ引き付けるほど、王国民の犠牲は少なくなります」
結局、クリーンは「分かりました」と無念そうに首肯した。
が。
そのタイミングでドゥとディンの持っていたモノリスの試作機に連絡が入った。
連絡を寄越してきたのは、第六魔王国の温泉宿泊施設にて留守番をしている人狼の執事アジーンだった――
「王都攻略の際に役立つであろう話を泥竜ピュトンがついに吐きました」
そんなアジーンの報告から、大神殿に繋がる地下通路の情報がもたらされた。
もちろん、性癖的にあれなアジーンがわざわざピュトンに拷問して吐かせたわけではない。
ちなみに、このかかしエクシアはもともとはエークやアジーンの為にエメスが作ってあげたロボットなのだが、いつの間にかピュトンにも流用されていたようだ。
ピッチングマシーンよろしく、拷問の強弱や変化球などにも対応出来る優れもので、最近などは「俺が拷問だ」と一家言持つまでに成長している……
……
…………
……………………
と、まあ、そんなどうでもいい裏事情はともかく――
「待て。さすがにタイミングが良すぎやせんか?」
やはりと言うべきか、ジージがアジーンに対して疑問を呈した。
「ピュトンのことじゃ。欺瞞情報ということもありはせんじゃろうか?」
「しかしながら、ジージ殿。ピュトンには現在の戦況に関する情報は一切与えておりません」
アジーンが落ち着いた口ぶりで答えるも、それでもまだジージは煮え切らない様子だ。
「なるほどな。とはいっても、彼奴めはいったいどうして急にそんな情報を漏らしたんじゃ?」
「実は、ピュトンは情報の対価を求めていまして……」
「対価じゃと? まさか逃がせとでも言ってきたのか?」
「いえ、違います。対価は
これには皆も「うーん」と呻った。
魔族は基本的に食事を取らなくても問題ないのだが、そうはいっても最近の第六魔王国の食のレベルは常軌を逸している。
セロが王国の料理を恋しがったのも今は昔で、食通の旧門貴族たちでさえもヒトウスキーに招かれた際に、魔王国に別荘を作ると言い出したほどだ。
最近はドゥが賄いを持って地下研究施設のエメスのもとにてくてくと足繁く通っていたから、もしかしたらピュトンも牢獄に居ながらにして、その匂いに釣られてしまったのかもしれない……
「何にしても有益な情報ではないか?」
すると、ノーブルが声を上げた。ただ、ジージはいまだに否定する。
「罠じゃろうて。わしらの戦力を分散させることが目的じゃ。いちいち敵の思惑に乗っかってやる必要もなかろう。そもそも、そんな通路は本当に存在するのかの?」
そう言ってジージが大神殿の構造を知るはずのクリーンに話を振ると、
「神殿の騎士たちなら秘密の通路などにも通じているかもしれませんが……私は寡聞にして知りません」
クリーンは弱々しく頭を横に振った。だが、意外なところから援護の声が上がった。
「通路の存在は確かだ。もっとも、三十年前と変わりがなければだが」
そうはっきりと言い切ったのは、マン島の戦士長ことハダッカだった。
どうやら聖騎士団の副団長時代に、王都防衛の為に地下の用水路などの存在を洗い出したことがあったらしい。
「ならば話が早い。私が行こう」
ハダッカの言葉を受けて、ノーブルが主張した。
「どのみち敵の注目を集める為にも、聖女パーティーから
その意見にジージも含めて皆はこくりと肯いた。
こうして急遽、ノーブルと、夜目の効く吸血鬼数名、さらに超音波で暗がりでも通路を把握できるコウモリたちが救出部隊を組むことになった。
もっとも、ピュトンの意図はどうあれ、この後、地下通路でノーブルは絶体絶命の危機を招くことになるのだが……
そんな艦上での打ち合わせとほぼ同じタイミングで――
「ああ、パーンチ様。そんなところを触られては……」
王都に続く田舎道の繁みでは大変けしからん声が上がっていた。
「そこの吸盤は一番敏感な部分……ダメ! もうイってしまいそうです。ああん!」
さらなる嬌声が響く。
同時に巨大蛸ことクラーケンが道端に力なくぱたりと倒れた……
もちろん今は人型だ。ついでに言うとこの場にパーンチはいない……つまり、クラーケンはまだ夕方だというのに一人きりで妄想逞しく悶えていたわけだ。
とはいえ、盛りのついた猫じゃあるまいしと、クラーケンを責めるのも酷な話ではある。
というのも、本来、クラーケンは水棲生物だ。陸地ではどうしても動きが鈍くなる。しかも、慣れない人型な上に、王国に入ってからは道行く人々にバレないようにと気を張って認識阻害を自身にずっとかけていたおかげで、ずいぶんとストレスが溜まっていた。
このままでは先行するパーンチに追いつくなど夢のまた夢――
「はてさて困りました。こんな妄想で鬱憤を晴らしている暇などないというのに……」
クラーケンは旅の疲れを落とすべく、茂みから出て、いったん水浴びの為に近くの川に下りた。
「ふう。やはり、水はいい。身も心も洗われるようです」
というところで、クラーケンは「はっ」と閃いた。
たしか王都には大河が流れていると聞いたことがあった。つまり、あえて陸路をとらずとも、この川を上っていけば着くのではないだろうか?
「今こそ愛の力を見せるとき!」
こうしてクラーケンは水を得た魚もとい蛸のように、これまでの遅れを取り戻すべく、一気に王都に向かったわけだが――
その川がよりにもよって王都の地下にある用水路に繋がっていることなど、当然知る由もなかったのだった。
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