王国平定

第236話 会戦前夜 序盤

 その日、王女プリムが大神殿の祈りの間を出たときには、すでに日が暮れていた。


 一見すると地味な祭服を纏っているのでプリムらしくなく、いかにも地位の低い神学校の女学生のようではあったが、神聖騎士たちは構わずにその後ろに続いた。


 もちろん、天使モノゲネースが受肉しているので、今の王国にはプリムよりも強い者はいないし、そのことは神聖騎士たちも重々理解しているのだが、それでも形式というものは大事だ。


 何せ、ここは大神殿の最奥で、かつプリムは王女だ――


 歴史と伝統を最も重んじる場所と身分ということもあって、その後もプリムは一応形式に則って、大神殿内の泉で改めて身を清めてから、祭服の上にこれまたさらに地味なペイルブルーのスーツを羽織った。


「本当に……面倒なことよね。勘弁してほしいわ」


 そんなプリムに護衛の騎士が声を低くして報告する。


「大神殿内の古塔に蟄居させてある教皇、それに第一聖女アネストですが、双方とも断食を続けているようです。昼食には全く手をつけていません」

「これで何日目になるのかしら?」

「五日です。差し出している食事のうち、水のみは飲んでいるようですが……」

「アネストはともかく、教皇はもう耄碌してもおかしくない爺なのだから、そろそろくたばりそうなじゃない? 本当に大丈夫?」


 王女とは思えない口の悪さでもって、プリムは教皇をこき下ろした。


 これにはさすがに報告した神聖騎士も、「は、はあ……」と、さすがに返答に窮したようだ。


 そもそも、天使たるモノゲネースが受肉したプリムにとって、聖職者たちなぞ宗教を隠れ蓑にして富と名誉を得ている紛い物に過ぎなかった。いや、神を騙って自らの正当性を示している分だけ、王族よりもたちが悪い存在だとみなしていた。


 そういう意味では、異端に対して非道を繰り返してきた加虐趣味の主教イービルや、神殿から離れて冒険者として活躍していた光の司祭ことセロの方が、プリムにとってはよほど好ましく感じるほどだ。


 だから、今になって神権が疎かにされただとか、国民の安寧を願ってだとかと言って、勝手に断食している教皇と第一聖女について、プリムは虫唾が走る思いだった。


「はあ。断食して祈りを捧げることで、この王国を救えるのなら楽なものよね」

「ですが、プリム様――」


 お供の神聖騎士が意見を言おうとしたところで、プリムは片手を上げてそれを制した。


「分かっているわ。泥の竜ピュトンがいない今、認識阻害で教皇や第一聖女に化けられる者はいないってことでしょう? 二人に倒れられたら、それこそ面倒だものね?」

「いっそ、薬か何かで洗脳いたしますか?」

「それは最後の手段よね。第二聖女クリーンを打倒して、第六魔王国と膠着状態になってから、二人の処遇については考えましょう。もしかしたら、その頃には人質としての価値など失くなっているかもしれないのだし」

「畏まりました」


 そんなプリムは王城に戻ると、すぐに玉座の間に向かった。


 そこではかつて散々にやり合ったはずの王党派と革命派の重鎮たちが今も喧々諤々の議論を交わしていた。もっとも、いかにも貴族らしく現実を見ずに、それぞれの政治的主義イデオロギーについて言い争っているわけではなかった。


 ここ数十年の王国では珍しいことに、玉座の間では現実主義に基づいた政策が話し合われていた。


 たとえば、日々膨らんでいく一方の反体制派に対して、神聖騎士団など数に限りある戦力をどこにどう逐次投入して、如何にして各個撃破するべきか――


 その前段とでも言うべき敵の勢力分析について、それぞれが朝からずっとやり合っていたのだ。


 まさに会議は踊る、されど進まずといった様子に、プリムはうんざりして抜け出したわけだが、戻ってきてもいまだ変わらず、額に片手をついてため息を漏らすしかなかった。


 はてさて、希代の天才たる天使のエクレーシアとテレートスがそれぞれ主教イービルと神聖騎士団長のハレンチに受肉しているのに、なぜこのような事態に陥っているのか――普通に考えれば、世界を一新パラダイムシフトさせるほどの才人の鶴の一声でまとまりそうなものだが……


 とはいえ、プリムはその理由をよく知っていた。


 天才とはある一分野でまるで狂人のようにその才を発揮出来る者であって、必ずしも全員が戦いに明るいわけではない。そもそも、軍事にまつわる天才たちはとうに古の大戦で失われてしまった。


 それにエクレーシアは神事や宗教にまつわる天才だが、争いごとには向いていない。むしろ、主教イービルの方がよほどはかりごとには詳しい。また、テレートスもモチベーターとしては優秀だが、残念ながら知識に欠いている。いっそ、神聖騎士団長ハレンチの方が戦術には詳しいほどだ。


 そんなこんなで、真っ当に機能していない御前会議をプリムは傍からしばらく眺めていた――


「なぜ第二聖女クリーンの目撃情報がこれほどにあるのだ?」

「一昨日は辺境伯領、昨日は西の魔族領にほど近い田舎町、今日の早朝には隣のヒトウスキー伯爵領と、明らかにバラバラではないか!」

「それに報告では、国民に施しを与えたとか、祈りを捧げたとかとあるが――」

「この森林浴をしていたとはいったい何なんなのだ? しかも大樹に縛り付けられて、辱めを受けていたように見えたと報告されているのだが? そんな馬鹿なことがあってたまるか!」


 ちなみに、ダークエルフの精鋭たちが各地に散って、認識阻害でクリーンに変じていることに体制側はまだ気づいていない。なお、いかにも聖女らしく、施しや祈りをきちんと捧げてきたのはダークエルフであって、なぜか縛られていたのはクリーン本人だ……


 それはさておき、報告をまとめると、クリーンたち一行は牛歩ながらも着々と王都に近づきつつあって、しかも西側から包囲作戦を展開しつつあった。


 そのいずれの侵攻ルートにも錦の旗こと第二聖女クリーンがいて、たまに奇行・・をするものだから、体制側が混乱するのも無理はなかった。とはいえ、王都に近づけば近づくほど、反体制の勢力もまとまっていって、クリーンの居場所が最終局面において際立つわけで、


「いっそ各個撃破とはいわず、西の高原で会戦してはどうだ?」

「馬鹿な。兵力差は歴然だ。それに王都にいる国民が内応する可能性もあるのだぞ」

「兵力差があったとしても、こちらは一騎当千の神聖騎士団――所詮、相手は烏合の衆だ。野戦で蹴散らしてやればいいのだ」

「マン島の戦士も、蜥蜴人リザードマンも、さらにはなぜか魚系の魔族まで付いてきているのだろう? 烏合の衆と切って捨ててよいものか? 足もとを救われかねないのでは?」


 結局のところ、クリーンを暗殺しようとして差し向けた者たちが全て失敗した時点で、腹を括って会戦するしかないのだが、体制側にもそう踏ん切れない事情があった――


「ところで……エルフの大森林群が第六魔王国の手に落ちたというのは本当なのかね?」


 誰か一人がそうこぼすと、玉座の間には沈黙が広がった。


 天族を信奉するエルフに第六魔王国をしばらく留めてもらうこと――これこそが今回の会戦の必要条件だったのだ。


 森でのゲリラ戦でエルフに敵う者などこの大陸にはいない。大森林群での戦いは必ず長期化する……


 そんな見立てを第六魔王国はあっけなく覆した。おかげで体制側としては、第二聖女クリーンを戴く反体制側だけでなく、第六魔王国側による挟撃も念頭に入れなければならなくなった。


 こうして誰もが口を噤んで黙り込む中で、唐突に玉座の間の廊下から物々しい足音が響いた。


 そして、誰何することもなく、扉はバタンと開かれる。


「伝令です! 西の高原に第二聖女クリーンが現れました!」


 直後、その場の誰もが「はあ」と息をついた。


 いったい何人目のクリーンの目撃報告なのかと、その話にはもう飽き飽きだといったふうだ。


 が。


「しかも、聖女パーティーです! 英雄ヘーロス、巴術士ジージ、女聖騎士キャトル、モンクのパーンチも一緒になって集まっています!」


 この報告にはさすがに皆が色めきだった。


 今度ばかりは神聖騎士団の団長ハレンチもやっと満面の笑みを浮かべてみせてから、


「では、私が直接向かおう。神聖騎士団で蹴散らしてあげるよ」


 そう言って立ち上がると、満場の拍手喝采の中で、マントを翻して颯爽と退室していったのだった。






 さて、ここは大神殿から少し離れた地下通路――


 泥の竜ピュトンが拷問を受けて吐いた秘密の抜け道で、王都の外れにある古井戸から大神殿に通じている箇所だ。もちろん、整備された通路ではないので、松明など灯りは一切ないし、蜘蛛の巣だらけで、埃が溜まっていて滑りやすい。


 その通路はどうやら王都の放水路に繋がっているようで、薄く水の張った広い立坑はさながら地下神殿と言ってもいい荘厳さがあった。


 今、その立坑には、松明を掲げた高潔の元勇者ノーブルが突っ立っていた。


 大神殿に地下から侵入して、教皇と第一聖女アネストを救出する為だ。もちろん、ノーブルだけでなく、吸血鬼たちとコウモリも付いている。夜目が効くので、ノーブルを補助する役割だ。


 だが、その地下神殿でノーブルたちの足はいったん止まっていた。


「ふん。てっきり、セロか、クリーンが来るものだと思っていたよ」


 ノーブルたちの足止めをした者は――傲岸不遜な顔を歪めて、「はあ、やれやれ」と暗がりの中で肩をすくめてみせた。


「ふむん。セロ殿はともかく、クリーン殿はたしかに直接救出に行きたいと言っていたな」

「はは。相変わらず甘ちゃんな女だな。まあ、あの二人を救出したいという時点で、セロとてお人好しには違いないわけだが」

「ほう? ずいぶんとセロ殿のことを知っているのだな?」

「そりゃあそうさ。付き合いだけは無駄に長いからな。本当はここでセロと戦いたかった」

「私では不服かね?」

「いや、むしろあんたを寄越してくれたことについては、セロに感謝しても、し切れないぐらいだよ。何せ、俺にとってあんたは――」


 そこまで言うと、ノーブルと対峙した者は心の底からゾっとする笑みを浮かべてみせた。


「俺の憧れそのものだったからな」


 瞬間、その者ことバーバルはドス黒い魔剣を抜いた。


 同時に、ノーブルも聖剣で相対した。こうして高潔の元勇者と、熱血の元勇者が神殿地下で前哨戦を始めようとしていたのだった。

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